#30「おおよそ/およそ」の用法と指導

問題点の整理

日本語テキスト『テーマ別中級から学ぶ日本語』の23課で「およそ〜ない」という表現を学ぶ。いわゆる<否定と呼応する>副詞の一つである。アクルの掲示板(『日本語喫茶』)への投稿によれば、学習者が次のような文を作ったそうである。
「三宅島の噴火がまだ続いているなんておよそ最悪だ 」

この文が不自然であることは確かであるが、なぜ不自然なのかを考えると、
第一に「最悪だ」という表現が<否定>ではないからだということが考えられる。
<否定と呼応する>副詞という場合には<否定形>であるあるだけでなく、<否定的な意味>である場合も含むことがある。例えば、「とても〜ない」という表現では「とても無理だ」という言い方ができるのは「無理=できない」という意味になっているからである。
しかし、「最悪」というのは<否定的な意味>がある語というより、<否定的なイメージ>の語であると思われる。それで、この文の不自然さを「最悪だ」という語彙が原因であると考えるのは適当でないかもしれない。

それでは基本に戻って<否定形>になっていれば、「およそ〜ない」と言えるのかというと、そうではないことがわかる
×「こんなにたくさんの料理はおよそ食べられない」
×「足が痛くて、およそ歩けない」

このように「全然〜ない」「ほとんど〜ない」とは言えても、「およそ〜ない」とは言えないものが多くある。
このようなことから、同じ<否定と呼応する>副詞といっても「およそ」はかなりその使用に制限があるのではないかという予想がつく

一方、視点を変えて、「最悪だ」を使える文を作ってみると、アルクの掲示板の投稿にあったような文のほかに次ような文が考えられる。

「三宅島の噴火はまだ続いている。およそ最悪の事態だ」(きんちょさんの投稿にある例文)
「三宅島の噴火はまだ続いているというおよそ最悪の事態になった」

同じ「およそ」と「最悪だ」を使っているが、なぜこれらは不自然ではないのだろうか。
つまり、「およそ」には大きく二つの用法があり、一つは「およそ最悪(の事態)だ」と言えるもので、これは多くの形容詞(副詞)がそうであるように、<個別の対象そのもの>を叙述している場合である(→ア)。もう一つは「およそ最悪(の事態)だ」とは言えない場合で、これはいわゆる<否定と呼応する>副詞の用法であるが、他の同様の副詞と違って何か制限があるようである(→イ)。



考察のアプローチ

そこで、もう一度テキストの文に戻ってみる。この教科書では「およそ〜ない」という文型を導入・練習するようになっている。テキストの本文では『歌詞からはおよそ想像もつかないような・・・』とあるが、練習問題では「〜なんて、およそ〜ない」という文型になっている。
なぜ練習では「〜なんて」が入っているのか?
これはうがった見方かもしれないが、学習者にある特定の文型を的確に導入するための手段であると考えられる。きんちょさんの投稿でも指摘されているが、短文完成の問題というのは文脈なしにはときには変な文ができてしまうことがある。それはある程度避けてはとおれないことではあるが、そのような危険を少しでも回避するためにある程度文脈を固定するものを用意することがある。「〜なんて」もその一つであるとみられる。

それではどのような文脈に固定するためなのかというと、それが上のもう一つの用法(イ)であると思われる。
そこで、本考察では「おおよそ/およそ」の用法を分類記述することによって、(ア)と(イ)の用法の違いを把握し、それを踏まえてそれぞれの用法の<制限>を考えて、なぜ「三宅島の噴火がまだ続いているなんておよそ最悪だ」が不自然なのか、そしてどうすれば自然な文にできるかの答えを出したいと思う。そして最後に学習者に指導する際の注意点も考える。



考察

☆「おおよそ/およそ」の用法

A:個別の事例そのものを評価する
   
(1)大雑把な把握:『おおよそ〜/おおよその〜』(およそ〜/およその〜)

      X
 =|=======|= →正確には〜である
  |=======|  →おおよそ〜である

  ☆Xは正確には〜とは言えないかもしれないが、ほぼ〜であると言える
   注)<程度概念>があることばとともに使われる。

  「長さはおおよそ100メートルだ。」「おおよその長さは100メートルだ。」
  「その会合にはおおよそ100名来た。」
  「王朝はおおよそ100年続いた。」
  「内容はおおよそわかった/理解できた。」「おおよその内容はわかった/理解できた。」
  「結果はおおよそ出た。」「おおよその結果は出た。」

  ※<相対的>な程度を表す形容詞は使えない
   具体的な程度を示す数値か(→長さ、高さ、期間など)
   全体に対して何パーセントかを示す場合(→わかる、結果が出る、決着がつく、など)
   にのみ『おおよそ』が使える。

   ×「この商品はおおよそ高い」
     (注:下の(2)の用法のように複数のもの平均してという意味なら可能) 
   ◯「この商品はおおよそ100円くらいする」

   ただし、<相対的>な程度を表す単語でも<限界>を意味するものは、
   全体に対して何パーセントかという概念と一致するために使うことができるかもしれない。
   (例:最高、最低、最上、最悪、など)

   ×「この商品はおおよそ高い」
   ?「この商品はおおよそ最高である/おおよそ最高の品である」

   注)?をつけたのはこの単語の使用については、人によっては不自然に感じるかもしれないからである。
 
 

なお、ネット検索では次のような結果が出た。
(G=google  K=kensaku.org)

     およそ最悪 G17件 K12件
     おおよそ  G  0件 K  0件

     およそ最低 G  9件 K17件
     おおよそ  G  3件 K  7件

     およそ最高 G  8件 K15件
     おおよそ  G  6件 K  6件



※この結果で際立っているのは「最悪」が「およそ」と「おおよそ」で使われる頻度が異なることである。これは恐らく、『およそ最悪』という表現が(1)の用法ではなく、(3)の用法に近づいていることの現れかもしれないが、定かではない。

         

B:個別事例を含む全体集合を評価する

(2)現実のありさまを評価する:『おおよそ〜/おおよその〜』(およそ〜/およその〜)

 X{ ・*・・・・・*・・}
    ↓
   個別的/例外的

  ☆個別的に見れば例外(*)もあるが、全体的(X)にみれば・・・・である/でない
   「Xはおよそ・・・である/・・・でない」

   「出席者の(一部は急進的な発言をしていたが、)おおよその考えは保守的だった」
   「展示物は(一部あまり価値のないものだが、)おおよそ高価なものが並んでいた」
 

(3)現実にあるべき姿を踏まえて評価する『およそ〜』
  一般論を踏まえて、個別事例を評価する(一般的/本質的にはこうあるべきだという姿勢)

 (3)-1 全体の評価

 X{ ・*・・・・・*・・}
    ↓
   個別的/例外的

  ☆個別的に見れば例外(*)もあるが、全体的(X)にみれば・・・・であるべきだ
   「およそXというものは/たるものは・・・である」

   「およそ人間というものは・・・・」

 (3)-2 個別事例の評価

 X{ <A>・・・・・・・・}
    ↓
   個別的/例外的

  ☆全体的(X)に見れば/本質的には・・・であり、その個別事例(A)は例外的である

   注)この1と2は表と裏の関係になっている。
   注)(3)の用法の場合は<あるべき姿>をもとに評価するというモダリティが入るためか
     『おおよそ』ではなく『およそ』のほうが自然である。
     (1)や(2)がどちらでも言えるのと比べるとあきらかに異なる
 

否定の呼応の制限


Xのアルべき姿に対して、Aはそうではナイということなので、以下のような『およそ〜ナイ』と<否定表現>と呼応するか、<否定の意味概念>と呼応して使われる。<否定の意味概念>の表現といっても、それは広く<否定的なイメージ>の語ではなくやはり<あるべき存在>に対して<あってはならない存在>であるという意味のものでなくてはだめなようである。


A(なんて)およそ 例がナイ
          可能生がナイ
          ありえナイ
          現実的ではナイ
          考えられナイ
          想像できナイ
          検討もつかナイ
          人間のすることではナイ
          通用しナイ
          意味だ(意味がナイ
          〜という名に値しナイ

      およそ ばかばかしい/くだらない(の一語に尽きる)
 

 
☆問題文の考察

「三宅島の噴火がまだ続いているなんておよそ最悪だ 」

テキスト『テーマ別 中級から学ぶ日本語』の23課で学習する「およそ」は練習問題にもあるとおり否定表現といっしょに使う用法になっていて、さらに「〜なんて」という文型になっているので、上の考察で言えば、(3)-2の用法である。

そうすると、「三宅島の噴火」を他の火山を含めた集合(X)の中において例外的であるという位置付けになるはずである。

(3)の1と2は表と裏の関係だから同時に文が成立する。
(3)-1→「およそ(日本の)火山というものは噴火活動は1〜2週間で終息するものである」
(3)-2→「三宅島の噴火がまだ続いているなんておよそ過去に例がない/説明のしようがない」

このような文であれば問題ないが、「最悪だ」という表現は三宅島の噴火活動という対象そのものを評価する表現である。だから、上の考察で言えば、(1)の用法になる。それで文を作れば次のようになる。

(1)→「三宅島の噴火は数か月も続くという、およそ最悪の事態になった 」

問題の文は「〜続いているなんて、〜」と『〜なんて』という表現が入っているために、どうして話者の評価(本来あるべき姿とは異なるという評価)が入ってくる。それで、(1)ではなく(3)の用法になってしまうと思われる。どうしても「最悪だ」という言葉を入れたければ、次のように補足するようにしなければいけない。

(3)-2+(1)
 →「三宅島の噴火がまだ続いているなんておよそ過去に例がないほど最悪(の事態)だ
                             なく、最悪(の事態)だ
                             ないことで、最悪(の事態)だ

このような問題は「最悪」という単語に限らず「〜なんて」という文型の場合には同じように生じる。

「自分の子供に生命保険をかけて殺すなんて、×およそ残忍である」
                     ◯およそ想像できない(ほど残忍である)」
「同じ間違いを何回も繰り返すなんて、×およそバカである」
                  ◯およそ考えられない(ほどバカである)」
「辞書だけみて単語を覚えるなんて、?およそ役に立たない」
                 ◯およそ無意味だ。(役に立つはずがない)」

このように考えてみると。「およそ」が否定表現と呼応すると言っても、「とても〜ない」や「全然〜ない」とは違って、その呼応する否定表現はかなり限られたもの(上に挙げたもの)になるのではないだろうか。
それは「およそ」が本来は<個々の事例ではなく、それを含めた全体のあるべき姿を評価する>という用法があるからだと思われる。だから、「およそ〜ない」という文型ではまず第一に<あるべき姿ではない>ことを述べるために『存在を否定する表現』や『その意味(意義)を否定する表現』が来なくてはならないのだろう。
対象そのものの評価は直接は続けられないため、どうしても述べたい場合には、その後に続けることになるのだろう。



まとめ

「おおよそ/およそ」を大きくAとBの用法に分けてみたが、AとBの用法はもちろん関係がある。
どちらがより基本的なのかは定かではないが、どちらもほぼ同時に生まれたのかもしれない。
Aは<個別の事例そのものの>に対して使われる用法で、そこには<程度概念>をもつ単語といっしょに使われ、しかも具体的な数値が見てとれるようなものでなければだめであることがわかった。その点で、「おおよそ/およそ最悪だ」という表現は、「完全に(=100%)わかる」に対して「おおよそわかる」が可能であるように、「全く最悪とは言えないかもしれないが、最悪である」という意味でなら使うことができるだろう。この用法はあくまでもAの用法であるから、問題文もそのような文型にして使う必要がある。
そうしてできた文が
「三宅島の噴火はまだ続いている。およそ最悪の事態だ」
「三宅島の噴火はまだ続いているというおよそ最悪の事態になった」
である。
Aの<個別の事例そのものの>に対して大雑把に把握するという用法はBの(2)の用法に繋がっていく。視点が個別から全体にわたるわけである。この全体にわたる用法に<本来はこうあるべきだ>という視点が入ると(3)の用法になる。この用法では「およそ」が普通使われることも他の用法と異なることろである。
そして、「〜なんて」という文型はこの視点が現れるものであるために、Aのような用法とは相入れないことになる。したがって、問題の文が「〜なんて」を使うのであれば<否定の呼応>の文型にならなければならない。
ただし、<否定と呼応する>といっても何でもいいというわけではないということがわかった。
そこで、
「三宅島の噴火はまだ続いているなんて、およそ今までに例のないことだ」
とするのが自然である。



指導上の注意

ここで改めてテキストの本文の文章をみると、『歌詞からはおよそ想像もつかないような心の奥からの叫びをシャボン玉に託して歌ったのです』「歌の意味というものはおよそ歌詞から想像つくものである」という視点がそのベースにあり、それを踏まえて、「歌詞からはおよそ想像もつかない」という日本語が生まれる。さらに、この文は「心の奥からの叫びを〜に託して歌ったなんて、歌詞からはおよそ想像もつかない」という文とも繋がっている。
つまり、本文の文章は「〜なんて」という表現はないが、そのベースでは共通しているということになる。そして(3)の用法を練習するためには「〜なんて」を入れるほうがよりはっきりするということで、練習問題が作られたのだろう。
練習問題の短文完成の文章では文末表現として、
「考えられない」「見当も付かない」「無意味だ」「今までに例のないことだ」が使われている。
やはり、これらか、これらと類似する<否定表現>に限って文を作るのがいいだろう。
そして、「〜なんて、およそ最悪だ」のような間違った文を作ったら、<否定>でないからだめだと言うだけでなく、「おおよそ」にはAの(1)の用法もあるから、まず決まった<否定表現>で受けてから、さらにその事態を評価する文になるならいいと指導する。そうすると、「〜なんて、およそ今までに例のないことで、最悪だ」のように自然になる。



参考文献

『基礎日本語辞典』(角川書店)の「おおよそ」の項の解説を読み、本考察の分類および、呼応する否定表現の例を参考にした。



ch5のトップ
ホーム