「〜かける」 [コメントする]

「〜かける」


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/14 13:32:05)

※これは過去ログを整理したものです。(管理人)

[392] 「〜かける」について 投稿者:M 投稿日:02/06/09(Sun) 13:24

こんにちは。
「ごはんを食べかけた時、電話が鳴った」
・・・・このとき、ごはんは口の中に入っていますか??
東京方言では、一口も食べていない!!ってことになるそうですが、
そうなんですか?
私は(←関西です) ちょっとだけ食べた、と解釈します。
でも、「死にかけた」「(階段から)落ちかけた」など
瞬間動詞を使う場合は、話は別と考えていいんですよね?
ただ、「食べかけのりんご」・・となると、
東京方言でも、少し食べた・・と考えるそうです。
(そりゃそうですよね・・(^_^;)
学生は 「(その行為を)したのか?してないのか?!」と、
すごく 気にするようなので。
みなさまは どうおかんがえですか?
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[393] Re: 「〜かける」について 投稿者:イラヒ 投稿日:02/06/10(Mon) 06:22


> 「ごはんを食べかけた時、電話が鳴った」
>
> ・・・・このとき、ごはんは口の中に入っていますか??
>
> 東京方言では、一口も食べていない!!ってことになるそうですが、
> そうなんですか?
> 私は(←関西です) ちょっとだけ食べた、と解釈します。
>
> でも、「死にかけた」「(階段から)落ちかけた」など
> 瞬間動詞を使う場合は、話は別と考えていいんですよね?
>
> ただ、「食べかけのりんご」・・となると、
> 東京方言でも、少し食べた・・と考えるそうです。
> (そりゃそうですよね・・(^_^;)
>
> 学生は 「(その行為を)したのか?してないのか?!」と、
> すごく 気にするようなので。
> みなさまは どうおかんがえですか?
これ、少し前に日本語オンラインの掲示板でも話題になりました。
私の語感では、ごはんはまだ口の中に入っていない、となります。わたしは両親ともに関東人です。
辞書を調べると、この「〜かける」は、動作が始まる直前(実際はそうならなくても、そうなりそう、も含む)と、動作の途中を表す、と出ています。
だから、「ごはんを食べかけたとき、・・・」という文は理屈上二種類の解釈が成り立ってしまうのです。「ごはんを食べかけたとき・・・」を食べようと口を開けた状態の時、と解釈するのが東京方言だったとは知りませんでした。
わたしの感覚では、既にごはんが口に入っているなら、
「ごはんを食べ始めたとき、・・・」とか、「ごはんを一口食べたとき」
と書くのが誤解を招かなくていいと思うのですが。
「全部食べる」ためにはある程度の長い時間が必要ですが、ごはんを一口入れるだけなら一瞬で終わりますね。だから、「ごはんを食べかけた時、・・・」を「まだ口の中にごはんが入っていない」と解釈するわたしのような日本語話者は、「食べる」を「ごはんを口の中に入れる」と無意識に置き換えて、「死にかけた」と同じように、「もう少しでそうなりそうだった」という使い方をしているのかも知れません。
   
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[395] Re^2: 「〜かける」について 投稿者:M 投稿日:02/06/10(Mon) 19:09

はじめまして。イラヒさん。レス、ありがとうございます。
> これ、少し前に日本語オンラインの掲示板でも話題になりました。
あー・・・!すみません!
いちおう過去ログ調べたつもりだったんですが、見落としてました・・。
あちらの書き込みも拝見してきました。
辞書にはどちらもあるんですよね。やっぱり。
> 私の語感では、ごはんはまだ口の中に入っていない、となります。わたしは両親ともに関東人です。
> 辞書を調べると、この「〜かける」は、動作が始まる直前(実際はそうならなくても、そうなりそう、も含む)と、動作の途中を表す、と出ています。
> だから、「ごはんを食べかけたとき、・・・」という文は理屈上二種類の解釈が成り立ってしまうのです。「ごはんを食べかけたとき・・・」を食べようと口を開けた状態の時、と解釈するのが東京方言だったとは知りませんでした。
このことは方言についての論文で読みました。
東京方言では、動作、出来事の直前を表すわけだから、命令、意志、依頼の形では使えない、とありました。
で、よく考えてみると、私の語感では
(レストランで友達と待ち合わせ。少し遅れそうなので・・)
「先に 食べかけてください。すぐ行きますので〜・・」
なんていうふうに 使えるんです。
この文は どうですか??
> わたしの感覚では、既にごはんが口に入っているなら、
> 「ごはんを食べ始めたとき、・・・」とか、「ごはんを一口食べたとき」
> と書くのが誤解を招かなくていいと思うのですが。
>
そうですね。上の文では「先に食べ始めてください」ってことですよね。
他の皆様のご意見もお聞きしたいです。
私のまわりでは この語感の違いについては 
ばっちり分かれてましたので(関東と関西と)
方言の問題なんだ、と勝手に納得してましたが、
実際 そうなのかは ????ですね。
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[397] Re^3: 「〜かける」について 投稿者:ふみ 投稿日:02/06/10(Mon) 23:05

こんにちは。ふみと申します。
私は愛知県在住ですが、Mさんのお書きになった例文「ごはんを食べかけたとき、電話が鳴った」を読んで、まずパッと浮かんだのは、「ひとくちめが口の中に入っている」状態です。「あ、早く飲み込まなきゃ・・・」という感じですね。
でも、よーく考えると、まだ口の中に入ってなくても言えるな・・・と思えてきました。
家族や友人にも聞いてみましたが、「両方言える」人と「まだ入ってない」人と、色々でした。
私の感覚では、イラヒさんとは反対で、「まだ口の中に入ってない」状態で電話がかかってきたなら、「ごはんを食べようとしたとき」などと言うほうが自然な気がします。(このへんは、個人差でしょうが。)
あと、いろいろ考えていて思いついたのですが、「〜かける」というのは、
「その動作や状態が完結していない」ということに焦点があって、「始まっているか」とか「どの程度進んでいるのか」とかいうことには、あまり頓着していないのではないか、と思います。
・・・と考えていた所で、
> (レストランで友達と待ち合わせ。少し遅れそうなので・・)
> 「先に 食べかけてください。すぐ行きますので〜・・」
これを見て、カルチャーショックを受けました。(笑)
私は、こういう言い方を今まで使ったこともないし、聞いたこともないように思います。
これも、地域性なのでしょうか?
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[399] 「〜かける」の意味概念 投稿者:Oyanagi 投稿日:02/06/16(Sun) 01:11 <URL>

Mさん、イラヒさん、ふみさんこんにちは。
レスが遅くなりました。またまた長々と書きますが、どうぞおつきあいください。
オンラインの投稿を読んだときに気になってはいたのですが、こちらの掲示板にも投稿があったので、その気になっていたことをまとめてみました。
■市販の文型辞典、参考書の説明の不備
オンラインの投稿にも書かれていましたが、「〜かける」の意味説明で、「途中」という用語が使われていて、これをそのまま学習者に伝えると誤解を招きます。なぜこのような説明がされているのかはわかりませんが、もう少し丁寧な解説が必要だと思います。
■辞書の説明とその解釈
イラヒさんが辞書の説明を書かれていますが、これに基づいて「2の意味がある」としている点は重要だと思いますが、その2つの意味をどのように解釈するかで私は違う考えを持っています。
(オンラインの投稿#1835に『新明解』と『広辞苑』の説明が引用されていますので、それを再度引用します)
http://nihongo-online.org/tree02/treebbs.cgi?kako=1&all=1834&s=1834
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>「(動詞)かける」の説明として
>『新明解国語辞典』では、
>1 その動作をはじめ、進行している状態にある。
>    例 走りかける
>2 途中まで進行した物事が中断した状態にある。
>    例 建てかけた家
>3 今にもそのことが実現しそうな状態にある。
>    例 消えかける
>となっています。
>要するに、「〜かける」はもう始まっている場合と、始まる直前の、2種類があるということですね。
---------------
この解釈は、ちょっと簡単にしすぎていると思います。
新明解の説明では、1、2では動作動詞で、3は変化動詞が使われています。
ですから、3の「今にもそのことが実現しそうな状態にある」という説明は、あくまでも変化動詞の場合であるというのが私の考えです。
■「食べかける」が二つの意味に解釈される理由
それでは、なぜ「食べかける」が二つの意味に解釈されるのかというと、それは「食べる」に限らず、動作動詞がもつ『意味概念』によるものだというのが私の考え方です。
【「〜かける」の意味概念】
そこで、まず「〜かける」の意味特徴を私なりに図解しておきます。
いつものように、動詞の意味特徴と認知的にとらえたものです。これは本動詞としての「かける」の意味特徴を引き継いでいると考えます。
※寝るときに、毛布(下図の***の部分)を体に「かける」動作をイメージしてください。
(図X)
(1)動作動詞
   A B       C
   *****
   |−−−−−−−−−|(食べる)
   ↑         ↑
   動作        動作
   開始        終了
(2)変化動詞
   A B    C
   *****
   |−−−−−−|(消える)
   ↑      ↑
   変化     変化
   開始     成立
動作動詞がある長さをもった「過程」をもつことは問題ないとして、変化動詞についても変化が成立するまでに「過程」を認めることができます。
つまり、変化動詞にこの「過程」が認められなければ、「〜つつある」とか「〜かける」は使えません。
×「見つけつつある」×「見つけけかる」
☆「〜かける」はアスペクトを表わす形式ですから、それが「過程」のどの時点にあるかを示すものです。
☆図に示したように「〜かける」はそれぞれの「過程」に”かかっている”ことを意味しています。
 この”かかっている”というのは
(1)の場合であれば、<その動作を始めて、その途中にあること>を意味しています。
   ※それでは図中の*はどこまで伸びるのかという問題が残りますが、
    これははっきりと線を引けるものではないと思います。認知のされかたは、
    <あきらかに「〜かけ」の状態から、あきらかに「〜かけ」とは言えない
    状態で濃淡がついたスケールになっています。ただ、終わりに近い部分は
    含まれないと感じる人が多いはずです。
   (その場合には別の表現形式が選ばれるはずです)
    そして、始めの部分がスケール上では濃いはずです。
(2)の場合であれば、<もう少しでそれが成立しそうになる>ことを意味します。
つまり、この<  >部分が『新明解』の説明につながっていると思います。
【「〜かける」が途中なのか? 直前なのか?の問題】
「〜かける」が<直前>であるという解釈は、変化動詞の場合であり、それは「変化が成立する直前」ということです。動作動詞の場合にもこれをあてはめて、「食べかける」には<直前>と<途中>の二つの解釈がなりたつという考え方は混乱をもたらします。
私はあくまでも、動作動詞の場合はその動作は『始まっている』と考えます。
ただ、それを<途中>と簡単に言ってしますと、図に示したように「〜かける」の意味特徴を十分に捉えることができません。むしろ、<過程>の始めの部分の場合によく使うとすべきだと思います。
【「〜かける」を動作の直前だと考えるのはなぜか?】
それでは、問題の核心部分ですが、「〜かける」が<直前>になるのは変化動詞の場合で、動作動詞の場合は動作が始まっているとするなら、なぜ、(方言にしろ)「食べかける」が「食べる動作の直前(食べ物を口に含む前)」という解釈が成り立つのか。
これは冒頭にも書きましたが、動作動詞がもつ意味概念によるものだと考えます。
つまり、「食べる」という動詞の意味概念を考えると、次のようになっていると思います。
(図Y)
  ******
 ア   イ      ウ
 |−−−+++++++|(食べる)
 ↑          ↑
 動作         動作
 開始         終了
 +++の部分が実際に食べ物を口に入れて「食べる」動作の部分
 −−−の部分は「食べる」動作に移るまでの準備の動作です。
 つまり、狭義の「食べる」が、イ〜ウの+++の部分で、
 広義の「食べる」が−−も含んだア〜ウの部分です。
 このように考えると、「食べかける(****)」が人(地域)によって、口に食べ物を入れた後になったり、口に食べ物を入れる前になったりすることが説明できます。しかし、あくまでも「食べる」という動作は始まっていると考えるべきだというのが私の考えです。
■結論
「〜かける」に<途中>と<直前>になる場合があることは確かですが、その<直前>というのはあくまでも変化動詞の場合に<その変化が成立する直前>、つまり、<そうなりそうだ>ということだと考えます。ですから、動作動詞の場合にも<途中>と<直前>の二つがあると解釈することはしません。
この考え方は、どの場合にしても、その<過程>のある部分を示していることを統一的に説明できます。
つまり、動作にしろ、変化にしろ、それは始まっているのだということです。ただ、動作の場合にはその動作をどのように捉えるか(狭くみるか、広くみるか)で実際にどの過程の始まりの部分になるかに差が出ますが、その場合でもその動作は始まっているのだとみることが可能です。
■反省
まとめ終わってから、反省してみると、
***の部分を、動作の<開始前>から<動作中>の部分に「かかる」ように考えることも可能かなと思いました。そうすると、動作動詞でも<直前>を示すことができるなと。
でも、これだと、変化動詞が、「変化が始まる前」も示すことが可能になってしまって統一的に説明できないんですよね。このへんは、みなさんどう思われますか。

■蛇足
実は今執筆中の教科書(ニューアプローチの続編)でたまたま「〜かける」の解説の部分を書いていました。最終的にどのようにまとめるのが学習者や教える側にとっていいのか、皆さんからの投稿を参考にして仕上げようと思います。
(オンラインの掲示板でのやりとりもほんとに勉強になります)
これからもよろしくお願いします。
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[403] 納得しました 投稿者:ふみ 投稿日:02/06/18(Tue) 22:55

Oyanagiさん、お久しぶりです。
いつもながら詳細な解説、ありがとうございます。
結論は、すごく私の頭にすんなりと入って、納得できました。
口の中にごはんが入っているかどうか、ということよりも、「食べる」という動作が始まっていると認識しているかどうか、ということが重要なんですね。(ですよね?)
その場の思いつきで乱暴なことを書いた自分が恥ずかしいです・・・
私が聞いた、色々な人たちの意見がバラバラだったのも、そう考えると、うなずけます。
中には、「家族で食卓を囲んで『いただきます』と言った直後」と答えた友人もいましたが、彼女にとっては「いただきます」と言うこと自体も「ご飯を食べる」動作の中に入っているのかもしれません。
(「ごはんを食べかけた」じゃなくて、例えば「プリンを食べかけた」とかだったら、あるいは答えが違うかもしれませんよね?)
それで、細かいことですが、少し質問してもよろしいでしょうか?
> いつものように、動詞の意味特徴と認知的にとらえたものです。これは本動詞としての「かける」の意味特徴を引き継いでいると考えます。
>
> ※寝るときに、毛布(下図の***の部分)を体に「かける」動作をイメージしてください。
この、「本動詞としての『かける』の意味特徴」というのは、「毛布を体に『かける』」と言うときの意味、ということでしょうか?
つまり、「作用を一方から他方へ向ける」というような意味だと思うのですが・・・。
すみません、「かける」にはすごく色々な意味があるので、ちょっとよく分からなくて・・・。
つまらないことで申し訳ありませんが、教えていただけると嬉しいです。
でもこの図は、とてもよくわかりました。
また余計なことですが、この図を見ていて、「(誰かに)話しかける」とかいうときの「〜かける」も、軸を時間でなく空間にしたら、説明できそうだなー、と思いました。
(また思いつきで乱暴なことを書くと、恥ずかしい思いをしそうですが…)
それではOyanagiさん、教科書の方もがんばってくださいね。
これからもよろしくお願いします。
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[404] ご参考になれば(国広先生のこと) 投稿者:Oyanagi 投稿日:02/06/19(Wed) 23:35 <URL>

ふみさん、おひさしぶりですね。
ふみさんの名前をみかけると、名古屋で過ごした頃を懐かしく思い出します。
さて、「かける」の意味特徴のことですが、例のくだりは、読んでもらう人にイメージをもってもらうために書き加えたものなのですが、ご指摘をいただいたので、ちょっと補足しておきます。
----------------
■私が語彙の意味を考える時に、(これまでも度々書いてきたことですが)認知的な見方をとるように心がけています。これは、基本的には自分で勉強した認知言語学のテキストに負うとろが大きいのですが、そこで得た一番の収穫は、『ある物事のどの部分に焦点を当てるかで、言葉の意味も変る』ということです。そして『それは(辞書や解説では個々の用法、意味として記述されていることですが)実は連続している』ということです。
■その後、具体的な日本語の分析については、国広哲彌先生の書物に負うところが大きいです。
「かける」のイメージ(連続したもの)は国広先生の著書で、『意味論の方法』(大修館書店)に図解付きでまとめがあります。(p.133)
■ここでは、「かける」をA〜Cの3つの(連続した)段階にわけて、それぞれの意味・用法が書かれています。それによると、(抜粋ですが)次のようになります。
A 前半の行程:「声をかける」「〜かける」
B 物を移動させて、対象物に接触させるところまで含む:「ブラシをかける」「水をかける」
C 接触が相当な時間続くことが予定されている:「布団をかける」「眼鏡をかける」
ということで、ふみさんがお考えのように、
>つまり、「作用を一方から他方へ向ける」というような意味だと思うのですが・・・。
ということで『全体を捉えて』、あとは『どの部分に焦点があたるか』で意味が分化するということだと思います。
私としては、寝るときに「毛布をかける」という動作も、最初はAの過程、そしてBの過程、最後にCの状態へと変化するので、考察の図ではそのAの部分を取り立ててみたつもりです。
※(図の****がどこまで続くかはっきりしない点のことも考慮すると、よけいそう考えるのがいいと思います)
■ということで、あの考察は「かける」の意味概念と動作動詞の意味の「幅」の両面から考えたものとなっています。
----------------------
もし興味があったら、ぜひ国広先生の本をご覧になってください。
ちなみに、私が日本語教師になって2、3年目にお世話になった『ことばの意味1(2・3)』(平凡社選書)は、今思えば、言葉の意味を分析するコツみたいなものを身につけるのに役だったと思います。この本でも国広先生が執筆者の一人として参加されています。
それでは、これからも宜しくお願いします。
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[406] ありがとうございます 投稿者:ふみ 投稿日:02/06/20(Thu) 22:46

Oyanagiさん、早速のレスありがとうございました。
> ふみさんの名前をみかけると、名古屋で過ごした頃を懐かしく思い出します。
嬉しいことをおっしゃいます。
(実は、感激でしばらく声が出ませんでした。おおげさですが…(笑))

> A 前半の行程:「声をかける」「〜かける」
> B 物を移動させて、対象物に接触させるところまで含む:「ブラシをかける」「水をかける」
> C 接触が相当な時間続くことが予定されている:「布団をかける」「眼鏡をかける」
>
> ということで、ふみさんがお考えのように、
>
> >つまり、「作用を一方から他方へ向ける」というような意味だと思うのですが・・・。
>
> ということで『全体を捉えて』、あとは『どの部分に焦点があたるか』で意味が分化するということだと思います。
よく分かりました。
辞書で見ると、ものすごくたくさんの意味が並んでいるのですが、「その元になる意味は何だろう?」と、考えてもよく分からなかったんです。
ほんとうに勉強になります。
> もし興味があったら、ぜひ国広先生の本をご覧になってください。
はい、ぜひ読んでみたいと思います。
> ちなみに、私が日本語教師になって2、3年目にお世話になった『ことばの意味1(2・3)』(平凡社選書)は、今思えば、言葉の意味を分析するコツみたいなものを身につけるのに役だったと思います。この本でも国広先生が執筆者の一人として参加されています。
実は、『ことばの意味 1』は私も持っているのですが、あまり真面目に読んでなくて…(汗)
同じ本を読んでも、人間が違うと効果も全然違うんですね。(笑)
もっと勉強せねば!
こんな私ですが、これからもお見捨てにならず、よろしくお願いします。
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[407] Re: 「〜かける」について 投稿者:ワラビー 投稿日:02/06/21(Fri) 11:43

> 「ごはんを食べかけた時、電話が鳴った」
>
> ・・・・このとき、ごはんは口の中に入っていますか??
>
> 東京方言では、一口も食べていない!!ってことになるそうですが、
> そうなんですか?
> 私は(←関西です) ちょっとだけ食べた、と解釈します。
>
私も東京人ですが、ごはんが口に入っている場合とない場合の二通りに解釈できると思います。要は、どの時点を「食べはじめの時点」として認識するかにあると思います。テーブルの上にごはんと箸を置き、すわって、箸を持った時点を食べ始めとすればごはんは口の中に入っていません。一口ごはんを口に入れた時点とすれば、ごはんは入っています。どちらにしても、食べるという行為は始まっていると思います。
>
> でも、「死にかけた」「(階段から)落ちかけた」など
> 瞬間動詞を使う場合は、話は別と考えていいんですよね?
>

動詞の中にはその動きの一部だけを経験することの出来ない動詞があるのではないでしょうか。食べるというのは一部を経験することが出来ますが、死ぬはすべてを経験するか全くしないかのどちらかにしかならないのだと思います。結婚する、卒業する、などもこの仲間でしょう。この種の動詞の場合には動作は全く始まっていないことになると思います。
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