「〜てまで」の用法と導入 [コメントする]

「〜てまで」の用法と導入


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/16 02:21:21)

※これは過去ログを整理したものです(管理人)

No.654
投稿時間:03/03/11(Tue) 19:42
投稿者名:ゴン
Eメール:
URL :
タイトル:「〜てまで」の導入方法

 Oyanagiさん、こんにちは。本日も自然な日本語からの質問です。26課用例2の「〜てまで」です。また導入大失敗しました。私は、導入する時、表情とジェスチャーと声の強弱と、体全部で教えているつもりです。それで、今回の用法は、「これだけで、どんな時使うのか、きっと分かってくれる!」と、なぜだか自信満々になってしまったのです。現に、他のクラスで同じように導入した時、すぐ分かってくれました。しかし、そうはいきませんでした。みんなぽか〜んとして、顔が????でした。かなりたくさんの例文を挙げてみたんですが、だめでした。自分が、こうすれば分かってもらえると思っていても、だめなこともたくさんありますね。
 そこで、Oyangagiさんに質問なんですが、この用法を教える時、「体をこわしてまで、働く必要はないよ。」の例のように、「最低の状況になるまで」という意味と、「お金を借りてまで、車を買おうとは思わない」のような「手段」を表すものと、2つ別々に教えることは、正しいでしょうか。そのように考えたので。もしくは、もっといい方法がありますでしょうか。是非アドバイスいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

No.658
投稿時間:03/03/16(Sun) 23:25
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:簡単なまとめ

ゴンさん、こんんちは、大変遅くなりましたが、ご質問の件について私の考えを書いておきます。

■前置き
>  Oyanagiさん、こんにちは。本日も自然な日本語からの質問です。26課用例2の「〜てまで」です。また導入大失敗しました。私は、導入する時、表情とジェスチャーと声の強弱と、体全部で教えているつもりです。それで、今回の用法は、「これだけで、どんな時使うのか、きっと分かってくれる!」と、なぜだか自信満々になってしまったのです。現に、他のクラスで同じように導入した時、すぐ分かってくれました。しかし、そうはいきませんでした。みんなぽか〜んとして、顔が????でした。かなりたくさんの例文を挙げてみたんですが、だめでした。自分が、こうすれば分かってもらえると思っていても、だめなこともたくさんありますね。

『表情とジェスチャーと声の強弱と、体全体で教える』というのは、「〜まで」の段階性を視覚的にわかるように提示するということだと思いますが、そうでしょうか。つまり、普通は「〜て・・・します」。極端な例で「〜てまで・・・します」ってことですよね。
これ自体は特に問題はないと思うのですが、成功したのはどんな理由だったのか、失敗したのはどんな理由だったのでしょうか。同じ方法で失敗したのなら、ただ単に学生のレベルの問題かもしれませんね。

>  そこで、Oyangagiさんに質問なんですが、この用法を教える時、「体をこわしてまで、働く必要はないよ。」の例のように、「最低の状況になるまで」という意味と、「お金を借りてまで、車を買おうとは思わない」のような「手段」を表すものと、2つ別々に教えることは、正しいでしょうか。そのように考えたので。もしくは、もっといい方法がありますでしょうか。是非アドバイスいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

ということは、失敗した理由は、この二つに分けて説明したからということでしょうか?
私が使った教科書を見直してみましたが、この二つを分けて導入した形跡(?)がありませんでした。きっと分けずにやってうまくいったのだと思いますが、ご質問を読んで改めて考えてみると、二つに分けて説明するとなると、その仕方によっては、学生が理解できなくなることもありうるなと思いました。

まず、通常の導入例として、<手段>を取り上げて、極端な例まで持って行き、「〜してまで・・・する」コトについて文を作るというのを書いておきます。ゴンさんもおそらく<手段>についてはこれと似たような導入をされたと思いますが、確認まで。

■通常の導入例

教師「みなさんはテストでいい点をとるためにどうしますか」
学生「勉強します」
教師「そうですね。普通は勉強していい点をとりますね」
  「それじゃ、もう少し大変なことはありますか」
  「ただ勉強するだけじゃなくて」
学生「参考書を買って勉強します」
教師「お金があればそれもできますね」
学生「家庭教師を雇って勉強します」
教師「もっとお金があればできますね」
  「お金がない。でもいい点をとりたいと思ったらどうしますか」
学生「先生にテストで出るところを聞きます」
教師「親切な先生ならいいですけどね。簡単に聞くことはできませんよ」
  「お金もない。先生も教えてくれない。でもいい点がとりたいと思ったらどうしますか」
学生「カンニングします」
教師「え! それは悪いことですよ。そんなことをしますか」
  「○○さんも、いい点をとるためにカンニングしますか」
○○「いいえ、私はしません」
教師:学習文型の提示
  「○○さんは、カンニングをしてまでいい点をとりたいとは思っていません」

このように『目的のために手段を選ばない』という考え方を否定するような文で導入し、練習することはそれほど難しいことではないと思いますし、学生とのやりとりもけっこう楽しめると思います。

それでは、ゴンさんが考えた「最低の状況になるまで」という意味になる文型「体をこわしてまで、仕事をする必要はない」はどう考えたらいいのでしょうか。
「体をこわす」は<手段>とは考えられません。
そして、『自然な日本語』の会話文には次のような文が出ています。

娘「お父さん、家に帰って来てまで、愛想笑いすることないのに。」

これは、会社でさんざん(義務的)に愛想笑いをしていると考えている娘さんが、家に帰ってきたお父さんを見て話す台詞です。(※会話文では、父が「違うんだ!ほっぺたがひきつったまま、元にもどらいあんだ!」というオチがついています)
この文の中の「〜てまで」をどう説明するのかも問題でしょう。これも<手段>ではありませんからね。

ゴンさんは「体を壊す」という意味から、「最低の状況になるまで」と考えたと思いますが、「体を壊してまで働く」というのは、「体を壊すまで働く」とはちょっと違うような気がするんですが。私の考えでは(そのような意味も含まれるような気がしますが)「体を壊した状態になっても、なお働くことをいとわない」という意味だと思うのですが。下の分類はそのような意味で書いてあります。

さて、そもそも「〜てまで」は「て形」の用法がもとになっているわけですから、次のように分類することができるのではないかと思います。
これは試案ですが、「体を壊してまで〜」は(3)、「家に帰って来てまで〜」は(4)ということになります。
通常は(1)と(2)あたりで練習するのだと思いますが、『自然な日本語』は例文と練習問題に(3)と(4)を出しています。これはある意味で使う教師への挑戦(?)でもありますね。(笑) 
どう説明して、どう練習させるかです。ですから、もしゴンさんが失敗したというのが、(3)と(4)の場合だったとしたら、(1)と(2)の違いを十分に理解した上で、適切な導入をすればよかったのかなと思います。
ちなみに、『日本語文型辞典』(くろしお出版)の用例はすべて(1)と(2)のどちらかで、(3)と(4)はありません。
※下に引用しておきました。
※あくまで私の推測ですから、間違っていたらすみません。

■「〜してまで・・・する」の分類(試案)

(1)〜(4)までは、連続していて、一方は意志性の表現を使って<手段>を表し、他方は無意志性の表現を使って<状況>を表します。

(1)「〜てまで・・・する」が<行動(手段)>と<目的>の関係になっている場合

     →その<目的>のためには、そんな極端な<手段>をとる、という意味

(2)「〜てまで・・・する」が<行動>と<目的>の関係になっている場合

     →その<目的>のためには、そんな極端な<行動>をとる、という意味

(3)「〜てまで・・・する」が<状況(様態)>と<行動>の関係になっている場合

     →そんな極端な<状況>の中でも/になってもそんな<行動>をとる、という意味
     (普通はそんな<状況>ではそんな<行動>はとらない)

(4)「〜てまで・・・する」が<状況(場所)>と<行動>の関係になっている場合
     →そんな<場所>でもそんな<行動>をとる、という意味
     (普通はそんな<場所>ではそんな<行動>はとらない)

■それぞれの用法のポイント

(1)の場合は元の文が「〜て・・・する」と言えて、<手段>そのものが段階性を示しやすいですから、その段階性を示して「〜てまで・・・する」コトについて文を作ることができます。これは導入も易しくて、文も作りやすいです。

(2)は<行動>が手段とは限らない場合で、これも元の文が「〜て・・・する」と言えますが、その段階性を示す際には、必ずしも「〜て」になるわけではないので、その点に注意します。
 例)
   3時間 勉強する        家で      勉強する     
   6時間 勉強する        友達の家に行って勉強する
   徹夜して勉強する        図書館に行って 勉強する
   徹夜してまで勉強するコト    塾に行って   勉強する
                   塾に行ってまで 勉強するコト

(3)の場合は元の文が「〜て・・・する」と言えないことが多く、「〜ても(なお)・・・する」という意味になっています。
  <状況(様態)>と<行動>の関係になるのは次のような場合です。
  無意志性の動詞、表現、または受身的な動詞、表現が使われている場合
   ・体を壊してまで、仕事するなんて考えられない。
   ・客にどつかれてまで、営業する必要はない。
   ・雨にぬれてまで、彼女を待つ気はない。

(4)の場合は元の文が「〜て・・・する」と言えますが、(2)と区別する必要があります。(4)は「〜ても(なお)・・・する」の意味で、(2)は「・・・するために、〜する」の意味。
  <状況(場所)>と<行動>の関係になるのは次のような場合です。
  移動に関係する動詞が使われていて、「移動した場所で何か行動をとる」場合
   ・家に帰って来てまで、仕事するなんてやりすぎだ。
    注)この文は「仕事をするために家に帰って来る」という意味ではない
   ・お風呂に入ってまで、単語の暗記をするなんてやりすぎだ。
    注)この文は「単語を暗記するためにお風呂に入る」という意味ではない
   ・電車に乗ってまで、本を広げて勉強するなんてたいしたものだ
    注)この文は「勉強するために電車に乗る」という意味ではない

    注)同じ移動動詞でも、<状況(場所)>設定ではなく、<目的>のための<行動>であれば、
     (2)用法になる
   ・ブラジルに行ってまで、サンバを見たいとは思わない。


■『日本語文型辞典』(くろしお出版)の該当項目の例文と解説

*******引用**********
(1)色々ほしいものはあるが、借金までして買いたいとは思わない。
(2)徹夜までしてがんばったのに、テストでいい点が取れなかった。
(3)彼が自殺までして守りたかった秘密というのは何だろう。
(4)彼は、友達を騙してまで、出世したいのだろうか。
(5)自然を破壊してまで、山の中に新しい道路を造る必要はない。

極端なことを示す表現に付いて、「それほどのことして」という意味を表す。(1)(4)(5)のように、目的のためには手段を選ばないようなやり方を非難する場合に用いる。(中略)また、(2)(3)のように「普通以上に努力した」「たいへんな犠牲をはらって目的を達成しようとした」という意味で使う。
**********************

No.659
投稿時間:03/03/16(Sun) 23:27
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:ヘビーなまとめ+指導案

■文全体の型を考える

これまで『自然な日本語』の指導については、その「表現」だけでなく、文全体の型を抽出していっしょに勉強することの大切さを話して来ました。
上に引用した『日本語文型辞典』はわかりやすい解説ですが、基本的な意味と文の型との対応が書かれていないので誤解するおそれがあります。
たとえば、(2)(3)は「普通以上〜」「たいへんな犠牲を〜」という意味で使う、と書かれていますが、次のような文になれば、前者(1、4、5)の用法に変わるからです。注)(2)は「手段を選ばない」ほど強い意味にはなりませんが、共通した用法だと考えられます。

(2)─1「徹夜までしてがんばろうとは思わない」
    2「徹夜までしてがんばるなんてどうかしているよ」
(3)─1「自殺までして守ろうとは思わない」
   ─2「自殺までして守るなんてどうかしているよ」

一方、(1)(4)(5)は文を変えれば、(2)(3)の用法とされるものに変わります。
(1)─1「借金までして買ったのに、すぐに壊れてしまった」
   ─2「借金までして買ったのに、偽者をつかまされた」
(4)─1「友達を騙してまで、出世したのに、会社が倒産して失業した」
(5)─1「自然を破壊してまで、山の中に新しい道路を作ったのに、全く利用されていない」

★つまり、「〜てまで・・・する」コトが基本にあって、それを話者がどのように取り上げるかによってその「評価」が変わるということです。
もちろん<語彙>の意味特徴から、「非難」のようなマイナス評価につながり“やすい”もの、「努力」や「犠牲」のようなプラス評価につながり“やすい”ものがあることは確かですが、それはあくまでそうなりやすい言葉ということで、「〜までして」の意味とは直接関係ありません。
「友達を騙す」ことは普通に考えれば「非難されるべき悪いこと」です。しかし、「友達を騙してまで出世したのに〜」と言えば、「友達を騙す」という自分にとっては通常はとりえない多大な「犠牲を払った」ことを示しているのではないでしょうか。つまり「騙す」は悪意を持っておこなわれるものという了解があったとしても、場合によっては「なくなく騙す」という場合もあると思います。

以上をまとめると、
文型全体に注意せずに、単に「手段」対「努力・犠牲」という構図でみると思わぬ落とし穴にはまります。
むしろ「そのような手段をとって」「そのような努力をして」「そのような犠牲を払って」は同列に考えるべき、いずれも「そのようなこと」を極端な例として取り立てるのが基本であって、「非難」というのは話者の態度が表現として現れた場合のことです。ですから、同じ次元のものをまるで二つの対立する用法であるかのように説明するのは問題だと考えます。
極端な事例として取り立てられた事態(行動(=手段、努力、犠牲)、状況)に対しての話者の態度は「非難」や「あきれ」のようなマイナス評価もあれば、「感心」のようなプラスの評価もあるということです。
※多くの場合はマイナス評価ですが、文によってはプラス評価の場合もあると思います。

■「○○してまで〜する」コトの基本的な意味を考える

注)以下「〜までして・・・」の文には「コト」がつけられている。これは、通常(省略などがなければ)「〜までして・・・」という文はそのまま言い切りでは使われないからである。通常はその「コト」が文の中に埋め込まれて使われる。埋め込まれ方(=文全体の型)については次の項を参照。

注)基本の意味を(ア)と(イ)の二つに分類している。(ア)は「〜て」が意志性のある「行動」になる場合(試案では1、2の場合)で、(イ)は「〜て」が意志性のない「状況」になる場合(試案では2、4の場合)。
どちらにしても、「〜まで」の段階性を持つ。

★「○○してまで〜する」コトの基本は【程度の評価】である

(ア)通常は考えられない行動をとって(手段で/努力をして、犠牲を払って)〜するコト
   ※それほど「〜したい/〜しよう」という気持ちが強い

 ▼「まで」の段階性
 「aして〜する」<「bして〜する」<「○○して〜する」
                   「○○してまで〜する」
               ※通常は「○○して〜する」ことはないという意味
 【通常の行動】→→→→→→→→○○まで【極端な行動】

  例
   1)カンニングして  いい点をとる
     カンニングしてまでいい点をとるコト
   2)徹夜して  がんばる
     徹夜してまでがんばるコト
   3)家族を犠牲にして  仕事をする
     家族を犠牲にしてまで仕事をするコト
   4)ブラジルに行って  サンバを見る
     ブラジルに行ってまでサンバを見るコト

(イ)通常は考えられない状況で〜するコト(:場面状況設定の場合)
   ※通常は○○したら〜しないが、○○しても〜する、という意味
   ※○○しても、なお〜する、という意味
   ※それほど「〜したい/〜しよう」という気持ちが強い
 
 ▼「まで」の段階性
 「状況a」<「状況b」<「○○しても、なお〜する」
             「○○してまで〜する」
          ※通常「○○したら〜しない」
             「○○しても〜する」の意味
 【通常の状況】→→→→→→→→○○まで【極端な状況】

  例 
   1)家に帰って来て  仕事をする
     (※通常は「家に帰って来たら仕事はしないものだ」という考え)
     家に帰って来ても  仕事をする
     家に帰ってきてまで仕事をするコト
   2)お風呂に入って  単語を暗記する
     (※通常は「お風呂に入ったら単語の暗記はしないものだ」という考え)
     お風呂に入っても 単語を暗記する
     お風呂に入ってまで単語を暗記するコト
   3)(※通常は「体を壊したら仕事はしないものだ」という考え)
     体を壊しても 仕事をする
     体を壊してまで仕事をするコト
   4)(※通常は「客に殴れたら営業には行かないものだ」という考え)
     客に殴られても 営業に回る
     客に殴られてまで営業に回るコト

■「○○してまで〜する」と「文全体の文型」とのつながりを考える

★「○○してまで〜する」コトをどのように取り上げて、話者がどう評価するかで全体の文型が異なる

注)通常はB、Cが紹介されていると思いますが、ここではAも付け加えています。それはできるだけ「基本」とその組み込まれ方を示したかったからです。

(A)【○○してまで〜する】コトに「のだ」が付く場合
 <全体の型の典型例>
 「○○してまで〜する/したのだ」

 <評価>
  「○○してまで〜する/した」コトに対して、(私は/〜は)実際にそこまでしたのだ、と断定して提示する
  基本どおり、「○○してまで〜する」コトを極端なものとして評価する。
 「通常は考えられない手段をとって/努力をして/犠牲を払って〜したのだ」
 「通常では考えられない状況で〜したのだ」
  という意味になる。
  ※そのような事実に対して話者がどのような評価をくだすかは明示されていない。
   その評価は文脈によるものである。場合によって非難にもなるし、感心の意味にもなる。

 <例文>
 1)私は自分の家を売ってまであなたのためにお金を準備したんですよ。
 2)彼なんか大好きな歌手のために、仕事を休んでまでコンサートを見に行ったんですよ。
 3)彼女は夫のために、体を壊してまで内職を続けていたんだよ。
 4)私は一つでも多くの単語を覚えるために、お風呂に入ってまで単語の暗記をしているんだ。

(B)【○○してまで〜する】コトに「のに」が付いて、逆接の構文の前件としてが組み込まれた場合
 <全体の文型の典型例>
 「○○してまで〜する/したのに・・・・た」

 <評価>
  「○○してまで〜した」コトに対して、そこまでしたのに期待されて結果が出ないという意味
  基本どおり、「○○してまで〜する」コトを極端なものとして評価する。
 「通常は考えられない手段をとって/努力をして/犠牲を払って〜したのに・・・・」
 「通常では考えられない状況で〜したのに・・・・」
  という意味になる。

 <例文>
  1)徹夜してまで/徹夜までしてがんばったのに、いい点がとれなかった。
  2)仕事を休んでまでコンサートを見にいったのに、期待はずれだった。
  3)体を壊してまで働いたのに、上司は全く評価してくれなかった。
  4)断食してまで/断食までしてやせたのに、夫はもっと痩せなきゃだめだなと言った。
  5)客になぐられてまで営業に回ったのに、上司はご苦労の一言も言わない。 

(C)【○○してまで〜する】コトに対して、<話者の意志、評価・判断>の表現が付く場合
 <全体の文型の典型例>
 1「【○○してまで〜し】たい/ようとは思わない」          ※マイナス評価
 2「【○○してまで〜する】必要はない/ことはない」         ※マイナス評価
 3「【○○してまで〜する】なんて(ひどい、どうかしている、問題だ)」※マイナス評価

 4「【○○してまで〜する】なんて(すごい、私にはできない、普通はできない)」※プラス評価

 <評価>
  極端な事例(○○)に対して、次のような話者の態度を表す
  ・極端→やりすぎだ→そこまですることに意味がない、価値がない、必要性がない、
            そこまですることを蔑む
            そこまですることを非難する(他者に対して)
  ・極端→やりすぎだ→そこまですることにあきれる
  ・極端→普通はできない→そこまですることに(逆に)感心する 

 <例文>
  1)徹夜してまでこの仕事を終わらせようとは思わない。残業代も出ないし。
  2)徹夜してまでこの仕事を終わらせる必要なない、
  3)仕事を休んでまでコンサートを見に行きたいとは思わない。
  4)仕事を休んでまでコンサートを見に行くなんて、よっぽど好きなんだね。
  5)体を壊してまで働く必要はない。体が資本なんだから。
  6)体を壊してまで働くなんて、よっぽどこの仕事に賭けていたんだね。
  7)断食してまでやせるなんてどうかしている。
  8)断食してまでやせるなんて、涙ぐましいことだ。
  9)断食してまで悟りの境地を目指すなんて、普通の人には到底できない。
 10)全財産を注ぎ込んでまでパチンコをするなんて、あいつはどうしようもないばかだ。
 11)全財産を付き込んでまでヨットレースに参加するなんて、趣味の次元を超えている。

■指導方法

さて、上ではかなり網羅的に用法とその例をあげましたが、実際に学習者に指導するにあたって、どれをどのように教えるのがいいのかを考えてみます。
よく使われる用法と文型から入って、学習者のレベルに応じて広げて行くというのがいいですね。そうすると次の順番になるでしょう。最初のを導入に使い、そして練習して、2つ目、3つ目のパターンを導入して、練習します。4つ目は用法が違いますから、導入には注意を払います。でも最初の二つほど例文が豊富にできるわけではないので、練習というようりは、紹介程度でもいいかもしれません。
それ以外は、必要に応じて紹介して、ちょっと例文を作る程度でいいのではないでしょうか。

★用法(ア)行動(手段)+文型(C)1,2,3

 例)カンニングしてまで いい点をとろうとは思わない
             いい点をとる必要はない
             いい点をとろうなんて、どうかしている

★用法(ア)行動(努力、犠牲)+文型(C)1,2,3

 例)徹夜してまで、がんばろうとは思わない
          がんばる必要はない
          がんばろうなんて、どうかしている

★用例(ア)行動(努力、犠牲)+文型(B)

 例)徹夜してまでがんばったのに、いい点が取れなかった

★用法(イ)+文型(C)1,2,3

 例)体を壊してまで 仕事をしようとは思わない
           仕事をする必要はない
           仕事をするなんて、どうかしている

   家に帰って来てまで 仕事をしようとは思わない
             仕事をする必要はない
             仕事をするなんて、どうかしている

★用法(イ)+文型(B)

 例)体を壊してまで仕事したのに、上司は冷たかった
   電車に乗ってまで本を広げて勉強したのに、テストでいい点をとれなかった

以上です。
いつものように長くなりましたが、分からない点があったら、ご質問ください。
それから、ゴンさんがどんな点で「失敗」したのか、もしよかったら、教えてもらますか。今後の対策を考える上で役に立つと思うので。それではこのへんで。

No.662
投稿時間:03/03/18(Tue) 20:21
投稿者名:ゴン
Eメール:
URL :
タイトル:ありがとうございました

 Oyanagiさん、こんにちは。非常に詳しい解説をしてくださって、ありがとうございました。
 私の導入失敗談をご紹介します。
T:「みなさん、今何が欲しいですか。」
S:「車!」
T:「今すぐ買えますか?」
S:「いいえ、買えません。お金ありませんから」
T:「じゃ、どうしますか。」
S:「一生懸命働きます」
T:「そうですね。一生懸命がんばってお金貯めてください。」
S:「はい」
T:「Sさんは、えらいですね。でもSSさんは違います。SSさんも車が欲しいです。そして昨日、先生の所に来て、車買いたいのでお金貸してくださいと言ってきました。みなさんが、もし欲しいものあるとき、友達にお金借りますか?
借りませんよね。お金を借りてまで、欲しいとは思わないですよね。。。」

 このような導入方法でやりました。それから他にも「1000万円払ってまで東京大学に入りたくない」など、いくつか例文を挙げました。あるクラスは例文を挙げていくうちに、「あ〜、こうゆう時に使うんだ」と分かってくれたんです。だから、もう1つのクラスでも同じようにやれば大丈夫だろうと思ったんです。でも、さきほどの導入で、「みなさん、欲しいものがあるとき、友達にお金借りませんよね。お金借りてまで、買いたくないですよね。」と言っても、生徒の顔は「???」でした。私もうまく説明できず「・・・」になってしまいました。

 そして、次の授業までに導入しっかり考えなきゃと思い、Oyanagiさんにもメールを送りました。でも、Oyanagiさんから返事をいただく前に授業だ!ということになって、もう一度じっくり考えてみました。考えた導入でもう一度教えたら、すぐ分かってくれました。導入によって、こんなにも違うんだなと思いました。ですから、私は生徒がすぐ分かってくれないとき、決して「生徒のレベルが低いから」とは思わないようにしてます。「自分の教え方が悪い!!!」と考えています。これからもよりよい導入方法が考えられるよう、努力していきたいと思います。

 今日で今学期も終わり、あとは卒業式だけになりました。初めての日本語学校卒業式参加です。楽しみです。そして4月から、また違うクラスに自然な日本語を教えることになりました。Oyanagiさんからのアドバイスを参考にさせていただき、そしてまた自分でまた考え直し、分かりやすい授業を心がけたいと思います。


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