「〜を通じて」と「〜を通して」 [コメントする]

「〜を通じて」と「〜を通して」


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/16 02:35:18)

※これは過去ログを整理したものです(管理人)

No.706
投稿時間:03/04/28(Mon) 00:23
投稿者名:ひで
Eメール:ffsheng@yahoo.co.jp
URL :
タイトル:「をつうじて」と「をとおして」の違い

初めて投稿します。中国からの留学生です
宜しくお願いします。

早速ですが、1.大学での勉強を通じて
      2.大学での勉強を通して

どう違いますか?
またここの「勉強」を「学ぶ」に置き換えることが出来ますか。

No.707
投稿時間:03/04/28(Mon) 01:06
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:「間にあるもの」をどうみるか

2003/04/28

ひでさん、こんにちは。管理人のOyanagiです。

「〜を通じて」も「〜を通しても」も、AとBの間に何かがあることを示す表現ですね。その「間にあるもの」をどうみるかがポイントだと思います。

『ニューアプローチ中上級日本語 完成編』(日本語研究社)という教科書の第三課からこの二つの用法の説明と例文を引用して、少し補足しておきます。

まず、用法についての説明の部分です。

>(1)〜を通して 〜を通じて
>用法:二つは同じように使える場合もあるが、「Xを通して」は「X以外にもあるけれども、今回は,Xを間において」という意識で使う。それに対して「Xを通じて」は「Xがより重要なもので、Xとその先にあるもののつながりが強い」と考える。

ポイントは
(1)だいだい同じような意味で使われることもある
(2)ただ、ニュアンスの違いがある(「Xを通じて」というほうが、Xが重要なものだという意識があるということ)
(3)だから、文全体の意味から考えて、2のことを強く言いたい場合は「〜を通じて」を使うほうが自然になる
この3点だと思います。

そこで、ひでさんのあげた例文を考えてみます。

>1.大学での勉強を通じて
>2.大学での勉強を通して
どう違いますか?

どちらも正しい日本語ですが、たとえば「大学での勉強・・・・、自分の将来のことについてもいろいろと考えることができた」のような文では、「を通じて」を使えば、その期間が重要だったという気持ちが強く出ると思います。逆に、「を通して」を使えば、それほどの気持ちは感じなくて、単にそのような勉強の期間に、という意味になると思います。

>またここの「勉強」を「学ぶ」に置き換えることが出来ますか。
「学ぶ」は動詞なので、文型を次のように変えれば置き換えることができます。

「大学で学ぶことを通じて/通して・・・」

最後に、参考のために、上記の教科書に載っている例文を引用して、上の解説にそって解説しておきます。

>1.新聞は社会を映し出す鏡だと言われる。新聞を通して何が見えるだろうか。
>2.後ろのほうの人にも聞こえるよう、マイクを通して話した。
>3.二人は大学のサークル活動(/共通の友人)を通じて/通して知り合った。
>4.旅を通じていろいろな経験をし、それをこれからの仕事に生かしたい。
>5.木村医師は様々な機会を通じて、伝統的な食事の良さを訴えてきた。

1は単に、「中間に存在するもの」として、新聞を紹介するというものなので、「〜を通して」のほうが自然になる場合です。
2も同じように考えればいいです。
3はどちらも使える例
4は「旅」を「経験」を得るために重要なものだったという気持ちを強くだすために、「〜を通じて」が使われています。
5は<慣用句>として「様々な機会を通じて」という表現があります。

以上です。ひでさんが使っている教科書や参考書にも例文がいろいろと挙げられていると思います。
中級の勉強では、用法の違いを頭で理解するだけでなく、いろいろな<良い>例文に接することが重要だと思います。
もし、ひでさんが学校で勉強しているのなら、学校の先生からも良い例文を紹介してもらえると思いますよ。
それでは、何か分からない点があったら、またご投稿ください。

No.712
投稿時間:03/05/04(Sun) 16:24
投稿者名:ひで
Eメール:
URL :
タイトル:Re: 「間にあるもの」をどうみるか

Oyanagiさんに
たいへん丁寧なご回答をありがとうございました。
とても参考になりました。
今後ともよろしくお願いします。


Xを通して:Yを通じて X>Y? X<Y?

いく さんのコメント
 (2005/02/05 19:47:30 -
E-Mail)

 はじめてメールいたします。駆け出しの日本語教師です。

 媒介、仲介としての「を通して」も「を通じて」も、まだ教えた経験はありませんが、今度「そこは年間を通じて温暖な気候だ。」のほうを教えるので、色々調べているうちに、こちらを見つけて、大喜びで読ませて頂いたのですが、大きな疑問にぶつかってしまいました。

 『ニューアプローチ中上級』では、「Xを通じて」のほうが「Xを通して」よりXが重要だという意識がある、というご説明ですが、『実践にほんご指導見なおし本 機能語指導編』(ask)には、

1)ほとんどの場合入れ替え可能だが違いはある。
2)・彼は通訳を(通して/通じて)説明した。
  ・この会社は社長の手を(通して/通じて)社員に
   給料が渡される。
  ・ここで商売したけりゃ、ウチを(通して/通じ
   て)やってもらわないと!
 などの文では「を通して」が適切である。
 「を通して」は
[間に入って仲介するものの役割が非常に重要で、そこ
 を〈通さなければ〉事が成立しない。
 目的達成のために必ずそこを介す必要がでてくる。]
 場合に使う。

3)対して「を通じて」は
[単なる媒介や手段の意味合いが強く、役割としてはあ
 まり積極的ではないもの]に使われる。

と書いてあります。

 ふたつの説明は、私には まるで逆 のように受け取れるのですが‥‥。それとも何か受け取り方が間違っているのでしょうか。

 


「重要」の意味を考える

Oyanagi さんのコメント
 (2005/02/06 02:42:41)

いくさん、ようこそ勉強部屋へ。管理人のoyanagiです。

ご紹介いただいた参考書『実践にほんご指導見直し本 機能語指導編』は読んだことはありませんが、引用していただいた部分を読んだ限りでは、解説の仕方が不適切だと思います。もちろん「不適切」という判断は、これまでの自分の考察を踏まえてのことです。

■ちょっと前置き

だいぶ前になりますが、2001年にアルクの掲示板で「〜を通して」と「〜を通じて」が取り上げられたことがあり、その時には『どんな時どう使う日本語表現文型500』(アルク)の解説について考察しました。そこでは、「〜を通して」の意味特徴を「積極的」という言葉で説明されていました。
それに対して、私は、『ことばの意味2 辞書に書いていないこと』(平凡社)によって考えをまとめました。拙著「ニューアプローチ」にある解説はそれをごく簡単に紹介したものです。

私は、意味の分析という点で、この『ことばの意味2』の解説が一番理にかなっていると思います。ただ、これは学習者向けの本ではないので、それを学習者にどのように説明するのが一番良いかと考えると、そこが難しいわけです。言葉が少なければ理解しにくいし、誤解も与えます。

■「〜を通じて」と「〜を通して」の意味の違いがどこから生まれるか

以下『ことばの意味2』の該当部分を要約しておきます。(p.122-130)

この本では自動詞の「通る」「通じる」の意味特徴として、次のような文の比較から、前者は<経路の過程>に視点があり、後者は<経路の到達点>に視点があると指摘しています。※例文は原文どおり(p.123-124)
 ×「この道は山頂に通っている」
 ◯「この道は山頂に通じている」
 ◯「この道は山の中を通っている」
 ×「この道は山の中を通じている」

この特徴を踏まえて、他動詞用法である「〜を通して」と「〜を通じて」の違いを次のようにまとめています。
※< >の表現は原文どおり(p.129)

★「〜を通して」はは<直接の経路に代わるもの>を示す場合で、
 直接することは不可能ではないが、その代わりのものを経路とするという意味になる

★「〜を通じて」はその経路が<不可欠>のものを示す場合で、
 「通じる」の意味特徴から両者がそれで<結び付けられている>という考え方になっているとしています。

■例文を比較する

このような意味特徴から、「〜を通じて」が自然になる例として、次のようなものを挙げています。
※例文は原文どおり(p.127-128)

 ×「イチイチご挨拶ができませんので、紙上をトオシテお礼申し上げます」
  「イチイチご挨拶ができませんので、紙上をツウジテお礼申し上げます」
なぜなら、この場合は、紙上を用いないでは伝達が成立しないからだとしています。

反対に、「〜を通して」が自然になる例として、次のようなものを挙げています。
  「肉眼で見るには小さすぎるので、レンズをトオシテ見た」
 ×「肉眼で見るには小さすぎるので、レンズをツウジテ見た」
なぜなら、レンズを用いるか用いないかは選択関係にあるからだとしています。

さらに、このような意味特徴からたとえ同じ単語を使っても両者には次のような意味の違いが出るとしています。
※例文と説明は原文どおり(p.129)

 1)「マイクをトオシテ話す」
   (直接肉声で話すことも不可能ではないが、マイクを使う方が、効果的。話し手の姿は聴衆に見えている。)
 2)「マイクをツウジテ話す」
   (マイクを使わないと声は伝わらない。話し手の姿は見えていない。)
 3)「受け付けをトオシテ申し込む」
   (直接申し込まないで、正式に受け付けに行って申し込む。)
 4)「受け付けをツウジテ申し込む」
   (受け付けの手を経ない限りは申し込みは不可能という仕組になっている。)

■参考書の解説の不備

上の解説にもとづいて他の参考書の解説を読むと、二つの点で不備があると指摘せざるを得ません。

●不備 その(1)
 積極的な意味になる場合は「〜を通して」を使う?

もしこのような解説をつけるのであれば、もっとわかりやすく指摘することが必要だと思います。
「〜をトオシテ」の【基本】は
★間に(媒体)として何かをおく/はなむことで、
★そうすることと、そうしないこととが選択関係(=そうしないですくることもできる)にある
ということです。そのような意味特徴から、
★結果的にそれを媒体として選択するのは行為者の<積極的な意志>による
という意味特徴が生まれるのだろうと思います。

したがって、「〜をツウジテください」という言い方はできませんが、「〜をトオシテください」という言い方はできます。
同様の理由で、に、「〜をトオシテ・・・してください」のほうが「〜をツウジテ・・・てください」よりは自然に感じるのだろうと思います。
しかし、「そのことは知人の山田さんをとおして知った」という例文が自然に成立するように、積極的でなくても、「〜を通して」を使うことができます。ですから、<積極的>ということは、あくまでの【基本】から出てくる特徴であると考えるべきでしょう。

●不備 その(2)
 「〜を通して」の「〜」には重要なことがくる?
 「〜を通じて」の「〜」には重要なことがくる?

さて、ここが今回のご質問の核心です。上の解説を読んで気がつかれたことと思いますが、「重要」という表現の使い方がポイントです。
私は、「ニューアプローチ」の解説を書くにあたって、『ことばの意味2』の解説に基づいて、<不可欠>という部分を<重要>という言葉で表現しました。
そこで、改めて紹介していただいた本の解説を読むと、上の解説では「〜をツウジテ」の内容になっているものが、「〜をトオシテ」の解説で使われているようです。ですから、さっと読むとまったく逆のことが書かれているという印象を受けます。

****引用(始まり)*****
『実践にほんご指導見なおし本 機能語指導編』(ask)には、
1)ほとんどの場合入れ替え可能だが違いはある。
2)・彼は通訳を(通して/通じて)説明した。
  ・この会社は社長の手を(通して/通じて)社員に給料が渡される。
  ・ここで商売したけりゃ、ウチを(通して/通じて)やってもらわないと!
 などの文では「を通して」が適切である。
 「を通して」は
[間に入って仲介するものの役割が非常に重要で、そこを〈通さなければ〉事が成立しない。目的達成のために必ずそこを介す必要がでてくる。]場合に使う。

3)対して「を通じて」は
[単なる媒介や手段の意味合いが強く、役割としてはあまり積極的ではないもの]に使われる。
と書いてあります。
ふたつの説明は、私には まるで逆 のように受け取れるのですが‥‥。それとも何か受け取り方が間違っているのでしょうか。

****引用(終わり)****

>三つ目の例文:ここで商売したけりゃ、ウチを(通して/通じて)やってもらわないと!

基本的な意味特徴から「〜をトオシテ」が積極的な行動を表す場合によく使われることは事実です。ですから紹介された三つ目のような例文(「ここで商売したけりゃ〜」)の場合「〜をツウジテ」は不自然になります。しかし、これが不自然になるのは、「〜をトオシテ」の「〜」の部分には重要な部分が来るからというのではなく、積極的な意志表現にはなじまないからだと思います。次のような文型であれば、不自然さは軽減するのではないでしょうか。
「ここで商売するには、ウチの会社を通じてすべての手続きをすることになっているんですよ」

同様に「アポイントメントは、秘書を通して行ってください」のようなものを例にあげて、「〜」の部分(=秘書)が重要だと言うのも不適切な説明です。これは文の意味解釈で秘書の存在が「重要」ということになるのであって、「〜をトオシテ」の「〜」そのものに、そのような特徴があるわけではありません。

繰り返しになりますが、「〜をトオシテ」は、「〜」を間に置く/はさむかどうかということです。そして、通常は「〜」をおく/はさむという選択をすることで、それが「必要・重要だから」という意味解釈がされるということにすぎません。「〜」そのものが重要であるということは、「とおす」という動詞の基本的な意味特徴から説明されるものではないと考えます。

それに対して、「〜をツウジテ」は、「〜」を目標に到達するための重要な存在だとみる、ということが「つうじる」という動詞の基本的な意味特徴から説明されるものだと考えます。

残りの例文について批判をしておきます。

>最初の例文:「彼は通訳を(通して/通じて)説明した。」

彼は相手の国の言葉ができないため、通訳を頼んで、言いたいことを説明したという解釈です。だから「通訳」なしには説明できなかったのだから、「通訳」という存在は非常に重要だということは理解できます。しかし、だからといってこういう例を出して「〜をトオシテ」の「〜」には重要なことが入るという説明の仕方はおかしいです。

****引用(始まり)****
「を通して」は
[間に入って仲介するものの役割が非常に重要で、そこを〈通さなければ〉事が成立しない。目的達成のために必ずそこを介す必要がでてくる。]
場合に使う。
****印尿(終わり)****

「そこを通さなければ事が成立しない」とか「必ずそこを介する必要がでてくる」というのはどうみても言い過ぎでしょう。
正確に言えば、
★それを介する、介しないのどちらがいいかと考えると、それをするほうが良い/効果的だ/適切だ/正式だという判断が働いて、
 「〜をとおして・・・する」という文になるのです。
★逆に、そうではないと判断したら、「〜をとおして・・・しない」「〜をとおさない」という文になるのです。
★つまり、「〜」に入るものは、重要だと思うものもあれば、反対に不要だと思うものもあるわけです。

ですから、「〜」には役割が非常に重要なものが来るというのは、用例の特徴の一面のみ見ているだけで、本質を見落とすことになりかねません。

※googleで「通訳を通して」と「通訳を通じて」を検索してみましょう。「〜を通じて」の多さに驚かれるかもしれません。
 日常会話では、「通訳」とか「受付」とか「マイク」などは何かと何かを媒介するものとしてのイメージが強いので「〜をトオシテ」がよく使われるはずですが、利用の全体をながめてみると、「〜をツウジテ」を使うこともけっこうあるということですね。


>二番目の例文:この会社は社長の手を(通して/通じて)社員に給料が渡される。

この例文は、私からみれば、「社長の手」が重要であるという読みよりは、金の受け渡しに際して、「社長の手」がそのやりとりの“間に入る”という解釈以上のものを感じません。つまり、社長の存在が重要視されているというより、むしろ社長は単なる「媒介」にすぎないという解釈のほうが優勢なのではないでしょうか。

googleで検索すると「〜を手を通じて」もかなりヒットします。私の分析では、むしろ「〜ツウジテ」のほうが、物や考えがある人からある人へ伝えられる際に、「〜」の存在に注目している(評価している)と考えます。
次の二つの文のどちらの○○に、より重要性を感じますか?

例「この伝統は、○○の手をトオシテ、〜に伝えられた」
 「この伝統は、○○の手をツウジテ、〜に伝えられた」

■なぜ<「〜を通して」の「〜」には重要な役割のものが来る>と書くのか?

なぜ『実践にほんご指導見直し本 機能語指導編』では、このような解説文になったのかはわかりませんが、ちょっと推測してみました。

「〜を通じて」の解説のほうに、「役割としてはあまり積極的ではないもの」という説明があることから、「積極的」かどうかという特徴の一面のみに注目して次のような単純な図式化をしたのかもしれません。

   「〜をトオシテ」の「〜」は「積極的な役割」=「重要」
   「〜をツウジテ」の「〜」はそれと反対で、「あまり積極的ではない」=重要ではない
 
いずれにしても、意味特徴の一面をとらえて、表面的な書き方で読み手に誤解を与えるおそれがあると思います。


■まとめ

「〜を通して」と「〜を通じて」の「〜」のどちらに重要なものが入るかを考えるには、まず「重要」という言葉の使い方に注意しなければいけません。文の“解釈”として(結果的)に重要だと思われるものが入るのか、そもそも“語彙レベルの意味特徴”として重要だと思われるものが入るのか、です。以下、繰り返しになりますが、要点をまとめておきます。

★「〜を通して」の「〜」に入る言葉は、第一に、私たちの日常生活の中で「媒介」としてイメージされるものです。

★もともとは「〜をとおる/とおす」で「経路」のイメージしかありません。ですから、文脈なしにはそれは“単に”媒介という存在であることを示すのみです。

★決して「〜をトオシテ」の「〜」そのものが客観的に重要だということではありません。

★ただ、それを媒介とすることを選択するということは、「それを利用するこが重要だ」という判断が働くのが普通です。ですから、「重要」という言葉を使うのであれば、「(今回は)〜を媒介として使うことが重要だ」と考えるときに「〜をとおして・・する」と表現する、と書くべきです。

★そうでないと、同じ言葉を入れた文章を比較したときに、「〜を通じて」とのニュアンスの違いを説明できません。

★「〜」の部分に注目している(評価している/重要視している)という意味があるのは、「〜を通して」よりは、むしろ「〜を通じて」のほうで、それは同じ言葉を入れた「〜を通して」とのニュアンスの違いで説明できます。

以上です。長々と書きましたが、不明な点、疑問点があれば遠慮なくご質問ください。なお、ここは勉強部屋であって、決して答えを提供する場所でありません。自分で納得できるよう考えるための参考としていただければ幸いです。

もし『ことばの意味』が入手できるのであれば、ぜひ該当部分をお読みください。


補足(「機能語」について)

Oyanagi さんのコメント
 (2005/02/06 03:07:58)

「通す(とおす)」は「〜を通す」という言い方が可能ですが、「通じる(つうじる)」は「〜を通じる」という言い方がありません。

そのことから考えると、「〜をトオシテ」は「〜を通す」という動詞の意味を強く残していると言えます。

それに対して、「〜をツウジテ」というのは、「(〜が〜に)通じる」または「〜は〜と通じる/通じている」という動詞の意味から拡張してかなりの程度“機能語”になっていると言えます。

このような文法化の程度を考えてみても、「〜を通じて」という表現が、単に媒介となるものの存在を述べるにとどまらず、それプラス、なんらかの意味付けがされていると考えるのは妥当なことだと思います。

私の考えでは、まさにこの点において、

【単に媒介の存在/選択を述べる「〜をトオシテ」】
    vs
【「〜」は媒介として重要な存在だと位置づける「〜をツウジテ」】

の対立が浮かび上がるのだと考えています。


ありがとうございました

いく さんのコメント
 (2005/02/26 22:35:35 -
E-Mail)

oyanagiさん、さっそく詳しくお答えいただいたのに
お返事遅れて申し訳ありません!
 日々の忙しさ、毎日襲ってくる新しい疑問、おまけにマヌケなことに「どこに書き込んだか」がわからなくなり、お返事が遅れてしまいました。

 oyanagiさんからのお答え、まだしっかり納得いくまで
頭にしみこんでいません。同僚の先生方にも「疑問」の形でいろいろお考えを伺っているところです。
 
 自分なりに納得できる「考え方」が見つかったら、またメールさせていただきたいと思っています。

 丁寧なお返事、本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
 


コメントする


なまえメール
WWW
タイトル
コメント
参考
リンク
ページ名
URL


[HOME] [TOP] [HELP] [FIND]

Mie-BBS v2.13 by Saiey