「自由/拘束形態」と「自由/付属形式」 [コメントする]

「自由/拘束形態」と「自由/付属形式」


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/16 02:10:15)

※これは過去ログを整理したものです(管理人)

No.588
投稿時間:03/01/19(Sun) 18:03
投稿者名:YA
Eメール:
URL :
タイトル:はじめまして

oyanagi先生こんにちは

この掲示板にはいろいろな疑問に対して大変熱心な答えが書かれているのでいつも参考にしております。今日は私自身の疑問にお答えいただけないでしょうか。

基本的なことなのかもしれませんがはっきりしなくて困っています。

 自由形態素、拘束形態素 というものと、自由形式、付属形式というものは同じことを言っているのでしょうか。

 どちらとも単独で用いることが出来るか出来ないかというわけかただとは思うのですが・・・。 よろしくお願いします。

No.590
投稿時間:03/01/21(Tue) 00:19
投稿者名:oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:用語の問題は苦手です(^^;

YAさん、こんにちは。

言語学の分野ですか。大学で勉強されているんでしょうか。それとも日本語教育能力検定試験も近いことですし、その言語学の分野を勉強されているんでしょうか。
まあ、「熱心」だとおほめの言葉をいただいて、うれしく思ってはおりますが、ここは講義をする場ではないので、具体的にどういうわけで疑問に思われてかを書いていただかないと、こちらも何をどのように答えていいのか困ります。(これは言語学の分野に限りませんが)

>  自由形態素、拘束形態素 というものと、自由形式、付属形式というものは同じことを言っているのでしょうか。
>
>  どちらとも単独で用いることが出来るか出来ないかというわけかただとは思うのですが・・・。 よろしくお願いします。

このような用語の問題の時は第一に「辞典」「用語集」の類いのものにあたってみるのが基本ですね。
もし手元に『日本語教育事典』(大修館書店)がそれぞれの見出し語の解説をお読みください。だいたいのことは分かります。
しかし、分からなくなることのほうが多いです。(^^;
というのも、「事典」「用語集」の類いはまさにその言葉の解説なので、疑問に思っている人の悩みを解決するように「親切」には書かれていません。(もちろん解決できることもありますが)

ということで、とりあえず、上の事典と用語集の解説を参考に、概略だけ書いておきますので、もし具体的にご質問があれば、また投稿してください。
注)以下はわたしなりに疑問が解消できるようにまとめなおしたもので、記述の解釈に誤りがあり可能性もあります。文責はOyanagiにあります。正確な情報の得るには原書にあたってください。

--------------
■出発点の違い

自由形態素も拘束形態素も「形態素」とつくことからわかるように、『形態論』の分野の用語です。
どの参考書にも「意味を有する最小単位」と書かれているはずです。

自由形式はアメリカの構造言語学者、ブルームフィールドの唱えた「free form」が元の意味です。彼は、「単独で発話されることのない形式」を「bound form」と呼び、それ以外を「free form」と呼びました。ですから、そもそも出発点が異なります。オリジナルでは、単語単位ではなく、あくまでも「形式」ですから、Jhon runもJhonもrunも現在分詞のrunningも「形式」としてはみな「自由形式」です。

しかし、ブルームフィールドが「単語」を「最小単位の自由形式」だと定義したことで、単語の認定としての「自由形式」が意識され、「自立形式」(注:自由ではなく自立)の概念につながり、形態論としての「自由形態素」にほぼ対応する用語になっているようです。しかし、出発点が異なることは確かです。
※英語の翻訳がそれぞれ「自由free形式」「付属形式」または「拘束bound形式」となります。

■事態をやっかいにしている要因

ただ、やっかいなことは、この「自由形式」「付属形式」が国によって意味するところが異なることです。つまり、オリジナルがそれぞれの国語の構造にあわせるように、解釈されなおしたというわけですね。

上で紹介した事典にも書かれていますが、日本では服部四郎という国語学者が、日本語の構造を考慮し、「が」のような助詞も(続けて発話されるとは限らないので)<自由形式>としました。そして、「本箱」の「箱」のように、“続けて読むことによってしか存在しない”「ばこ」(注:濁点あり)が<付属形式>であるとしたのです。ですから、日本語では、(オリジナルの考えでは「付属形式」だった助詞が)服部の考え方では<自由形式>になるということです。こういう事情があるので、事態がややこしくなります。(^^; こまったものです。

まとめると

■オリジナルVS形態論

(1)「まとまって発話されるかどうかという」視点
  →オリジナル「自由形式」「付属形式」(拘束形式)

(2)「意味を有する最小単位」という視点
  →「自由形態素」「付属形態素」

※オリジナルと比較すれば、両者は別物です。
もちろん(1)においてその最小単位のみを考えれば、両者は結果的に接近します。それが次の内容です。

■自立形・非自立形VS形態論

(1)’オリジナル「自由形式」「付属形式」(拘束形式)を語の認定をする際の視点として考える(=最小単位としての自由形式を考える)ことで次のような対応が生まれます。

「自由形式」の形態論的解釈→「自立形式」
              (注:自由ではなく自立)
「付属形式」(拘束形式)の形態論的解釈→「非自立形式」

■その国独自の解釈VS形態論

 日本の場合は先に紹介したように、オリジナルの「自由形式」の視点(=単独でまとまって発話されるか)をそのまま保ちつつ、日本語の構造に則して解釈しなおしました。したがって、この意味では、最初と同様両者はまったく別物です。

事典の解説の一部に手を加えて書いておきます。
(→の対応と※の部分を加筆)

服部によれば、以下の3つはすべて<自由形式>です。
「本」・・・自立形式        →「自由形態素」
「が」・・・非自立形式       →「拘束形態素」
「本が」・・自立形式        ※形態素ではない

そして、そのなかで、<自立>か<非自立>かで分かれます。つまり、<自由形式>の中に<非自立形式(=拘束形態素に近い概念)>があるわけですから、この見方では、<自由形式>と<自由形態素>を同列にすることは無理なことがわかりますね。
-----------------------
以上ですが、自分でまとめていてもややこしくて、だから言語学の用語はいやなのですが・・・・。
まあ、用語である以上、定義をはっきりさせれば、二つが(ほぼ)同じ意味で使われているのか、まったく別の意味で使われているのかが分かると思います。

※ちなみに、私は言語学にはあまり自信がないので、あまりふか〜い質問には答えられないと思います。これはほんとです。

No.593
投稿時間:03/01/21(Tue) 21:23
投稿者名:YA
Eメール:
URL :
タイトル:Re: 用語の問題は苦手です(^^;


oyanagiさんすみません。苦手な分野だとも知らず・・・。

でも詳しく書いていただいたおかげで私の中でずっと気になっていたことがだいぶすっきりしました。私も事前に日本語教育辞典は見たのですが自由形式、付属形式のことしか見つけられずお手上げでした。

やはりまったくイコールのものではなくて、観点も元の意味も違うということですね。レスを参考にもう一度整理して考えてみたいと思います。

ありがとうございました。

No.594
投稿時間:03/01/21(Tue) 22:01
投稿者名:oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:何か分かったら教えて下さい

YAさん、レスありがとうございます。

> oyanagiさんすみません。苦手な分野だとも知らず・・・。

いえいえ、ここは<勉強部屋>なので、自分のほうこそ勉強させてもらっています。

> でも詳しく書いていただいたおかげで私の中でずっと気になっていたことがだいぶすっきりしました。私も事前に日本語教育辞典は見たのですが自由形式、付属形式のことしか見つけられずお手上げでした。

この事典の場合、それぞれが簡潔にまとめられているのは、それなりにメリットなのですが、もう一歩という時に困ります。関連する言葉をそれぞれ読みあわせて、なんとか理解できればいいのですが。
92ページの「語」の項目もご参照ください。

> やはりまったくイコールのものではなくて、観点も元の意味も違うということですね。レスを参考にもう一度整理して考えてみたいと思います。

私はそのように理解していますが、もし両者がイコールのような書き方で解説されているもの(本)、練習問題があったのなら、後学のために教えていただけますか。
YAさんのほうで、何か分かったらぜひ教えて下さい。

No.610
投稿時間:03/02/04(Tue) 12:15
投稿者名:Noda Tokihiro
Eメール:Tokihiro.Noda@arts.monash.edu.au
URL :
タイトル:Re: 服部四郎について

どうでもいいことですが、気づいたので一言。
「服部四郎」は「国語学者」ではありません。
言語学者としたほうがいいでしょう。
おそらく日本が生んだ最良の言語学者(の一人)です。

No.611
投稿時間:03/02/04(Tue) 20:22
投稿者名:きんちょ
Eメール:akizuki@pr.co.kr
URL :http://akizuki.pr.co.kr/
タイトル:??ブルームフィールドは前置詞を語と認定したのか??

 こんにちは。

 『日本語教育辞典』が てもとにないし、こういうことをしらべるのに適切な本も ないので、わたしも いいかげんなことをかいてしまうかもしれません。ですが、どうも腑に おちません。もっと単純に、つぎのように かんがれば いいのでしょうか。


>  自由形態素、拘束形態素 というものと、自由形式、
> 付属形式というものは同じことを言っているのでしょう
> か。

この質問の こたえとしては要するに、「−形態素」というのは それ以上に分割すると意味との対応が まったく うしなわれてしまうような単位のことだけれども、「−形式」というのは、もっと ながい部分をとりだして論じることができ、たとえば、Jhon runもJhonもrunも現在分詞のrunningも みな「自由形式」となるんだと いうことで じゅうぶんなのですよね。

Oyanagiさんの まとめをよんでみても、そのように おもいます。



 Oyanagiさんが こだわっているのは、とりあつかっている要素の単位(ながさ)の ちがいは おいておいたうえで、それでは「自由形態素」と「拘束形態素」との ちがいと、「自由形式」と「付属形式」との ちがいとが パラレルに かたれるものなのか、という 別の問題のような気が します。

 これについて、あとのほうの「自由形式」と「付属形式」との ちがいは、オリジナルなものとしてはブルームフィールドの定義によっているわけですよね。(そして、「付属形式」と「拘束形式」というのは、訳語の ちがいだけで、おなじ概念だと いって いいのですね。)では、ブルームフィールドは どう いっていたのでしょうか。

> 「単独で発話されることのない形式」を「bound form」と
> 呼び、それ以外を「free form」と呼びました。

ここだけだと わかりにくいのですが、

> しかし、ブルームフィールドが「単語」を「最小単位の
> 自由形式」だと定義したことで、単語の認定としての
> 「自由形式」が意識され、「自立形式」(注:自由では
> なく自立)の概念につながり、形態論としての「自由
> 形態素」にほぼ対応する用語になっているようです。

と、ここまで よむと、ブルームフィールドのいう「単独で発話されることのない形式」というのは 「単独で文節をつくらない」という意味ではなくて、「限定された要素と むすびついたときにしか あらわれない」という意味でしょう。だって、たとえば英語の「the」のような冠詞といわれるものや「at」のような前置詞と よびれるものなども、ブルームフィールドは単語であると認定しているはずですから。これらは文のなかで かならず 名詞(句)をともないますから そういう意味では「単独で発話されない」かもしれませんが、「自由形式」でなければならない はずです。

「自由」というのは、たとえば「the」とか「at」であれば その つぎに くる名詞は名詞であれば なんでもいいわけです。しかし「anti」とか「ultra」とかに つづく形態素は なんでも いいわけでは ありません。だから、「the」とか「at」は「自由」な形式であり、「anti」とか「ultra」とかは拘束形式であるということなのでは ありませんか。そして、最小の自由形式は単語に なるけれども、拘束形式のほうは単語ではなくて接辞となると かんがえられたのでは ないでしょうか。

日本語の例をあげると、「あさ、そうじをする。」という文の「する」は「勉強を」「練習を」「祈祷を」「シャンプーを」「食事を」など いろんな要素と むすびつくうえ、「そうじを 念いりに する」と いうように 自由に 別の要素をはさみこむことが できるので自由形式です。しかし、「あさ、勉強する。」という文の「する」は「勉強」以外に かぎられた名詞と結合してしか つかえないし、「勉強」と「する」との あいだに 自由に修飾語句をはさむことが できないので拘束形式です。したがって、この「する」という形態素は接尾辞とは いえても、単語にはなりません。

ブルームフィールドが いっている「自由形式」「拘束(付属)形式」というのは、以上のようなことなのでは ないのでしょうか。



 うえの理解が妥当であるなら、『日本語教育辞典』にあるという以下の説明のほうが おかしいような気がします。

> 上で紹介した事典にも書かれていますが、日本では
> 服部四郎という国語学者が、日本語の構造を考慮し、
> 「が」のような助詞も(続けて発話されるとは限らないの
> で)<自由形式>としました。そして、「本箱」の「箱」の
> ように、“続けて読むことによってしか存在しない”「ばこ」
> (注:濁点あり)が<付属形式>であるとしたのです。
> ですから、日本語では、(オリジナルの考えでは「付属
> 形式」だった助詞が)服部の考え方では<自由形式>
> になるということです。

うえに かいた わたしの理解によれば、ここでいう「服部四郎の解釈」というのは、ブルームフィールドをまったく ただしく適用したものなのではないでしょうか。「オリジナルの考え」と ちがうという説明をしている かたのほうが、部ルームフィールドのいう「単独で発話されることのない形式」というものを橋本文法などで自立語と付属語を区別したときの基準と混同してしまっているのではないかと おもいます。英語の冠詞や前置詞が「自由形式」であり、品詞であるのなら、それと おなじ理論で日本語の助詞も「自由形式」であり、品詞にならないはずが ありません。

(松下大三郎は、テニヲハつきの名詞をラテン語の格変化のように名詞が屈折変化したものであるとみて、いわゆる助詞を単語ではなく屈折語尾であると しました。時枝文法にしても詞と辞の区別が根本にあり、橋本文法でも、一方で自立語・付属語と いいながら詞・辞の区別という わくぐみは継承しています。国語学には このような分類の伝統が あったわけですが、基準が ちがうというのであれば、この「伝統」とブルームフィールドの基準とのほうが ちがっていると おもいます。ブルームフィールドは英語の冠詞や前置詞について、非自立的であるというような態度をとっていないと おもいます。それは「屈折」ではなく、名詞の語形に影響をうけずに 独立して はたらく ひとつの語形として抽出できるということが アメリカ構造主義言語学の方法における基準であると おもうからです。)


● 参考までに、以下のサイトに、つぎのような記述があります。

 http://acl.ldc.upenn.edu/C/C69/C69-1201.pdf

The idea of minimum free form is actually found somewhat earlier in Bloomfield ' s (1926) Postulates.

A minimum free form is a word. A word is thus a form
which may be uttered alone (with.meaning) but
cannot be analyzed into parts that may (all of them)
be uttered alone (with meaning). Thus the word
quickly can be analyzed into quick and -ly
but the latter part cannot be uttered alone; the word
writer can be analyzed into word write and -er,
but the latter cannot be uttered alone (the word
errbeing by virtue of different meaning a different
form) ...

 一方、つぎのような批判も あります。これによると、わたしのほうがブルームフィールドをかいかぶっているようです。

 http://www.cs.flinders.edu.au/Research/AI/mirrors/schiff_dthesis.ps.gz.

Bloomfield defined the word to be a minimal free
form, which means that it can appear on its own, but
it can't be decomposed into utterances which form
a sentence. But according to this definition the
would hardly be a word. Moreover, some words like
I can't occur isolated, as there is a special form
me in this case. We can adopt a phonological point
of view and say that word borders exist, where
phonotactic regularities point us to assume one. This
criterion will fail in language without salient boundary
signals like French. A semantic argumentation is
often misleading, too, as it is hard to make a
distinction between words and morphemes.

ブルームフィールドの原典にあたらないと、本人が どう かんがえていたのか わからないということのようです。



 そこで、わたしは以下のように かんがえます。

> もちろん(1)においてその最小単位のみを考えれば、
> 両者は結果的に接近します。それが次の内容です。
>
> ■自立形・非自立形VS形態論
>
> (1)’オリジナル「自由形式」「付属形式」(拘束形式)
> を語の認定をする際の視点として考える(=最小単位
> としての自由形式を考える)ことで次のような対応が
> 生まれます。
>
> 「自由形式」の形態論的解釈→「自立形式」
>               (注:自由ではなく自立)
> 「付属形式」(拘束形式)の形態論的解釈→「非自立形式」

という点で、わたしも まったく同意見ですが、ここでいう「自立形式」「非自立形式」というものは、橋本文法で いう「自立語」「付属語」とは まったく関係がありません。比較するのであれば むしろ、「語基」と「接辞」というほうが適当でしょう。したがって、以下の説明は余計なことなのではないかと おもいます。


> 服部によれば、以下の3つはすべて<自由形式>です。
> 「本」・・・自立形式        →「自由形態素」
> 「が」・・・非自立形式       →「拘束形態素」
> 「本が」・・自立形式        ※形態素ではない
>
> そして、そのなかで、<自立>か<非自立>かで分か
> れます。

わたしは、つぎのようではないかと おもうのですが。。。
(どうなんでしょうか。。。)

  「本箱があります」について。。。

「本箱」・・・自由形式   ※形態素ではない  自立語
「が」・・・・自由形式    自由形態素     非自立語
「本箱が」・・自由形式  ※形態素ではない ※語ではない
「本」・・・・・自由形式   自由形態素   
  ※ここでは語ではないが、自立語にもなりうる成分
「はこ」・・・・自由形式   自由形態素     
  ※ここでは語ではないが、自立語にもなりうる成分
「ばこ」・・・・付属形式   拘束形態素    ※語ではない


まだ、適切な文献にあたって、たしかめないと いけないと おもうんですが、とりあえず、こうでないかなと おもいます。(だれの定義をとるかにも よるけれども。。。)

No.612
投稿時間:03/02/04(Tue) 20:25
投稿者名:きんちょ
Eメール:akizuki@pr.co.kr
URL :http://akizuki.pr.co.kr/
タイトル:ちなみに

 かきわすれていました。

> ここでいう「自立形式」「非自立形式」というもの は、橋本
> 文法で いう「自立語」「付属語」とは まったく関係があり
> ません。比較するのであれば むしろ、「語基」と「接辞」と
> いうほうが適当でしょう。したがって、以下の説明は余計
> なことな のではないかと おもいます。

あと、国語学のほうでは、「被覆形」「露出形」という概念が あります。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/sakaya.htm

これなんかが にているのではないかと おもうのですが。。

No.613
投稿時間:03/02/05(Wed) 00:24
投稿者名:oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:うかつでした

Nodaさん、ご指摘くださいまして、ありがとうございます。

> どうでもいいことですが、気づいたので一言。
> 「服部四郎」は「国語学者」ではありません。
> 言語学者としたほうがいいでしょう。
> おそらく日本が生んだ最良の言語学者(の一人)です。

どうして「国語学者」と書いてしまったのか、まったくうかつでした。
「言語学者」とすべきでした。

No.615
投稿時間:03/02/13(Thu) 19:17
投稿者名:きんちょ
Eメール:akizuki@pr.co.kr
URL :http://akizuki.pr.co.kr/
タイトル:時間ぎれで・・

長距離バスで図書館にいって、ブルームフィールドの「Language」をみつけたのですが、ほかの文献をさがした あとだったので、時刻が おそくて、ちょうど みつけたときに閉館時刻になってしまいました。

そのうち また いって、たしかめます。

No.617
投稿時間:03/02/14(Fri) 07:04
投稿者名:oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:私も何か読まないと

> 長距離バスで図書館にいって、ブルームフィールドの「Language」をみつけたのですが、ほかの文献をさがした あとだったので、時刻が おそくて、ちょうど みつけたときに閉館時刻になってしまいました。
>
> そのうち また いって、たしかめます。

長距離バスで行ったのに・・・。悔しい思いをしましたね。
私も服部四郎の著作を読まなければと思っています。
家が図書館の近くだったらな・・・。でも、私の場合は電車で15分だから贅沢なことは言ってられませんね。

No.621
投稿時間:03/02/15(Sat) 10:05
投稿者名:きんちょ
Eメール:akizuki@pr.co.kr
URL :http://akizuki.pr.co.kr/
タイトル:ローマ字がきの論文

> 私も服部四郎の著作を読まなければと思っています。

服部四郎先生の本に、ローマ字がきの日本語による言語学の論文が おさめられているのを本屋で みた おぼえがあります。表記改革にも熱意をもっておられたんですね。

No.623
投稿時間:03/02/15(Sat) 18:40
投稿者名:oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:幅広い研究

服部先生は、Nodaさんのご指摘をまつまでもなく、後世に残る業績を数多く残された言語学者ですね。

とりあえず「論文集」が1、2と二冊出ている(三省堂)ので、今度図書館で借りてこようと思います。


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