動作、事象の動詞について、その場所を指定する助詞には『に』と『で』があるが、その違いは通常次のように説明される。
『に』:動作の着点としての場所
『で』:動作がなされる/現象が起こる場所
そこで、「手紙を書く」という動作の場合には、『に』と『で』を使った文はそれぞれ<異なる事態>を表わし、その結果二つの文は<異なる意味>になる。
(1)「京都に手紙を書く」:手紙の着点=京都
(2)「京都で手紙を書く」:手紙を書くという動作の場所=京都
同じように、「車を止める」という動作について考えてみるとどうだろうか?
(3)「店の前に車を止める」
(4)「店の前で車を止める」
(3)と(4)は車を止めるという動作とその結果存在する位置については<同じ事態>を表わしているにもかかわらず、二つの文は<異なる意味>に解釈される。
(1)の文が決して(2)の事態を表わせないという事実を踏まえると、明らかに「止める」は他の動詞と比べて異なる性質があるものと考えられる。
ここに「〜に止める」と「〜で止める」が単に『に』と『で』の意味概念で説明できない原因がありそうである。
それでは(3)と(4)の意味の違い、使い方はどのように説明されるのか?
まず、出発点を見直す必要があるという考えから、動詞が要求する<必須補語>という考え方を確認し、そして、「止める」はどのような補語を要求するのか考える。
それによって「止める」が他の動詞と比べてどういう点で異質なのかをはっきりさせ、それを踏まえて「〜に止める」と「〜で止める」の意味の違いを考えてみる。
最後に、そのような意味の違いが実際にどのような使用例につながっていくかをみる。
☆『に』と『で』を同列に議論するべきではないということ
『に』は動詞が要求する必須補語の名詞句になるが、『で』はそうではなく、あくまでもオプションの名詞句になる。
例)「入る」はどこに入るのかという情報が必須であるから「〜に入る」となる。
さらにオプションとして「〜に入る」という動作をどこで行うかを示すときに、
「〜で〜に入る」となる。
その結果、「デパートでトイレに入る」となる。
「書く」は何を書くのかという情報が必須であるから「〜を書く」となる。
また「手紙を書く」の場合にはどこに書くのかが準必須補語になるので「〜に手紙を書く」となる。
さらにオプションとして「〜に手紙を書く」という動作をどこで行うかを示すときに、
「〜で〜に手紙を書く」となる。
その結果、「部屋で友達に手紙を書く」となる。
それでは「止める」という動詞はどうだろうか?
通常は「止める」場所を示すために『に』をとると考えられるが、それは「止める」の一面しか見ていないことになる。「止める」は二つの側面をもつと考えたい。
A:運動の側面
B:移動の側面
Aは<運動しているものを停止させる>という側面
:◯・・・→/「止める」「(〜で)止める」
Bは<移動しているものをどこかに到着させる>という側面
:・・・・→◯「〜に止める」
Aは「止める」自体で成立する。そしてオプションとして場所の『で』をとる。
Bは「止める」が(準)必須補語として場所の『に』をとる。
つまり、「止める」という動作のどの局面に視点を当てるかによって、とる助詞が異なるわけである。
そこで「止める」の場合には<同じ事態>を表わしていながら、AとBという<異なる意味>の解釈になると考えられる。
言い換えれば、
「〜に止める」は<着点>指向の文に使われ、
「〜で止める」は<運動停止>指向の文に使われると言える。
次の文のペアのどちらが自然だろうか?
(5)-1「運転手はバスを横断歩道の手前『で』止めた」
-2「運転主はバスを横断歩道の手前『に』止めた」
(6)-1「運転手はバスを停留所『で』止めた」
-2「運転手はバスを停留所『に』止めた」
(7)-1「この電車は◯◯駅『で』止まりますか」注:自動詞
-2「この電車は◯◯駅『に』止まりますか」
(5)は<運動停止>指向の文であるために1が自然になり、(6)と(7)は<着点>指向の文であるために2が自然になると思われる。
注:もし(5)で2を使ったとしたら、運転手が横断歩道の手前を目的地として走らせていたという奇妙な事態になってしまう。
次にタクシーのお客の日本語を考えてみる
(8)-1 客「あっ、すみません、ここ『で』止めてください」
-2 「あっ、すみません、ここ『に』止めてください」
(9)-1 客「すみませんが、あの店の前『で』止めてください」
-2 「すみませんが、あの店の前『に』止めてください」
(8)も(9)も<運動停止>指向の文によって1のほうが自然である。急に停車させるという情況から(8)のほうが(9)よりもその傾向が強い。
ここで、一つの疑問が生じるかもしれない。お客は目的地に向かって走っているわけだから<着点>指向ではないかということである。つまり、2の文も間違いではないという考え方である。
この説明にはお客と運転手の関係を考える必要がある。
<事態のコントロール能力>という視点でみると、
[ お客 < 運転手 ]という関係が成り立つ。
つまり、運転手は<着点>指向でいいのだが、直接運転にかかわらないお客は<運動停止>指向になるというわけである。
言い換えれば、2の文が成立するとしたら、それはお客が運転手に対して[お客>運転手]という心理状態になっているということである。それが行きすぎれば運転手はお客にコントロールれているような印象を受ける。
(注:このコントロールは「止めてください」という命令形式とは無関係である)
この<事態のコントロール能力>という視点を拡大すれば、次のような関係も理解される。
(注:ここで言う「誘導・案内する人は「お客」ではなく、車の外にいて駐車を誘導・案内する人のことである/修正日12/17/2000)
[ 車を誘導・案内する人 > 運転手 ]
それで、車を誘導する人の日本語はその職務どおり<着点>指向になるはずである。
(10)案内人「あそこの角の枠の中『に』(車を)止めてください」
まとめると、3者の関係は次のようになる。
[ お客 < 運転手 < 案内人 ]
<運動停止>指向・・・・・・・・・<着点>指向
「〜で止めてください」 「〜に止めてください」
注:運転手は中立でどちらの指向の文も可能である。
「それでは、あそこ『に』/『で』止めます」
「〜に止める」と「〜で止める」の違いは、基本的には「止める」という動詞がもつ2面性に起因していることがわかった。つまり、「〜に書く」と「〜で書く」が「書く」という動作が同じ意味を持ちながら『に』と『で』で異なる事態を表わすことと違い、「止める」のもつ二つの側面がそれぞれの意味において補語として『に』か『で』をとるということである。
今回の考察ではその2面性に焦点をあてて『〜に』と『〜で』の意味上の違いを<着点>指向と<運動停止>指向という概念で説明し、それを例文で検証した。
さらに、複数の人間が関与する場合に、<事態のコントロール能力>という視点から関係する人がどのような指向で「止める」を使うかをみることによって「〜で止めてください」と「〜に止めてください」の使い分けを考えた。
今回の考察は川口さんのアルクの掲示板への投稿(#6467,#6473)に負うところが大きいです。川口さんの投稿によって<運動停止>指向、<着点>指向、<事態コントロール能力>という概念を思いつきました。感謝いたします。