#18 助詞の<使用効果>「に」と「を」について

*前置き

助詞の用法というのは改めて考えてみてもなんか掴どころがないようでやっかいなものです。内省すればするほどわからなくなることもあります。
それは当然と言えば当然で、言語を自然に獲得する過程で「助詞」というのは暗黙のうちに学習するので、「机」とか「愛」の意味がなんであるかが言葉で説明できるのとは違うわけです。

とは言うものの、文法書に書かれているように助詞にはそれぞれ用法があります。
この用法はいわゆる<記述文法>です。用例を観察して、どんな場合にどんな助詞が使われているいるかを調べてそれをまとめたものです。

そんな用法をながめていて思うのは、これらの用法に共通するものは何かないだろうかということです。もし、そのような共通するものがあったら、逆に「に」とか「を」を使うことによって生まれる表現効果のようなものも説明できるのではないかと思います。



*問題点の整理

期待する」という動詞は助詞「に」と「を」を使って次のような文を作ります。

基本文型: [人]  [こと]  期待する

      1)息子  もっと努力すること  期待する
      2)息子 ガ もっと努力すること  期待する
      3)息子 ノ さらなる努力     期待する

つまり、「」は期待する相手を指定し、「」は期待するコトを指定する助詞です。

ところが、 [こと]  期待する、という文型も存在します。

      4)息子 ノ さらなる努力  期待する

この「期待する」と「期待する」は意味に違いがあるのでしょうか?
特に、直接相手に向かって話す場合、手紙などで相手に対して使用する場合にこの違いが意識されるでしょうか?

      5)今後のご活躍  期待いたします

5)において「ニ期待する」が相手に対して失礼な印象を与えるという指摘がありますが、それが事実だとしたら、なぜなのでしょうか?



*考察の主旨

どんな場合に「に」「を」を使うかということが、用例を観察することによってある程度わかってきます。これは一般の文法書が示しているもので、<用法の記述>です。

その一方で、私たちはそのような文法書を読んで言葉を学んだわけではないので、「に」や「を」には何か共通した特徴があって、それを無意識のうちに体得して使用していると言えます。
このような<共通した特徴>があることを認めれば、逆に「に」「を」を使うことによって、ある動詞にある意味をもたせることができます。これを<使用効果>と呼ぶことにすると、「ニ期待する」と「ヲ期待する」の違いはこの<使用効果>によって説明できるのではないかと思われます。

一般的には(つまり、慣習的に固定されている)「恋する」「憧れる」などの動詞は対象として「ニ」をとりますが、小説などで作家によっては「ヲ恋する/憧れる」などと使用しているものがあります。(→注)
このよな事例は慣習化された用法(<用法の記述>で明らかにされたもの)に対して、<使用効果>が現われたものではないかと考えます。
そこで、ここではまず助詞の基本的な特徴をおさえて、それを踏まえてその<使用効果>を考えてみたいと思います。

※「に」と「を」の基本的な意味特徴の考察は<勉強部屋>の記事#9に詳しいです(→#9へ飛ぶ



*「に」と「を」の<共通した特徴>と<使用効果>

「に」と「を」のそれぞれがもっている用法の<共通した特徴>ついておおざっぱに言えば、

「に」動作や感情が『向かっていく先』を指定する

    [動作]   〜 かみつく、飛びかかる、
    [感情・態度]〜 背く、甘える、憧れる、驚く、失望する、悩む

「を」動作や感情を『受ける対象・相手』を指定する

    [動作]   〜 噛む、ひっぱる、
    [感情・態度]〜 叱る、憎む、好む、愛する
 

日本語の面白い点


「に」の特徴である『向かっていく先』を指定するということは、英語などと比較したときには日本語の特徴だと思います。
英語では他動詞の直接目的語となるものでも日本語では「を」ではなく「に」で示されるものがあることは、日本人の『現象の認知の仕方と表示方法』という視点から見れば面白いことです。

おそらく、[動作]の動詞は<移動の過程>が意識されるものは「」をとるようですが、なぜ「愛する」は「」なのに「憧れる」は「」なのかなど、[感情・態度]を表わす動詞は[動作]を表わす動詞とちがってその使用がはっきりと区別しにくいものがあります。
これはわたしたちの認知の仕方と関連があると思われますが、ただ、単に慣用の問題かもしれません。

その<使用効果>を簡単に言えば、

「に」動作・感情が『ある方向に向かう』ことがより強く意識される
    対象・相手そのものがどうなるかはあまり気にしない
    受け身的な態度

「を」動作・感情を「あるものが受ける』ことがより強く意識さえる
    対象・相手がどうなるかを気にする
    積極的な働きかけ
 
 

「に」と「を」のどちらもとることができる動詞はおおむね上の<使用効果>が現われているのではないかと思われます。

*「喜ぶ」→「」:受け身的原因の「ニ」格と呼ばれることがある)
          「その知らせに喜んだ」
      「」:積極的な態度(動作や表情が強く出る)
          「その知らせを喜んだ」

驚く、失望する、悩むなどの動詞が「ニ」をとることもこれと同じ意識が働いていると思われます。

中には「頼る」のように「」ト「」で意味が区別されているものもあります。
*「頼る」→「ニ」:力をかしてくれるものとして依存する。
          「人に頼ってばかりいちゃだめだ」
      「」:たすけになるものとしてそこへ行く。
          「親戚の叔父さんを頼る」
                    (『大辞林』の定義より)



*「ニ期待する」の「ニ」の使用効果

「期待する」という動詞は冒頭にも書いたとおり、基本的には「(人)(こと)を期待する」という文型で使われます。
つまり、期待する『行為が向かう先』を「」で、期待する『対象そのもの』を「」で指定します。

だから、「山田さん期待する」とは言えますが「山田さん期待する」とは言えません。
「山田さんの活躍期待する」となるのが普通です。

また、「最終回期待する」とは言えますが、「最終回期待する」とは普通言いません。(「最終回」が起こることを期待するという意味では可能ですが)

つまり、「」は『実現を期待するコト』を指定しなければらないから「最終回の逆転期待する」としなければなりません。

ところが、「山田さんの活躍期待する」という言い方が存在します。
この場合は本来『向かう先』をマークしていた「ニ」が『対象そのもの』を示す用法になっています。
これによって、もともと「ヲ」がもっていた『それが実現することを欲する』という気持ちが弱くなり、『そのような気持ちが向かう』だけであるという印象を与えるのではないでしょうか。それで、直接相手に向かって話す(書く)場合には失礼な印象を与えると考えられます。
 



*まとめ

「に」の用法の特徴から「に」の<使用効果>を考えると、「今後のご活躍を期待しております」のように「ヲ」を使った場合には、それが実現することを強く望む気持ちが現われますが、「今後のご活躍に期待しております」のように「に」を使った場合には、そのような積極的な態度がなくなり、ただ単にそのように思う気持ちがあなたに向かう、つまり、実際に活躍できるかどうかはわからないけれど、という印象を与えてしまうので、目上の人に対して使用すると失礼な印象を与えるのではないでしょうか。

野球の実況中継で、巨人が相手チームのピッチャーに完全に抑え込まれているときに、最終回を前にしてアナウンサーがどのような日本語を使うか想像してみると、
1)「最終回に期待しましょう」
2)「最終回の松井に期待しましょう」
3)「最終回の松井のバットに期待しましょう」
以上のように<期待の向かう先>を指定する「に」は「を」と交換できないので問題ありませんが、

「最終回、松井のホームラン・・・・」のように<期待する出来事(対象)そのもの>を指定するときに「に」と「を」のどちらも使うことができます。
4)「最終回、松井のホームランに期待しましょう」
5)「最終回、松井のホームランを期待しましょう」
さて、アナウンサーの気持ちはどうなのでしょうか?
上の考察があてはまるでしょうか。人によって受け取り方は違うかもしれませんね。



注:『逆引き頭引き 日本語辞典』(講談社+α文庫)p.159
   >「上級生をあこがれる」「妹を恋する」川端康成
   >「〜をあこがれる」は太宰治、佐藤春夫、戸板康二など
   >「〜を恋する」は円地文子、菊地寛、大岡昇平、中村真一郎、三浦綾子など


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