<Oyanagiの勉強部屋>掲示板に寄せられた鈴木さんの投稿(#94)を呼んで「おじさん=お父さん」という解釈が成立することは初め奇妙に思えましたが、よく考えてみるとこれは当り前の現象ではないかと考えるようになりました。
日本語の初級で必ず勉強する<家族の呼称>の語彙はウチとソトの区別があるということで、それぞれペアにして学習することが普通ですが、鈴木さんが指摘されているようにここには思わぬ落し穴がありそうです。
実際の呼称は、日本語ではその特徴である<文脈依存/場面依存>的な面が非常に出るものですが、呼称の語彙の体系そのものだけでなく、実際の会話で誰が誰に話すのかということも考えると意外と複雑であることがわかりました。
考察するにあたって、まず初級で学ぶ呼称の語彙体系がどのようなものであるかをはっきりさせ、それを踏まえて「おじさん=お父さん」現象がどのようなものであるかを考えてみます。
そして、この現象は「おじさん/おばさん=お父さん/お母さん」という場合に限らずもっと広く起きうることを説明したいと思います。
語彙の使用とその表記については以下の通りです。
なお、「おじさん」という語彙だけの説明がありますが、おばさん」についても同じように言える場合にはその部分を省略した箇所があります。
おじさん=伯父さん(親戚関係) 注:「叔父さん」も含む
おじさん=小父さん(年配の他者)
*初級で学ぶ家族の呼称語彙の体系
<自分側> <相手側>
私の〜 あなたの〜/◯◯さんの〜
父 お父さん
母 お母さん
主人 ご主人
家内 奥さん
息子 息子さん
娘 娘さん
伯父 伯父さん
伯母 伯母さん
A)<相手中心の呼称>
会話における呼称は通常<相手中心>である。
つまり、相手にとって話題の人がどのような関係かを示す語彙が使われる
1)「お父さんはお元気ですか」(相手=息子/娘)
「はい、父は元気です」
2)「息子さんはお元気ですか」(相手=父/母)
「はい、息子は元気です」
3)「ご主人はお元気ですか」 (相手=家内)
「はい、主人は元気です」
4)「伯父さんはお元気ですか」(相手=父/母/息子/娘)
「はい、伯父は元気です」
ここで問題となるは4)の「おじさん」の解釈である。通常は上の対応のように「おじさん」は
相手にとって「伯父さん」と呼ぶ存在(つまり相手にとって親戚であるひと)である。
しかし、場合によっては呼称が<自分中心の呼称>になることがある
つまり、自分にとって話題の人がどのような関係かを示す語彙(下の『 』)が使われることがある。
まずは話し相手が親戚の場合を考える。
B)場面1 私=息子/娘=私、相手=親戚でその家族では息子さん/娘さんに当たる人
<自分側> <相手側>
相手中心の呼称 自分中心の呼称
↓ ↓
父 お父さん
母 お母さん
伯父 -------- お父さん =『伯父さん』
伯母 -------- お母さん =『伯母さん』
つまり、私が『伯父さん』と呼ぶところの人=あなたのお父さん、となる
4)の会話は次のように解釈されうる
「おじさんはお元気ですか」
「はい、父は元気です」
C)場面2 私=息子/娘、相手=親戚でその家族ではご主人/奥さんに当たる人
相手中心の呼称 自分中心の呼称
↓ ↓
父 お父さん
母 お母さん
伯父 -------- ご主人 =『伯父さん』
伯母 -------- 奥さん =『伯母さん』
つまり、私が『伯父さん』と呼ぶところの人=あなたのご主人、となる。
4)の会話は次のように解釈されうる
「おじさんはお元気ですか」
「はい、主人は元気です」
このように会話の相手が自分の親戚の場合には<自分中心の呼称>が使われることがある。
この<相手中心の呼称>から<自分中心の呼称>が使われるのはBやCのような親戚『伯父さん』などの場合だけでなく、『小父さん』の場合もありうる。
D)場面3 相手=近所で顔見知りの家族
相手中心の呼称 自分中心の呼称
↓ ↓
父 お父さん =『小父さん』
母 お母さん =『小母さん』
主人 ご主人 =『小父さん』
家内 奥さん =『小母さん』
息子 息子さん =『小父さん』
娘 娘さん =『小母さん』
つまり、私が『小父さん』『小母さん』と呼ぶところの人=あなたの家族
4)の会話は次のように解釈されうる
「おじさんはお元気ですか」
「はい、父/主人/息子は元気です」
注:
ここでは、「父/主人/息子」の場合が想定されるが、人によっては「息子」の場合は不自然と感じるかもしれない。 それは一般的な語彙がもつ<年齢関係>が想起されるからで、実際に重要なのは「話者が常日頃話題の人物を『おじさん』と呼んで接している」という事実関係である。 このような事実がお互いに理解されていれば、「息子」の場合も十分ありうると思う。その場合にはおそらく話し相手は『おじいちゃん』とか『おばあちゃん』とか呼ばれていると想定される。
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このような『小父さん』の使われかたはDのように近所の顔見知りの場合に限られると思われる。例えば、友人のお父さんのことを『小父さんはお元気ですか』と言うのは不自然である。
それは、先に上げたポイントである「常日頃話題の人物を『おじさん』と呼んで接している」という人間関係が想定できないからだと思われる。
以上をまとめると、「おじさん」という呼称は親戚関係の人との会話では「お父さん」「ご主人」の意味で使うことがあり、近所の顔見知りの人との会話では「お父さん」「ご主人」「息子さん」の意味で使うことがあるということになる。
この現象は非常に<文脈依存>の要素が強い日本語の特徴と現われの一つである。
ここで、改めて<自分中心の呼称>の拡張という視点で見てみると、「おじさん」「あばさん」という単語に限らず行われることがあることを意味するのではないか。
例えば、<自分中心の呼称>としての「坊ちゃん」「お嬢さん」が挙げられるのではないかと思う。
この単語はそれぞれ<相手中心の呼称>としての「息子さん」「娘さん」の意味で会話で使われている。
4)の会話のように
「坊ちゃん/お嬢さんはお元気ですか」
「はい、息子/娘は元気です」
「坊ちゃん」「お嬢さん」は初級の家族の呼称にも載っていることがあることを考えると、「おじさん」の使用よりももっと古くて今では定着した用法だと思われる。
「おじさんはお元気ですか」という質問をされたときに、その相手との人間関係によって「自分の父」のことを聞かれていると解釈されることがあることがわかったが、このような<語用論的な意味>はどのように指導するべきか。
恐らく、一般的には初級の段階ではAに挙げたように対応する語彙を機械的に学習するのがいいと思われるが、初級の終わりか中級くらいになったら場面によって異なる解釈もあることを教える必要があるだろう。
学習者が使用する立場になったことを想定すると、BやCのような場面はほとんど考えられないが、Dは十分考えられるし、聞く立場ではBもCもDもあるだろう。
しかし、<相手中心の呼称>を使ってもまったく問題がないことを考慮すれば、導入時にDのことを説明する必要はないだろう。
学習者が日本での生活に慣れ、人間関係によっていろいろと使い分ける表現(敬語なども含めて)を学習した上で、B、C、Dのような使用もあることを説明するのがいいと思う。