「〜ないで来た」と「〜して来なかった」 [コメントする]

「〜ないで来た」と「〜して来なかった」


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/14 00:22:42)

[198] 「宿題をやってこない」は なぜ「きてる」のに「こない」? 投稿者:ちゃちゃ 投稿日:01/07/13(Fri) 00:36

こんばんは。
わからないことを考えるのは面白いのですが、今、何を考えればいいか、ポイントがわからないまま迷走している状態です。すみません、HELPお願いします。 
「宿題をやってくる」の否定の「やってこない」は何なのか、についてコンガラガッテいます。
「宿題をやってくる」の否定の形には、「やらないでくる」と「やってこない」がありますね。
「やらないでくる」と「やってこない」の使い方の違いはわかります。
私は 「宿題をやってきました」は、「宿題をやって、(それからここへ)来ました」であると思っています。
で、「やってくる」と「やらないでくる」の対比はわかります。
わからないのは 「やってこない」。
意味の上で否定しているのは「する」の部分なのに、どうして「くる」の部分を否定にするのだろう? それと、「“やってくる”の“くる”ってなに?」ということがわかりません。
『月刊日本語』1997年8月号の「日本語何でも相談」(p54〜)に同じような質問が載っていました。 
一部、引用します。、
・ ・「宿題をやってきました」は、「宿題をやって、(それからここへ)来ました」ではない。つまり、
「やってきた」は「やって、来た」ではない。「やって、来た」の場合は「やる+来る」で、動詞が2つに分かれている。だからこの否定形は「やらないで、来た」ということもできる。しかし、「やってくる」のほうは切りにくい。1つの動詞のようで、2つに分けることは難しい。だから、「くる」のほうを否定形にして、「やる」は否定形にしない。 〜中略〜 この説明のポイントは、動詞の結合度ということですが、・・・(以下略)
この後に、「やらないできました」と「やってきませんでした」の違いは?という項があり、
・ ・「宿題をやって、(それからここへ)来ました」の場合は、否定の答え「やらないで来ました」もあり得るが〜  
として、「食べないで来た」、「食べてこなかった」を例に(学習者に対する)使い分けの説明が書かれています。(「食べないできた」は意図的に食べなかった、「食べてこなかった」は意図的に食べなかったのではない)   この、使い分けの説明はよくわかります。納得納得。
「やってきました」、「やって、来た」と表記を使い分けていることからも、この解説を書かれた方は「ヤッテクル」には2通りあると わけて考えておられるのだと思います。 これに納得できれば、
「やってこない」についての疑問はスッキリ解消! なんですが・・・
 じゃあ、ひとまとまりになっている方の「やってくる」の「くる」は何? 
一応、『日本語のシンタクスと意味』? p156〜にある「Vテクル」の説明は読みました。
その上で、「宿題をやってきました」は、「宿題をやって、(それからここへ)来ました」であると思っています。  「やってくる」の「くる」には、本来の「来る」の意味が強く残っていると考えます。
その「やって+くる」が、否定になると、どうして急にひとまとまりになるねん?
 私は何がわかっていないのでしょう? 「Vテクル」?「結合度」?それとも、「“否定”とはなにか」?
・・・・・全部!(泣) 
一体、何からどういうふうに整理していけばいいのでしょう。 どうぞよろしくお願いします。
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[199] 意味と形式の関係(1) 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/07/13(Fri) 21:48 <URL>

ちゃちゃさん、さっそくの質問、有難うございます。\(^o^)/
などと喜んでいる場合ではありませんね。
最初の部分を読んだときに「あ、月刊日本語にあったな」と思ったのですが、それを読んだ上での投稿で、しかも『日本語のシタクスと意味』も読んでいらっしゃるとのこと。
う〜ん。ちゃちゃさんも相当の勉強家ですね。
そこまで読んでの投稿とあれば、私も気合いを入れて考えねば・・・
とついつい鼻息も荒くなります。(^^)
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日本語の特徴としてはコトになる中心の部分にどんどんといろいろな要素が付いていくという構造があります。
ですから、どの要素がどの位置に来るかで(同じ要素を使っていても)意味が変わるということがありますよね。
例1)女の子が連れていかれた 
   <動詞1−テ形+動詞2−受け身−過去>
   女の子が連れられていった
   <動詞1−受け身−テ形+動詞2−過去>
問題の否定であれば次のようなものもありますね。
例2)あの人はそんなことをするはずがない
   あの人はそんなことをしないはずだ
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さて、問題の「〜ないで来る」と「〜て来ない」ですが、
月刊日本語の解説のように「ない」が最後に来ると、二つの動詞の結合度が増して、キュッとくついちゃうということですが、私もこれを読んだときは「なるほど」と納得していたのですが、ちゃちゃさんから改めて疑問を投げかけられて、ちょっと考えてみました。
文の構造としては否定の「ない」が何を否定するかとうことだと言えますが、おそらくそれではちゃちゃさんも納得が行かないと思いますから、ここは思いきって次のような考え方を提起したいと思います。
★『二つの動作のつながりをどう観るか』という認知的な視点と関係している

私ごとになりますが、認知言語学を勉強してみて思ったことは、<意味>と<形式>の間にはなんらかの関係があるということです。そしてその<意味>と<形式>を結び付けているのは、人間が外の世界(の出来事)をどう観ているかとうことだと思います。
※→(2)へ続く
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[200] 意味と形式の関係(2) 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/07/13(Fri) 21:50 <URL>

<Aという動作をして、Bという動作をする>というときに、それがワンセットとして認知される場合があるということが重要だと思います。
(1)ジョギングをして、(会社に)来る。
(2)朝ご飯を食べて、(会社に)来る。
(1)と(2)は見かけ上、同じ構文ですが、私たちが日常生活の経験から創り上げて頭の中にあるもの(専門用語では<スキーマ>と言います)という点では非常に異なります。
つまり、(1)というのは、別にみんながジョギングしているわけではないし、その点では「ジョギングする」と「来る」はその人のその場合だけのことです。
ところが(2)の場合には、『人は朝ご飯を食べて会社に行く』という勤め人(:学生もそうですが)についての<スキーマ>があります。
(1)と(2)にそれぞれ「ない」を入れてみましょう。
(1)’ジョギングして来なかった。
(1)”ジョギングしないで来た。
(2)’朝ご飯を食べて来なかった。
(2)”朝ご飯を食べないで来た。
(1)”と(2)”はどちらも自然に解釈できますが、
(2)’が自然なのに対して、(1)’は(文脈なしには)とても不自然です。
注:その人の習慣を知っていれば理解できます
それは、『朝ご飯を食べて会社に行く』ということが一つにまとまるだけの十分な背景(=スキーマ)があるのに対して、「ジョギングして会社に行く」という個人・個別的なことにはそれが感じられないからです。
つまり、『<通常とられるであろう行動(=AしてBする)がとられ>ナカッタ』というのが(2)’の「ない」の意味です。
ですから、それはどんな理由であれそのような一まとまりとして捉えられる行動をとらなかったという意味になりますが、
(2)”のほうはそのような通常の手続きとしての「ない」ではなくてわざわざAのほうを否定しているために、そこには何か『特別の意図』(=Aをしないということについての背景)があると感じることになるのだろうと思われます。
※→「まとめ」に続く
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[201] まとめ&面白さ 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/07/13(Fri) 21:51 <URL>

以上の考え方は「宿題をして来なかった」と「宿題をしないで来た」にもあてはめることができるのではないでしょうか。
つまり、月刊日本語の解説からもう一歩踏み込めば、『宿題をして来る』というのが我々の頭の中にある『学生のあるべき姿』というスキーマとして存在するために、『<そのような一まとまりとして捉えられる行動をし>ナカッタ』というのが前者で、そのような一般的な否定の規則を破って、わざわざ前の動詞を否定にすることで、その行動をとらなかった何か特別な意図があることを感じさせるのが後者の文ではないでしょうか。
(たとえば、好きな先生が困る姿を見たかったとか・・・ちょっと屈折していますね。(^^;
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ということで、
> その「やって+くる」が、否定になると、どうして急にひとまとまりになるねん?
>
>  私は何がわかっていないのでしょう? 「Vテクル」?「結合度」?それとも、「“否定”とはなにか」?
の私なりの答えは、
否定になると、(まるでダンゴロ虫を触っるとキュッと丸まるように)急にひとまとまりになるのではなく、私たちの頭の中に既にひとまとまりとしてある事柄であれば、それはひとまとまりのまま否定していると考えるべきではないでしょうか。だからこそ、”通常”の否定文は「やってこない」で、何か特別な意図をにおわせる時には「やらないでくる」という形式を用いるのではないでしょうか。
「おい、宿題やってきた?」
「やべえ、やって来なかったよ。どうしよう」
「ねえ、宿題やってきた?」
「今日はちょっとワケがあって、やらないできたんだ。」
「えっ。それって何?」
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まあ、「学校に来た」のに「来なかった」とはこれいかに?ということも不思議と言えば不思議ですが、これは構造上の問題として、月刊日本語にあるように「【〜して来る】ナイ」のように考えれば納得はできますよね。
日本語の場合は「テ形」くらいないら、なんとか<認知>のパワーでひとまとまりにすることはできますが、これが、「〜から」のようにかなり切れ目を意識するものになるとそういうわけにはいきません。「の」のパワーを借りてこないといけません。
これは英語と比較すると面白いです。
日本語「私はあの人がお金持ちだから結婚したのではナイ」
英 語 I did NOT get married to him because he was rich.
この場合英語の文がまさに、「結婚した」のに「結婚しなかった」とはこれいかに?ということになりますよね。今回の問題と関係があるかどうかはわかりませんが、ちょっと思いついたので。
それにしても言葉ってやっぱり面白いですね。(難しいけど・・・・)
納得がいかないところがあったら遠慮なくレスお願いします。
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