反復の「ては」 [コメントする]

反復の「ては」


はにはに さんのコメント
 (2005/12/07 22:49:43)

はじめまして。

反復の行為を表す「ては」についてです。

1.この写真を見ては、涙を流している。
2.寄せては返す波
3.彼に会っては、腹が立つ(?)

明らかに三つ目の文はおかしいのですが、外国人への説明が出来ません。自分では、前件と後件の意味のつながりが浅いと使えないのかな?と推測したのですが、いまいちクリアになっていません。

類似表現に「度に」があるとおもうのですが、これだったら2.がいけない代わりに1.3はいけます。ここに鍵があると思うのですがどうしても分かりません。


不自然さの要因3つ

Oyanagi さんのコメント
 (2005/12/11 22:07:38)

はにはにさん、ようこそ勉強部屋へ。管理人のoyanagiです。

この「〜ては・・・」の反復の用法については、これまで考えたことがなかったので、今回ちょっと勉強してみました。
しかし、残念ながら、これだ!という結論には至っていません。
ただ、何が原因で不自然になっているのか、私の考えたことを書いてみましたので、どうぞ参考になさってください。

■全体の構成について

最初に「〜ては・・・」の用法を二つに分けることで、次の疑問を解消します。

>類似表現に「度に」があるとおもうのですが、これだったら2.がいけない代わりに1.3はいけます。

次に、例文1が自然で、3が不自然になる理由を3つほど考えましたので、それをまとめておきます。

>1.この写真を見ては、涙を流している。
>2.寄せては返す波
>3.彼に会っては、腹が立つ(?)

どれが正しいというわけではなく、もしからしたら全てが関係しているのかもしれませんし、これよりももっと根本的な次元に答えがあるのかもしれません。

最後に3つの理由を踏まえて、指導上のポイントをまとめておきました。

■「〜ては・・・」の用法を二つに分類する

この二つの分類は、『日本語文型辞典』p.260(くろしお出版)でも採用されていますが、おおむね次のような例文がそれに該当すると考えられます。※例文1と5は、はにはにさんの例文より。それ以外はoyanagiの作例。

用法(1)
:反意語を並べて、その動作、出来事が繰り返すことを表す。
1)寄せては返す波
2)答えを書いては消し、書いては消し、ようやく完成した
3)転んでは立ち上がり、転んでは立ち上がり、何度も挑戦する
4)生まれては消える流行語の数々

用法(2)
:「〜て、・・・」という継起の動作(原因と結果の解釈も含む)を並べて、その継起動作、出来事が繰り返すことを表す。
5)写真を見て、涙を流す。
  →写真を見ては涙を流す。
6)酔って、喧嘩する。
  →あの頃は、よく酔っては喧嘩したものだ。
7)ミスをして、頭を下げる。
  →入社当時は、ミスをしては顧客のところを回って頭を下げた。
8)ダイエットに挑戦して、体調を崩す
  →彼女は、ダイエットに挑戦しては体調を崩している。いいかげんあきらめたらどうだろうか。

このように分類していみると、「〜たびに」と言い換えができるのは、用法(2)の場合であることがわかります。
はにはにさんが挙げた例文の2が用法(1)で、例文の1と3が用法(2)です。ですから、例文の2だけが「〜たびに」と言い換えできないと考えられます。

■「彼に会っては、腹が立つ」がなぜ不自然かを考える

【要因1】意味のつながりについて

「彼に会う」ことと「腹が立つ」という出来事のつながりがぴんと来ないことが原因かもしれません。
つまり「人に会う」ことだけで「腹が立つ」とということがどうも想定しにくいからではないでしょうか。
例えば、「その人に会って何か言われて、腹が立つ」だったら、意味のつながりがはっきりします。
文脈を想定した9)は、何もないものと比べて自然さがやや増している印象があります。
やはり「会う」では直接「腹が立つ」に結びつきくいということであれば、9)’のように「話す」を使えば、最初の文よりは自然さが増していると思います。

9)(彼は会えば必ず私の悪口を言う。だから)
  彼に会っては腹が立ち、やけ酒を飲む、そんな日が続いた。

9)’彼と話しては腹が立ち、話しては腹が立ち、もう我慢の限界に来ていた。

また、次のような文脈を与えた場合も、「腹が立つ」の自然さが増すように思います。

10)(くだらないテレビ番組に怒りをぶつける)
  ドラマを見ては腹が立ち、ワイドショーを見ては腹が立ち、ろくでもない番組ばかりだと嘆く。

【要因2】事柄のつながりについて

問題の文の後件は「腹が立つ」です。これは用法(2)であることは間違いなのですが、単に「継起する二つの動作、出来事」ではなく、その二つが牋果関係爐之襪咾弔い討い泙后

上に私が挙げた例文の6)〜8)は意図的にそのような牋果関係の含み爐ある程度読み取れるものにしました。例文5は、はにはにさんの例文です。

私が思うに、用法(2)の基本は「継起」であり、その中に「因果関係」を含む場合もあるということだろうと思います。
事実、『日本語文型辞典』(くろしお)の二つ目の用法に挙げられているものは、「継起」の解釈が強いものばかりです。(p.260より)

ーーー引用開始ーーー

(1)家計が苦しいので、母はお金の計算をしてはため息をついている
(2)子どもは二、三歩歩いては立ち止まって、母親のくるのを待っている。
(3)その女性は誰かをj待っているらしく、1ページ読んでは顔をあげて窓の外を見ている。
(4)一行書いては考え込むので、執筆はなかなかはかどらない。
(5)学生の頃は、小説を読んでは仲間と議論したものだ。

ーーー引用終了ーーー

このような観察結果から推測できることは、
★あまりにも因果関係のつながりが強く解釈されるものは、「〜ては・・・」の構文とマッチしない
ということです。
つまり、「〜て+感情表現(=自発的に発生すること)」という表現はマッチしないということです。

その証拠に、後件を「継起」が狒蠡佚に強く牋媼韻任るように操作すると、自然さが増します。
ここでいう操作とは、自然発生的な自動詞構文ではなく、「人が○○を・・・する」という、人を主語とした他動詞構文です。

●問題の文は「腹が立つ」で?
 ?「彼に会っては腹が立つ」

●意味のつながりをはっきりさせた文はやや許容性が増す。
  9)(私の友人は、皆、会えば必ず私の悪口を言う。だから)
    「友人に会っては腹が立ち、やけ酒を飲む、そんな日が続いた」

●「腹が立つ」を「腹を立てる」に変えた文も許容性が増す。
 11)「彼に会っては腹を立てる」
 12)「彼に会っては、腹を立てる、そんな日が何日も続いた。もう二人の関係は終わりかもしれない」

同様のことは、例文の5)についても言えそうです。ただ、?ではなく△であるのは、「腹が立つ」のような感情表現ではないため、「動作・現象が継起する」という解釈が相対的に高いからでしょう。
  5)写真を見ては涙を流す。
△13)写真を見ては涙が流れる。

また、例文8)も「体調が崩れる」ではなく、「体調を崩す」と構文上は他動詞構文になっています。

私が思うに、「〜ては・・・」の基本は、
★状況を外側から観察して「繰り返される事態を述べる」という客観的な表現
なのだろうと思います。そのような特徴からあまりに逸脱すると不自然な文になるのでしょう。

【要因3】構文上の制限について

上の2に書いたことに、まず補足しておくと、「〜ては・・・」は前件と後件が同じ文型になっていなければならないということではありません。前件が自動詞構文で後件が他動詞構文であっても、その逆でもかまいません。
不自然になるのは、
★【動作主体】が共通していない場合
だとみると、不自然な文と見分けがついてわかりやすいかもしれません。

上の例文で自然なものはすべて、前件と後件の主体(省略されているものも含む)が共通しています。
ところが、問題の「写真を見ては涙が流れる」や「彼に会っては腹が立つ」は異なります。

つまり、並べる二つの文が、共通の【主体】できれいに
「【人が】〜」+「【人が】・・・」
「【物が】〜」+「【物が】・・・」
となっているほうが、「〜ては・・・」という文型にマッチすると言えるかもしれません。

上に挙げた、例文1)〜8)は全て、そのように同じ【人】、同じ【物】を主語にして文ができています。

注)【人が】【物が】といっても、前件と後件が同じ文型になる必然性はありません。要は、他動詞文であれ、自動詞文であれ、また、人であれ、物であれ、主体として、共通の「○○が」をたてることができるものがこの構文にマッチするという考え方です。

「【私が】彼の写真を見る」+「【私が】涙を流す」
  ○「(私は)毎日彼の写真を見ては、涙を流した」

「【私が】彼の写真を見る」+「【涙が】流れる」
  △「(私は)毎日彼の写真を見ては、涙が流れた」

「【私が】彼に会う」+「【私が】腹を立てる」
  ○「(私は)彼に会っては、腹を立てるといった日が何日も続いた」

「【私が】彼に会う」+「【腹が】立つ」
  ?「(私は)彼に会っては、腹が立つといった日が何日も続いた」

注1)「涙が流れる」も「腹が立つ」も「私は」と「は」を使って主題を明示することは可能ですが、「流れる」「立つ」という動作・現象の主体は「涙」「腹」であるという見方です。主語、主体、主格という名称とその使い分けは分析上欠かせないことですが、ここでは、見かけ上の違いを見るのみですので、これ以上深入りはしません。単に、「私が 涙が 流れた」や「私が 腹が 立つ」のように「〜が〜が」のつながりが他の例文と比べて不自然であることに注目しただけです。

注2)上は便宜的に【私が】に統一しましたが、【●●さんが】としても同じです。

注3)ポイントが前件と後件の主体の同一であって、自動詞文、他動詞文であることとは関係がないことは、次の文が成立することからもわかります。
(引用した例文より)
ーーーー
(4)一行書いては考え込むので、執筆はなかなかはかどらない。
(5)学生の頃は、小説を読んでは仲間と議論したものだ。
ーーーー

14)雑草のように、踏まれては強くなる、そんな生き方にひかれる。

■指導のポイント

以上の要因を考慮すると、「〜ては・・・」(用法2)で自然な文ができるように指導するには、次の点に気をつけるのがいいでしょう。

(ア)動作、現象の「継起」のつながりになっているものを中心に扱う。
(イ)因果関係の意味が強く出る場合は、できるだけ継起の解釈ができるように後件の表現に注意させる。
(ウ)後件の注意させる場合、
   1)動作、現象の繰り返しなので、「〜ては、(形容詞:うれしかった)」の
     ような文は不可であることを確認する。
   2)動詞表現でも、前件が「人が〜」の文型になっている場合、
     「涙が流れる」「笑みがこぼれる」「腹が立つ」のような「〜が・・・」の文型は、
     不自然になることがあるので、
     「(人が)涙を流す」「(人が)笑みをこぼす」「(人が)腹を立てる」のような、
     他動詞構文にすると良い。


以上です。まだまだ踏み込んで考えなければいけないと思いますが、学習者に指導する上では、おおむねこのような事項に注意すればいいのではないかと思います。

■課題

ちょっとまとめきれなかった部分を覚え書き程度にまとめておきます。

「〜ては・・・」は主語が同じであることが必要であるとすると、次のような文がなぜ成立するのかを説明しなければいけません。

15)この川の堤防は毎年築いては崩れ、崩れては築いている。
  『日本語教育事典』(大修館書店)p.445より

 「●●が堤防を築く」+「堤防が崩れる」

  前件は「●●」が主体で、後件は「堤防」が主体です。
  この文が成立する理由は、主体が異なっても、
  前件の「目的語」が後件で主語になっているからかもしれません。
  このようなつながりがあれば、事態の展開を“矛盾なく”処理されるからでしょう。

ほかの例では、

16)この商品はすごい人気で、
    作っては売れ、作っては売れ、生産がまったく間に合わない。

 「●●が商品を作る」+「商品が売れる」

以上です。

長くなりましたが、不明な点がありましたら、遠慮なくご質問ください。
また、これを読まれた方からの、ご意見もお待ちしております。


無人称の節

Shuji さんのコメント
 (2006/01/04 12:11:55 -
E-Mail Web)

Oyanagi さん、こんにちは。
ざっと読んだだけですが、反復の「ては」が構文上≪不自然になるのは、【動作主体】が共通していない場合≫のコメントに私は賛成です。もっとも「動作主体」は広く「主体」とし、共通していない場合はそれぞれの主体を示す、というのが条件ですが。

気になったのは、「■課題」に挙げられている次の例です。
≪15)この川の堤防は毎年築いては崩れ、崩れては築いている。
  『日本語教育事典』(大修館書店)p.445より≫

この文は「この川の堤防は毎年(人々が)築いては崩れ、崩れては(人々が)築いている。」の意味だと解釈できます。主体を共通にすれば「この川の堤防は毎年築かれては崩れ、崩れては築かれている。」とでもなるでしょうか。無人称の節が含まれているので厄介に見えます。
Shuji


循環型と反復型

きんちょ さんのコメント
 (2006/01/18 21:24:38 -
E-Mail Web)

 こんにちは。

 Oyanagiさんが分類した「用法(1)」と「用法(2)」は,反意語が つかわれているかどうかではなく,循環型か反復型かという観点で とらえなおしたほうが よくはないかと おもいました。

 循環型というのは,たとえば「波」が「寄せては返す」といったばあい,寄せた波が返すと初期状態にもどるわけです。そしてまた,そこから「寄せては返す」うごきが はじまると,あたかも うごきが おなじところを循環していて とまらないというイメージで とらえることができます。これに対して「酔っては喧嘩した」というのをかんがえると,けんかしたからといって ようまえの状態にもどるとは とらえられない。「酔って喧嘩する」という動作がワンセットであって そのワンセットの動作は 不定期に反復されます。決して喧嘩しおわった状態から すぐさま また「酔う」ことが はじまるわけではありません。

 このような観点で分類しなおしてみると,「■課題」のところに あげられているものは「循環型」のほうに属していると みることが できそうです。堤防が崩れるのは築きなおすという事業のはじまりをあらわしているし,作ったものが売れるということは またあらたに作ることの必要十分な条件であるからです。

 わたしのかんがえでは,「主語が同じであることが必要」というのは反復型のときの条件であり,循環型のときには 初期状態にリセットされるという解釈ができるものでありさえすれば主語が同一でなくてもかまわないと いうことになるのではないかと おもいます。いかがでしょうか。


スペースインベーダー

Oyanagi さんのコメント
 (2006/01/20 03:03:16)

shujiさん、きんちょさん、書き込みありがとうございました。

実は、ここ10日間ほど「軟禁」状態で仕事をしておりまして、まったくほかのことだできませんでした。
きょう、やっと「解放」されました。shujiさんには、投稿してくださってからずいぶんとたってしまい、申し訳なく思っております。

■反省とコメント(議論の発展のために)

さて、本題ですが、先の私の投稿で「課題」としたものについて、おふたかたよりご意見をいただきまして、いい刺激となりました。あの「課題」を書き込んだ時点では、「非対格動詞」のことをイメージしておりまして、他動詞文で目的語だったものが、今度は主語にきているから、それほど違和感がないのかなと思っていました。

あの時点で、挙げた例文が分類の1になっていることに気がつかなかったのは、失敗でしたね。きんちょさんの投稿を読んで、そのとおりだと思いました。反意語の分類として、「循環型」というのもあるのだろうと思いますが、「循環型」というネーミングは、意味特徴がイメージしやすく、違いが理解しやすいですね。

ただ一点、気になるのは、「循環型」を「初期状態にもどる」と特徴づけていることです。おそらく言わんとしていることは同じだと思いますが、「初期状態に戻る」とは下の図でいうところの「またA」の事態が出現するということですよね。私は、時間軸にそって出来事がおこることを考えると、分類1と分類2の違いは、

★「連鎖型」と「反復型」

と言ったほうがいいのかなと思いました。
これもきんちょさんの「循環型」を刺激にして考えたものですが、いかがでしょう。


★【分類1】[A→B→A→B・・・]
      ---------------→(時間軸)

つまり、AからBに移行するだけでなく、さらに爍造らAへの移行”も成立することがポイントなんだろうと思います。そう考えることで、きんちょさんのまとめた「反復型」の特徴である「ワンセットの動作」との対比がより鮮明に浮かび上がるってくるのではないでしょうか。

★【分類2】[A→B]・・・[A→B]・・・[A→B]
      ---------------→(時間軸)

つまり、A「酔う」ことからB「けんかする」ことは生じても、その逆にB「けんかする」ことからA「酔う」ことは生じ得ないわけです。これが分類Aと決定的に違うことだと思います。

「AてはB、AてはB」
は分類1も2もできるのですが、
分類2ではさらに
[AてはB、BてはA」のような構文も可能です。
これができるというのが、まさに上の図で示したように[ ]全体が猩∈拭匹靴討い董△修里Δ舛里匹良分を取り上げて説明するか、という違いなのだろうと思います。

そして、時間軸上の出来事という見方が薄くなり、[  ]全体を物事の属性として「慣用化」したものが「寄せては返す波」や「消えては生まれる○○」のような連体修飾節だと言えるのではないでしょうか。

■インベーダーゲーム的な例文

実は先の投稿で「課題」の例文を作ろうと思ったときに、なかなかいい文が浮かばなかったのですが、きんちょさんのまとめを読んで、「なんだけっこう作れるな」と思いました。

要は、人間がある事象を「循環/連鎖」しているとみるかどうか、捉え方の問題なんだと思います。
そして、「連鎖」するからには、それらに犇δ鵡燹匹なければいけないわけです。

★その共通項がどこかに入っていることが分類1の文が成立するための最低条件

なのではないでしょうか。
先の投稿で、他動詞の目的語が、今度は自動詞の主語に来るというのがこれにあたるのだろうと思います。なんらかの共通項があれば、主体が同一でなくてもかまわいということになります。

※このへんの推測は、認知言語学の教科書によく登場する「ビリヤードモデル」をイメージしましあ。
  人が「堤防」に何かする →その「堤防」がどうかなる (「堤防」が共通項)

<認知のありかた>の例

1)人が堤防を築く  → (洪水で)崩れる → (また)築く

こういう経験を通して、
「築いては崩れ、築いては崩れ」または「築いては崩れ、崩れては築く」
 あるいは出発点をかえて
「崩れては築き、崩れては、築き」
という構文が成立するのでしょう。

shujiさんが指摘された、「築いては崩され、築いては崩され」という「受け身にして主語を一致させた」ものについては、やはり「視点」の取り方の違いによるものだと思います。迷惑を被る人に焦点をあてて文をつくるとこのようになるのでしょう。事象をありのまま述べるのであれば、元の文もごく自然に成立すると思います。

2)猿が人里に現れる → 人が猿を追い払う →(また)現れる

「猿が現れては、追い払い、現れては追い払う」
「猿は、追い払っては現れ、追い払っては現れ、(きりがない)」

※後者よりは、前者のほうが座りがいいでしょうか?

3)インベーダーゲーム
  インベーダーが現れる→それを撃ち落とす →(次のものが)現れる

「インベーダーが現れては撃ち落とし、現れては撃ち落とし・・・」
「インベーダーは撃ち落としては現れ、撃ち落としては現れ(きりがない)」

※実際は「きりがあり」ますが、ゲーム音痴を私の正直な感想は「きりがない」でした。

4)ショーケースの管理人(?)
  ケースに指紋がつく →それをふきとる →(また別の)指紋がつく

「指紋がついてはふきとり、ついてはふきとり、(けっこう疲れる)」
「指紋は、ふきとってはつき、ふきとってはつき、(きりがない)」

こんな具合にいろいろ作れそうです。
ただ、いろいろといっても限界があることは確かで、そのボーダーになるのは、「何度〜ても、〜」との構文ではないかと思います。無意思動詞は違いますが、意思動詞の場合は、その意味は「何度築いても、崩れる」のように「〜ても」の構文と近いものがります。しかし、その逆がいつも成立するわけではないですよね。このへんが、私が言うところの「認知」と関係しているんではないかと思っています。じゃ、それって何?と聞かれても、今は「う〜ん・・・」としか言えないのですが。

■新たな課題

と項目をたてたものの、また改めて投稿することにします。

※きょうは仕事から解放されたこともあって、ストレスをぱっと発散させるために、たらふく焼き肉をたべてビールを飲んで、ちょっとふらふらになりながらなので、このへんで失礼します(^^;


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