問題点の整理
「待つ」の使役文を教える時には、例えば「走る」のような自動詞と平行させて、次のような説明をするかもしれない。
(1)「山田さんが 走る」→「私は 山田さん を 走らせる」
(2)「山田さんが 待つ」→「私は 山田さん を 待たせる」
ところが、(1)の「走る」は確かに自動詞で問題ないが、「待つ」は本来「◯◯さんを待つ」「××が〜するのを待つ」のように他動詞である。つまり、(2)は本当は(3)のように書かれなければならない。
(3)「山田さんが 私を 待つ」→「私は 山田さん を 待たせる」
そうすると、「待つ」は他動詞でありながら「ヲ格使役」構文をとるということになる。
通常、他動詞は<二重ヲ格制約>が働いて「ヲ格使役」ではなく(4)のように「ニ使役」になる。
(4)「山田さんが 本を 読む」→「私は 山田さん に 本を 読ませる」
そこで、まず第一の問題点は、なぜ他動詞の「待つ」が「ヲ格使役」構文になるのか。
しかし、(3)と(4)は見かけ上同じ構文のように見えるが、実は大きな違いがある。
(3)は元の文にあった「私」が使役文では主語になっている。つまり、元の文と使役文とで文の成分に増減がない。ところが、(4)は元の文にはなかった成分がついて使役文ができている。
ということは、私たちが通常「待つ」の使役文として考える(2)は実は特殊な使役文であると言える。
そこで、第二に問題点は、このような特殊な使役文を成立させるものは何かということである。
考察のアプローチ
本考察では基本となる自動詞、他動詞から使役文が作られる過程を生成文法の<補文の埋め込み構造>という考え方を使って提示して、「待つ」という動詞がもつ<意味概念>を明らかにする。
そして、その<意味概念>が「待つ」が「ヲ格使役」構文を可能にすることを明らかにする。
考察
1 使役構文の基本構造
最初に自動詞文、他動詞文から使役文が作られる過程を次のように整理しておく。
注:文型は後の説明がより分かりやすいように<補文の埋め込み構造>を『 【 】 』という形で示してある。使役文が生成する過程では、元の文「 」が【 】に埋め込まれ『 』という構造が基底にあるという考えた方である。
(1)自動詞の使役文
「Aが 歩く」 (元の文)
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(2)他動詞の使役文
「AがBを 叩く」 |
自動詞は「ニ格使役文」と「ヲ格使役文」の二つが可能だが、他動詞は<二重ヲ格制約>のために「ニ格使役文」しかできなというのが通常の説明である。
2 「待つ」の使役構文【1】 −使役主が外部に存在する場合−
「待つ」は他動詞だから、統語上は基本の(2)と同様に【1】のようになるはずである。
ここでは「待つ人=A」と「待つ相手=B」と「使役主=X」の三人が登場する。
【1】
「AがBを 待つ」 ↓ 『Xが【AがBを 待つ】せる』 →「Xが AにBを 待た せる」 |
この文は例えば「部長が山田さんにお客さんを待たせた」というような文になるのだが、実際にこのような文は使われない。
この文は以下の状況を踏まえていると考えれば、成立していいはずである。
(ア)お客さんが約束の時間を過ぎても現れない
(イ)山田さんはどうしてもお客さんを待ちたい/待ちたくないと言っている
(ウ)部長が待つことを許可する/命じる。
ところが、実際にはこのような使役文ではなく、同じ状況であれば(3)のようになるだろう。
(3)「Xが AにBを 待つ ように 命じた/待つことを許可した」
つまり、「待つ」「待たせる」という言葉には他の他動詞とは異なる振る舞いを引き起こす要因が内在していると考えられる。この要因は「待つ」という動詞の<意味概念>から来ていると考えられる。
3 「待つ」の使役構文【2】 −使役主が内部に存在する場合−
そこで、この<意味概念>がどのようなものかを示すと【2】のようになる。
これは【1】と違って、使役主が外部に存在するのではなく、「待つ」という出来事を構成する成分(2つ)だけで成立事態である。
【2】
「AがBを待つ」=『(Bが)【AがBを待つ】(せる)』(※語彙に使役の意味が内在する)
『 Bが 【Aが 待つ】 せる 』(対象Bが使役主体の位置に移動)
→「Bが Aを 待た せる」 (使役の顕在化) |
つまり、「AがBを待つ」ということは、その意味に「BがAを待たせる」という”使役の概念が既に含まれている”(※印)ということである。言い換えれば、
★「待つ」というコトは「待つ」主体(=A)の一方的な働きかけだけで成立するものではなく、
★必ず「待たせる」使役主体(=B)の存在があり、
★その使役主体が「待つ」対象と一致する。
このように語彙に使役が内在していることによって通常の他動詞の使役文とは異なる振る舞いをするのだと考えられる。
注)
一方的な思い入れで「AさんがBさんを待つ」という状況を設定してもこの<意味概念>は変わらない。「AがBを待つ」といったときには必然的にそれは「BがA待たせる」(:Bの存在が「Aが待つ」という事態に影響を与えるという意味です)ことを意味しているということで”表裏一体の関係”と言える。
4 「待たせる」が「ヲ格使役」になる理由
【2】の関係図で示しように深層構造において(注:こんな用語は今や時代遅れの感があるが、説明がしやすいので使用する)『AがBを待つ』が埋め込まれたいたが、使役文が生成する過程で、Bは使役主体の位置へ移動するので『Aが待つ』という文だけが残る。これが「待つ」がまるで自動詞のように解釈されて、「Aヲ待たせる」のように「ヲ格使役」になると考えられる。
この”移動”が単なる”省略”と異なるのは一般的な他動詞の使役文をみればわかる。
「XはAニBを食べさせた」で「Bヲ」を省略しても決して「XはAヲ食べさせた」とは言えない。さらに【1】で示したように「待つ」が通常の他動詞として振る舞う場合にも、「XはAヲBヲ待たせた」とは言えない。
つまり「待つ」は深層構造では、その”内在する使役概念”のために『AがBを待つ』という他動詞ではなく『Aが待つ』という自動詞のようになっていると考えられる。
5 <使役内在型>の他動詞
このような動詞をとりあえず<使役内在型の他動詞>と呼ぶことにする。
このタイプの他動詞は使役文においては他の一般的な他動詞とは異なる振る舞いをすることになる。
<使役内在型の他動詞>の使役文
【1】<第3者=Xが使役主の場合>
「AがBを待つ」
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まとめ
「待つ」はヲ格をとる他動詞であるが、<使役の意味関係を内在している>という点でユニークな他動詞である。
このような意味特徴があるために、一般的な他動詞の使役文が「ニ格使役」となるのと異なり「ヲ格使役」構文が可能になる。
つまり、語彙に内在する使役主(それは動作対象と一致する)が顕在化することによって、深層構造では自動詞として認識されるために「ヲ格使役」構文となると考えられる。
ちなみにこのタイプの他動詞には他にないかと探してみたが、ニ格をとる他動詞では次の2つがあるのではないかと思われる。
「失望する」「期待する」
「AがBに失望する」=『(Bが)【AがBに失望する】(せる)』(使役の意味関係が内在している) ↓ 『 Bが 【Aが 失望する】 せる 』
→「 Bが Aを 失望さ せる 」 |