「暑くて泳げます」はなぜ変? [コメントする]

「暑くて泳げます」はなぜ変?


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/14 13:51:50)

※これは過去ログを整理したものです。(管理人)

[452] 「暑くて泳げます」 投稿者:ふみ 投稿日:02/09/26(Thu) 13:20

Oyanagiさん、こんにちは。ふみです。またまた、お知恵を拝借したくて、投稿します。
この間、Fumiさんのメルマガに、「『暑くて泳げます』はなぜ言えないのか」という質問があり、私なりに色々考えて、メールを送ったのですが、どうにもスッキリしないのです。
原因・理由を表わす「〜て」の後件には、意志性をもつ表現はきませんよね。可能も意志性はないはずなのに、なぜ可能表現がくるとおかしいのか・・・そこのところが、どうもよくわからないのです。
また、可能が全部おかしいかというと、そうでもないような気がします。
例えば、
 (1)静かでよく眠れます。
 (2)おいしくて、いくらでも食べられるから、太っちゃった。
また「暑くて泳げます」の文も、
(北海道にいる、海や川で泳ぐのが好きな友達に)
 (3)「そっちはもう泳げないだろうけど、こっちはまだまだ暑くてじゅうぶん泳げるよ」
など、文脈を作れば言えそうに思います。
で、私は結局、「可能でも意志性を感じるものは後件に来ないのではないか」というようなことを書いて送ったのですが、どうにもモヤモヤが晴れません。
この「意志性」というのも、きわめて曖昧な感じですし…。
Oyanagiさんは、どうお考えになりますか? ぜひ、教えてください!
長々と失礼しました。
------------------------------------------------------------------------
[453] 「可能形」はスケボーに乗って 投稿者:oyanagi 投稿日:02/09/27(Fri) 03:02 <URL>

ふみさん、こんにちは。
これは「古くて新しい問題」ですね。この投稿を読んですぐに思い出したのが、やっさんの掲示板で随分前にあった「安くて買える」はなぜ変?っていう問題でした。(※拡大文法情報リンク集に登録されています)
過去ログを読んでみると、当時yukikoさんが質問に答えていていました。そして、そこでも「意志性」ということが問題だろうという指摘がされています。私もこの時から気にはなっていたのですが、そのままにしてありました。そこで、今回は不十分ではありますが、例によって「認知風(?)」なアレンジをほどこして私の考えをまとめてみました。
■原因の用法の「〜て」の基本
この用法の「〜て」については参考書を見れば「〜から」「〜ので」の対比で、その特徴が書かれていますから特にここで詳しく解説する必要はないと思いますが、キーワードだけ書いておくと、
☆自発的、他力的、受け身的、意志にかかわらず生じたこと、自然の流れ
ということで、つまりは「意志性」がないというのが特徴ということになります。
そこで、問題なのはこの「意志性」がないということがどういうことなのかということです。
まず、よく例として挙げられるのは次の二つですね。
(1)前件が原因で生じる感情、感覚
   「〜て、うれしい/かなしい/つらい/大変」など
(2)前件が原因で引き起こされる出来事、現象
   「風が吹いて〜が倒れた/雨が降って涼しくなった」など
   「電車が遅れて遅刻した」
   「風邪をこじらせて入院した」
したがって、「風邪をひいて学校を休んだ」という文で「休む」という動詞が使われていても、「意志性」がなくなるために、『やむを得ず、仕方なく』といった受け身的、さらに文脈によっては責任逃れにつながるというのが参考書の説明です。
■原因の用法の「〜て」と可能の相性(1)
さて、問題の「可能」の扱いですが、後件に可能形が来る場合、多くの参考書がその例文として挙げているのは<否定形>ですよね。<肯定形>が不可というわけではないのですが、<否定形>のほうが「〜て」との相性がいいのでしょう。
それではなぜ相性がいいのかと言えば、「できない」ということは、『〜したいと思ってもそれが実現しない』『〜しようと思ってもそれが実現しない』ということを表わすため、☆キーワードに挙げたように、非常に(日本人の発想として)受け身的、自然の帰結としてそうなってしまって、やむを得ないという捉え方と合致するからでしょう。
つまり、「何かができない」という事態は、諸々の環境条件、内部条件、事情から必然的に帰結される事態なのだという発想ですね。
■原因の用法の「〜て」と可能の相性(2)
それでは、「できる」のほうはどうでしょうか。
(※実はここからが「認知風」のアレンジです)
参考書の類、またはこれまでの投稿を見ると、「できる」の背後には「それをしたい/しようと思っていることが実現する」という意志性が認められるから「〜て」とは合わないのだという説明がされていますが、確かにその通りだと思います。
だからこそ【可能形だけだと座りが悪い文ができてしまう】のでしょう。これで、なんとなく分かったような気になりますが、はたしてそれで終わっていいのか・・・。そのへんが、ふみさんもひっかかっているのだと思います。
そこで、次のようなものをイメージしてください。
(1)したい/しようと思っても、壁に阻まれてその先に行けない(=とても実現しない)
(2)したい/しようと思わなくても、壁がなくて、すいすい先に行ける(=容易に実現する)
※いつもならここでイメージを図にするのですが、面倒なので省略します。
ここで気がついたと思いますが、(1)は「できない」、(2)は「できる」を表わします。
重要なのは、「〜て」との相性です。
(1)は壁に阻まれている状況にあって、「自分の意志ではどうにもならない」つまり「やむを得ない」という発想につながり「相性は抜群です」
(2)の場合、「〜て」とうまくつなげるためには、上に書いたように、「自分の意志にかかわらず(まるでスケボーにでも乗ってすいすい進むように)容易に実現する」という内容になっていなくてはいけないのです。つまり、容易に実現することで、「意志性」が入り込む余地を少なくしているわけです。
★走り出したスケボーは意志にかかわらずどんどん進んでしまいます(「どいてくれ!」という叫び)
繰り返すと、(1)はどうしても壁にぶつかって進めないことで、自分の意志とはかかわりなく当然の帰結として「できない」という事態が生じ、(2)は(スケボーがすいすい走るように)自分の意志とはかかわりなく当然の帰結として「できる」という事態が生じると考えるわけです。
(続く)
------------------------------------------------------------------------
[454] 「スケボー」に乗ってすいすい 投稿者:oyanagi 投稿日:02/09/27(Fri) 03:04 <URL>

■単純な比較で陥る罠
そろそろ核心ですが、「高くて買えない」が言えるのに、「安くて買える」が言えない。「寒くて泳げない」が言えるのに、「暑くて泳げる」が言えないのはなぜか?というのは、単純に反対語に置き換えることで重要な点を見落としています。
これはふみさんやyukikoさんも気がついているように、「できる」の文も適当な文脈を補えば使えるということです。そして、おそらく気がつかずに文を書いている場合もあるでしょうが、「できる」の文として作るものには、実は「スケボー」に当たる部分が補われているのではないでしょうか。
つまり、(1)は「〜て」と相性が抜群なのでダイレクトで接続してもなんの違和感もありません。ところが、(2)のほうは、「スケボー」にあたる部分(=すいすいできる、容易性)がないと、どうも落ち着かないんですね。それがあることで「〜て」のもつ「意志性」がなく自然な帰結という性質とマッチするというわけです。
例えば、「眠れる」という文をとってみても、「静かでよく眠れます」という文を作って、可能形の肯定もできるじゃないかと考えますが、実はこの「よく」というのがポイントだと思うのです。これを取ってしまって「静かで眠れます」と言うと、とたんに座りが悪くなってしまませんか。
それから、「食べられる」という文をとってみても、「おいしくて何杯でも食べられます」という文を作りますね。この「何杯でも」というのが「スケボー」に当たる部分なんですね。これらがあることで、「そうしたい/しようと思わなくてもそんなことがたやすく、自然にできてしまうんです」という意味で解釈され、無事に「〜て」の性質とマッチするというわけです。(まあ、「眠る」「寝る」は動詞事態が意志性が低いという点もありますけど)
とうことで、初級の学習者に対しては、「〜て」との相性が抜群の「できない」のほうを中心に教えるのがいいでしょう。そして「できる」のほうは、単に前件に反対語を使えば文ができるというのではなく、ある程度「自然な帰結」の性質を出すために「スケボー」の部分を補うことが必要だと指導すればいいでしょう。
(※もちろん「スケボー」という言葉は使いませんが)
ということで、「スケボー」を補えばどんどん文ができるということを下にまとめておきます。
この文を読みながら、「すいすいと実現する」ことがイメージできるのではないかと思いますが、いかがなものでしょう。もうちょっとくだけた言葉を使えば、「意志性が濃いもの=やろうと思えば実現できるぞ!といったこちこちの可能ではなく、意志性が薄くなったもの=これならできるじゃん、あれあれ、ほらほらこんなにも、楽々だよ!といった容易性の強調」といったところですね。
★ふみさんが、作文された「泳げる」の文は、「できない」ことと対比することによって「容易性」が強調されて、それがスケボーの役目をはたしていると考えらます。
これはこじつけですが、対比によって「できない」事実が取り挙げられて、それがあたかもスケボーを高い位置に持っていき、勢いをつけて走らせるといったイメージでしょうかね・・・(ああ、ほんとこじつけです)
■「スケボー」と「〜て・・・できる」
※「 」の部分がスケボーの部分です、これがあることによって「〜て」との相性がよくなって落ち着いた文になるのではないかと思います。
1)これは高くて  買えない
  これは安くて  「(私の小遣いで)5つも」買える
          「(貧乏暮らしの)私でも」買える
  「これは高くて買えないけど、それなら」安くて(私にも)買える
2)これはまずくて  食べられない
  これはおいしくて「何杯でも」食べられる
          「(魚料理が嫌いな)私でも」食べられる
  「これはまずくて食べられないけど、それなら」おいしくて(私にも)食べられる」
3)これは難しくて  解けない
  これは易しくて 「3分で」解ける
          「(分数が苦手な)私でも」解ける
  「これは難しくて解けないけど、それなら」易しくて(私にも)解ける」
4)これは重くて  持てない
  これは軽くて  「片手で3つは」持てる
          「(力のない)私でも」持てる
  「これは重くて持てないけど、それなら」軽くて(私にも)持てる」
5)これは固くて  食べられない
  これは柔らかくて「さくさく」食べられる
          「(歯が悪い)私でも」食べられる
  「これは固くて食べられないけど、それなら」柔らかくて(私にも)食べられる
6)昨日はうるさくて  眠れなかった
  昨日は静かで    「よく/ぐっすり/床に入って数分で」眠れた
            「(小さい音でも気になる)私でも」眠れた
  「おとといはうるさくて眠れなかったけど、きのうは」静かで(私も)眠れた
7)夕方は忙しくて 休憩が取れない
  夕方は暇で   「何時間でも」休憩が取れる
         「(一人のお客の対応に時間がかかる)私でも休憩が取れる
  「昼間は忙しくて休憩が取れないが、夕方は」暇で(私も)休憩が取れる
■反省
さて、「認知風」の弱点は、こじつけが非常にうまいことなので、もしかしたらとんでもない勘違いをしているかもしれません。私としては「〜て」の性質にマッチすることがどういうことなのかを考えて、(1)だけでなく(2)も同じように「意志性」がなくなる(※ゼロということはないと思いますが)ということを示してみたつもりです。
  
------------------------------------------------------------------------
[455] モヤモヤが晴れました! 投稿者:ふみ 投稿日:02/09/27(Fri) 22:03

Oyanagiさん、素早くかつ詳細な解説をありがとうございました。
おかげで、スッキリ快晴の気分です。
> これはふみさんやyukikoさんも気がついているように、「できる」の文も適当な文脈を補えば使えるということです。そして、おそらく気がつかずに文を書いている場合もあるでしょうが、「できる」の文として作るものには、実は「スケボー」に当たる部分が補われているのではないでしょうか。
はい、ほんとにその通りで、私も「なぜ「静かで眠れる」だけだとおかしいのかな・・・もしかして、おかしいと思うの、私だけかな?」などと一人で悶々としておりました。
あ、やっさんのHPの記事ですが、私も拡大リンク集から行って見ていたんです。で、yukikoさんの書き込みも読ませていただいたんですが、その時はどうも今ひとつ納得できませんでした…。(今、あらためて読んでみると、例文などもよく似ていましたね。一度読んだので、頭に残っていたんでしょうね)
> ★ふみさんが、作文された「泳げる」の文は、「できない」ことと対比することによって「容易性」が強調されて、それがスケボーの役目をはたしていると考えらます。
> これはこじつけですが、対比によって「できない」事実が取り挙げられて、それがあたかもスケボーを高い位置に持っていき、勢いをつけて走らせるといったイメージでしょうかね・・・(ああ、ほんとこじつけです)
なるほど、そういうふうにも説明できますね。
私がこの例文を考え出したのは、例えば「図書館で本が借りられます」などのように、自分の意志とは関係なく、機能とか条件の面で可能、という意味を出そうと思ってのことだったんですが…。
でも、それだと、説明できる範囲が狭くなっちゃうんですよね。それがまた一人で悶々…のタネでした。
Oyanagiさんのご説明は、大体全部がスッキリ収まって、とてもわかりやすいと思います。スケボーの例が、イメージがわきやすくて…。
(ただ、私はスケボーやったことないので、なんか読んでてスキーを初めてやった頃のことを思い出してしまいました。滑りたくもないのにスキーが勝手にどんどん滑っちゃって(笑))
私がFumiさんのメルマガに投稿した内容も、まったく見当外れでもなかったことがわかって、少しホッとしました。でも説明不足で、もしかすると誰かが追加質問されるかもしれません。その時はここにリンクを貼りたいと思います…。
ところで、本題とはまったく関係ないのですが、ひとつ質問してもよろしいでしょうか。

> 5)これは固くて  食べられない
>   これは柔らかくて「さくさく」食べられる
>           「(歯が悪い)私でも」食べられる
この「さくさく」なんですが、どういった意味で使われたんでしょうか?
私の語感では、「さくさく」は、ビスケットのようなものを食べるときの音、あるいはカキ氷のようなものをスプーンなどで突っつくときの音、なんですが…。
これは、以前からちょっと気になっていたので、この機会にと思ってお聞きする次第です。
ご面倒で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
------------------------------------------------------------------------
[456] 晴れてよかったです 投稿者:oyanagi 投稿日:02/09/27(Fri) 23:38 <URL>

> おかげで、スッキリ快晴の気分です。
それはよかったです。
実は、私もふみさんの投稿がなかったらあの「安くて買える」の不自然さを、また考えることはなかったと思います。ひさしぶりに頭をフル回転させてみました。まあ、これが正解ということはないと思いますが、自分なりに納得できる説明ができてよかったと思います。
実はスケボーは私も全くやったことはないのですが、スキーだとすぐに尻もちをついてしまって、結局進めないという苦い経験があったで・・・・(笑)
きのうこの問題を考えていて、「容易性」のことを思いついてそれなら「すいすい」でスケボーかなってイメージしてみました。スケボーなら車がついているから、ちょっと押してもらえばあとはすいすいまっすぐ進むかなって。
>ところで、本題とはまったく関係ないのですが、ひとつ質問してもよろしいでしょうか。
>
> > 5)これは固くて  食べられない
> >   これは柔らかくて「さくさく」食べられる
> >           「(歯が悪い)私でも」食べられる
>
> この「さくさく」なんですが、どういった意味で使われたんでしょうか?
実は、最初考えたのは「肉が固くて」だったので、「さくさく」は変なんですすが、容易性のことを考えて、「さくさく」を使ってみました。
「さくさく」って俗語として、スムーズにてきぱきと作業が進むっていう意味があると思うんですけど、これって「死語」でしょうかね(笑)
私が大学生の頃はよく使っていたと思うのですが。
ということで、「さくさく」は特にどの食べ物ってわけじゃないくて、容易性を示したかったので使ってみました。もちろん何か食べ物をあげるならビスケットのようなものでしょうね。
それでは、これからもよろしく。
------------------------------------------------------------------------
[457] 再び、ありがとうございました 投稿者:ふみ 投稿日:02/09/28(Sat) 22:19

Oyanagiさん、お答えありがとうございました。
> 「さくさく」って俗語として、スムーズにてきぱきと作業が進むっていう意味があると思うんですけど、これって「死語」でしょうかね(笑)
> 私が大学生の頃はよく使っていたと思うのですが。
えっ!! そうだったんですか? これはビックリです〜〜(笑)
私は、この「スムーズにてきぱきと作業が進む」意味の「さくさく」を聞いたのが、割と最近になってからなんです。で、最初は「なんだぁ? 最近の流行語か?」と思ったくらいでして・・・(笑)
でも、友達などに聞いたら「コンピューター関係でよく使うかなぁ」とか、「前から言うよ。流行語じゃないでしょう」とか、「私は聞いたことがない」とか、反応がまちまちでした。
しかし、そうですか、大学生の頃に・・・でも、私もOyanagiさんと同じ頃、名古屋で大学生をしてましたが、私は見たことも聞いたこともないんですよねぇ。うーん、それとも、気がつかなかっただけかな?
おお、なんだか、雑談になってしまいました。すみません、気になさらないでくださいね。
つまらない質問にお答えくださって、ありがとうございました。
> それでは、これからもよろしく。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
------------------------------------------------------------------------
[458] スケボーですか! 投稿者:yukiko 投稿日:02/10/01(Tue) 03:45

oyanagiさん、ご無沙汰です。ひょっこり来てみたら、なんと懐かしい話題になっていて、思わず、やっさんのところにも行って読み返してしまいました。あのころのやりとりが、ほんとに懐かしいですね。最近のあちこちの掲示板では、どうもああいう調子のやりとりがなかなか見られないような気がします。なんて言うか、同業者どうし、あーでもない、こーでもないと気楽に知恵を出し合ったり、日々の感想を述べあったり・・・。懐かしさのあまり、思わず、一言書き込みたくなりました。
それにしても、oyanagiさんからスケボーの喩えが聞けるとは!!
いつもながらご丁寧な解説、勉強になります。
------------------------------------------------------------------------
[460] ほんと、懐かしいですネ 投稿者:oyanagi 投稿日:02/10/02(Wed) 23:20 <URL>

Yukikoさん、書き込みありがとうございます。
> oyanagiさん、ご無沙汰です。ひょっこり来てみたら、なんと懐かしい話題になっていて、思わず、やっさんのところにも行って読み返してしまいました。あのころのやりとりが、ほんとに懐かしいですね。最近のあちこちの掲示板では、どうもああいう調子のやりとりがなかなか見られないような気がします。なんて言うか、同業者どうし、あーでもない、こーでもないと気楽に知恵を出し合ったり、日々の感想を述べあったり・・・。懐かしさのあまり、思わず、一言書き込みたくなりました。
偶然というか、なんというか、私も最近そう思っていました。あの過去ログを読んで、「あ、私がネット上でずけずけと書き込みをするようになったころだ」と思って、ほんと懐かしかったですね。
> それにしても、oyanagiさんからスケボーの喩えが聞けるとは!!
むむむ。この文章の意味は・・・?
私とスケボーとがどうも結びつかないということですね(笑)
今私が10代だったら夢中になりそうなスポーツ(遊び?)なんですけどね。ほんとは一回もしたことがないんです。
それでは、これからも時々のぞいてくださいね。
------------------------------------------------------------------------


内容の確認

過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/16 02:28:46)

※これは過去ログを整理したものです(管理人)

No.692
投稿時間:03/04/24(Thu) 20:22
投稿者名:岡本隆博
Eメール:
URL :
タイトル:テ、デに続く可能形のスケボー

以前に少し話題になったのですが、
重くて持てない、はOK。
軽くて持てる、はダメだけど、軽くて誰でも持てる、
として、「誰でも」というスケボーに載せればOK、という
話がありました。
なぜ可能が否定されていないときにはスケボーが必要なのでしょうか。

No.695
投稿時間:03/04/25(Fri) 00:58
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:「スケボー」とは何か?

岡本さん、こんにちは。管理人のOyanagiです。

> 以前に少し話題になったのですが、
> 重くて持てない、はOK。
> 軽くて持てる、はダメだけど、軽くて誰でも持てる、
> として、「誰でも」というスケボーに載せればOK、という
> 話がありました。
> なぜ可能が否定されていないときにはスケボーが必要なのでしょうか。

なぜ「〜て」の後に「可能形」の否定形は直接つくのに、肯定形は「スケボー」にあたるものを補足しないと自然にならないのか、ということですね。
これについては、(おそらく岡本さんが御覧になった)次の投稿に、私なりの考えを書いてあります。念のために引用しておきます。引用のあとに、改めてまとめなおしておきます。もし説明不足の点、不明な点があれば、ご指摘下さい。

****引用******
http://cgi3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/bbs/wforum.cgi?no=453&reno=452&oya=452&mode=msgview&list=

■原因の用法の「〜て」と可能の相性(1)
さて、問題の「可能」の扱いですが、後件に可能形が来る場合、多くの参考書がその例文として挙げているのは<否定形>ですよね。<肯定形>が不可というわけではないのですが、<否定形>のほうが「〜て」との相性がいいのでしょう。
それではなぜ相性がいいのかと言えば、「できない」ということは、『〜したいと思ってもそれが実現しない』『〜しようと思ってもそれが実現しない』ということを表わすため、☆キーワードに挙げたように、非常に(日本人の発想として)受け身的、自然の帰結としてそうなってしまって、やむを得ないという捉え方と合致するからでしょう。
つまり、「何かができない」という事態は、諸々の環境条件、内部条件、事情から必然的に帰結される事態なのだという発想ですね。

■原因の用法の「〜て」と可能の相性(2)
それでは、「できる」のほうはどうでしょうか。
(※実はここからが「認知風」のアレンジです)
参考書の類、またはこれまでの投稿を見ると、「できる」の背後には「それをしたい/しようと思っていることが実現する」という意志性が認められるから「〜て」とは合わないのだという説明がされていますが、確かにその通りだと思います。
だからこそ【可能形だけだと座りが悪い文ができてしまう】のでしょう。これで、なんとなく分かったような気になりますが、はたしてそれで終わっていいのか・・・。そのへんが、ふみさんもひっかかっているのだと思います。
そこで、次のようなものをイメージしてください。
(1)したい/しようと思っても、壁に阻まれてその先に行けない(=とても実現しない)
(2)したい/しようと思わなくても、壁がなくて、すいすい先に行ける(=容易に実現する)
※いつもならここでイメージを図にするのですが、面倒なので省略します。
ここで気がついたと思いますが、(1)は「できない」、(2)は「できる」を表わします。
重要なのは、「〜て」との相性です。
(1)は壁に阻まれている状況にあって、「自分の意志ではどうにもならない」つまり「やむを得ない」という発想につながり「相性は抜群です」
(2)の場合、「〜て」とうまくつなげるためには、上に書いたように、「自分の意志にかかわらず(まるでスケボーにでも乗ってすいすい進むように)容易に実現する」という内容になっていなくてはいけないのです。つまり、容易に実現することで、「意志性」が入り込む余地を少なくしているわけです。
★走り出したスケボーは意志にかかわらずどんどん進んでしまいます(「どいてくれ!」という叫び)
繰り返すと、(1)はどうしても壁にぶつかって進めないことで、自分の意志とはかかわりなく当然の帰結として「できない」という事態が生じ、(2)は(スケボーがすいすい走るように)自分の意志とはかかわりなく当然の帰結として「できる」という事態が生じると考えるわけです。
*********************
この部分をお読みいただければ、なぜ「スケボー」に当たるものが必要かは理解していただけると思います。

要点を箇条書きにしてみると次のようになります。

★「何かができない」という状況は、「ある状況、条件によって自然の帰結である」という発想が日本人にはある。
☆「〜て」が原因を表す用法として使われる場合は、「受身的」「自然の帰結」「自発的、生理的な作用」という意味になる。
☆従って、「〜て、可能形の否定形」は相性が良い

★一方、「何ができる」という状況は、「何かができない」という状況と比べて、多分に「意志」の入り込む余地があり、「自然の帰結」のような発想とはなかなか馴染まない。
☆従って、「〜て、可能形の肯定形」は直接結び付けると座りが悪くなる。
☆しかし、「自然の帰結」のようなイメージを与える<文脈>があれば、「意志」の入り込む余地が排除され、「〜て」と結びつけることができる。
☆そのような<文脈>とは、一言で言えば、『勢い』である。
☆つまり、『勢い』があれば、「たとえ自ら望まなくても、何かができる状況に<なる>」ということがイメージされる。

ということで、その勢いをあたえる文脈が次のような強調のための語句や文型だと思います。勢いが与えられることで、(たとえしようとしなくても)自然にそうなる、という「〜て・・・」の発想と馴染むわけです。

「(軽くて)私でも/だれでも(持てる)」のような程度の強調であったり、
「これなら(軽くて持てる)」のような程度の高いものを取り立てることだったり、
「こっちは重くて持てないのに、そっちは(軽くて持てる)ね」のように、程度の差を強調することだったりするわけです。

そして、その勢いのことを、私は「スケボー」にたとえてみました。
「なぜスケボーが必要なのか」という疑問に対しては、以上のとおりですが、もうお気付きのように、上にまとめた★の部分が大前提になっています。これが間違っていたら、私の考え方は単なる「こじつけ」です。

No.696
投稿時間:03/04/25(Fri) 10:56
投稿者名:岡本隆博
Eメール:
URL :
タイトル:Re: 「スケボー」とは何か?

Oyanagiさん、いわく
> そして、その勢いのことを、私は「スケボー」にたとえてみました。
> 「なぜスケボーが必要なのか」という疑問に対しては、以上のとおりですが、もうお気付きのように、上にまとめた★の部分が大前提になっています。これが間違っていたら、私の考え方は単なる「こじつけ」です。

岡本
★の考え方は合っていると思います。ただ、その「勢いが
必要」という説明が、いまひとつ腑に落ちません。
軽くて誰でも持てる、の「誰でも」は、「勢い」をつけるための
語句というよりも、段差を埋める補足説明句、
という感じがするのですが。
ですから、もし何かにたとえるなら
スネボーではなく、なじみの悪いものを
つなげるための接着剤、とかなんとかいう方が、
イメージが似ている感じがするのですが。

でも、どちらにしても、貴重なご説明をありがとうございました。


コメントする


なまえメール
WWW
タイトル
コメント
参考
リンク
ページ名
URL


[HOME] [TOP] [HELP] [FIND]

Mie-BBS v2.13 by Saiey