「見える」と「見られる」 [コメントする]

「見える」と「見られる」


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/16 02:07:57)

※これは過去ログを整理したものです(管理人)

No.575
投稿時間:03/01/14(Tue) 17:37
投稿者名:雪
Eメール:
URL :
タイトル:見えます、見られます

知覚動詞「見える」可能動詞「見られる」の使える、使えないの理由を説明する時に次のような例を出しました。
?10時からテレビでサッカーの試合が見られます。
?前に大きな人が座っているのでテレビがよく見えません。

が、?について「見えます」がどうして使えないのか分からないと質問されました。「見える」は自然に目に入ってくることに対して使いますが…。上手く答えることが出来ませんでした。
どのように言えばいいのか…。どなたかアドバイスをお願いします。拙い文で分かりにくいと思いますが…。

No.579
投稿時間:03/01/17(Fri) 00:41
投稿者名:oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:まずは過去ログを

ええと、週末までまとまった書き込みができませんので、とりあえずアルクのにほんご喫茶室の過去ログを見てください。

できれば拙ホームページで公開している「文法情報リンクデータベース」を使ってみてください。使い方は見たとおりです。

わからない場合は、とりあえず文字を入力する欄に
「見られる」と入力すれば、該当するのがヒットするはずです。
リンクが張られていますので、それで過去ログに行けます。

実はその書き込みがあったときに、自分なりに整理したノートがあるのですが、修正が必要なので週末にまとめてアップしようと思います。
それでは。

No.584
投稿時間:03/01/19(Sun) 06:37
投稿者名:oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:考察(もう一歩踏み込んで)

雪さん、こんにちは。「見られる」と「見える」の区別について、まとめましたので一度読んでみてください。

■前置き
通常の参考書と同じような部分もありますが、区別がしっかりできるように、さらに一歩踏み込んで解説をしてあります。この考察は『基礎日本語辞典』森田良行(角川書店)の「見える」の解説を参考にして、私なりに整理し、まとめたものです。同辞典は「見える」と「見られる」の区別を3つの状況にわけて、<1>「見える」しか使えない場合、<2>「見られる」しか使えない場合、<3>どちらも使える場合を解説してあり、私の知る限りではこれが一番わかりやすい考え方だと思います。ただ、説明不足な点もあると思い、それに肉付けしたつもりです。

現場の教師を混乱させている原因は大きく二つあると思います。一つは「見える」という<自発>という概念を十分に把握していないこと。もう一つは上に書いたように<3>のようにどちらも使える場合があることです。そこで、以下では一つ目の原因をはっきりさせることで<1>と<2>を考えて、それを理解した上で、どちらも使える<3>について考えてみたいと思います。

■問題点
英語では can/cannot see 〜爐鯑本語では「見える/見えない」と「見られる/見られない」の二つを使い分けています。そして一般に前者を<自発形>、後者を<可能形>と呼んでいますが、単に前者が自然に目に入ることが起こるか起こらないか、後者を意志を持って見ることができるかできないかという違いで例文を作っても説明しても、学習者に理解されないことがあります。

「見える」「見えない」の導入・練習で、例えば次のような状況を設定したとします。
[状況1]前の人が立っているので黒板が見えない
 「すみません。見えないので、座って下さい」
[状況2]字が小さくて先生が黒板に書いた字が見えない
 「字が小さくて、見えません」

どちらの状況も「見えない」を使うのにふさわしい状況ですが、これを単に<自発>=対象が自然に目に入らない、ということで理解させようとしても無理が生じます。なぜなら、どちらの状況も話者は「前を見ようとしている」「字を見ようとしている」という状況だからです。意志をもって見ようとしているのに、なぜ<自発>なのか、という疑問が生じるのは当然です。

ネイティブにとっては<自発>というのは理解しやすい概念ですが、「見える」と「見られる」のように二つを区別して使うことがない言語の話者にとってはもう一歩踏み込んで考えてみる必要があります。

■もう一歩踏み込む

日本人がなぜ「見る」という動詞について、「見える」と「見られる」という二つの言葉を使い分けているかと言えば、それは日本人は「見る」という事態が成立するか否かを表現する際に、二つの情況を区別しているからだと言えます。
「見える」が<自発>だということは疑いようのない事実ですが、その<自発>がどのような状況で使われるのかをもう一歩踏み込んで考える必要があります。

★「見る」ことが可能であることを二つの状況に分けて考える

(1)「人」と「対象」とその『二者の関係』に焦点を当てて、
   『対象(の様子・動き)そのものを視覚情報として取り入れる』ことが成立するかどうかを問題にする状況
(2)「人が対象を見るという行為」全体を捉えて、
   『そのような行為』が成立するかどうかを問題にする状況

このように二つに分けると、(1)はミクロ的な視点で、(2)はマクロ的な視点だと言えます。
重要なことは、他の言語は(2)だけですませているところを、日本語ではミクロ的な視点で、その中から
(1)の部分を取り出し、“その場合には「見える」「見えない」を使う”ということです。

★イメージ図

(1)は「人」と「対象」とその「二者の関係」=【 】に焦点が当たります

  「対象」 「人」
  【●→→→→○】
        |

(2)は「行為」全体を捉えます

   ーーーーーーー
  |【●  ←○】|
  |     | |
  |       |
   ーーーーーーー

★<自発>が意味するところを再考する
 (「見える」「見えない」が使われる状況)

 ここで<自発>の意味を一歩踏み込んで考えてみます。

 ☆<自発>=「自然と目に入る」ということが意味するもの
   (ア)イメージ図が示すように、「人」と「対象」の<二者関係>に焦点を当てていることである
   (イ)「自然と目に入る」ということは、そこに人がいて、対象が存在するという<同時性>が必要である
   (ウ)「目に入る」とうことは<具体的>にシーン(:対象の様子・動き/対象が何か)を捉えることである

 ☆したがって、人が意志を持って見ようとしているのかどうかは重要な要素ではなく、
  どちらにしても、<二者関係>に視点が当てられ、そこにいることで<同時>に
  その対象の<具体的>なシーンを視覚で捉えることができるかどうかを問題にするの
  が「見える」の<自発>の概念だと考えます。

 ☆イメージ図の「→→→」の間に何も障害がなければ「見える」であり、何か障害があれば「見えない」
  と言うことになります。

  「対象」    「人」
   ●|→→|→→|○
    c  b  a|

  ・障害なし:「ほら、あそこに大きな家が見える(×見られる)でしょう」
        「わあ、細かいところまでよく見える(×見られる)ね」

  ・障害a:「人」自身に問題がある=視力の問題 「目が見えない(×見られない)」
  ・障害b:視覚情報の途中に問題がある=障害物 「前の人の頭で黒板が見えない(×見られない)」
       視覚情報の媒体に問題がある=環境  「暗くてよく見えない(×見られない)」
       対象と人の位置に問題がある=距離  「遠くてよく見えない(×見られない)」
  ・障害c:「対象」自身に問題がある      「字が小さくて見えない(×見られない)」

★<可能形>が意味するところを再考する
 (「見られる」「見られない」が使われる状況)

 ☆<自発>の用法との対比で考える
  イメージ図に示したように、「見る」という行為全体のうち、「二者関係」のみに焦点を
  あてて取り出したのが「見える」という<自発>の概念でした。したがって、<可能形>
  が使われるのは、“そうではない場合”ということになります。
  つまり、ミクロ的に「人」「対象」「二者関係」に焦点を当てるのではなく、「見たい」
  「見よう」と思ったときに妨げるものがなく「見る」という行為が成立すれば「見られる」
  で、妨げるものがあれば「見られない」ということです。
  ここで注意することは、ここでいう“妨げるもの”は「見える」「見えない」のイメージ
  図に示した、|→|→|、を指すのではないということです。つまり、「見る」という行
  為が成立する“条件”が整えば、「見られる」となり、整わなければ「見られない」とな
  るわけである。

 ☆重要なことはそこには<同時性>や<具体的>なシーンをイメージすることはないという
  ことです。イメージするのは「見る」という行為全体なのです。

   ーーーーーーー
  |【●  ←○】|
  |     | |
  |       |
   ーーーーーーー
    |
    |→「見る」という行為が成立する条件が整う  =「見られる」
                       整わない=「見られない」 

   ・仮定条件『〜ば、見られる』
        「もっとお金を出せば、いい席で見られる(×見える)よ」
        「アメリカに行けば、本場のミュージカルが見られる(×見える)よ」
        「早く帰れば、6時からのニュースが見られる(×見える)」

   ・確定条件『〜ので、見られる』
        「二倍のお金を出したので、いい席で見られた(×見えた)」
        「アメリカに行ったので、本場のミュージカルが見られた(×見えた)」
        「今日は早く帰ったので、6時からのニュースが見られた(×見えた)」

   ・条件が組み込まれている『〜は、見られる』
        「このテレビは衛星放送が見られる(×見える」
        (=このテレビは専用のチューナが内臓しているので)
        (=このテレビを使えば)

        「今、国立美術館では何が見られます(×見えます)か」
        (=国立美術館に行けば)

 ☆<自発>との違いをはっきり見極める
  上の例文で示したように、「お金を出す」こと、「アメリカに行く」こと、「早く帰る」
  ことは、<同時>に<具体的>な対象のシーンを捉えることを意味しません。意味してい
  るのは「見る」という行為がそのような条件のもとで成立するかどうかです。
  ミュージカルもニュースも衛星放送も、見る対象ではありますが、<具体的>なシーンではありません。
  最後の「何が見られますか」の文は、一見、対象そのものを捉えるているような印象を与えますが、
  <具体的>にその物を目の前にして捉えるという意味ではありません。それは鑑賞するという行為
  を意味しています。

★どちらも使える場合を考える

 さて、「見える」と「見られる」、<自発>と<可能形>の違いを考えたわけですが、もうお気付きのように、よく例として出される文がまだ登場していません。例えば次のような文です。
 「あそこから富士山が見えるよ/見られるよ」
 「あそこに登れば、富士山が見える/見られる」
 「空気が澄んでいれば、ここから(あそこから)富士山が見える/見られる」
このような文でなぜどちらも使うことができるのかを最後に考えておかなければいけません。

 ☆どちらも使えることの意味を考える
  どちらも使えるということは、(1)と(2)のように“典型的”な<自発>と<可能形>の中間に位置するということです。
  すなわち、「見る」という行為全体が<条件が整って成立する>だけでなく、<同時性><具体性>のある状況になっているということです。そこで、それがどのように“連続している”か文を並べて比べてみます。

  ・「わあ、富士山が見える(×見られる)よ」(1)
  ・「あそこから富士山が見える(○見られる)よ」(3)
  ・「あそこに登れば富士山が見える(○見られる)よ」(3)
  ・「日本に行けば、本物の富士山が見られる(×見える)よ」(2)

  「あそこから」「あそこに登れば」の文では、今はその場所にいなのだけれども、そのような<条件>が整えば、その位置にいることで<同時>に<具体的>に対象を捉えることができるので、「見える」も「見られる」もどちらも使えるわけです。ところが、「わあ・・」の文では、状況から明らかに<二者の関係>に焦点が当てられて<同時性><具体性>を備えているために、「見える」しか使えません。逆に、「日本に行けば」の文は、「日本に行く」ことで<同時>に対象を捉えることにはならないために、「見える」は使えません。「登る」はその点で、「行く」とは違った認識です。「登る」ことでその上に立つことが意識されるために<同時性>を備えると考えられます。

 ☆どちらも使える場合の注意点
  どちらも使えるということは、意味することも全く同じだということにはなりません。やはり、それぞれの“典型”の意味に引きずられているはずです。(3)で「見える」を使えば、より【二者の関係】(=対象を目で捉えるというイメージ)が強く、「見られる」を使えば、単にそいうことが成立するというイメージが強いです。

■まとめ

日本語では「見る」という行為が可能かどうか表現する場合に、「見える」と「見られる」の二つの形を使い分けます。この使い分けは、事態をどのように捉えるかという認知の仕方の問題です。
歴史的に見て、日本語は「自発」「可能」「受身」の形が同じだったわけですが、中でも「自発」がその大本だとされています。また、知覚を表す動詞(見る、聞く)は特別に自発動詞「見える」「聞こえる」が存在します。これは「見る」「聞く」がまさに人間の認知活動を支える基本の動詞だからだと思います。身体性に深く根ざす「見る」「聞く」に特別に自発動詞が存在することにはそんな意味があるように思います。この身体性に深く根ざすということが、すなわち<可能形>と区別される理由であり、それが<同時性>であり、<具体的>にシーンを捉えることであり、<二者の関係>に焦点を当てることであると考えます。「見える」という<自発>を考えるにはここまで踏み込んで考えてみる必要があると思います。

■現場での指導方法

★一般的なこと
以上の考察を踏まえて、「見える」と「見られる」を混乱することなく、導入・練習するとすれば、第一に、教師の側の知識として、しっかりと(1)(2)(3)の場面を区別することが大切です。そして、(1)と(2)で典型的なもの(どちらか一方しか使えない場合)を適切な例文とともに示し、<自発>というのがどのような状況で使われるかを把握させ、それを踏まえてどちらも使える(3)を説明すれば大きな混乱は避けられるでしょう。

★具体的に
初級の教科書ではたいてい「見える」「見えない」が「〜が述部」という構文として登場すると思います。その際には「見える」の重要なポイントである<同時性>と<具体的>なシーンというのを教室でしっかり再現する必要があります。
そして、イメージ図で示したように、障害になる部分を<自身>|<途中/環境>|<対象>の問題に分けて、連続して示していいけばいいでしょう。くれぐれも“意志をもって見る/見ない”がポイントであるかのような説明をしてはいけません。状況としては「見よう」としていてもかまわないのです。

そして、「見える」の状況として(1)を入れて、そして、(3)を入れます。その後、可能形を導入する際には、(2)でまず典型的なものを導入・練習して、「見える」との違いを指導する際には、実は(3)はどちらも言えることを教えればいいでしょう。

No.605
投稿時間:03/01/26(Sun) 13:23
投稿者名:きんちょ
Eメール:akizuki@pr.co.kr
URL :http://akizuki.pr.co.kr/
タイトル:もう一歩ふみこみました。

 もう一歩ふみこみが あまかった きんちょです。
(No.579の「まずは過去ログ」で紹介されていた記事をかいたものです。)

 わたしも、なにか たりないなと おもっていたのですが、自分では よく わからないので、だれかが この話題で かいてくれるのをまっていました。

 今回、Oyanagiさんの おかげで よく わかったような気がします。

 ポイントは、可能形と自発形で つぎの点が ことなるということでしょうか。

1.[ひと]が [対象]に むかって みようとする うごきのむきと
  [対象]が[ひと]の めに はいってくる うごきのむき

2.時間と場面の限定をうけずに[能力]や[潜在的可能性]を
  とりあげることと、時間と場面が限定されたなかでの でき
  ごとをとりあげること


 1.の からみで かんがえていたので、2.のほうに 気がつきませんでした。

 ところで2.のほうは、時制や のべたてかたにも かかわっていることだと おもいます。ちょっと説明が むずかしい否定の「みられない」と「みえない」の ちがいは、このように文の前提にある時間と場面の限定の有無で うまく説明できそうですが、過去や推量になったときに、すこし様相が かわってくるのではないでしようか。過去のときには、「みられなかった」のほうに時間的な限定性が つくし、推量のときには「みえないだろう」のほうの時間的な限定性が うすくなるので、「みえなかった」「みられないだろう」との差が中和されるように おもいます。

屋上から景色をながめるようなときには1.の観点からも両方が つかえることになるので、そういうときの過去や推量の表現は、もっぱら はなしてが 「どう のべたいか」ということによって きまると いえそうですね。

No.607
投稿時間:03/01/27(Mon) 22:50
投稿者名:oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:あと2、3歩踏み込まねば

きんちょさん、レスありがとうございます。

過去ログを見直すたびに、時間がたつのははやいものだと思います。
(年をとったせいでもないと思いますが)

今回、なんとかまとめてみたものの、実はひっかかるところがまだまだあります。

以前、やっさんの掲示板で取り上げられた「見にくい」と「見えにくい」の違いですね。あの時の考察が今回の考察の糸口になったのですが、しかしよく考えてみると、「見る」と「見られる」と「見える」が全体でどのような意味を担って、補いあっているのかくっきりとは『見えてこない』んですね。

今回きんちょさんのコメントも含めて、もう少し考えてみます。

No.608
投稿時間:03/01/28(Tue) 00:35
投稿者名:きんちょ
Eメール:akizuki@pr.co.kr
URL :http://akizuki.pr.co.kr/
タイトル:Re: あと2、3歩踏み込まねば

 タイトルをみて、「ひぇ〜 シビアな評価っっっ」と おもって おそるおそる あけてみたら、ご自分に いいきかせていたんですね。

 でも、とおまわしに しかられたような気がしました。

 きちんと おしえられる ところまで つめて かんがえていくと、こんな ありふれた質問でも けっこう前人未踏の領域へと はいっていけるものなのですね。

 では、わたしは 2、3歩といわず、異次元へとワープすることにします。


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