「〜まい」「〜べき」 [コメントする]

「〜まい」「〜べき」


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/14 00:45:31)

※これは過去ログを整理したものです(管理人)

[256] 助動詞「まい」の接続 投稿者:佐藤正彦 投稿日:01/10/10(Wed) 05:32 <URL>

助動詞「まい」についての素朴な疑問です。
もちろん、助動詞「まい」は使用頻度も少なく、
あまり教える必要のない単語なのかもしれませんが、
やはり、「いこう」の純粋な否定表現は「いくまい」だと
思っていますので、私はすこし気になっています。
英語だと、「Let's go」 vs 「Let's not go」で
非常にシンプルな構造になっています。
さて、本題ですが、助動詞「まい」の接続は、
五段活用が終止形で、それ以外が未然形となっています。
ただ、全動詞の終止形に接続することも許されています。
www.google.com で検索すると、未然形接続が終止形接続より
やや優勢のようです。「着まい」「着るまい」で比較して、
23 vs 90 でした。
ところで、みなさんは、この助動詞をどのように扱っていますか。
もちろん、そんなもの扱わないよというコメントも歓迎です。
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[257] Re: 助動詞「まい」の接続 投稿者:Shuji 投稿日:01/10/10(Wed) 09:53 <URL>

佐藤さん、はじめまして。Oyanagiさん、久しぶりに投稿します。
「まい」については前に考えたことがあるな、と思い、私のファイルを覗いてみると、次のようなメモがあったので、参考までに書き込んでおきます(佐藤さんの関心どころとは違うかもしれませんが)。
たぶん、「するまい」と「しまい」について述べたものだと思います。メールの質問に答えたものか、どこかに投稿したものかもしれません。
助動詞「まい」=
(1) 五段動詞以外には未然形につく→「し+まい」
(2) カ変・サ変動詞には終止形につくこともある→「する+まい」
(3) 文語「まじ」はラ変動詞以外には終止形につく→「す+まじ」
→(この連想から)「す+まい」
上記から「まい」は文語「まじ」の流れを汲んで、文語調の印象が残って
いる(室町時代から使用)ので、思わず「する」の文語「す」の終止形に
つけてしまう、といったところではないでしょうか。
「まい」を純粋な口語と捉えれば「しまい」あるいは「するまい」が適切
と言えるでしょうが、文語風と捉えれば、これは「すべき」か「するべき」
かの問題と似ていて、「すまい」もあながち間違いとは言い難い気がします。因みに、「愛する」に「まい」を付ける時も「愛す+まい」と文語「愛す」
の終止形が顔を出しそうですね。
日本語教育の現場では「するまい」を基本にすればいいのではないでしょうか。「しまい」は<成功しようと「しまい」と>などに見える以外はあまり
使われていないようです。
Shuji
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[258] Re^2: 助動詞「まい」の接続 投稿者:佐藤正彦 投稿日:01/10/10(Wed) 13:51 <URL>

早速の返答ありがとうございます。
改めて、手元の資料をみると、「まい」は上一段、下一段の終止形には
付きませんでした。訂正しておきます。
本論から外れますが、やはり、文語の「まじ」がラ変以外の
終止形につくことからみて、次のような変化をしたのかもしれません。
○文法内、△許容範囲、×文法外
「書くまじ」→○「書くまい」
「着るまじ」→×「着るまい」、○「着まい」
「起くまじ」→○「起きまい」
「受くまじ」→○「受けまい」
「くまじ」→×「くまい」、△「くるまい」、○「こまい」
「すまじ」→×「すまい」、△「するまい」、○「しまい」
上記のように本来は、終止形だけにつくものが
上一段、下一段の場合、「起くまい」から「起きるまい」への変化では、
冗長な感じがするので、「起き」という未然形(本当は連用形?)が
代替接続形として使われるようになったのかもしれません。
カ変の場合、方言では、仮定形を「これば」という地方もあるので、
「くまい」→「こまい」は簡単に移行したのでしょう。
実は、これまた方言では、「来(き)まい」という地方もあるので、
やはり変格活用の接続は一定してないようです。
もちろん、「くまい」「すまい」の方言も多いです。
実は、こちらこそ多数派かもしれません。
ここは、覚えやすさからみて
五段活用、変格活用には終止形、一段活用には未然形に
接続するというほうがいいのかもしれません。
変格活用の場合、各活用形を覚えるだけでも、混乱しますから、
終止形にも接続可能としておけば、一つでも覚える項目が減らせます。
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[259] 文語文法にちょっと一言 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/10/10(Wed) 23:52 <URL>

佐藤さん、書き込み有難うございます。
Shujiさん、本当にお久しぶりです。Shujiさんの掲示板ではあれからさらに「が」の問題について書き込みがあるようですが、なかなか書き込みができずに失礼しております。
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さて、「まい」についてですが、なにしろ私は文語文法には弱いので、shujiさんの書き込みがあってほっとしております。
「まい」の接続の指導も佐藤さんがまとめられたようなものでいいのではないかと思っています。
ちなみに、「すべき」か「するべきか」については、拙HPの文法情報リンク集で調べたところ、なんと2年前にアルクの掲示板で取り上げられていました。もちろんshujiさんもコメントを寄せています。
(→http://home.alc.co.jp/db/owa/str_jpn_view?str_asn_in=1473)
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「まい」についてですが、佐藤さんが先に触れられてように、日本語では<否定の意志>を表す表現として、なぜこのような文語文法の生き残りが使われているというのが興味深いです。
ちょっと関連することですが、「〜得る/得ない」という表現も気になります。<可能性/蓋然性>を表す表現がこういう形で顔を出しているところが興味深いです。
またまた、元記事の直接のレスになっていなくてすみません。(^_^;
これからも議論のタネをお願いします。
> 早速の返答ありがとうございます。
> 改めて、手元の資料をみると、「まい」は上一段、下一段の終止形には
> 付きませんでした。訂正しておきます。
>
> 本論から外れますが、やはり、文語の「まじ」がラ変以外の
> 終止形につくことからみて、次のような変化をしたのかもしれません。
>
> ○文法内、△許容範囲、×文法外
> 「書くまじ」→○「書くまい」
> 「着るまじ」→×「着るまい」、○「着まい」
> 「起くまじ」→○「起きまい」
> 「受くまじ」→○「受けまい」
> 「くまじ」→×「くまい」、△「くるまい」、○「こまい」
> 「すまじ」→×「すまい」、△「するまい」、○「しまい」
>
> 上記のように本来は、終止形だけにつくものが
> 上一段、下一段の場合、「起くまい」から「起きるまい」への変化では、
> 冗長な感じがするので、「起き」という未然形(本当は連用形?)が
> 代替接続形として使われるようになったのかもしれません。
> カ変の場合、方言では、仮定形を「これば」という地方もあるので、
> 「くまい」→「こまい」は簡単に移行したのでしょう。
> 実は、これまた方言では、「来(き)まい」という地方もあるので、
> やはり変格活用の接続は一定してないようです。
> もちろん、「くまい」「すまい」の方言も多いです。
> 実は、こちらこそ多数派かもしれません。
>
> ここは、覚えやすさからみて
> 五段活用、変格活用には終止形、一段活用には未然形に
> 接続するというほうがいいのかもしれません。
>
> 変格活用の場合、各活用形を覚えるだけでも、混乱しますから、
> 終止形にも接続可能としておけば、一つでも覚える項目が減らせます。
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[260] 「すべき」について 投稿者:佐藤正彦 投稿日:01/10/11(Thu) 00:52 <URL>

まず、
> 「まい」についてですが、佐藤さんが先に触れられてように、日本語では<否定の意志>を表す表現として、なぜこのような文語文法の生き残りが使われているというのが興味深いです。
「まい」の弱点は、システマチックな丁寧表現がないことですね。
「私が行こう」なら「私が行きましょう」といえますが、
「私は行くまい」をどう丁寧表現したらいいことやら。
今のところ「私は行かないでいましょう」としていますが、
これだと、守備範囲が少し違う気もします。
次に、「私は行かないでしょう」だと
意思よりも推量のほうが強くなるし。
教育というあらたまった場で、決定的な「です・ます」体が
存在しないとやはり敬遠されますよね。
また、「すべき」の「べき」というのは、文語助動詞「べし」の
痕跡形として口語文法では冷遇されていますが、
個人的には、
終止形「書くべきだ」
連体形「書くべきとき」
仮定形「書くべきなら」
否定形「書くべきでない」
と意外と多用されていますので、「同じ」「こんな」と同列の
連体詞派生形容動詞として扱うべきだと思います。(←「べき」を使用)
ただ、日本語教育では、この用語では、どう表現したらいいか
思い浮かびませんが。
ただ、問題は連用形のほうで、「書くべく方向にある」と
形容詞であった痕跡が見受けられます。もちろん、
この形はくだけた会話の場では使われませんね。
「べき」の接続形については、終止形接続が、非文にさえならなければ、
「するべき」として運用するのが無難なのでしょうね。
「すべき」は使える必要はないが、
理解する必要がある慣用表現とでもいいましょうか。
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[261] 「べき」に一言 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/10/12(Fri) 00:43 <URL>

佐藤さんの書き込みに刺激されて、またまた一言。
(いつものように思いつきで失礼します)
> 「まい」の弱点は、システマチックな丁寧表現がないことですね。
> 「私が行こう」なら「私が行きましょう」といえますが、
> 「私は行くまい」をどう丁寧表現したらいいことやら。
システマティックに表現が揃っていないということは「まい」に限らず随所に見られるようですが、ある程度規則性がありながら、完全ではないということを考えると、言葉が決して人工的に作られているわけではないということの証拠とも言えますね。
(ちなみに、私はその辺にとても興味があって、認知言語学を勉強してみたのですが、まだまだ奥は深そうです。)
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「べき」についてですが、初級〜中級を指導して気が付いたことをちょっと。
学習者は(教師の指導もあって)その表現を既に学習したよりやさしい言い方に置き換えて覚えますが、それが単純な等号で結び付けて終わってしまうといけないなと思いました。
例えば「べき」=「〜なければならない」という図式で止まってしまうと、日本語の重要な表現を一つ身に付け損なうことにもなりますよね。
佐藤さんが指摘されているように、「べき」は口語でもよく使われる表現で、「〜なければならない」とは重なりながらも異なる話者の心的態度を表します。
むしろ、「〜(た)ほうがいい」をもっと強く主張したい場合というふうにもっていたほうがより性格に使えるように思ったことがあります。
違った見方をすれば、<物事はこうある「べき」だ>という態度を表すことは日本人の表現態度として至極馴染むものなのではないでしょうか。
そこまで強く主張する前の段階として「〜(た)ほうがいい」という表現があるのではないかと思います。
物事がある原因作用/根拠によって、結果/判断が<しかるべき>ところに行き着くという考え方(:いわゆる『なる』の発想)は次のような表現が『複合辞』として存在すること(つまり、副詞が使われないで一体化していること)ととも関係していると思います。
★「〜からには」
★「〜だけあって」
★「〜だけに」
これらの理由表現にはすべて<当然>という心的態度が含まれます。ちょっと飛躍かもしれませんが、「べき」のような文語が今でも口語としてよく使われるのにはそれなり理由があるのでしょう。それが日本人好みの表現であることと全く縁がないとは言えないように思いました。
存在意義があるからこそ口語としてしっかり生き残っているのでしょうね。
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[262] Re: 「べき」に一言 投稿者:佐藤正彦 投稿日:01/10/12(Fri) 14:36 <URL>

「べき」と「なければならない」の意味的な違いは
一人称現在に使われたとき、はっきりします。
(1a)「僕はそれをやらなければならない。」
(1b)「僕はそれをやるべきだ。」
(2a)「君はそれをやらなければならない。」
(2b)「君はそれをやるべきだ。」
(3a)「彼はそれをやらなければならない。」
(3b)「彼はそれをやるべきだ。」
(2a)と(2b)との違いや、(3a)と(3b)との違いは、少しですが、
(1a)と(1b)とから受けるイメージはかなり違います。
人によっては、(1b)の表現は奇妙だと感じると思います。
これが、一人称過去なら、またイメージが似てきます。
(1a')「僕はそれをやらなければならなかった。」
(1b')「僕はそれをやるべきだった。」
ただ、(1b')のほうがより後悔の念が強いと思われます。
その違いの本質がなんであるかについては、まだまだ勉強途上です。
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[267] 人称制限からの解放 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/10/12(Fri) 23:50 <URL>

なるほど、人称と過去によって自然さが異なるという点、なかなか面白いですね。
他の言語のことはあまり分かりませんが、日本語には<主観性>という文法的な切り口で使い分けしなければならないことが、語彙レベルや文レベルでありますね。
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ちょっと気がついたことは。
次の不自然な文も「〜と思う」を付けると自然なるところに
文の”性質”とモダリティのつながりがあるように感じました。
> 「べき」と「なければならない」の意味的な違いは
> 一人称現在に使われたとき、はっきりします。
>
> (1a)「僕はそれをやらなければならない。」
> (1b)「僕はそれをやるべきだ。」
→「僕はそれをやるべきだと思う」
 「僕は自分でもそれをやるべきだと思っているが、なかなかできない」
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過去形については、主観形容詞も過去形になれば、一人称以外でも使えるなどという現象とも関係しているかもしれませんね。
(「べき」は一人称でも使えるようになるので、規則は反対ですが)
「かれは寂しい」→「彼は寂しかった」
過去形になると、このようにある種、事態の捉え方が客観的になつために、モダリティの性格が削ぎ落とされからなのかしれませんね。
「べきだ」のそのままでは話者の<他者目当て>のモダリティがついていますが、過去になればそれから解放されるのでしょう。
モダリティの関心がある私にとってはとっても興味深い話題です。
と言っても結論らしいものは全くありませんが。(^_^;
いろいろと貴重なご指摘有難うございます。
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