#36「地震が起こりがちだ」はなぜ不自然?「がち」の基本的な意味を考える

問題点の整理

この考察は日本語オンラインに寄せられたusaoさんの投稿がもとになっている。
「地震が起こりがちだ」というのがなぜ不自然かという問題である。(→注1)
 
注1:
この文は不自然ではないという意見がきんちょさんから寄せられたが、ネット検索では1件もヒットしなかったことから本考察ではこの文が不自然であるという前提で進める。
(ネット検索の結果など詳しいことは日本語オンラインの掲示板を参照のこと)

「がち」の意味を説明する際には、マイナス評価の出来事について使うということと、<回数>を取り上げることが多いようである。
つまり、「彼はよく学校を休む」→「彼は学校を休みがちだ」のようなつながりである。

このように単純に考えると、「地震が起こる」ことは<回数>が多いという認識ができないから不自然になるのだろうという推測ができるが、どうもことはそう単純ではなさそうである。(→注2)
 
注2:
「地震」が実際にどの程度起きているのかを問題にする場合に、体に感じないものを含めれば平均して毎日何回も起こっているはずであるが、言語というのは人間の認識に基づいて形式化されるので、その意味では地震の”回数”はそう多くないとも言える。

この<回数>だけで説明するには無理な状況が存在する
例えば、「作業が単調になると、注意を怠りがちだ」という文を考えてみると、そのような条件のもとでは「注意を怠る」ことが<傾向>としてあるという解釈ができる。これを<回数>で「よく注意を怠る」とするとその工場では大変なことになってしまう。つまり、現実として<回数>として現れる面がある一方で<傾向>があるとするべき状況もあるということになる。

それではマイナス評価の出来事が起こる<傾向>がある場合には「がち」が使えるとするなら、「地震が起こりがちだ」はその条件に合致しており、不自然に感じるはずはない。
どのような理由で「地震が起こりがちだ」が不自然に感じるのだろうか。

<回数>と<傾向>の対立という構図が想定できるわけであるが、問題の文が不自然に感じる理由を明らかにするには「がち」の基本的な意味は何かということをまず明らかにしなければならない。<回数>と<傾向>を繋げているもの、それ以外に「がち」の用法を特徴付けているものがあるはずである



考察のアプローチ

本考察では『基礎日本語辞典』(角川書店)の記述を元にして、まず「がち」の基本的な意味を明らかにし、<回数>と<傾向>がどのように結び付いているのかを説明する。
そして、同じように<傾向>を表す『〜やすい』『〜ぽい』『〜ぎみ』とは異なる特徴を浮き彫りにして、問題の「地震が起こりがちだ」がなぜ不自然に感じるのかを説明したいと思う。



考察

1「がち」の基本的概念

『基礎日本語辞典』の解説を引用する。(※色づけはoyanagiによる)
同書では<傾向>という表現は使われているが、<回数>という記述はない。(→注3)
 
注3:
「がち」が名詞につく場合の解説において、『対立する二つの状態を対比して、一方(アブノーマルなほう)が他(正常なほう)に比べて占める率が高い傾向にある』という説明があるが、これは<回数>ではないが広く<量>を比較するということでは動詞につく「がち」とは明らかに異なる。これについては後の考察で触れる。

まず、冒頭で次ののうに概念を説明している。
動詞の連用形やある種の名詞に付いて、あるアブノーマルな状態にややもすればなっていく傾向にある意を添える。

「喜びがち」という表現の説明として、「〜やすい」「〜ぽい」と異なる点として次のように説明している。
「喜びがち」と言えば、”手放しで喜んでいい状態ではないのに”という、一見喜ばしい状態に見えて、実はその裏に別の問題が潜むという含みがある

最後に「ぎみ」との対比のところでは「がち」の特徴を次のようにまとめている。
”ある状態に置かれた場合には、ややもすればそうなってしまう恐れがある”という仮定条件や、「曇りがちの空」のような”現状がある状態のほうに傾きやすい状況にある””そうはまだなっていないのだが、しばしばその状態に移っていく傾向にある”の意を表す。要するに、そうでないものがそうなっていく性質を内在させているのである

以上の記述から私なりに「がち」の概念を図式化すると次のようになる。
 
(A)→→
●が内在


 _______
|  (●)  |
| 正常な状態 |
|_______|
(B)→→
●による異常の顕在


 _______
|●→|<−  |
|異常|正常  |
|__|____|
(C)
異常の拡大


 _______
|  ●→|<−
|  異常|正常|
|____|__|
  
 ●:変化を引き起こす内在的性質        
 →:非意図的な作用
 <−:話者の心的態度(人が関与することによって正常に状態に戻すことを望む)

『基礎日本語辞典』の記述から「がち」の基本は(A)であると言える
しかし、より正確に言えば、『これまでの経験からB、Cになることが想定されことを踏まえたAである』



2 <傾向>と<回数>の繋がり

<傾向>と<回数>の対立は、実は(A)と(B)(C)の対立と言い換えることができる。
あくまでも「がち」の基本はAであるが、●によって<異常な状態>が顕在化した状態がB、Cであり、顕在化することによってその事態の<回数>を取り立てることができるわけである

しかし、その<回数>がどの程度なのかということは基本的に問題ではない。要はややもすればCにまでなってしまう状態が問題なのであり、その根本にはAがあるわけである。
例文で検証してみる。
(1)『山田さんは最近学校を休みがちだ
(2)『ああいう学生は学校を休みがちだから注意しなければならない』

(1)は「最近」という語彙からもわかるように<顕在化>したことを述べている。ところが(2)は<潜在>している性質について述べている。
重要なことは(1)にしても、<回数>が多いということは重要ではないく(結果としてそうなることは十分ありうることであるが)ややもすれば、B→Cのようになってしまう状態に今現在あるということである。そして(2)はややもすればその性質が顕在化してB→Cのようになってしまうということである。
ということで(1)の文意を「山田さんは最近学校をよく休む」とするのは「がち」のこの文での意味を一面的に取り上げているにすぎない
「〜がちだ」→「よく〜する」と解釈されることはあっても、「よく〜する」→「〜がちだ」とは必ずしもならないということである。

同様の例文では
(3)『この時計は最近遅れがちだ
(4)『あのメーカーの時計はデザインはいいのだが、遅れがちだから困る』
これも(1)(2)と同様に解釈されると思う。



3 「非意図的」であることの意味

「がち」と共に使われる副詞として「ややもすると」「つい」「どうしても」などがある。
つまり、「がち」が使われる事態について話者は<非意図的>なことであると認識していると言える。
一般に「意志動詞」と呼ばれるものでは「〜がち」で使われれば<非意図的>であること解釈される。(→注4)
 
注4:
『基礎日本語辞典』では次のように説明されている。

『人為的な現象でも、おのずと無意識裏にそうなってしまう場合で、・・・』

「遊ぶ」や「暮らす」といった意志動詞とされるものでも「〜がち」となればそれは<非意図的>である。
(5)『夏休みになって学校へ行かなくなると、どうしても遊びがちになる』
(6)『大都会では隣近所とあまり付き合わずに暮らしがちだ

そうすると、「〜がち」はその意味特徴から<非意図的>な意味を持つ動詞がよく使われることになる。それは一般に「無意志動詞」と呼ばれるものである。
(7)〜(11)は人が主語にたっているが<非意図的>なもの
(12)〜(18)は物事が主語にたっている「無意志動詞」である。

(7)「失う」:『上司に厳しく叱られると、どうしても自信を失いがちだ
(8)「怠る」:『作業がマンネリ化すると、どうしても注意を怠りがちだ
(9)「繰り返す」:『とかく人間は同じ失敗を繰り返しがちだ
(10)「忘れる」:『雨の日は電車に傘を忘れがちだ
(11)「泣き寝入りする」『世間の目を気にしてどうしても泣き寝入りしがちだ

(12)「ある」:『そのような間違いは若者にありがちだ』(→注5)
(13)「遅れる」:『この時計は最近遅れがちだ
(14)「進む」:『この時計は最近進みがちだ
(15)「湿る」:『お別れ会となると、どうしても雰囲気が湿りがちだ
(16)「伴う」:『友達同士の金銭の貸し借りにはトラブルを伴いがちだ
(17)「続く」:『年度末は仕事に追われて、会社に泊まる日が続きがちだ
(18)「不足する」:『冬場はどうしても運動が不足しがちだ
 
 
注5:
「ある」とう動詞にA→B→Cという図式が成り立つのかという疑問が起こるかもしれないが、これは日本語の「ある」動詞の特徴であり、この文の基本には「若者はそのような間違いをしがちだ」という意識がある。



4「がち」を特徴づけるもうひとつの要素

そのものに<傾向=悪い状態に移行する内在的な性質がある>ということ。そして、それが<非意図的>であること。この二つの要素を考えると、「地震が起こりがちだ」という文が不自然に感じる理由が見当たらない。

そこで、「がち」にはもう一つのモダリティ(=話者の心的態度)があると考えられる
考察1で示した概念図の中で「<−」で示しものである。
同じ傾向を意味する「〜やすい」「〜っぽい」との違いはまさにこれがあるかないかだと思われる。

確かに「がち」で述べられる事態は<非意図的>であり、意識しないでそのような状態になってしまうことを述べるのだが、その裏に<その事態に対して人が関与して正常な状態に戻そうという態度>があると考える。
このようなモダリティが想定されるのは、「〜する恐れがある」と「〜しかねない」との違いを考察したときに考えたことであるが、(→日本語オンラインの過去ログを参照のこと)今回の「がち」にもそれが当てはまるのではないかと思われる。

「〜が起こりがち」という表現事態は可能である。「〜」にどのような名詞が来るかが問題である。
ネット検索では「問題」「トラブル」に関係するものが多い。つまり、それは人間の社会に生じるものであり、その意味では<その事態に対して人が関与して正常な状態に戻そうという態度>をとることが想定できる場合である。それに対して「地震」というのはその規模と原因からしてそのような態度をとることが想定できないのではないだろうか。したがって、「〜がち」という表現とは合わないと考えられる。

同様に「自然現象」を表すものも基本的にこのよな態度が想定できないはずである。
(19)『日本では梅雨の時期は雨が降りがちだ
(20)『この時期は台風が接近するため今風が強く吹きがちだ
(21)『ゴルフ場ではプレイ中のゴフファーに雷が落ちがちだ

この文の不自然さは「地震が起こりがちだ」の不自然さと共通していると思われる。

「雨が降りがち」だを不自然だと思わない人もいるかと思われるが、本考察では不自然であるという立場である。(→注6)
 
注6:
手元にある以下の参考書の例文を調べてみると、「雨がち」はあるが「雨が降りがち」というのは見当たらない

参考図書
『基礎日本語辞典』(角川書店)
『日本語文型辞典』(くろしお出版)
『どんな時どう使う日本語表現文型500』(アルク)
『日本語文法辞典(中級編)』(the Japan TImes)

ただし、ネット検索では数件ヒットした。
kensaku.orgでは14件、googleでは1件

また、そのうちの獨協大学のサイトでは日本語の読解教材の練習問題で「がち」が「雨が降りがち」という例文がモデル解答として挙げられている。
http://www2.dokkyo.ac.jp/~japan/japanese/sub6.htm



5 「名詞+がち」を考える(「雨がち」が可能なわけ)

考察4で「雨が降りがち」のように動詞に「がち」を続けるのは「がち」の意味特徴からして不自然であるとしたが、名詞の場合には「雨がちの天気が続く」と言える。なぜ名詞ではこのように言えるのか。
もう一度「がち」の概念図を見てみる。

「動詞+がち」の基本概念は(B)(C)を想定しながらも(A)であるとした。
「名詞+がち」は実はCの状態を取り出したものである。つまり、基本的な(A)〜(C)の図式からCの特徴のみが静的な状態として取り出されたものであり、そのために使われる語彙が非常に限られている。(→注7)
 
注7:
『基礎日本語辞典』の冒頭の解説に「ある種の名詞に付いて・・・」という記述がある。
『日本語文型辞典』の解説に「語彙的に限られている」という記述がある。

(C)の状態のみを取り出すことで、「雨がち」のように気象現象についても言えると考える。
名詞に関しては非常に慣用的で自由な造語を許さない。「曇りがち」は『基礎日本語辞典』では動詞の説明にはいているが、『日本語文型辞典』では名詞の例文として挙がっている。本考察ではその趣旨から名詞の「曇り」に「がち」がついたものと考える。

名詞の例として挙げられているものには以下のものがある。
「雨がち」「風邪がち」「黒目がち」「病気がち」「伏し目がち」
(以上『基礎日本語辞典』より)
「病気がち」「曇りがち」「伏し目がち」「遠慮がち(に〜する)」
(以上『日本語文型辞典』より)

いずれもそのような状態や態度がそうでないものより多く認められるという場合に使われる。
「遠慮」という単語については、『基礎日本語辞典』では動詞として「遠慮しがち」で挙がっており、『日本語文型辞典』では「遠慮がちに」と名詞として挙がっている。どちらも可能である。
(22)『知らない人の前ではどうしても遠慮しがちだ/しがちになる
(22)『おかわりするときには、もう少し遠慮がちに頼むものだ』



まとめ

「地震が起こりがちだ」がなぜ不自然に感じるのかを考察するにあたり、以下のような「がち」の基本的な特徴から考えてみた。
1)マイナス評価の状態に移る<傾向>がある=そのような性質が内在する
2)(過去の経験から)そのような<傾向>が顕在化することを想定している
3)それが顕在化している場合は<回数>として捉えることがきる
4)しかし、<回数>そのものは「がち」が基本的に意味するところではない。
5)<非意図的>に生じることを述べるため「ややもすると」「つい」「どうしても」などの副詞と共起する。
6)<非意図的>であるという認識がある一方で<その事態を元に戻すべきだ>という心的態度がある

以上の特徴の6)によって「地震が起こりがちだ」が不自然になると考えた。あわせて、6)と矛盾する「気象現象」などが名詞としてなら可能であることを考えた。



課題

今回の考察で「名詞+がち」は語彙的制約があることがわかったが、「動詞+がち」にも意味的にある程度の制約があると思われる。
以下の文は不自然とまではいかないまでも何か落ち着かない印象を受けるのではないだろうか。
『やめなさいと言っているのに、彼はタバコを吸いがちだ。』
『うちの娘は叱ると、泣きがちだ』
『もうやめてと言っているのに、彼は私に電話をかけがちだ。』

また、今回は「がち」の文末の形式までは考えなかった。「〜がちだ」と言い切れるもの、「〜がちになる」と使う場合、「〜がちに」と連用修飾になるものなども「がち」の用法としてさらに考察する必要があるだろう。

(以上の2点は元記事を投稿されたusaoさんから提起されている問題ですが、今回はそこまで考察できませんでした。)
この考察を読まれた感想、ご意見をお待ちしています。



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