#41「〜にしては」と「〜わりに(は)」の違いを考える

問題点の整理

あるものを基準にしてそれとは離れているという判断をする表現として「〜にしては」と「〜わりに(は)」がある。両者は大抵の参考書では同じ意味であるとして同列に扱っているようである。
しかし、次のような違いがあることが認められる。

【1】接続する品詞の違い
   「〜わりに(は)」は全ての品詞に接続するが、「〜にしては」は『名詞』と『動詞』には
   問題なく接続するが、『形容詞』『形容動詞』にはどうもつきにくいようである。
   ◯「勉強しなかったわりには/にしては テストでいい点がとれた」
   ◯「小学生のわりには/にしては よく漢字を知っている」
   ◯「安いわりには 質がいい」
   ×「安いにしては 質がいい」
【2】接続する名詞の種類の違い
   「〜わりに(は)」は名詞の種類を選ばないが、「〜にしては」は具体的な内容・数値を示すものでなければならない
   ◯「年のわりには若く見える」
   ×「年にしては若く見える」
   ◯「50歳のわりには/にしては若く見える」
【3】ニュアンスの違い
   「〜わりに(は)」と比べて「〜にしては」は「意外」「驚き」のような話者の気持ちが強く表われるようである

【3】については概ね共有している意識ではないかと思われる。
【1】については指摘している参考書もあるが、【2】について触れているものは私の知る限りない。
【2】は今回Mさんの投稿によってはじめて気がついたことで、これによって改めてなぜ「〜にしては」には形容詞や形容動詞がつかないのかというのかを疑問に思うようになった。
Mさんの投稿によれば、「彼は忙しいにしては、よく手紙をくれる」という文が教科書にあったというが、Mさん自身も感じているようにやはり形容詞は座りが悪いと感じるのではないだろうか。

(次の枠内の部分を訂正します。6/20/2001)
きんちょさんが仮説を投稿してくれたが、そこで形容詞も名詞を修飾する
形にして名詞文にすれば落ち着くという指摘があったが、
私の判断ではそれでもなお不安定であると思うので「?」である。
?「このライターは安ものにしては質がいい」
もし落ち着いた文にしたければ、純粋に名詞文にする必要があると考える。
◯「このライターは安物にしては質がいい」

<訂正後>
きんちょさんの投稿の仮説にあるように、形容詞は「〜にしては」に接続しにくいが、次のように名詞にすると落ち着いた文になる。

「このライターは安ものにしては質がいい」(投稿記事より引用)

これにさらに付け加えるとしたら、この文を形容詞が名詞を修飾する文にしたらやはり落ち着きがなくなってしまう。

??「このライターは安い物にしては質がいい」

つまり、形容詞が入ると途端に「〜にしては」が使いにくくなるのである。
これは私にとって非常に興味深い現象であった。これまでいろいろな分析をしてきた経験からして、「名詞」と「動詞」は続いて、「形容詞」だけ続かないという形式は非常に珍しいのではないかと思ったからである。通常は状態性ということから「名詞」と「形容詞」がまとまって「動詞」と対立するとか、体言と用言の対立から「名詞」とそれ以外となるのが普通だからである。
これは今までの切り口ではなく新たな切り口が必要であると思った次第である。


考察のアプローチ

まず「〜わりに(は)」の意味特徴は『NAFL選書 日本語表現文型』(アルク)から引用する。これは特に問題となるとは思われない。問題は「〜にしては」のほうである。
まず「〜にしては」の意味特徴を「〜としては」と比較することによって明らかにする。
それによって、「〜にしては」がなぜ【1】〜【3】のようになるのかを考察する。
今回も認知的な視点で考察してみた。キーワードは『基準』と『典型』である。
典型』という概念を設定することで【1】〜【3】の問題が全て解決するのではないかと思う。


考察

1 「〜わりに(は)」の意味特徴

以下『NAFL選書 日本語表現文型』(アルク)から引用する。p.124

+++++++++++
「割り」「割合」は、一方の程度に応じた他方の程度を示し、そのつりあい度を問題にすることから、「わりに」「わりあいに」の形で「にしては」と同様の意味を表すようになった。
+++++++++++

2 「〜にしては」の意味特徴を考える

2−1「〜としては」と比較する

両者を比較することによって「〜にしては」の意味特徴を考える

(1)「この靴は女の靴としては大きい(ほうだ)」
(2)「この靴は女の靴にしては大き」

(1)と(2)では意味が似ているようだが、ニュアンスはかなり違いがある。この違いが生じる原因を下の概念図を使って考えてみる。

「〜として」はもともと『〜』という資格や立場を示すために使われる連語である。
「代理として出席する」
「私としては今回の事件は見過ごすことはできない」

ここから『〜としては」はそれが属するグループの標準を<基準>にして対象がどうであるかを判断することになる。従って、対象が何かわかっていることが前提となる。

     <標 準>
       |
     <基 準>
    『〜としては』
 ←−−−−−|−−−−−−→(スケール)
 【・・・〜のグループ・・●】<基準に照らし合わせて客観的な判断をする>

一方、『〜にしては』は対象が<典型>からずれているという意識が基本になる。
そして、前提の違いによって2つの意味になる。
A:<前提>対象が何か、どのようなものかわからない場合
B:<前提>対象が何か、どのようなものかわかっている場合

それぞれの前提によって次のような意味になる
A→<典型からはずれているため”どうも”〜でないようだと推量する
B→<典型からはずれているため”まるで”〜でないようだと比况する

     <標 準>
       |
     <典 型>
    『〜にしては』
 ←−−−++|++−−−−→(スケール)
    【〜の典型 】  ↑
             ●

以上を踏まえて例文(1)と(2)の違いを考えると、
(1)はこの靴が女の靴であることがわかっていることを前提に、女の靴の標準的なサイズを基準として判断すると「この靴は大きい(ほうだ)」という意味である。
(2)Aは、この靴が男物か女物かわからないことが前提になり、典型的な女の靴とはずれていることから「この靴は大きくて”どうも”女の靴ではないようだ」と推量する。
(2)Bは、この靴が女の靴であることがわかっていることを前提に、それでも典型的な女靴とはずれていることから「この靴は大きくて”まるで”女の靴ではないようだ」と比况する。

したがって、『〜としては』は客観的な判断となり、『〜にしては』は典型とのズレ”の意識があるため「意外」「驚き」という話者の心的態度(モダリティ)を表すことになると考えられる。特にBの場合にはそれが強調されることになる。
(注:俗っぽく言えば、「典型とはこんなにずれているのに、それでも〜なの!」という気持ちである)
このことから、単に「割合」を問題とする「〜わりに(は)」よりも話者の気持ちが強く表われると言える。

ちなみにこのモダリティがさらに強まると、(3)のように「〜のに」を使うことになるだろう。
(3)「この靴は女の靴なのに(こんなに)大きい(よ!)」

2−2 「〜にしては」の意味特徴からくる使用制限

「〜」に来る単語は”典型”をイメージできる語でなければならないということになる。
具体的な内容・数値を示す名詞はその条件を満たすが、典型をイメージできない抽象的な名詞は条件に反することになる
「50歳にしては〜」が可能になるのは「50歳」という名詞からその年の”典型”をイメージできるからである。ところが「年齢」という抽象的な名詞からは”年齢の典型”などをイメージすることはできない。

形容詞の場合はどうであろう。形容詞は程度概念をもつもので、それは主観に左右されるものである。従って単に「安い」と言われても”安いの典型”のようなものはイメージできないはずである。従って、「〜にしては」は形容詞には接続しないと考えられる。
動詞は容易にその意味する事態の”典型”をイメージできるので問題なく接続するわけである。
このように”典型”をイメージできるかどうかということで「名詞」「動詞」と「形容詞」が対立していること、名詞でも抽象的なものには接続しないということがわかった。

形容詞が入るとたとえ修飾用法で名詞文になっていても”相対的”なものであることには変わりがなく、依然として”典型”がイメージできないと考えられる。それで「安いものにしては〜」も不安定に感じるのだろう。


まとめ

「〜わりに(は)」は「割り」という名詞が入っていることによって、どんな品詞にも接続して、その文脈から”基準”になるものが必然的に想定されその「割合」を比べてみて違いを述べることができるが、「〜にしては」は”典型”とのずれの意識が基本となっているため、『意外、驚き』という話者のモダリティが表われる一方で、それと表裏一体となっているのが”典型”をイメージできないものは接続できないということである。
そのために、相対的な概念を表す形容詞は接続することができず、名詞でも抽象的なものは接続しないというのが本考察の結論である。

※今回は「典型」という概念と結び付けることを思いついて急いでまとめたため、もしかしたら誤った方向でこじつけに終わってしまったのではないかという気もしないではない。また、「〜わりに」に「は」がつく場合とつなかない場合についてまで考察が及ばなかったため不十分であることは確かであるが、両者の違いを探る資料となれば幸いである。


参考文献 & 考察後記

『NAFL選書 日本語表現文型』(森田良行 松木正恵 アルク)

今回この本の「〜としては」と「〜にしては」の比較をした部分がきっかけとなって”典型”という概念を導入することを思いついた。(p.56-57)
同書には直接示唆するものはないのだが、「〜にしては」にはモダリティがより強く表われるという指摘を読んでみて、それが生まれる原因を考えていたところ、意味にはAとBの二つがあることに気が付いた。そこから”典型”という概念を導入するのが適当ではないかと考えた次第である。



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