次の四つの文のうち、名詞文では(1)の現在形の文が、
形容(動)詞文では(4)過去形の文が自然に感じるのはなぜか?
(1)「私が行ったところは大阪です」
(2)「私が行ったところは大阪でした」
(3)「私が行ったところはきれいです」
(4)「私が行ったところはきれいでした」
[「ところ」がなぜ臭いと感じるか]
臭いの元を明らかにするために、次の3つをポイントに考えてみたいと思います。
A <ドリルの落し穴>という問題
連体修飾節の文を練習するときにこの上のような文は適切ですか?
B <名詞文>には二つの種類がある
<名詞文>と<形容詞文>の接点
C <強調構文>と<連体修飾節の文>の接点
[テンスについての確認]
名詞文であろうが、形容詞文であろうが、過去の事態を述べる場合には過去形を用いることができる。
(5)きのう友達からプレゼントをもらいました。
それは人形でした。(?それは人形です。)
(6)きのう友達からプレゼントをもらいました。
それはきれいでした。(?それはきれいです。)
[Aの問題]
通常連体修飾節の文型を練習するときには、(その是非はともかく)英語でそうだったように、(5)や(6)のような二文を一文にする作業をするように指導する場合が多いのではないでしょうか。
そして、その場合には文末が過去形なのか現在形なのかという問題は教師がそう意識していなくても生じることはありません。
(5)→きのう友達からもらったプレゼントは人形でした。
(6)→きのう友達からもらったプレゼントはきれいでした。
つまり、(7)の文を提示すれば、それはそれで連体修飾文を作ることができます。
要するに、このような文が<どのような場面で>使われるものなのかという視点がほとんど意識されないで文型練習が行われるわけです。(応用練習は別として、基本練習の時には)
(7)きのう友達からプレゼントをもらいました。
・それはこれです。(実物を提示して)
・それはこれでした。(実物を提示しながらも、意識は過去、確認)
(7)→きのう友達からもらったプレゼントはこれです/これでした。
注)実際は<場面や話者の意識>が重要になる(7)のような練習は基本練習では行われないとは思いますが。
[Cの問題]
それでは、冒頭の(1)〜(4)の文型は(5)→(6)→の文型とどこが違うのでしょうか。
私の考えでは、(1)〜(4)の文は<強調構文>になっていると思います。
基本的な<強調構文>の例を挙げながら、どのようにつながっているか見てみます。
基本文:私はきのう友達といっしょに新宿でこの映画を見ました。
(8) 私がきのう友達といっしょに新宿で見たのはこの映画です。
<=もの>
(9) 私がきのう友達といっしょにこの映画を見たのは新宿です。
<=ところ>
(10)私がきのういっしょに新宿でこの映画を見たのは友達です。
<=人>
(11)私が友達といっしょに新宿でこの映画を見たのはきのうです。
<=日>
<強調構文>は上のように『〜のは・・・です』という文型をとって、「の」を被修飾名詞とする<連体修飾節>の一種と見てもいいでしょう。
ここで注意すべきとことは、『・・・』が名詞の強調になる場合は通常文末は現在形だということです。
そして、『〜のは』の『の』はその文の中で指示されるものによって<=・・・>も可能だということです。つまり、(9)の文は問題とされた(1)の文と同じ構文だと考えられます。
それでは、形容(動)詞が強調された文型はどうなるでしょうか。
基本文:私はきのう新宿でおもしろい映画を見ました。
(12)私がきのう新宿で見た映画はおもしろかったです。
しかし(12)は(8)〜(9)に見られた構文特徴はありません。つまり、普通の<連体修飾の文>と同じです。
(13)私はきのう新宿で映画を見ました。それはおもしろかったです。
(13)→(12)
[ここまでのまとめ]
<形容詞文>の場合はShujiさんが指摘されたように、過去の事態を述べる場合にはテンスは過去のまま表示するのが当然です。つまり、(3)のほうが(4)より自然に感じるのは、(6)がそうであるように、ごく当り前のことだと言えます。
それではなぜ<名詞文>の場合にはその当然なことが起きないのか?それがまさに問題です。
[Bの問題]
もし、問題の文(1)(2)が<強調構文>であるとしたら、なぜ<強調構文>は過去の事態を述べる文が元になっているにもかかわらず現在形なのかというのが、この臭さの元ではないかと考えられます。
名詞文には二種類あります。それは<指定文>と<措定文>です。
以下の記述は『日本語教育能力検定試験 傾向と対策Vol.1』(バベルプレス)のp.104-105をまとめたものです(*)。
*「AはBだ」という文は二種類あって、次のような特徴をもっている。
1)「BがAだ」と言い換えられるもの
2)言い換えができないもの
1)社長は私だ → ◯私が社長だ
2)私は社長だ → ×社長が私だ
*つまり、
1)が<指定文>で「・・・という属性を持つのはどの個体だ」ということを指定している。
2)が<措定文>で「〜というものは・・・とう属性を持っている」ことを意味する。
*例文
1)東京タワーはあれだ = あれが東京タワーだ
2)東京タワーは◯◯メートルだ
このように見てみると、<名詞文>の<指定文>というものが<強調構文>と似ている特徴を持っていることがわかります。
1)→大阪が私が行ったところです。
そもそも、強調するということは、相手が知らない、又は十分に理解していないことを特別に取り立てて、<指定>するわけです。<指定する>といことは、その対象がいつ起こったことかなどということはもう前提で理解済みですから、わざわざテンスを一致させる必要はないわけです。このへんの事情はShujiさんが書かれていることと同じです。
次に気が付くことは、名詞文の<措定文>は『属性』を意味することから<形容詞文>に接していることです。つまり、2)の文は3)につながっていきます。
3)東京タワーは高い。
[連体修飾節の文型練習の問題に戻って]
二文を一文にするという作業で文型を練習している範囲では、過去の文は過去の文に、現在の文は現在の文に自動的になっていて、それ自体問題にはならなかったのですが、<ところ>という場所を示す抽象的な単語を使って連体修飾の文を作ろうとしたときに、<強調構文><指定文>という落し穴にはまってしまったということではないでしょうか。
確かに<ところ>を使うことによって、その前後の語句を入れ替えて簡単に文が作れるメリットはありますが、最初から一つの文になっていることから、<場面>や<話者の意識>が理解されないため、「あれ?過去形のことなのにどうして名詞は現在形?」という事態が生じたと思われます。その意味では(1)〜(4)の文は初級ドリルの基本練習には向いていないかもしれません。
注)これはあくまでも私の個人的な意見です。
応用練習では当然学習者が始めから一つの文として<連体修飾節の文>を作るわけですが、おそらく、その場合でも、教師がその場で適切なキューを出して、学生に自然と<名詞です><名詞でした>がでるようにコントロールしていると思います。
例1)教師「それはいいシャツですね。日本で買いましたか。」(現場指示の状況)
学生「いいえ、これはアメリカで買ったシャツです。」
例2)教師「きのう映画を見に行きましたね。ええと、新宿の映画館でしたか。」(確認の意識)
学生「いいえ、きのう映画を見に行ったことろは渋谷(の映画館)でした。」
このような形の応答練習がいいかどうかはわかりませんが、ポイントは学生が文末のテンスを意識しなくても、結果的に自然になっていれば別に気にすることはないのではないかと思います。
ポイントは連体修飾なのですから。
[補足]
今回のテーマで<ドリルの落し穴>という用語を使いましたが、この用語自体はアルクが出版している『月刊日本語』で98/04月号から連載されている「教科書の落し穴」にヒントを得たものです。
この連載も教師の盲点をつくような内容になっているので、バックナンバーが手元にあれば、ぜひご覧になってください。