#16 「〜いただきますよう、お願いいたします」は不自然?



[問題点の整理]

「遠慮する」ことを相手に依頼するときの日本語として、1)のような「てください」をはじめ、2)〜7)のように受益表現を用いたり、敬語を使用するものがある。

1)遠慮してください
2)遠慮してもらえませんか
3)遠慮してくれませんか
4)遠慮していただけませんか
5)遠慮してくださいませんか
6)ご遠慮いただけませんか
7)ご遠慮くださいませんか

ところが、社外文書や公共の場所におけるアナウンスなどでは書き言葉的表現として次のような日本語が使われている。

8)ご遠慮いただきますよう、お願いいたします/お願い申しあげます
9)ご遠慮くださいますよう、お願いいたします/お願い申し上げます

そして、この8の日本語がどうも不自然ではないかということである。
4〜7では謙譲語の「いただく」と尊敬語の「くださる」のどちらも使うことができるのに対して8と9では8が不自然に感じる人がいる。

どのような点で不自然に感じるのかということを「よう」の使い方から見てみる。

命令や依頼文を引用する場合には<直接引用>の「と」<間接引用>の「よう」があると考えられる。

場面:話者がAさんに対して「Aさんが来る」ことを命令、依頼した場合
直接引用の文型:

ア)私はAさんに 来い         と 言った

イ)       来てください     と 言った

ウ)       来てもらえませんか  と 言った
           くれませんか
           いただけませんか
           くださいませんか

直接引用の文型は上の1〜5に対応するので特に問題はない。
(注:当然6、7に対応する文もあるがここでは省略)

このア)〜ウ)に相当する間接引用の文型はどうなるだろうか。

あ)私はAさんに 来る   ように 言った/命令した

い)       来る   ように 頼んだ/お願いした

ここまでは問題ないように思える。

元々「よう」を使った<間接引用>の文型は11)、12)に見られる「よう」の『目標』の用法から拡張してきたものであると考えられる。

10)あした(必ず)来る
11)あした(できるだけ)来るようにする
12)あした(できるだけ)来るようにしてください<依頼文>

このような拡張の視点から捉え直すと、あ)い)の文型は次のように( )の部分が省略された文型であると考えることが可能かもしれない。

あ)私はAさんに 来る   ように (しろ と)    言った/命令した

い)       来る   ように (してください と)頼んだ/お願いした

ここで注意しておきたい点は、12の文では「〜よう」の「〜」の部分は<相手がするコト>がくるという点である。(「あなたが来る」という意味である)

さて問題はウ)の文型は「よう」を使ってどのように表現できるかである。

い)と同じでもいいのだが、それでは敬語のニュアンスが表わせない。つまり、文末の動詞だけでは敬意が十分表現できないと感じるわけである。
そこで、元々モダリティの要素をつけなくてもよかった「よう」の前の動詞に敬語というモダリティを挿入する手段を取ることになる。

そうすると、上に書いた注意点を守ると、「よう」の前の動詞は<相手がするコト>にならなければいけないから『あなたが(私のために)来てくれる』という文型(尊敬語)になるはずである。その結果、う)の文型が生まれることになる。

う)私はAさんに 来てくれる  ように 頼んだ/お願いした
           くださる

このような<間接引用>としての「よう」の使い方から9)の「くださいますよう〜」は自然だが、8)の「いただきますよう〜」は不自然だと感じるのではないかと思われる。


[実際の使用例]

上のような理由で「〜ていただきますよう、お願いいたいします」という日本語が不自然であると感じても、実際には広く使われているようである。

検証1 インターネットの検索エンジンを使っての調査(→注

「いただきますよう、〜」は6292件ヒット
「くださいますよう、〜」は3507件ヒット
ほぼ2対1の割合になった。

検証2 新聞の社告での使用例

今年の夏は例の牛乳会社の問題もあって、いつもの年にくらべて食品への異物混入などで商品を回収するために新聞に社告を出したものが数多くあった。その記事に使われていた表現を拾ってみると、ほとんどが「いただきますよう、お願いいたします」とそれに類似した文型で、「くださいますよう、お願いします」は少数派であった。

検証3 文章作成の手引きの本での使用例

手元にあった『文書・書式実例集』(廣田傳一郎監修 西東社)で社外文書の実例をみると、「くださいますよう、〜」が多く使われているが、「いただきますよう、〜」も少なからずある。
しかし、特に使用の際の区別は述べられていない。

検証4 文化庁が発行している『言葉に関する問答集』

『新「ことば」シリーズ 言葉に関する問答集 -敬語編-』の(1)と(2)はそれぞれ平成7年と8年に発行されたものだが、この中で敬語の使用について「適切かどうか気になる言い方」としては取り上げられていない。ということは、逆に見れば「いただきますように、〜」式の文は取り上げるほどの文ではないということか?
(注:それ以前の本については未調査)

このようなことから結論を出すのは無理であるが、おおざっぱに言って、「いただきますよう、〜」式の表現は一般の人にとってはかなり違和感なく使える表現として定着していることがうかがえる。



[なぜこのように広まったか]

問題点の整理でまとめたように、もし「くださいますように、〜」が規範的であるとしたら、「いただきますように、〜」がなぜこれほど広まってしまったのだろうか。

分析1 「いただく」の丁寧語化

掲示板の#5060でASUNAROさんが指摘されたように、「いただく」が謙譲語ではなく、丁寧語として使われているのではないかということ。
確かに日本語の敬語の体系では「謙譲語」が「丁寧語」として使われるという変化を認めることができるが、問題の日本語がそれに当てはまるのか。

分析2 発話者の心理と文型の関係

私は「いただく」は本来の謙譲語の機能を保っていると考える。なぜ謙譲語として動作主体が<相手>から<自分>に変わるのに許されるのかというと、そこには発話者の心理が強く働き、文型がその表現を可能にしていると見る

*話者の心理

「いただく」と「くださる」の使い分けについて、上の検証で紹介した『言葉に関する問答集(2)』(p.48-49)で取り上げられている。
その中で、二つの表現を「もらう」と「くれる」という敬語形から離れた動詞の区別が基本にあることを前提に次のように説明している。(ゴシックと色づけはoyanagiによる)
 

基本的には、「送ってくれる」は<アナタがワタシに(何かを)送るという行為をする。そしてそれは(多くの場合)ワタシにとって恩恵を与える行為である>ということを表わし、「送ってもらう」は、<アナガがワタシに(何かを)送るという行為をすることをワタシは求める。そしてその行為によってワタシは恩恵を受ける>ということを表わします。また、「送ってもらう」は、すべてがアナタの行為であり、その行為自体にワタシのかかわる余地がないのに対し、「送ってもらう」は、「送る」のはアナタの行為ですが、その行為を求めるのはワタシであり、全体としてはワタシの行為になります。

ここでのポイントは「もらう」のほうは『ワタシがアナタに求める』ということで、これが大きな違いであると思われる。その事実を受けて、
 

したがって例えば、突然本が郵送されてきた場合には、相手が自らの意志でその本を送るという行為をし、自分から働きかけたわけではないため、「送ってくれた」が適当な表現になり、注文した本が届いた場合には、自分から頼んで相手に本を送るという行為をさせたため、「送ってもらった」が適当な表現となるわけである。

しかし、このような原則がありながら、「結構なものをお送りくださり・・・」と「結構なものをお送りいただき・・・」の両方が用いられることについて、
 

この場合には、もちろん自分から頼んで結構なものを送ってもらったわけではないけれども、自分の方からお願いして送ってもらったかのような表現を用いることによって、自分が恩恵を受けたことをより強く表わす効果をもたらすのではないかということです

ここで言う『効果』がつまり、話者の「丁寧に表現したい」という心理へとつながると考える。

書き言葉的に丁寧な日本語をどのように表現したらいいのかと考えるとき、
上の問題点の整理で挙げた1)〜7)のような直接相手に向かって依頼する文型は適当ではないと考えられる。書き言葉的にどうしても「頼む」や「お願いする」といった動詞を使うことになる。

そうすると、「よう」の<間接引用>の用法があり、その拡張として書き言葉的に相手に依頼する丁寧な文が生成されることになる。
しかし、問題点の整理でも述べたように、そこには「よう」の使用にあたっては「くれる/くださる」を使うという制約があるはずである。

しかし、この「よう」を使った文型は書き言葉で、「よう、・・・」のように句点入ることからわかるように、ポーズがある。
このポーズは話される場合も同じことである。つまり、前半部分と後半部分に切れ目があるこの文型の特徴が本来は許されない「いただく」の使用を可能にしていると考える。つまり、次のような段階を踏んで生成されると考える。

a)「ご遠慮くださいますようお願いいたいします」・・・<本来の使い方>

b)「ご遠慮くださいますよう、お願いいたします」・・・<前半と後半に切れ目を感じる>

c)より敬意を表わすために「くださる」から「いただく」を使うべきだという心理が生まれる

d)Bの構文的特徴とCの心理があいまって、「よう」の元々の『目標』の用法から

  <私どもがあなた様に・・・いただく>ことを努力目標として、
  <それが実現すること>をお願いいたします、という発想が生まれる。

e)「ご遠慮いただきますよう、お願いいたします」・・・<「いただく」式の文の生成>


[まとめ]

「もらう」「くれる」の受益表現の区別から、本来の規範となるべき表現を設定し、それでもなお「いただきますよう、〜」式の構文がなぜ生まれ、それが広く浸透しているのかを考察してみた。

そこには、新しい表現を生み出す際に、どのような心理が働き、そしてなぜ文法規則から解放されるのかという視点が必要ではないかと考える
つまり、「来るようにしていただけませんか/くださいませんか」に対応する書き言葉的な表現をどうするかという問題である。
今回の例では、<丁寧にしよう>という心理が、間接引用の「よう」の構文特徴に助けられ、文法規則からの解放され<主体の交代>が可能になったのではないかと考察した。



*参考文献

検証で挙げた文献以外では
『日本語る類義表現の文法(下)』(宮島達夫 仁田義雄編)くろしお出版1995
に収められている「トとヨウニ」p429で「よう」の間接引用の用法について参考にしました。

注:使用した検索エンジンは<kensaku.org>というものです。
  ホームページアドレスはhttp://kensaku.org/



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