問題点
物の授受については「あげる」「くれる」「もらう」の3つの動詞があって、次の例文のように動作相手(物の帰着点/出所)は規則的にニ格で表示される。
(1)山田さんが加藤さんにプレゼントをあげる。
(2)加藤さんが山田さんにプレゼントをもらう。
(3)山田さんがわたしにプレゼントをくれる。
ところが、行為に関して、その利益の授受については同じ「あげる」「くれる」「もらう」を使うにもかかわらず、動作相手は規則的にニ格で表示されない。
次の例文のように、規則的なのは「〜てもらう」だけで、「〜てあげる」「〜てくれる」はそうではない。
(4)山田さんが加藤さんに英語を教えてあげた
(5)加藤さんは山田さんに英語を教えてもらった
(6)山田さんは私にプレゼントを買ってくれた
(7)山田さんは私を助けてくれた
(8)山田さんは加藤さんの荷物を持ってあげた
(9)加藤さんは山田さんに荷物を持ってもらった
このような事実にもかかわらず、受給表現でのニ格を、受益表現にも適用して、次のような間違いを学生がすることがあり、そのような誤用について教師の側もあまり認識していないこともある。
たとえ認識していても「・・・の場合には<〜にあげる/くれる>は使えません」というような制限を示して指導することが多いと思われる。このような認識や指導が適切なのか?
(10)*山田さんは私に助けてくれた
(11)*山田さんは加藤さんに荷物を持ってあげた
1 「あげる」「もらう」「くれる」と人称制限
(1)> (2) > (3)人称
[与え手]が → → に[受け手] あげる
[受け手]が ← ← に[与え手] もらう
[受け手]に ← ← が[与え手] くれる
人称に序列があり、1人称が2人称よりも、2人称が3人称よりも高いと想定される。
この序列にしたがって、つぎのような使用制限が生まれる。
<あげる>は与え手が受けてよりも「高い」か等しい
・わたし → あなた/山田さん × あなた/山田さん → わたし
・あなた → 山田さん × 山田さん → あなた
・山田さん→ 田中さん ◯ 田中さん → 山田さん
<もらう>は受け手が与えてよりも「高い」か等しい
・わたし ← あなた/山田さん × あなた/山田さん ← わたし
・あなた ← 山田さん × 山田さん ← あなた
・山田さん← 田中さん ◯ 田中さん ← 山田さん
<くれる>は受け手が与え手よりも「高い」
・わたし ← あなた/山田さん × あなた/山田さん ← わたし
・あなた ← 山田さん × 山田さん ← あなた
× 山田さん ← 田中さん
× 田中さん ← 山田さん
注:以上は『ケーススタディ日本語文法』(おうふう)p.39-40の記述整理しなおしたもの
※ 上の図で「あげる」「くれる」は[与え手]が「が」で表示されているのに対して
「もらう」は[受け手]が「が」で表示されていることは、後で重要なことになるので
覚えておいてほしい。
『ウチとソト』の概念が人称制限を生み出すと考えられる
わたし=話し手 / あなた=聞き手 /◯◯さん、××さんは談話の中の人物
<ウチ> <ソト>
<ウチ>ガ → ニ<ソト> あげる
<ウチ>ガ ← ニ<ソト> もらう
<ウチ>ニ ← ガ<ソト> くれる
(1)基本的な<ウチ><ソト>の概念:社会慣習上固定したもの
わたし あなた 英語では◯You/Mr.White
gave me a present.
(私の家族) ◯◯さん
日本語では「あげる」は不可である
(2)話者による認知枠の拡大:『私たち』対『他の人』の概念
わたし ◯◯さん 英語では◯Mr.White gave
you a present.
あなた 日本語では「あげる」は不可である
(3)話者による認知枠の拡大:『*第3者も含めた私たち』対『他の人』の概念
わたし ××さん
あなた
*(◯◯さん)
注:*第3者に対する扱いは「あげる」「もらう」「くれる」で異なる
談話文法でいう<視点>は<ウチ>のものに視点が当てられると考えられるが、
その強さが以下のように異なると思われる。
あげる(与え手)< もらう(もらい手) < くれる(もらい手)
<中立>・・・・・・・・・・・・・・・・・<ウチ的な要素が強い>
つまり、「あげる」は<中立的>なので文脈に依存することなく自由に使えるが、
「もらう」は第3者についてはある程度<ウチ的>な意味あいをもつ文脈が必要で、
「くれる」は第3者についてはかなり<ウチ的>な意味あいをもつ文脈が必要である。
例)「佐藤さんが山田さんにプレゼントをあげた」は文脈なしでも問題ない。
「山田さんが佐藤さんにプレゼントをもらった」になるとどうだろうか。
この文は文脈なしでは不自然だと感じる人もいるが、山田さんを<ウチ>の側と
見る文脈があれば大丈夫である。しかし、次の文は文脈があっても不自然だと
感じる人が多いと思う。
「佐藤さんが山田(さん)にプレゼントをくれた」
(1)Xガ Yニ Zを 貸す Xガ Yニ Zを 貸してあげる
Xガ Yニ Zを 貸してくれる
Yガ Xニ Zを 貸してもらう
(2)Xガ Yヲ 助ける Xガ Yヲ 助けてあげる
Xガ Yヲ 助けてくれる
Yガ Xニ 助けてもらう
(3)Xガ Yト 遊ぶ Xガ Yト 遊んであげる
Xガ Yト 遊んでくれる
Yガ Xニ 遊んでもらう
4 <もらう>だけが常にニ格をとる理由
受給表現では「あげる」「もらう」「くれる」は一様に対象のニ格をとっていたが、受益表現では「もらう」のみが規則的に対象のニ格をとるように見える。
このような違いが生じるのは、同じ受益表現でも「もらう」とそれ以外のものとでは構文が異なるためと考えられる。
4-1 事象の認知の仕方〜ボイスの転換
ある事象を捉えてそれをどのように表現するかは話者の認知の仕方にかかっている。
一般に、英語と比較したときに、日本語に『第3者の受け身』があることなどから推察されるように、ある事象が話者(または主題となる人物)とどのような関係にあるかに非常に敏感であると言える。それが言語として英語よりも多様に形式化されるていると言える。
4-1-1 仮定
私たちはある同じ現象を捉えても、その現象に関わる諸々のことを認知して、ことなる言語形式を用いている。例えば、「山田さんが帰る」という事象を捉えたときに、
(1)「山田さんを帰らせる」
(2)「山田さんに帰られる」
(3)「山田さんに帰ってもらう」
このような言い方が可能である。このような事実から、「〜てもらう」の文型は(1)使役文(2)受け身文となんらかのつながりがあるのではないかと仮定できる。
4-1-2 認知のイメージ図
<X>という事象をどのように認知するかをイメージすると次のようになる。
Y → <X>
↓ Z |
4-1-3 <X>とY、Zとの関わりかた(受け身文)
上のイメージ図のYからすぐに想像されるのは<使役文>であり、Zの存在からすぐに想像するのは<間接受動文>である。しかし、一般にこのような名称でくくられている文法ももう少し詳細に観察することによって<受益文>とのつながりが見えてくると考える。
(1)直接受動文
<X>は基本的に自動詞文と他動詞文に区分される
A → |
A → B |
1)自動詞文:「Aが〜スル」
2)他動詞文:「Aが Bを/に 〜スル」
そして、2)他動詞文はAとBのどちらに視点を置くかによってボイスの形式が異なる
A → |
A → B |
3)能動文 :「Aが Bを/に 〜スル」
4)直接受動文:「Bが Aに 〜サレル」
一般に「直接受動文」と言われるものは3)「AがBをたたいた」に対して4)「BがAにたたかれた」という文を指すが、ここにはYとZの視点が欠けている。人がどのように<X>を認知するかを忠実に表わせば次のようになるはずである。
B→× | A → B
↓ B<マイナスの影響=被害> |
5)非意図的直接受動文:「Bが Aに 〜サレル」
(一般的に「直接受け身」と呼ばれるもの)
B→◯ | A → B
↓ B<プラスの影響=被害> |
6)意図的直接受動文:「Bが Aに 〜テもらう」
(=直接受益文)
「受動文」が何を示すことかを考えると、統語的には<被動作主>に視点が当てられて主格に昇格し、<動作主>が対格に降格し、動詞が<受け身形>と呼ばれる形に変わる。
典型的な直接受け身の概念は
・被動作主Bにまったく意図されない事態が降りかかり(B→×)、
・それによってマイナスの影響を被る(↓B)ことである。
しかし、それとは対照的に次の場合も想定できる。
・被動作主がその事態の生起を意図して事態の成立に働きかけ(B→◯)、
・それによって、ブラスの影響を受ける(↓B)ことになる。
つまり、一般に直接受動文と呼ばれていいたものは、典型的な<被害>を表わす5)を指していたのであって、実はその裏には6)のような<受益>を表わす受動文も存在するのである。
ここではこの二つを区別するために、造語であるが、非意図的直接受動文と意図的直接受動文という名称を与えておく。さらに、6)は後の8)との対照も考えて、<直接受益文>としておく。
(2)間接受動文
間接受動文は<X>という事態の外で第3者がその影響を被る構文であるから、次のようになる。
A →
A → B |
↓
Z<影響を被る> |
6)間接受動文:「Zが Aに 〜サレル」
「Zが Aに Bを 〜サレル」
しかし、ここでも、4)のときのようにYの存在の認知が抜け落ちている。また、Zについても影響には<プラス>と<マイナス>があるという視点が抜けている。
これらを忠実に表わすと次のようになる。
Z→× | A →
A → B ↓ Z<マイナスの影響=被害> |
7)非意図的間接受動文:「Zが Aに 〜サレル」
「Zが Aに Bを 〜サレル」
(=一般的に「迷惑受け身」と呼ばれるもの)
この7)が一般に<迷惑の受け身>と呼ばれる間接受動文であるが、5)に対して6)があったように、7)に対して8)を想定することができる。
Z→◯ | A →
A → B ↓ Z<プラスの影響=被害> |
8)意図的間接受動文:「Zが Aに 〜テもらう」
「Zが Aに Bを 〜テもらう」
(=間接受益文)
7)は<X>という事態の生起に対して、Zは第3者としてなんら関与していないのに、それによってマイナスの影響を被るという概念である。
8)は<X>という事態の生起に対してなんらかの働きかけをし、それによってプラスの影響を受けるという概念である。
このように、受益表現の「〜てもらう」は直接、間接を問わず、受け身の構文に<影響を与える存在>(Y)と<プラスの影響を受ける存在>(Z)を認知することによって生み出される構文という位置付けができる。
これまでのことを整理すると、
・<X>という事象に<影響を与える存在>Yを認知せず、
<マイナスの影響を受ける存在>Zを認知するものが、
通常(直接/間接)受け身と呼ばれるものである。
・<X>という事象に<影響を与える存在>Yを認知して、
<プラスの影響を受ける存在>Zを認知するものが、
受益文「〜てもらう」の構文になると言える。
4-1-4 <X>とY、Zとの関わりかた(使役文)
これまで見てきた構文におけるYの存在は消極的なものであったが、これが積極的に表われたものが使役文ということになる。そこで、一般に使役文と言われるもののイメージを示すと次のようになる。
Y→ | A →
A → B |
9)使役文:「Yが Aを/に 〜サセル」
「Yが Aに Bを 〜サセル」
(1) 使役文と「〜てもらう」の受益文とのつながり(YとAの関係)
「Aが行く」という事態<X>を考えるとき、9)にしたがって、「YがAを/に行かせる」という使役文ができる。それでは、この文と「YがAに行ってもらう」という文はどのようにつながっているのか。
上の二つの文を言い分けるのはどのような理由によるのか。
それはYがAに対してもつ<支配力>の強さによると考えられる。
<支配力>が強いということは動作主Aの行動を支配することができるということである。それが、典型的に<強制使役文>とか<許可使役文>と呼ばれる用法につながっていく。
しかし、この支配力は絶対的なものではない。これが弱くなっていくと、<X>という事態に対してなんらかの影響を与えるが、それが目に見える形ではなくなり、心理的なものになっていく。その段階性を示すと次のようになる。
Y→
(Y>A) |
A →
A → B |
9)直接使役文:「Yが Aを/に 〜サセル」
「Yが Aに Bを 〜サセル」
Y→
(Y<A) |
A →
A → B |
10)間接使役文:「Yが Aを 〜サセル」
「Yが Aに Bを 〜サセル」
例えば、「Aが死ぬ」という事態に対して、10)では「母親は戦争で息子を死なせた」という文が考えれらる。つまり、「Aが死ぬ」という事態に対して母親は直接影響を与えたわけではないが、そのような事態が生じた原因を認知し、その責任のありかを示した文と言える。このような事情から8)でただ「使役文」と一括していたものをの文を、9)と10)のように直接/間接という名称に変えておく。
(3) 使役文 〜 受益文 〜 受動文
10)のようにYの存在が間接的になり、さらにZの存在を認知するとつぎのようなものが想定できる。
Y→
(Y<A) |
A →
A → B ↓ Y<プラスの影響=利益> |
10)間接受益文:「Yが Aに 〜テもらう」
「Yが Aに Bを 〜テもらう」
実はこのイメージは8)のそれと結果的に同じ概念である。
8)のそれは受け身の概念から派生した<間接受益文>であり、
10)のそれは使役の概念から派生した<間接受益文>である。
つまり、<受益文>は<受動文>と<使役文>の概念のあわさったものと言える。
逆に言えば、<受益文>には「受動的受益文」と「使役的受益文」があると言ってもいい。
4-1-5 まとめ
最後に例文を挙げながら「〜てもらう」の受益文の位置付けを確認しておきたい。
「山田さんが行く」という事態に対して、
(1)私は山田さんに行かせる
(2)私は山田さんに行ってもらう
(3)私は山田さんに(先に)行かれる
「山田さんが加藤さんをたたく」という事態に対して
(1)私は山田さんに加藤さんをたたかせた
(2)私は山田さんに加藤さんをたたいてもらった(私は加藤さんが憎い)
(3)私は山田さんに加藤さんをたたかれた(私は加藤さんが好きだ)
このように私たちはある事態に対してどのように認知するかによって言語形式を変えて表現する。
これまで、ボイスの転換という点では<受け身><使役>ということしか取り上げられなかったが、
<「〜てもらう」の受益文>もこのボイス転換のパラダイムの一つであることがわかる。
したがって、元は主格であった「Aが」がボイスの転換によって「Aに」(場合によって「Aを」)になることは当然である。そのなかに「〜てもらう」の受益文も含まれるというわけである。
結論から先に言うと、「あげる」「くれる」は「もらう」のようにボイスの転換をともなわない通常のモダリティの要素として、助動詞のように振る舞うと考えられる。
4-2-1 モダリティの要素の付加について
一般的に日本語の文ではモダリティの成分は統語上、コトを包み込むように存在する。
『どうも (彼が来る) ない よう だ』
→「どうも彼は来ないようだ」
上の文では「彼が来る」というコトを、陳述の副詞『どうも』、助動詞『ない』『よう』『だ』がモダリティの要素として包み込んでいる。
4-2-2 「あげる」「くれる」の付加
Yガ → <X>
Z |
<X>の事態において<A>がする行為が「利益の授与」と認知される場合
(1) Zのために/代わりに Aが
〜テあげる・くれる
(2)(Zのために/代わりに)Aが Bを/に/と 〜テあげる・くれる
注:(1)については自動詞文なので「利益を授与」する相手として
Zを想定しなければならないが、
(2)については必須ではない。Bにたいして授与するという場合もあるからである。
<Y>が関与する事態において、<Y>がする行為が「利益の授与」と認知される場合
(3)(Zのために/代わりに)Yが Aを/に 〜サセテあげる・くれる
(4)(Zのために/代わりに)Yが Aに Bを/に/と 〜サセテあげる・くれる
注:(2)を同様に、(3)(4)はZの存在は任意である。
以上のように、「あげる」「くれる」は<コト>の内容に付加する成分である。
したがって<コト>の内部の格表示は元のままである。意味上、利益の受け手(2)ではB、(3)(4)ではAがニ格ととっているのは、元々それが<コト>のなかでニ格であったからである。
4-2-3 なぜ「あげる」「くれる」はボイスの転換を生じないのか?
それはそれぞれの動詞がとる格による。上のイメージに示したように、「あげる」と「くれる」は<与え手>が『ガ格』をとる動詞である。それに対して、「もらう」は<受け手>が『ガ格』をとる動詞である。
「Xが〜する」という事象では、Xがそのまま<与え手>の立場にくるため、「あげる」「くれる」ではボイスを転換する必要がないのである。
通常<ボイス>といったときには、「能動態」「受動態」「使役態」の3つがその代表とされるが、「受益構文」のうち「もらう」はこの<ボイス>に関わっていることがわかる。したがって、同じ「受益構文」の「あげる」「くれる」とは構文上異なる振る舞いを見せるわけである。
受益構文の「もらう」に現われたニ格は元の文で主格だったものがボイスの転換によって対格になったもなので、文法規則によって一律に利益授与者はニ格で表示されるが、「あげる」「もらう」に現われる(ことがある)ニ格は元の文にあったニ格そのままであるから、利益授与者が規則的にニ格で表示されることはない。
通常のシラバスではまず受給表現を学び、そして受益表現を学ぶことになる。その影響で、対象を示す「ニ格」を受給表現と同じように用いて間違う例があると思われる。
5-1 受益表現とニ格の問題
先のまとめにも書いたとおり、受益表現においては対象の「ニ格」は規則的なものではない。
「もらう」では規則的に使われるが、「あげる」「くれる」では「ニ格」のものもあるということである。このような事情から教師の側でも受益表現も受給表現と同じように「ニ格」でいいと錯覚していることもあるかもしれない。
また、文法書で「・・・・の場合には『〜に〜てあげる/くれる』が使えない」という記述が見られるが、これはあくまで便宜的な説明である。このような説明は、まるで「〜に〜あげる/くれる」が本来の使い方であるような誤解を与える恐れがある。もしかしたら、このような説明が教師の錯覚を増長しているのかもしれない。
ここでもう一度整理しておくと、
1)受給表現では物の移動であるから、対象(相手)のニ格は規則的に現われる
2)受益表現は受給表現の動詞を利用して<利益の授受>を示すモダリティである。
3)「〜てもらう」はボイスの転換が生じるので、元の動作主体のガ格が規則的にニ格になる
4)「〜てあげる/くれる」はボイスの転換は生じないので。そのまま元の文に付加する。
したがって、格表示は元の文そのままである。
つまり、ヲ、ニ、ト、ノ、などはそのまま残るということである。
5)受給表現のニ格は<物の移動に関係する対象(相手)>を示すもの、
受益表現「てもらう」のニ格は<元の動詞の動作主>を示すもので、
二つは別ものである。
具体的に示して見るとA〜Dのように「もらう」は規則的にガ格がニ格に変わるが、「あげる」「くれる」は元の格のままである。
A『山田さんが加藤さんに英語を教える』
1(山田さんが加藤さんに英語を教える)あげる
→山田さんが加藤さんに英語を教えてあげる ※ニ格はそのままニ格
2 加藤さんは(山田さんが加藤さんに英語を教える)もらう
→加藤さんは山田さんに英語を教えてもらう ※元のガ格がニ格に変わる
『山田さんが私に英語を教える』
3(山田さんが私に英語を教える)くれる
→山田さんが私に英語を教えてくれる ※ニ格はそのままニ格
4 私は(山田さんが私に英語を教える)もらう
→私は山田さんに英語を教えてもらう ※元のガ格がニ格に変わる
B『山田さんが加藤さんを手伝う』
5(山田さんが加藤さんを手伝う)あげる
→山田さんが加藤さんを手伝ってあげる ※ヲ格はそのままヲ格
6 加藤さんは(山田さんが加藤さんを手伝う)もらう
→加藤さんは山田さんに手伝ってもらう ※元のガ格がニ格に変わる
C『山田さんが加藤さんと遊ぶ』
7(山田さんが加藤さんと遊ぶ)あげる
→山田さんが加藤さんと遊んであげる ※ト格はそのままト格
8 加藤さんは(山田さんが加藤さんと遊ぶ)もらう
→加藤さんは山田さんに遊んでもらう ※元のガ格がニ格に変わる
D『山田さんが加藤さんの荷物を持つ』
9(山田さんが加藤さんの荷物を持つ)あげる
→山田さんが加藤さんの荷物を持ってあげる ※ノ格はそのままノ格
10 加藤さんは(山田さんが加藤さんの荷物を持つ)もらう
→加藤さんは山田さんに荷物を持ってもらう ※元のガ格がニ格に変わる
5-2 Aのように「あげる」「くれる」で対象(相手)のニ格がたまたま受益表現で
受益者のニ格として現われる動詞
グループ1:(準)必須補語として <対象(相手)>のニ格をとるもの
教える、見せる、話す、言う、電話をする、連絡する、
伝える、注意する、貸す、売る、
グループ2:(準)必須補語ではないが、ニ格によって<対象(相手)>を示すことができるもの
※動詞の意味特徴からその動作の後で物の移動が認知されるもの
買う、(手紙を)書く(ごちそうを)作る、(セーターを)編む、
こうしてみると、基本的な動詞の全てではないが、かなりの動詞がたまたまニ格として現われることがわかる。このような動詞を例に出して、「〜に〜てあげる/くれる」が本来の用法であると指導するのはやはり問題があると考える。そうすることよって、上のB〜Dのような場合を例外として制限規則を示すことになってしまう。
5-3 受益表現の指導方法(例)
1)受給表現の延長で考えると、<人称制限>については受益表現も同じであるから、その点に注意させて、「だれがだれにする動作」をとりあげるのかを意識させる。
2)その人称制限を守りながら、「あげる」「くれる」については『元の文をそのまま』使って文を作る作業をする。
3)「もらう」についてだけ、動作をする人を<ニ格>に変える作業をする。