問題点の整理
自動詞か他動詞かということで言えば、辞書などでは「間違う」は自動詞で「間違える」は他動詞であるとされている。そして、辞書によっては「間違う」は近年他動詞としても用いられるとしている(『広辞苑』や『現代国語例解辞典』(小学館)など)
確かに、「道を間違えてしまった」という表現がある一方で、「道を間違ってしまった」という言い方も広く用いられているようである。(『言葉に関する問答集』(文化庁)第9集)
しかし、「間違う」の他動詞としての用法がどんな場合にも適用されるということではないようである。
例えば、「友人の傘を自分の傘と・・・て、持って帰った」という文で「・・・」の部分にどちらの動詞が入るかと問われれば、「間違う」よりも「間違える」のほうが優勢のような気がする。
また、自動詞である「間違う」にしても「ている」の形になると、「答えが間違っている」は自然だが、「傘が間違っている」とは言わないだろう。(かつみーこさんのメールマガジンへの投稿より)
さらに、書類の作成を依頼するときに、「間違わないでね」と言った場合と、「間違えないでね」と言った場合とでは意味するところが異なるという指摘もある。(かつみーこさんのメールマガジンへの投稿より)
このようなことから「間違う」と「間違える」は単純に自他動詞の対立であるとして片付けるわけにはいかない問題を抱えているようである。
考察のアプローチ
本考察では、まず一般的な自他動詞の意味的な対立を確認して、「間違う」と「間違える」がそれとは異なる側面をもつことを明らかにする。
それを踏まえて、<転用><拡張><縮小>をキーワードに上の問題の解決を試みる。
考察
1 自動詞と他動詞の意味的な対立
1−1<一般的な例>
(注:☆が人、コトの場合もあるが簡潔にするために省略する)
●
| => ☆
(人) (物)
【 X 】
【Y】
自動詞では【Y】の部分に焦点をあてて「☆が 〜する」となる。
「ドアが開く 」
他動詞では【X】の部分に焦点をあてて「●が ☆を 〜する」となる。
「私がドアを開ける」
自動詞では<主体:☆>の変化を表す
他動詞では☆が対象になって<主体:●>が対象にそのような変化が起こるように働きかける
※見方を変えれば、他動詞によって表される事態の結果が自動詞によって表されるとも言える。
(自然にそうなるという場合の自動詞は別)
自動詞の「〜ている」はそのような変化の結果・状態:「ドアが開いている」
他動詞の「〜ている」はそのような動作進行中 :「ドアを開けている」
1−2<「間違う/間違える」の場合>
この動詞のペアは自動詞と他動詞といっても一般的なペアのそれとは異なる振る舞いを見せる。
まず、歴史的に「間違ふ」は自動詞も他動詞もあったようだが、
「間違う」というのは『ある対象につてい正しくない判断をする』という意味である。
そこで、『判断する』主体だけに焦点を当てれば、自動詞としての「間違ふ」があり、その対象にも焦点を当てれば、他動詞としての「間違ふ」があったわけである。
(1)自動詞「●が間違ふ」 (:●が正しくない判断をする)
(2)他動詞「●が☆を間違ふ」(:●が☆について正しくない判断をする)
その後、自動詞として使われていた四段動詞の「間違ふ」は五段動詞の「間違う」となり、他動詞として使われていた下二段動詞の「間違ふ」は下一段動詞の「間違える」となった。(→注1)
注1:古典文法から現代文法への移行
『間違ふ』から『間違う/間違える』への移行
*下二段(他動詞)【−へ /へ /ふ /ふる/ふれ/へよ】
*四段 (自動詞)【−は /ひ /ふ /ふ /へ /へ 】
→『間違う』
五段 (自動詞)【−わ /い /う /う /え /え 】
→『間違える』
下一段(他動詞)【−え /え /える/える/えれ/えろ】
そうすると、上の関係は次のようになるはずである。(→注2)
(1)’「●が間違う」 (:●が正しくない判断をする)(→注3)
(2)’「●が☆を間違える」(:●が☆について正しくない判断をする)
注2:『言葉に関する問答集』第9集でもそのような判断がされている。
注3:(1)’は、「間違って、・・・した」のような用法として現在でも広く使われているが、同じ意味で「間違えて・・・した」という言い方は普通しないと思うが、あったとしてもそれは「(☆を)間違って・・・した」のように括弧内の部分を省略した意識であると考えられる。
「間違うはずがないのに、わざと間違えたのではないか」という文でも
その使い分けが知られるであろうとしている。
問題は現在では「間違う」を(1)’のような主体について述べる自動詞の用法だけでなく、(3)のように対象について述べる他動詞の用法が広く定着していることである。
(3)「(●が)☆を間違う」
2 「間違う」の転用と拡張
2−1 「間違う」の転用
しかし、注意しなければいけないことは、単純に自他動詞の対立を「〜が・・・する」「〜が〜を・・・する」という構文に当てはめるだけでは重要な点を見落としてしまうことになる。
ここで注目するべきことは、(2)’の他動詞は上の概念図の【X】に相当するが、(1)’の自動詞は【Y】には相当しないということである。下の概念図が示すように【Z】の部分に相当するのである。
つまり【Y】に相当する部分が欠落しているということである。
●
| => ☆
(人) (物)
【Z】 :本来の用法の 「間違う」 自動詞(1)’
【 X 】:本来の用法の 「間違える」他動詞(2)’
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【Y】:【Z】の拡張 「間違う」 自動詞(4)「〜ている」で使われる
【Y】が表す事態は先の一般的な自他動詞の意味的な対応でみた通り、動作の結果を表すものである。
そこで、「間違える」という他動詞に対応する【Y】の部分に自動詞の「間違う」を転用することになったと思われる。
ただし、それが可能なのは意味的な対応が動作の結果を表している場合だから、(4)は可能だが、(5)は不自然である。
さらに、可能である(4)にしても、「〜が間違う/間違った」は「?」であるが、状態を表す「ている」の形では自然になるのも、<結果・状態>を表すために「間違う」が”転用”されたものであることを示していると考えられる。
(4)他動詞:「私は答えを間違えた」
自動詞: ?「答えが間違った」→◯「答えが間違っている」
(:正しくない判断をした結果が残っている)
(5)他動詞:「私は道を間違えた」
自動詞: ×「道が間違った」→×「道が間違っている」(注2)
注2:案内のために道を書いてもらって、それが間違っているという意味では成立するが、
他動詞の「私が道を間違える」に対応する意味では使えない
(4)のように『正しくない判断をした結果が残っている』という場合に自動詞の「間違う」が「〜ている」の形で使われるということは、「間違った答え/判断/字」のようなものが自然になり、「間違った道/傘」(注:間違って選んだという意味で)が不自然になることを説明している。「答え」や「判断」や「字」は結果として生み出されたものを示しているからである。
2−2 「間違う」の拡張
それでは(3)のような「間違う」の他動詞の用法はどのように考えたらいいのだろうか。
(3)の例文としては次のようなものがある。(『現代国語例解辞典』(小学館)より)
(ア)「計算を間違う」
(イ)「約束の日を間違う」
(ウ)「道順を間違う」
確かにこれらは本来の他動詞「間違える」を使っても同じ事態を表すことが可能であるが、なぜ上のような文が生まれることになったのか。
再度上の概念図を観察すると、【Y】と【X】が典型的な自動詞と他動詞の対立ということで異なる動詞が使われることは自然だが、【Z】と【X】に違う動詞が使われていることは不自然だと感じるのではないだろうか。
例えば、『お酒を飲む』という意味で「あの人はけっこう飲むよ」というときには他動詞の「飲む」を自動詞的に使うが、それをわざわざ別の単語を使うようなものである。
つまり、【Z】のように(誤った判断をした)”対象”がありながらそれを内在させて、自動詞のように使っていることは非常に”不安定な状況”だと考えられる。そのために、その対象を明示するという方向に進んだのではないだろうか。
そして、本来の自動詞としての【Z】に『何について判断を誤ったのか』ということでその対象を”添える”ことで下の概念図の【P】のような他動詞としての「間違う」の用法が生まれたと考える。(→注4)
注4:
上に挙げた『言葉に関する問答集』では、自動詞と他動詞が同形で同じような振る舞いを見せる動詞として「誤る」「しくじる」を提示している。
「誤って指をけがする」 (←→判断を誤る)
「しくじってしかられた」(←→会社をしくじる)
この対象を”添える”という考え方は元々「間違う」という自動詞は主体に焦点が当たっていて、そこには「判断を誤る」という意味が”内在”していたのを、具体的な事例を明示するようになったということである。
例えば、(決して同じレベルで扱うことはできないが、)「就職する」と言えば、「会社に入る」という意味が内在しているから「会社に就職する」というのは不自然で冗長な印象を与えるが、「外資系の会社に就職する」と具体的な事例になると自然になるということと似ていると思われる。
そうすると、「<判断を>間違う」の<判断>の部分に具体的な事例を明示することが可能になる。
その結果、上の(ア)〜(ウ)のような文が生まれることになったのではないだろうか。
さらに内在していた<判断>という単語さえも冗長な印象を与えなくなり(エ)のような文も自然に感じるようになったと思われる。
(エ)「〜について判断を間違った」
これは、単語の重複でも、「馬から落馬する」がいまだ受け入れがたいと感じる一方で「犯罪を犯す」がかなり受け入れられる状況と似ている現象だと考えられる。
まとめると、元々は「間違える」という他動詞が対象を明示する役割を担っていたが、【Z】の部分を担当する「間違う」という自動詞が不安定だったために、それが”拡張”されて、他動詞としての用法が生まれたと考える。
●
| => ☆
(人) (物)
【Z】 :本来の用法の 「間違う」 自動詞(1)’
【 X 】:本来の用法の 「間違える」他動詞(2)’
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【Y】:【Z】の転用の「間違う」 自動詞(4)「〜ている」
【 P 】:【Z】の拡張の「間違う」 他動詞(3)
3 問題の解決に向けて
3−1 これまでのまとめ
これまでの考察を一般的な自他動詞の意味的対応にあてはめて考えると、次のような結論に至る。
(a)【Y】の部分を担当する「間違う」は
「◯◯が間違っている」か「間違った◯◯」の形、あるいは「間違い」という名詞で使われ、
結果として<◯◯が基準からはずれていて正しくない状態>であることを表す
(b)【X】の部分を担当する「間違える」は
そのような結果を生む判断の部分を表すため
<主体がAをBと取り違える>または
<◯◯について誤った判断をする>ということを表す。
(c)【Z】の部分を担当する「間違う」は
「間違って、〜する/した」のような文か、「(あなたは)間違っている」のような
主体のみに焦点があたっている場合に使われる。
(d)【P】の部分を担当する「間違う」は
<◯◯について誤った判断をする>ということを表す。
3−2 「間違える」の縮小
上の概念図で明らかのように、元々他動詞「間違える」の守備範囲だったところに、新たに他動詞としての「間違う」が進出してきたわけである。そうすると、当然意味・用法の棲み分けが起こると考えられる。
【X】と【P】では<◯◯について誤った判断をする>が共通している。
そうすると、「間違える」はどちらの意味を持ちながらも、<◯◯について誤った判断をする>の部分を「間違う」が担うようになったために、<主体がAをBと取り違える>という意味での解釈が優勢になると考えられる。これは一種の意味の縮小とみることができる。
つまり、もともと【Z】から拡張した【P】は<何についての判断を誤ったのか>その対象を明示するという用法に使われるようになり、「間違える」は”より他動詞的”な部分、<主体がAをBと取り違える>という誤った判断に至るプロセスの部分を担うことになったのではないだろうか。
そうすると他動詞としての「間違う」は「間違える」の守備範囲の<主体がAをBと取り違える>という意味では使われにくいとも言える。その辺の棲み分けを下のようなスケールで考察してみる。
【判断】
↑・判断、解釈
・方法、使い方、やり方
・日、場所、名前
・道
↓・傘、部屋
【選択】
上の【判断】から下の【選択】まで元々の他動詞「間違える」は使うことができるが、上の方になればなるほど、<◯◯について誤った判断をする>の◯◯にふさわしい単語であるという意識が働くと思われる。
その理由は◯◯が<AとB(とC・・・)>を含む上位概念(または抽象名詞)であるからである。
逆に下の方になればなるほど<主体がAをBと取り違える>という解釈にふさわしい単語であるという意識が働くので「間違う」ではなく「間違える」が自然になると思われる。
このようなスケールが使い分けの基準として有効かどうかはわからないが、「傘/部屋を間違ってしまった」は不自然に感じる人が多いのではないだろうか。「道」より上の単語なら「間違う」を使うことができると言えるだろうか。そうすると、とりあえずボーダーは「道」と「傘/部屋」の間にひかれることになる。
【判断】
↑・判断、解釈 ↑(「間違える」は使えるが)「間違う」が自然になる
・方法、使い方、やり方
・日、場所、名前
・道 ↑(「間違える」はもちろん)「間違う」も使用できる
−−−−−−−−−−−−−−−−
↓・傘、部屋 ↓「間違える」の守備範囲
【選択】
以上は語彙そのものに使い分けの基準を求めてみたが、どちらも可能な場合を考えてみても、やはり両者の棲み分けは微妙ながらされているように思われる。
(オ)「答えを間違える」
「答えを間違う」
(カ)「字を間違える」
「字を間違う」
このペアでは、結果的には同じ事態を表していても、話者の意識としては、「間違える」はその対象について「本当はAなのにBだと判断してしまった」となり、プロセスに焦点がある。
「間違う」はその対象について「誤った判断をしてしまった」ということになり、生産動詞であるという特徴から「誤った答えをする/字を書く」という解釈になると思われる。
『AをBと取り違える』という表現では本来の他動詞である「〜を間違える」は使えるが「〜を間違う」は使いにくいと考えられる。
つまり「〜を間違う」はAとBを括る概念(または名称)が「〜」の部分に来るのが自然である。
例)◯「友人の傘を自分の傘と 間違えて 持って帰ってしまった」
?「友人の傘を自分の傘と 間違って 持って帰ってしまった」
◯「傘を 間違って/間違えて 持って帰ってしまった」
◯「間違って 友達の傘を持って帰ってしまった」:【Z】の使い方
先に挙げた(ア)〜(ウ)の例文(:上のスケールの上のほうの単語)」のような使い方が「〜を間違う」にはふさわしいと思われる。 逆に言えば、「〜を間違える」という他動詞を使うと『AとBとを取り違える』という解釈が優先されるということにもなる。つまり、【P】を担当する「間違う」が生まれたために本来の他動詞の「間違える」が再解釈をされたと言える。
まとめ
言葉に<ゆれ>が観察されるということは、それなりに”合理的”な理由があると考える。単に使う人がきまぐれに使ったり、言い間違いということではないと考える。 日本語の自動詞と他動詞の概念は英語などの文法概念と全く同じではないということは以前から指摘されていることである。今回の「間違う」の<転用><拡張>、「間違える」の<縮小>という考え方は、<ゆれ>に合理的な説明を与えるということと自他動詞の対立を単に構文上の「〜が」「〜を」だけで済ませるわけにはいかないということを示すことができたのではないかと思う。