#46 「〜てから」と「〜たあとで」の違い

 

■問題点の整理

 

「〜てから」と「〜たあとで」は、二つのコトのうち、どちらを先にするかを示すという点で共通する用法があります。

しかし、両方がいつも言い換えが可能というわけではありません。例えば、「20歳になってから、お酒を飲む」に対して「20歳になったあとで、お酒を飲む」は非常に不自然です。どんな場合に二つは言い換えができなのかを考察します。

 

また、「日本に来てから、日本語を勉強した」という文のように、「日本に来た後で、日本語を勉強した」と言い換えたときに、上の文ほど不自然ではないけれども、やや不自然な印象を受けるというものがあります。「日本に来る前ではなく、日本に来てから日本語を勉強した」という意味の場合に、なぜ「日本に来たあとで日本語を勉強した」はやや不自然な印象を与えるのかを考察します。それによって、どちらも使える場合のニュアンスの差、そして、どちらか一方しか使えない場合を明らかにしたいと思います。

 

さらに、従来「てから」は<順序>を表す場合に使うということについて、もう一歩踏み込んで考察します。例えば、「靴を脱いでから、部屋に入る」は「〜たあとで」と言い換えができないのに、「靴を脱いでから、向きをそろえる」だったら「脱いだあとで」と、言い換えができます。ですから、単に<順序>という一言で片付けられない部分について、両者の違いを明らかにしたいと思います。

 

■参考文献

 

 今回の考察で特に参考にしたものは、次の二つです。

(1)月刊日本語91年10月号(アルク)『そこが知りたい日本語なんでも相談』

   <質問内容>

   『日本語の教科書では「〜てから〜する」と「〜たあとで〜する」を、

   特に区別していませんが、私たちは、これらの二つの表現を自然に使い分けています。

   この区別を日本語学習者に教えるとしたら、どう説明すればいいでしょうか。

 

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二つがほぼ同じように使える場合、両方が使えるが意味が異なる場合、一方のみ使える場合にわけて用法が整理されていてわかりやすいです。

 

(2)日本語教育辞典(日本語教育学会編)大修館書店

   類義語各説「てから」と「たあと」p.441-442

 

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ここでは「テ」と「タ」の接続ということを、それぞれ<単純な完了><完結完了>ととらえて両者の違いを比較しています。なお、ここで前件と後件の時間的な間隔は本質的な問題ではないという記述があります。

 

■考察

 

●「〜てから」の二つの用法を考える

 

「〜てから」には基本的に二つの用法があって、日本人は無意識にこの二つの「てから」を使い分けていると考えられます。そして、その一方が「たあとで」と用法が一部重なるため、言い換えができ、もう一方は異なるので、言い換えると不自然になる、という見方ができると思います。

 

☆「〜テから」の用法は「〜から」の用法が基本であるという考え方

 (1)ある出来事(=A)の起点、時点(=X)を示す

    『XからAをする』

 (2)二つの出来事(=A、B)の順序を示す

    『(Bではなく)Aからする』

『これから勉強をする』という日本語には二つの意味があります。

『これ』が「この時」を示す場合と、「このこと」を示す場合です。

前者が(1)、後者が(2)の場合にあたります。

(1)は「〜たあとで」では言えず、(2)の場合に「〜たあとで」を使うことが可能です。

(2)の場合に「〜たあとで」が使えるのは、「たあとで」が基本的には前件の完了を受けて後件が成立するという用法を持つためで、結果的に、「〜てから〜」がもつ<順序の示す>と用法が重なるからだと思います。

 

●(1)の用法を考える

 

上の(1)は時を指定する用法が基本です。例えば、「今から読む」「3時から勉強する」「あしたから始める」です。

しかし、出来事を受けることも可能です。つまり、その出来事が成立する時点「から」という意味になります。

次の(ア)と(イ)はそのように出来事が後件の<起点>を表しています。ですから、(1)の用法となり、「〜たあとで」とは言い換えができません。

 

(ア)「20歳になっ ◯てから/×たあとで、お酒を飲む」(=その時から、お酒を飲む)

(イ)「母が死ん ◯でから/×たあとで、3年になる」(=その時から(計算して)、3年になる)

 

問題点の整理で提示した「日本に来てから、日本語を勉強した」の「〜てから」の「日本に来てから」が<起点>の解釈を受けるのであれば、(1)の用法となり、「〜たあとで」で言い換えができないことになります。

 

次のようにみれば、<起点>の解釈はさほど無理なくできるように思われます。

 

(ウ)「その日から、日本語を勉強した」

この「から」は、起点となる時を指定していることに間違いありません。それでは、「その日」を「日本に来た日」だと考えたらどうでしょうか。

(エ)「その日(=日本に来た日)から、日本語を勉強した」

 

この(エ)のような構造が「日本に来てから、日本語を勉強した」と共通していると考えることができるでしょう。

つまり、「日本に来てから」という前件は、「日本に来る前に」の反対ではなく、『いつから勉強を始めたか』というと、それは『日本に来てから』だという、解釈です。このような意味になっていれば、当然「〜たあとで」とは言い換えができません。

 

 

●用法(1)と(2)のつながりと曖昧性

 

しかし、上の例(ア)(イ)と比べると、「日本に来たあとで、日本語を勉強した」はそれほど不自然ではないと判断する人もいると思われます。それがなぜかを考えると、この前件が<起点>(=1の用法)ではなく、(2)の用法になっているとも考えられるからです。

ここに用法(1)と(2)のつながりと曖昧性が見えてきます。

 

ポイントは二つの出来事をどのように「みる」か、という認知の仕方です。

★前件の出来事が<起点>として認知されやすいものであれば、

 用法(1)の解釈が優勢になり、「〜たあとで」が不可、または不自然になります。

★その二つが<同じレベルの出来事>だと認知されやすいものであれば、

 用法(2)の解釈が優勢になり、「〜たあとで」と言い換えができます。

 

<同じレベルの出来事>というのは、次の(オ)(カ)のような文のことをさします。

 

(オ)「勉強する」と「遊ぶ」

   →「勉強 ○してから/○したあとで、遊ぶ」(一日の出来事)

 

(カ)「お湯が沸く」と「塩をいれる」

   →「お湯が ○沸いてから/○沸いたあとで、塩を入れる」(料理の作業)

 

このような例は、先の(ア)(イ)(=「20歳になる」と「お酒を飲む」、「母が死ぬ」と「3年になる」)と比べれば、はっきりわかるように、明らかに<起点>という認知はされず、<同じレベルの出来事>であると認知されます。

 

それに対して、「日本に来る」と「日本語を勉強する」は<起点>という認知もされる一方で、<同じレベルの出来事>だという認知も無理ではない、というところに曖昧性が生じる余地があるのだろうと思われます。

このような曖昧性がある文であるために、

(1)の用法の解釈を受ける場合には、同じ意味(=「その時から」)で「日本に来たあとで、日本語を勉強した」とは言えず、(2)の用法の解釈を受ける場合には、同じ意味(=「来る前ではなく、来てから」)で「日本に来たあとで、日本語を勉強した」と言えることになります。

 

しかし、言えると感じても、どこか不自然なところがあると感じる人もいるはずです。その理由は、

★「〜たあとで」は第一に<前件の完了を受けて、後件が成立する>という用法であるため、<順序>を全面に押し出すためには、「〜てから」を使うほうが自然だ、という見方ができます。つまり、

★両者が言い換えができるとしても、全く同じ用法ではないため、意味によっては、どちらからが不自然になる場合があるということです。

 

それが何かを次にまとめてみます。

 

●「〜てから」と「〜たあとで」の制限

 

「てから」の順序性、「たあとで」の完了性という基本的な違いから次のような制限も生まれます。

 

【「〜たあとで」が使えて、「〜てから」が使えない場合】

 

★順序性がない場合には「てから」は使えない。

 つまり、A→B/B→Aの両方が想定できないものは、「てから」は使えない。

 

(キ)「電車を ◯降りたあとで/◯降りてから、忘れ物に気が付いた」

(ク)「最近は ◯聞いたあとで/×聞いてから、すぐ忘れてしまう」

 

★「たあとで」の完了性が強調されると、「〜たのに」と同じ様な意味(モダリティ)が入ることがある。

 ※この文型は、上の<順序性>がないため、「〜てから」では言えない。

 

(ケ)「きれいに掃除 ◯したあとで/×してから、子供が部屋を汚した」(=掃除したのに・・・)

(コ)「入力が全部 ◯終わったあとで/×終わってから、PCがクラッシュして全部消えた」(終わったのに・・・)

 

★「たあとで」は前件の完了性が基本的な用法なので、後件の出来事との間に切れ目の感じやすい。

  それで、二つの出来事を<一体性>をもたせてその<順序性>を強調したいときには「てから」が自然となる。

  つまり<A→B>が一体となって認識される場合です。

(サ)「靴を ◯脱いでから/×脱いだあとで、入ってください」

(シ)「靴を ◯脱いでから/◯脱いだあとで、向きを変えてきれいに揃える」

 

ここで言うところの<一体性>が、参考書などでよく言われるところの<手順・手続き>の用法へとつながっていると考えられます。つまり、「手順、手続き」というのは、一つのまとまった一連の作業・動作であることが了解(=認知)されているはずです。そうではなく、別々の出来事・動作の認知が行われれば、上の例のように「靴を脱いだあとで、向きを変える」と、「〜たあとで」を使ってもまったく不自然ではなくなります。

 

なお、先にみた例文(オ)と(カ)についても、同様の差を見て取れます。

(カ)は、料理の作り方という一つの一連の作業の中でのことですから「〜てから」を使うほうが「〜たあとで」よりも自然に感じる人が多いはずです。一方、(オ)はそのような<一体性>がないため、どちらを使っても良いと感じる人が多いはずです。

 

最後に、使われる動詞によっては、両者に意味に次のような違いが生じます。

 

★変化動詞(結果動詞)を前件に使った場合には

 (ア)「タあとで」は<完結完了>

    →その動詞の行為・現象が完全に終わったあとのことを表わす。

 (イ)「テから」は<単純完了>

    →その動詞の行為・現象が開始されてからのことを表わす

     (※ただし完全に終わったあとのことも表わせる)

例:ジェットコースターに乗ったあとで、気持ちが悪くなった。

  (=ア:降りたあとで気持ちが悪くなった)

  ジェットコースターに乗ってから、気持ちが悪くなった。

  (=イ:座席に着いたときに気持ちが悪くなった。ア:または降りたたあと気持ちが悪くなった)

 

 

■指導上の注意

 

初級の段階で「〜てから」と「〜たあとで」の違いを特に取り立てて教える必要はないと思われますが、一方のみしか使えないのが、どんな場合かを理解し、例文(ドリル)をする際にはそれを踏まえて適切なものを準備しなければなりません。

 

違いを教えるのであれば、両者の違いがもっともわかりやすい<1>と<2>を提示するのがいいでしょう。レベルに応じて<3>のようなことも扱ってもいいと思います。

 

ポイント<1>

 

「手順」「手続き」のような一連の作業・動作を述べる場合は、<順序性>に焦点があたる「〜てから」が自然となる。

 

ポイント<2>

 

「A→B」と「B→A」の両方が想定されない事態は、<順序性>がないので、「〜てから」は使わずに、「〜たあとで」を使う。

 

ポイント<3>

 

「AてからBする」の「A」がBの動作の開始点(起点)を表すような内容になっている場合は、「〜てから〜」を使うほうが自然になる。

 

以上。

※この考察はもともと2001年1月にアルクの掲示板「日本語言いたい放題」に投稿した内容に加筆修正したものです。

 



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