「知らない」と「知っていない」 [コメントする]

「知らない」と「知っていない」


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/14 00:56:11)

※これは過去ログを整理したものです(管理人)

[328] 「知る」を知りたい! 投稿者:Oyanagi 投稿日:02/03/07(Thu) 23:14 <URL>

みなさん、こんにちは。
以前だったらこういうのは<文法考察ファイル>にするのですが、今回は掲示板のほうにアップして、手直ししたあとファイルにしようかなと思います。
昨晩、チャットルームにいらっしゃった「おゆき」さんから「知らない」のことについて質問を受け、昔考えておきながら、結論が出ずに放っておいったことを反省して、急遽まとめてみました。といっても夕方から4時間で書き上げたので、まだまだ不十分なところがありますが、問題解決へのいとぐちにはなるのでないかと思います。
*****************
03/07/2002
■前置き
「知る」という動詞は「〜ている」という形式をとる動詞の中では例外的な動詞であることは周知のとおりである。つまり、主体変化動詞は「〜ている」を付けて、その変化後の状態を表し、その否定は「〜ていない」の形式で表現される。
ところが、「知っている」の否定は、通常「知っていない」ではなく、「知らない」という形式になる。これはなぜかということについて理論立てて説明されてものは私の知る限りでは少ないと思う。その一つに『新日本文法研究』久野 すすむ(:「すすむ」は『日』+『章』)大修館書店がある。しかし、ここでは「知らない」をとることを基本として、どのような場合に「知っていない」が使われるかということが分析されている。だから、なぜ「知る」は基本的に「知らない」となるのかについては十分に説明がされていない。ただ、「知らない」と「知っていない」が(i)構文的な要因 (ii)意味的な要因でどのように現われるかについて整理されて記述されており、問題を解くための手がかりにはなる。
■「知る」という動詞のグループ
まず、考察を始める前に確認しておかなければならないことがある。それは、「知る」という動詞が多くの動詞の中でどこに位置しているのかということである。
通常、ある動作・作用の結果の状態を表すためには
(1)自動詞+「ている」
(2)他動詞+「てある」
という規則が適用される。ここで注意するべき点が2つある。まず、自動詞がすべて「ている」を付けて状態を表すわけではないこと。つまり、「歩く」は自動詞であるが、「歩いている」は動作進行中の意味である。
ここで、「ている」がついて状態を表すのは、<主体変化動詞>の場合であると考える。「歩く」はそれに対して、<主体運動動詞>である。自他動詞のペアがあるものは、通常、自動詞は<主体変化動詞>になる。
さて、他動詞の場合は「てある」をつけて状態を表すということには問題はなさそうだが、「着る」という動詞を考えたときにそれが適用されないことに気が付く。つまり、「〜ヲ着る」のように他動詞でありながら、「〜ヲ着ている」のように「ている」を付けて状態を表す。
ここでは、他動詞の中には<主体運動>であり、かつ<主体変化>を表す特殊なグループがあると考えなければならない。
つまり、「〜ヲ」という目的語をとるという意味では<主体運動>の側面を持ち、その一方で「着る」という行為によって、自分自身の状態が変化するので、<主体変化>の側面ももつわけである。<主体変化>の側面をもつために、(1)と同様に「〜ている」をつけて状態を表すこともでき、(2)のように「〜ている」をつけて動作進行中の意味も表すことができる。
例)「今日は赤いセーターを着ている」(結果状態)
  「今、急いでセーターを着ている」(動作進行中)
そうすると、「知る」という動詞は「〜ヲ知る」のように他動詞でありながら、「知っている」となるので、「着る」と同じグループと言える。つまり、「知る」というのは『知識・情報がない』状態→『〜がある』状態への<主体変化>の側面を持っていると考える。他には「覚える」、「持つ」、そして身に付ける関係の動詞は「着る」と同じように考えられるので、同じグループである。
■「知る」の例外性
「知る」の位置付けが済んだところで、「〜ていない」の形式を考えてみると、上に挙げた同類の動詞ではすべて「〜ている」に対して「〜ていない」という形式が使われることがわかる。つまり、<主体運動>+<主体変化>ということで特殊な動詞のグループにありながら、さらに、そのグループでも唯一「〜ていない」が通常は使われないということである。
なぜ、この「知る」だけがこのような例外的な振るまいをするのだろうか。
これは「知る」という動詞の”意味特徴”と、私たちが「知る」に抱く”イメージ=認知の在り方”に原因があると考えるのが妥当だと思う。
■「知らない」がなぜ基本形なのか
1. 「知る」の意味特徴・イメージ
 「知る」をイメージする上で、それが表す知的活動を『情報の注入』とする。
        頭          頭
      −−−−−−     −−−−−−
  情報 |      |   |      |
  ◯→→→→◯    | =>|  ●   |
   X | Y    |   |  Z   |
     |−−−−−−|   |−−−−−−|
   このイメージ図が示すように「知る」というのは他動詞であり
   その知的活動は『情報(=◯)を注入する』ことである。
   だから、出来事の順番として次のようになる
   (X)「知る」:情報を注入する
   (Y)「知った」:情報が注入された
   (Z)「知っている」:その結果が残っている
2. 「知らない」の意味特徴・イメージ
 「知らない」をイメージすると上の図との対比で次のような(ア)と(イ)の二つの場合が考えられる。
       (ア)         (イ)
      −−−−−−     −−−−−−
  情報 |      |   |      |
  ◯→→→→×    | =>|  ×   |
   X | Y    |   |  Z   |
     |−−−−−−|   |−−−−−−|
  結論を先に出すと、
 (ア)のように事態がイメージされる場合には「知っていない」となり
 (イ)のように事態がイメージされる場合には「知らない」となる
  通常、<主体変化動詞>は(ア)の部分が(イ)に繋がり
  「〜ていない」で表されるが、「知る」は(ア)と(イ)を繋ぐ「=>」の部分で
  切り離されて別々に処理されるようである。
  それはどのようなことを意味しているのか、「来る」と比較して考えてみる。
  「知る」のイメージ図で「情報」の部分が人、「頭」が「部屋」になっている。
       部屋(ア)     部屋(イ)
      −−−−−−     −−−−−−
  人  |      |   |      |
  ◯→→→→×    | =>|  ×   |
   X | Y   ★|   |  Z  ★|★は話者
     |−−−−−−|   |−−−−−−|
  「来る」「来た」        「来ている」
      「来なかった」     「来ていない」(=4A)
                 ※「いない」(=4B)  
      
 さて、ここで自分(=★)がいる部屋に友達が来て、次のように尋ねたとする。
 (3)「山田君、来ている?」
 (3)の答えとして、次の二つが考えられる。
 (4A)「うんん、来ていないよ」
 (4B)「うんん、いないよ」
 ここで、重要なことは、4Bの答えには二つの側面を持っていることである。
 ひとつは、「ここにいない」ということは「来ていない」ことを意味するものであること。
 つまり、(イ)の状態を述べながら、それは(ア)の事態を前提にしているということである。
 もうひとつは、「(山田君がここに来ることになっていることは知らないし、)
 自分はここに随分前からいるから、山田君はここに「いない」と言える」という意味である。
 つまり、「来た」結果として「ここにいる」ことを否定するのではなくて、
 「存在」そのものを否定しているわけである。
 「存在」そのものを否定するというのはどういうことかと言うと、視点を変えれば、
 この部屋の「属性」として、「ここは山田さんがいる場所ではない」ということである。
 変な言い回しではあるが、ポイントは<「〜た」→「〜ている」>というアスペクトではなく、
 アスペクトから解放されて、純粋に「ある/ない」の状態表現になっているという意味である。
■「知らない」がなぜ基本か?
 上のイメージ図で示したように、「知る」という動詞はその意味特徴から
 一つの側面(=<主体変化動詞>)として、頭の中に『情報がある』ことを表現する場合には
 「〜ている」を使うが、
 もう一つの側面として、頭の中に『情報がない』ということを表現する場合には
 ”わざわざ”<「情報の注入がなかった」→「知っていない」>のようなアスペクトの解釈を
 せずに、ストレートに、『それが今ない』と宣言するのである。
 このような側面はこれまでの用語を援用するれば、
 <主体運動動詞>+<主体変化動詞>+<状態動詞>と、3つの側面を持つことで
 その例外性が生まれると考えられる。
 通常は最後の<状態動詞>という側面まで持ち合わせることはないが、「知る」は
 上のイメージ図で示したように(ア)と(イ)を事態が成立する際には
 「=>」で繋げるながらも、事態が成立していない時には切り離して(イ)を単独
 表現すると言える。
■補足
 「知る」と同じグループであった、「着る」「持つ」などは基本的に<状態動詞>の側面を
 積極的に発揮することはないようだが、同じグループであるからにはどこかで接点がある
 はずである。
 例えば、次のような例はそれを示唆していると思われる。
 (5)「クレジットカードを持っている?」
    「いや、おれはそういうもんは持たないよ」
     比較「いや、持っていないよ」
 (6)「今日は靴下、はいているの?」
    「うんん、私、靴下ははかないの」
     比較「うんん、今日ははいていないよ」
 (5)(6)の「〜ない」の答えのほうは、「知らない」の用法と全く同じではないが、
  繋がりがあるように思う。
 どちらも、『自分は・・・・者である』という全体をひっくるめて「属性」を述べている
 からである。
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[331] 『新日本語文法研究』の引用と解説 投稿者:Oyanagi 投稿日:02/03/09(Sat) 13:18 <URL>

先の投稿で紹介した久野の『新日本文法研究』の考察を一部引用しながら紹介します。
(『新日本文法研究』第7章「知ラナイ」と「知ッテイナイ」p.109−p.116大修館書店1983年)
この章の最後にまとめがあるので、まずその部分を引用して、それぞれがどのようなものかについて、久野の説明に沿って(ところどころ個人的な解釈が入りますが)簡単に説明を付けておきます。
従って引用部分以外の記述についての文責はすべてOyanagiにあります。
注:引用(33)(34)は章の項目に付けられた通し番号
****引用(p.116)********
本章で観察した「知ラナイ」と「知ッテイナイ」の構文法的、意味的相違をまとめると、次の通りである。
(33)構文法的要因
    A. 「知ッテイル」と平地され、肯定・否定の対比を表わす時には、「知ッテイナイ」が用いられる。
    B. 活用変化語尾「・・・ケレバ」が附加された場合、「知ッテイナイ」パターンが義務的に用いられる。
      「知ラナケレバ」は、「知るようにならなければ」の意味しかない。
    C. 活用変化語尾「・・・クテハ」、「・・・クテモ」が附加される場合には、「知ラナ」と
      「知ッテイナイ」両パターンが用いられ得る。推量形「・・・カロウ」も同様である。
    D. 「知ッテイル」の否定形が、肯定の推量を表わす場合には、「知ッテイナイ」パターンも用いられ得る。
(34)意味的要因
    A. 「知ッテイナイ」は、動作・完了性に着目した表現であり、「知ラナイ」は、静的状態に着目した表現である。
    B. 従って、「・・・ヲ知ッタ」という表現が困難であればある程、「知ッテイナイ」を用いることが困難である。
    C. 「知ッテイナイ」は、それが表わす状態が非恒常的であることを示唆する。
    D. 「知ラナイ」は、知識の欠如を、その主体(主語)の内側から見て記述した表現であり、
      「知ッテイナイ」は知識の欠如を、外側から客観的に観察して記述した表現である。
***引用終了*************
(33)の構文法的要因というのは、特に説明は要らないと思われるが、「知っている」の否定の基本形は「知らない」であることを前提に、A〜Dのような構文上の特徴があると、その特徴に影響されて、「知っていない」の形式が用いられるということである。
【構文的要因Aについて】
例)「〜を知っていても、知っていなくても」
例)「〜を知っていようが、知っていなかろうが」など
もちろん、この場合も「知らない」の形式も同様に使われるので、Aの記述は『「知ッテイナイ」も比較的よく用いられる』としたほうがいいかもしれない。
【構文的要因Bについて】
これはちょっと分かりにくいが、久野によれば、次のような文は『?』または不適格『*』がつくという。
例)??「この問題は、日本語を知らなければ答えられないでしょう」
例) *「この試験に合格するためには、日本語よく知らなければならない」
但し書きで、?や*となるのは「知らなければ」が現在の状態を表わす場合としている。つまり、「知識としてこの先得ることがなければ」という意味なら可としている。
【構文的要因Cについて】
これはその説明の通りである。
★★★Oyanagiの補足★★★
googleで「知っていない」を検索すると、8330件ヒットする。最初の100件ほどを眺めると、確かにAの要因で「知ッテイナイ」が使われているのだろうと思われるものがある。しかし、それよりも目につくのは、「〜を知っていないと」のように「〜と」条件文に接続する場合の多さである。試しに、再度googleで「知っていないと」を検索すると、4740件がヒットする。つまり、「知っていない」の使用例のうち、半分以上が「〜と」という形式で使用しているということである。
これが何を意味しているのか。非常に興味深いことである。
ただし、同じ文脈でも「〜知らないと」という形式は「〜知っていないと」と比べてけた違いに多いこともまた事実である。(→152000件)
★★★★★★★★★★★★★
【構文的要因Dについて】
これは構文上の特徴だけでなく、意味的な要因がからんでいると思う。つまり、「知っていない」という形式が使われるが、意味的には「否定」を表わさず、「知っている」という肯定的な推量を表わす場合のことを指している。
例)「だれかこの問題の答えを知っていないだろうか」
以上が、構文的な特徴に影響されて、”本来は”「知らない」が使われるべきところを、「知っていない」が使われる場合である。ただ、A〜Dの全てが、”単に”構文的な要因に影響されてのことなのかは疑問が残る。
次に、意味的な要因について簡単に説明を付けておく。
【意味的要因Aについて】
単文として「ドイツ語を知っていない」や「山田さんが知っていない人」のような文が不適格になる理由として、まず第一に「〜ている」という形式が<完了>を前提にした表現であることを指摘している。従って、<完了性>が強くでる文脈では「知っていない」が使われ得るとしている。
例)「田中君はこのことについて、何か知っていたか」
  「いや、まだ何も知っていませんでした」
例)「このクラスの学生たちは、英語進行形の用法はまだ知っていないと思います」
【意味的要因Bについて】
これは非常に興味深い指摘である。まとめには書かれていないが、個人的に重要だと思われることは<知識の質>の問題である。つまり、「山田さんが来ること」とか「あの人の名前」とか、「(きのう)〜を知った」と言えるようなものは『(容易に伝達が可能な)個別の情報』の部類であり、「(きのう)日本語を知った」と言えないように、「日本語」とか「自動車の運転」などは『個別の情報』ではなく、『ネットワーク化に組み込まれた知識』ということである。
このことから、『個別の情報』の類は「知っている」の否定「(まだ)知っていない」が用いられことがあるが、『ネットワーク化に組み込まれた知識』については、Aの要因と相まって、「知っていない」は用いられないということである。
注:括弧(<>、『』)内で示した用語は本書の説明から判断してOyanagiがつけたものである。
例)×「あいつは花子を知っていない」
  ◯「あいつは交通規則を何も知っていない」
例)「山田は、国会議員をだれも知らない」→『友人としてだれも知らない』という意味が優勢
  「山田は、国会議員をだれも知っていない」→『名前を知らない』という意味が優勢
★★★Oyanagiの補足★★★
実は先の投稿にある私の考察はこのBの部分にかなり負うところがある。<知識の質>として二種類を想定するということは
(1)完了性を意識した(:「〜た」→「〜ている」の流れの)情報
(2)完了性を意識しない(:静的な)情報 =<ネットワーク化に組み込まれた知識>
のふたつを私たちは区別しているということである。
私は自身の考察で<主体変化動詞>の意味特徴を示すイメージとして(ア)と(イ)を提示したが、「知る」という動詞はこれを別個に切り離して処理していることを示したが、この考え方が久野のいうBとある程度関係していると思っている。
★★★★★★★★★★★★★
【意味的要因Cについて】
これは「知る」に限らず「〜ている/いない」一般について言えることで、本来「知らない」を使うべきところを、わざわざ「知っていない」を使うということは、非恒常性が強くでているということだろう。さらに、その非恒常性は「まもなくそれを知りことになる」ということを示唆していることになる。
例)「田中は、今のところ、まだこの秘密を知っていない」
  「この事件については、私は何も知っておりませんので、ご質問にはお答えすることはできません」
【意味的要因Dについて】
久野によれば、次の例文で「知っていない」を使ったほうは、話し手が花子をテストしたという印象を与えるとしている。
例)「花子は、アメリカ歴代大統領の名前を一人も知らない/知っていない」
久野の記述にはないが、この章で使われている意味的な要因で「知っていない」が適格になる文章においては、自分自身のことに言及するものがない。確かに、自分のことについて、「私は◯◯をまだ知っていない」ということはたとえ、<完了性>を意識しても、<(伝達可能な)個別の情報>について言うとしても不自然である。
★★★Oyanagiの補足★★★
以前、別な掲示板で「知っている」「知っていない」が議論になったときに、Shujiさん(バルセロナで日本語学校をやっている方です)が「知る」のもとの形が、古典語の「領る(しる)」であることを指摘されたが、今思うと、この元々の意味が「知る」の例外性を知る上でのガキになっているのではないかという気がする。
★★★★★★★★★★★★★
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[332] ヒットですね 投稿者:きんちょ 投稿日:02/03/09(Sat) 16:30 <URL>

 いっけん関係なさそうな はなしをもちだして おきながら、それら相互の対応関係をつけて、つじつまをきちんと あわせているところが みごとです。いつもヒットをとばすOyanagiさんですが、今度のは長打に なりそうですね。
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[333] 疑問点と 若干のコメント 投稿者:きんちょ 投稿日:02/03/09(Sat) 18:47 <URL>

 よく よんでみたら、疑問点が でてきました。
 よろしくおねがいします。

>        (ア)         (イ)
>       −−−−−−     −−−−−−
>   情報 |      |   |      |
>   ◯→→→→×    | =>|  ×   |
>    X | Y    |   |  Z   |
>      |−−−−−−|   |−−−−−−|
>
>   結論を先に出すと、
>  (ア)のように事態がイメージされる場合には「知っていない」と
>   なり
>  (イ)のように事態がイメージされる場合には「知らない」となる
前後からみて、最初、ここのところは逆のつもりで かかれたのではないかと おもいました。つぎの図との対比で そう おもったのです。

>        部屋(ア)     部屋(イ)
>       −−−−−−     −−−−−−
>   人  |      |   |      |
>   ◯→→→→×    | =>|  ×   |
>    X | Y   ★|   |  Z  ★|★は話者
>      |−−−−−−|   |−−−−−−|
>   「来る」「来た」        「来ている」
>       「来なかった」     「来ていない」(=4A)
>
>                  ※「いない」(=4B)  
ところが、もっと よんでいくと、
>  「知る」は上のイメージ図で示したように(ア)と(イ)を事態が
> 成立する際には「=>」で繋げるながらも、事態が成立していない時
> には切り離して(イ)を単独表現すると言える。
ということで、やはり まちがいじゃなかったんですね。
 わたしが アルクの掲示板で この問題について かいたときには、「しらない」は(ア)の単独表現だという前提で かんがえていたのですが、(イ)の単独表現としての「〜ナイ」「〜ル」が ありうるというのが Oyanagiさんの独創的な点だと おもいます。
 ただ、この観点にそって かんがえていくと ちょっと疑問なのは、「■補足」のところで

>  (5)「クレジットカードを持っている?」
>     「いや、おれはそういうもんは持たないよ」
>      比較「いや、持っていないよ」
>  (6)「今日は靴下、はいているの?」
>     「うんん、私、靴下ははかないの」
>      比較「うんん、今日ははいていないよ」
との つながりを示唆されていますが、ここでの「もたないよ」「はかないよ」は肯定の「(そうかい、おれは かならず)もつよ」「(ええっ、わたしは絶対)はくよ」のような かたちの対応が あると おもうのですが、「しる」に関しては、「しらないよ」に対応する「*しるよ」を想定することが できないと おもうのです。
 このへんが、「しらない」は(ア)のほうなのではないかと わたしが最初に おもった理由なのですが、どう おかんがえでしょうか。わたしのように(ア)だと かんがえても、意味との関連が どうも うまく説明できないままだったので、(イ)説には魅力があるのですが、ちょっと ひっかかる部分も あるというわけです。
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[334] 「肯定」と「否定」の概念 投稿者:Oyanagi 投稿日:02/03/09(Sat) 23:51 <URL>

きんちょさん、コメント有難うございます。
そして、提起された問題点についてですが、私もその点は考察をしながら気になっていました。
実はあの考察に関連して、mogyuoさんからご自身の考察をメールでいただき、さらに考えてみたんですが、ポイントはやはり「知る」の3面性になると思うんです。
■「存在する」との対比から
純粋に<状態動詞>と考えられる「存在する」を考えると、
『◯◯は存在する』『◯◯は存在しない』という対立が成立する一方で、久野が示したところの<非恒常性>を示すために、「存在している」「存在していない」という対立も成立します。
その点で、「存在する」は「ある」や「いる」と違って、『存在物がそこに「ある」「いる」』という概念だけでなく、『存在物がそこに位置することになった経緯をイメージする』ことが可能なのだと思います。
つまり、『ある物・人がその場所に(どこからか移動するか、誕生するかして)現われた』というイメージが可能なので、「現われた」→「現われている」という<完了性>を想定できるのだろうと思います。
■3面性ということ
さて、この「存在する」という動詞と比較すると、「知る」というのは3面性をもち、『肯定』では<主体変化>の側面が顕在化して、「〜ています」の形式が使われ、『否定』では<状態性>の側面が顕在化して、「〜ない」の形式が使われることで、非対称性が生じるのだろうと思います。
そして、もう一つの側面として、<主体運動=>働きかけ=>他動性>を発揮して、「〜ヲ知ろう」という形式も可能になる。そういうユニークな動詞ということになります。
つまり、「知る」が持つ特徴のうち、<主体動作><主体変化>は『肯定』で顕在化して、「これから〜ヲ知る(ことになる)」→「〜ヲ知った」→「〜ヲ知っている」という流れ(考察ではアとイが繋がる)で認知され、
『否定』の場合には<状態性>の特徴が、顕在化するということになります。
■解決すべき問題点
なぜ『否定』だと<状態性>が顕在化されるのかと考えると、行き詰まってしまいます。今は、そう認知されるとしか言いようがないです。
ただ、「知る」に3面性があることが確かなら、<主体運動/他動性><主体変化>は『肯定』で発揮され、<状態性>は『否定』で発揮されるというつながりは、その反対よりは筋が通っていると思います。
さて、本当はどうなっているのでしょうか?
きんちょさんからの”魔球”を待っています。
久野の考察のある程度は私の考え方にもあてはめる事が可能だと思っているのですが、全てではありません。
これから、久野が提示した、<知識の質>のことが一体どんな意義をもっているのか、そして、mogyuoさんが指摘された<『知る』の一回性>(:「忘れたあとに、もう一回知る」ということは通常考えられない。「脱いだあと、もう一回着る」が可能であることと比べても、やはりユニークな特徴をもっていることは確かです)についても考えてみたいと思っています。
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[336] 魔球じゃないけど 投稿者:きんちょ 投稿日:02/03/10(Sun) 13:31 <URL>

問題を解決してしまうような魔球ではないけれど、めさきをかえる変化球をなげてみます。
「しっていない」と「しらないでいる」というのは、どう ちがうのでしょうか。
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[339] ウ〜ン、変化球ですね。 投稿者:Oyanagi 投稿日:02/03/12(Tue) 00:00 <URL>

> 「しっていない」と「しらないでいる」というのは、どう ちがうのでしょうか。
「しらないでいる」という形式までは頭が回りませんでしたね。
普通に考えて
「(まだ)食べていない」と「(まだ)食べないでいる」と
似たような意味の違いが感じ取れますが、
「知らない」がもつ<状態性>から、何か微妙な違いも感じますね。
ちょっと考えてみますね。
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