「〜そうだ」と「〜ようだ」 [コメントする]

「〜そうだ」と「〜ようだ」


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/16 11:30:57)

※これは過去ログを整理したものです。(管理人)

No.717
投稿時間:03/05/09(Fri) 18:50
投稿者名:ひで
Eメール:HIRO813@aol.com
URL :
タイトル:「そうだ」と「ようだ」

こんばんは

たびたび、質問してしまってすみません。
今回も不安なことがあるので、助言を頂けたらと思っています。
宜しくお願いします。

雨が降りそうだ と 雨が降るようだ の違いについて質問されたので自分なりに考えてみたのですが、自分の考えが不安なので教えて頂きたいです。

「そうだ」の様態と「ようだ」の推定の違いをどう説明すればよろしいでしょうか?

「そうだ」も 「ようだ」もなにか理由、根拠に基づいて様子を表す点は一緒なのでしょすか?

宜しくお願いします

No.722
投稿時間:03/05/14(Wed) 20:14
投稿者名:Oyanagi
Eメール:
URL :
タイトル:とりあえず

返信が遅くなって、すみません。
実は今週いっぱい仕事に追われて、まとまった投稿ができません。

「そうだ」と「ようだ」については、初級の文法点としてよく比較されますよね。どのような用法があって、どこまで教えるのかを、教師がしっかり把握しておくことが、まず大切だと思います。

ただ、違いをどのようにということになると、かなり広範囲に考えることになります。できることなら、ひでさんが、実際に教科書で、どちらのどの文型と用法を学習して、どの段階で違いについて説明するのかを書いてくれると、こちらも要点を絞って書けるので有り難いです。

投稿からすると「雨が降りそうだ」と「雨が降るようだ」だけの違いだけ説明できるようになればいいというわけではなさそうですし。

ということで、とりあえず、以前この掲示板に投稿した記事に、「〜そうだ」の用法のみまとめたものがありますので、それぞれの用法の例文を「〜ようだ」に置き換えてみて、どんな場合に使うのか、また使えないのか、意味がどう違うのかなどを考えてみたらどうかなと思います。

■用法をまとめた記事■
→http://cgi3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/bbs/wforum.cgi?mode=allread&no=576&page=30
(注:下の参照リンクから同じ記事が閲覧できます。管理人 2003/10/16)

日曜日か月曜日にはまとめたものを投稿しようと思っています。
それでは。

No.725
投稿時間:03/05/19(Mon) 22:49
投稿者名:ひで
Eメール:HIRO813@aol.com
URL :
タイトル:Re: とりあえず

お返事ありがとうございます。
参考になりました。

今回の質問の流れとしては、外国人の友達がそうだとようだをどう使い分ければいいかという質問を受け、それをOyanagiさんに相談することに至っています。

僕が参考資料等を含め、考えた結果、「そうだ」は連用形+そうだは推量で、終止形+そうだは伝聞で、「そうだ」は推量の場合、未来の話、今まさにそうなりつつあることに対して使うことが出来て、
「ようだ」はル形とタ形と接続することが出来、未来と過去の話題について使うことが出来、用法としては推量と伝聞の両方を表すことができると大まかにまとめてみました。

間違い、ご指摘の点がありましたら宜しくお願いします

様態の「そう」


「〜そうだ」と「〜ようだ」の違い

過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/16 14:07:05)

※これは過去ログを整理したものです。(管理人)

No.740
投稿時間:03/06/14(Sat) 19:06
投稿者名:かえる
Eメール:
URL :
タイトル:「そうです(様態)」と「ようです」について

「そうです(様態)」の授業のときに学生から
「(疲れている人を目の前にして)Aさんは疲れそうです」
という文がでました。
これを訂正するとしたら
 孱舛気鵝疲れていそうですね」◆孱舛気鵝疲れているようですね」
のどちらかになると思うのですが
(「みたい」は今回は考えないことにします)、
この文のどちらが適切なのかということとこの二つの文の違いがわかりません。
もし、この状況でどちらも適切な場合というのは意味は同じになりますよね。
私でしたら、「疲れているようですね」を使うほうが多いと思いますが、
「疲れていそうですね」を使わないこともないと思います。

基礎日本語辞典によると「’そうです(様態)’の前に状態性のものがくる場合は仮想、未然を表す」とあるので、
,諒犬鮖箸状況というのは
「(今日息子はマラソン大会にでてる)帰ってきたら疲れていそうだね」
のようになるのでしょうか。
目の前の人に対して使う(現在の状況)と誤用になるのでしょうか。

対する△痢任茲Δ澄任蓮峺修砲修里茲Δ亡兇犬討い誦畫海両態である」
と書かれています。

すみませんが、教えていただけませんでしょうか。
どうぞ宜しくお願い致します。

No.741
投稿時間:03/06/15(Sun) 00:05
投稿者名:かえる
Eメール:
URL :
タイトル:Re: 「そうです(様態)」と「ようです」について

自己レスです。
No.717の投稿を見落としていました。

>『外観からの印象を述べる』という用法こそが「〜そう」の基本だと考えてみてはいかがでしょう。

これから考えると、目の前にいる人にも「疲れていそうですね」は
使えるような気がします。

では、この状況で何が違うのかを考えると
「疲れているようですね」のほうが婉曲な表現なので、
目の前にいる人に対して発するのはこちらのほうがしっくりくるのかなと
思いました。

これでいいでしょうか。

チャットの部屋をさきほどのぞいたのですが、Oyanagiさんのコメントが残っていて、「掲示板に返事をしなければ」と書いてあったので、
きっと大変なんだろうなと思いました。
いつも勉強させていただいて本当に感謝しています。
お体をお大事になさってください。

No.758
投稿時間:03/06/22(Sun) 03:58
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:♪曇りガラスのむこうには・・・

かえるさん、こんにちは。レスが遅くなり申し訳ありません。

#740からすると、『基礎日本語辞典』(角川書店)を持っているようですね。
と、書きはじめてみて、気が付いたことですが、ここでは「持っていそうですね」とは書けませんね。
これが、この辞典が書いている「’そうです(様態)’の前に状態性のものがくる場合は仮想、未然を表す」ということですね。先の投稿で辞典のことを書いているのを読んだのですから、仮想で「持っていそうですね」とは書けないというわけです。ところが、○○先生はよく日本語の文法を勉強しているという<現状>から、仮想で「あの先生なら、基礎日本語辞典を持っていそうだ」と言えますね。

前置きが長くなりましたが、「そう」と「よう」について、以前に別の方から投稿があった際にも、書きたいことがあるけどまとまらなくて、ということを書き残しましたが、今回はその一部を書いてみることにします。

■「そう」とは何か?

「そう」は「相」から来ていると思うのですが、それはあくまでも、外観・外見であり、中身が実際どうであるかはわからないという意味が含まれるのだと思います。過去の経験や知識から、『そのような外観・外見の場合には、このような中身になっているだろう』という判断を(ほとんど反射的に)くだすわけです。ですから、その判断内容が<仮想・未然>であってもかまわないわけです。また、それが展開する出来事(:つまり動詞の場合)であれば、今、これから起こることにつながると判断できる局面(=相)にあることを示しているわけです。

★イメージするなら、一枚の曇りガラスの板を立ててみます。その後ろには<中身>または<これから起こること>がありますが、それは見えません(=はっきりわかりません)。そしてそのガラス板には<外観・外見>または<予兆>が映し出されています。それを見て、奥のがどうなのかを判断するようなものです。この曇りガラスの板が「相」というわけです。

(1)このような外見をしているのは「おいしい」場合だ
   →「おいしそうだ」(=実際においしいかどうかわからない)
(2)このような外見をしているのは「金持ち」の場合だ
   →「(あの人は)お金を持っていそうだ」(=実際に持っているかどうかはわからない)
(3)このような外観を呈しているのは「だれかがいる」場合だ。
   (このような場所というのは、たいがいだれかが物陰から見ているものだ)
   →「だれかが見ていそうだ」(=実際にだれかが見ているかどうかわからない)
(4)このような様相を呈しているのは「雨が降る」場合だ。
   →「もうすぐ雨が降りそうだ」
(5)このような手相を持っているのは「結婚できない」場合だ。
   →「残念ですが、結婚できそうもないですね」
(6)このような様相を呈しているのは「落ちる」場合だ。
   →「あ、財布がポケットから落ちそうですよ」

と、まあ、こんなふうに過去の経験や知識を使って直感的・自動的に判断をくだしているわけです。

■「よう」とは何か?

それでは、「よう」とは何かと言えば、「そう」と同じように、断定できないことについて、なんらかの判断をくだすのですが、それが『現実に観察・体験して得られた情報』によって判断されているということです。これだけだと、「そう」と同じではないかと思うかもしれませんが、ポイントは、(中身はさておき)外観・外見だけで(直感的に)判断してしまうのではなく、『現実に観察・体験して得られた情報』を使って、ちゃんと“推論”するということですね。

■どのように使い分けるのか?

上の内容をまとめると次のようになります。
★外観・外見のみによる直感的(反射的)な判断 →「そう」
 ※だから、仮想であっても問題ない。
★現実に観察・体験して得られた情報による判断 →「よう」
 ※対象がそうだと判断できる情報が得られたということが重要
 ※だから、仮想であってはいけない。

このような特徴の違いが、実際にどのような場面と結びつくかについては、例えば、次のサイトで例文を挙げて説明しています。
これはおそらくマニュアルの類いにも書かれている使い分けだと思われます。
→「日本文化研究会」のコンテンツです
 http://www02.so-net.ne.jp/~o1779uma/10ga98.htm

念のためにここでも例を二つ出しておきます。
(ア)「寒そうだ」
(イ)「寒いようだ」
魚を保存するための冷凍庫にAさんを入れて、その様子を設置したテレビモニターで観察する。(テレビ番組でときどきやっているやつです)
・ぶるぶる震えている様子を見て、
 →「ああ、中は寒そうですね」
しばらくして、中で実験をしてもらう。
・(濡れたタオルを回すとすぐにバリバリに凍ってしまった)
 それを見て、
 →「ああ、かなり寒いようですね」
重要なのは、実験を観察したあとには、(ア)より(イ)を使うほうが自然だということです。

(ウ)「彼は毎晩インターネットでエッチなサイトを見ていそうだ」
(エ)「彼は毎晩インターネットでエッチなサイトを見ているようだ」

『基礎日本語辞典』が指摘しているのは、単に現状(=この場合はその人のキャラクター)から直感的に判断する場合には「そう」を使って(ウ)のように言えるけれども、(エ)のように、「よう」を使うなら、ちゃんと推論できる情報を入手していないといけないってことですね。「そう」は直感的な関連づけでいいわけですから、事実無根の判断をされて「変態扱い?」されてしまう人がかなりいソウですね。妻にパソコンの中身を見られた場合には、妻は(エ)のように言うんでしょうね。(私がそうだというわけではありませんが・・・・笑)

■問題の解決に向けて

上の紹介さいたサイトのコンテンツでは、ずばり「疲れていそうです」と「疲れているようです」の使われる場面の違いを説明しています。(それは、おおむね上の★の違いだと考えていいと思います)

これはこれでいいのだと思いますが、かえるさんが指摘されたように、「実際にその人に対してどうように話すか」と考えると、いくら、外見からそのように判断できるという場合でも、面と向かって「山田さん、かなり疲れていそうですね。休んだほうがいいですよ」とは言わず、「疲れているようですね」と言うでしょうね。

> 自己レスです。
> No.717の投稿を見落としていました。
> >『外観からの印象を述べる』という用法こそが「〜そう」の基本だと考えてみてはいかがでしょう。
> これから考えると、目の前にいる人にも「疲れていそうですね」は 使えるような気がします。
> では、この状況で何が違うのかを考えると「疲れているようですね」のほうが婉曲な表現なので、目の前にいる人に対して発するのはこちらのほうがしっくりくるのかなと 思いました。

「目の前にいる人について使える」ことは確かですが、「目の前にいる人に向かって言うことができる」かどうかが問題ですね。
そこで、問題の解決のために<話者の心的態度>について考えてみることにします。簡単に言えば、話し相手に対して、どのような態度で話すかということで、その人とどのような距離をとって話すかと言ってもいいです。

★「よう」の表現効果を考える(【表現効果1】と【表現効果2】)

「よう」には、かえるさんが指摘したように、<婉曲>と呼ばれる用法があります。それは、事実だと判断できる場合でも、わざと推量の形式にするというものですね。これを【表現効果1】としましょう。
私は、今回この1に加えて【表現効果2】というのを提案したいと思います。それはちょうど1とは反対の考え方で、「そう」を使うと、『外見のみからくだした判断で、相手に対する気配りが足りない』という印象を与えるため、わざと「よう」を使って、『私はあなたが○○の状態にあると判断できる情報を得ている』という態度をとる、ということです。

注)これは、一つの見方ということで参考にしてください。くれぐれも鵜呑みにしないようにしてください。

つまり、相手に直接話し掛けるという場面では、現実には外見のみから判断しているにもかかわらず、相手との距離を近づけるために、「よう」を使うのではないかということです。このように考えると、私たちは、状況・場合を二つに分けて、それぞれにふさわしい形式で文を作っていると思います。

1)他者について述べる場合
 「(実際はどうであれ)外見からのみ直感的に判断をくだしている」という態度を明示する場合
    例文1:『あのおばさんは世話好きで、疲れていそうな人を見つけては話し掛けている」
    例文2:『自分も疲れたし、子供達も疲れていそうだったから、少し休憩することにした』
       
2)相手に直接話し掛ける場合
 「外見からのみ判断をくだしている」という態度を明示したくない場合
  つまり、「そう判断するにたる情報を得ている」という態度(=気配り)を示す場合
    例文3:『山田さん、疲れているようですね。大丈夫ですか』


1)の例では、「よう」も使用可能ですが、「そう」とはニュアンスが異なると思います。2)の場合にもし「そう」を使えば、話者の「心配している」という態度が十分に伝わらない、なにか間の抜けた表現になると思います。

このような使い分けは、対人関係から生まれる言葉の使い分けの一つだと思います。本来の文法的な用法とは別に、(というかそれを利用した)表現効果のようなものを私たちは巧みに使ってコミュニケーションをしているのでしょう、とまとまたかったのですが、いかがでしょうか。

今回問題となった「疲れていそうですね」だけでなく、同じようなことは「困っていそうですね」とか「何か悩みがありそうですね」などにも言えるのではないでしょうか。
「〜そうですね」(伝聞)を使うか、
「〜らしいですね」を使うか、
「〜ようですね」を使うか、
「〜そうですね」(様態)を使うか、
私たちは、その人とのかかわり方でうまく使い分けているようです。

結論部分は、まったく私の思いつきによるものです。まだまだ検討の余地がありそうです。分かりにくいところがあれば遠慮なくご質問ください。

No.760
投稿時間:03/06/22(Sun) 22:07
投稿者名:かえる
Eメール:
URL :
タイトル:曇りガラスがクリアガラスに

Oyanagiさん、丁寧なレスありがとうございました。

「ようです」「そうです(様態)」の違いが自分の中で、
クリアになった気がします。

「よう」の表現効果については鵜呑みにはしませんが
(鵜呑みにしたいです)、参考にさせていただきます。
発話の展開を考えても「疲れていそうですね。どうしたんですか?」
というように外観で判断し、相手の状況を知らないということが
考えられますね。
対する「疲れているようですね」という場合は
「連日残業しているのを知っている」等相手の情報を得ているような
状況が考えられます。
そのように装っている(?)表現というのは気付きませんでした。

知らず知らずの間に心配りをしている日本人ですね。
これを外国人に伝えるのはなかなか難しいですね。

どうもありがとうございました。


「そうだ(様態)」と「ようだ」の違いについて

みぃ さんのコメント
 (2005/10/12 18:07:52)

まさに私が探していた内容が見つかりました。
文献やネット等で調べてみても、“「らしい」と「ようだ」の違い”や、個々についての説明や定義などはまあそこそこあるのですが、様態の「そうだ」と推定の「ようだ」の違いについて、ここまで説明されたものは本当にありません!!
参考にさせていただきます。
どうもありがとうございました。
今後、私も分からない事がありましたら、質問させていただくかもしれません。どうぞよろしくお願いいたします。


ネット上の資源はどんどん活用しましょう

Oyanagi さんのコメント
 (2005/10/13 01:58:19)

みぃ さん、こんにちは。管理人のoyanagiです。

このホームページのコンテンツがお役に立ったようで、管理人としましては、嬉しい限りです。このHPに限らず、ネット上の資源はどんどん活用しましょう。活用にあたっては、どうぞch2の文法情報リンクデータベースもご利用くださいね。
もちろん質問も歓迎です。


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