「一緒に行きましてね」のテ形と「ね」の説明 [コメントする]

「一緒に行きましてね」のテ形と「ね」の説明


ベル さんのコメント
 (2005/10/30 15:32:22 -
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こんにちは。テキスト(「現代中級日本語」第3課)の中に「子供が行きたいというので、一緒に行きましてね」という文があるのですが、この「行きましてね」の説明に困っています。この文は「〜に行きまして・・・」という中止形に主張、断定を表す終助詞「ね」がついたもので、自分の現在の状況を相手に伝えるときに会話でよく使われるという解釈でいいの
でしょうか。例文はいろいろ見つかりましたが・・・
・今、大阪に来ていてね・・
・子供が独立して、さびしくなりましてね。
・ずっと、テレビを見ててね、気がつかなかった。
・な〜んてね
などです。自分なりに調べてみましたが、これという説明が見つからず、教室で説明するには自信がなくて、皆さんのご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。


とっかかりとしての考え方

Oyanagi さんのコメント
 (2005/11/04 00:59:10)

ベルさん、こんにちは。

終助詞(間投助詞も含めて)はなかなか奥が深いので、まずはとっかかりの部分について私の考えを書いておきます。

■間投助詞としての「ね」

ご質問を読んで、すぐに思い浮かんだのは、昔学校の文法の時間に「文節」がどこで切れるかを教えられたことですね。国語の先生いわく、「ね」がつくところだと。

「これね、わたしがね、きのうね、掲示板でね、考えてね、みたことなんだ」

「〜て」につく「ね」は、第一にこのような間投助詞としての使い方があるのではないでしょうか。


間投助詞の「ね」については次のところをご参照ください。
(1)庭三郎さんの現代日本語文法概説
   http://www.geocities.jp/niwasaburoo/index.html
   >終助詞、間投助詞
    http://www.geocities.jp/niwasaburoo/19shuujosi.html
(2)三省堂大辞林の「ね」の項目で「間投助詞」の部分
----------引用-----------
文節の末尾に付いて用いられる。語勢を添えたり、声のつなぎとしたりするために、適宜文節末にさしはさまれる。
------------------------
(3)明鏡国語辞典
この辞典では、間投助詞という項目はたてずに、すべて終助詞として扱っていますが、その第一の意味として書かれていることが該当すると思います。
----------引用-----------
(文節末に付いて)相手を引き込むような気持ちで注意を引きつけるのに使う。
------------------------
<注>この明鏡の解説はとても気に入っています。この投稿の最後に書いた、二つの用法のつながりが見て取れるからです。


■終助詞としての「ね」

ベルさんがあげた例文は、イントネーションが表示されていませんが、使い方が、上の間投助詞とはちょっと違うものも含まれていような気がします。一言で言えば、後に続く部分を言わずに、何か含みを持たせる終助詞の用法ではないでしょうか。

私が以前教えていた初級の教科書では、かなり早い段階で、形容詞について同じような文が本文の中にでていました。
「・・・は狭くてね。」

これは、「・・・は狭くて【いやです】」ということを言いたいときに、【いやです】を言わないで、「ね」をつけることで、
★その気持ちを相手に察してもらい、その気持ちを共有してほしい
という話し手の意図が入っていると思います。
学習者にも、そのようなことをかなり噛み砕いて説明した記憶があります。

例えば、次のような会話では、省略なしでは、「よ」が現れる部分を、「〜てね」で言い換えると、話者のどのような心理が現れるか考えてみたらどうでしょうか。

A 「ねえ、ねえ、試験どうだった」
B1「いや、むずかしくて、できなかったよ」
B2「いや、むずかしくてね」

形容詞の場合は、比較的そのような話者の意図が見て取れますが、動詞の場合は、微妙かもしれません。しかし、結局は
★文脈から推測される内容をわざと言わずに
★その部分を相手に察してもらい、
★その内容(=たいていは話者の判断/感情)を理解、共有してほしい
という話者の心的態度が表れている、と考えてみてはどうでしょうか。

■やっぱり二つはつながっているという考え方

このように二つに分けて考えてみても、やはり二つはつながっていて、まったく別ものだと考えることもないと思います。

なぜなら、間投助詞として「ね」で語勢い・語調を整えるというのも、私に言わせれば、対話をすすめるにあたり、お互いに情報を共有することを目指していることの表れだと思うからです。

★日本語は、常に相手との情報共有を確認しながら話しを展開させることを、言語形式として顕在化させる言語だと思います。

それが、「んです」や終助詞の多様な使われ方に表れていると思います。
「んです」のこのような見方については、私が以前に考察して「〜んです」の統一的な解釈をご参照いただければ幸いです。
→文法考察ファイル#28
 http://nihon5ch.net/ch5/kosatsu/28.html

ということで、とっかかり程度でしたが、どうぞ参考になさってください。


ベル さんのコメント
 (2005/11/11 23:07:42)

Oyanagiさん、コメントありがとうございました。初級の早い段階で「狭くてね」が出ている教科書があるというのは初めて知りました。私の出した例文のイントネーションは以下のようです。
1)今、大阪に来ていてね・・(↓)
2)子供が独立して、さびしくなりましてね。(↓)
3)ずっと、テレビを見ててね(↓)、気がつかなかった。
4)もしかしたら来月結婚するかも・・な〜んてね(↑)
 (前の投稿では「な〜んてね」しか書いていませんでしたが,わかりにくので前に文を足してみました。)
2)についてはOyanagiさんが書いていらっしゃる形容詞文「狭くてね」のように後に「何もする気がなくなりましたよ」というような文が省略されていると思われます。
それ以外の文1)3)についても
★文脈から推測される内容をわざと言わずに
★その部分を相手に察してもらい、
★その内容(=たいていは話者の判断/感情)を理解、共有してほしいという話者の心的態度が表れている
という要素があると思います。
4)についてはちょっと違うようなので、また考えてみたいと思います。思考が停止しているときには、取っ掛かりを与えていただくと助かります。ありがとうございました。


なんちゃって

Oyanagi さんのコメント
 (2005/11/13 03:05:38)

ベルさん、レスをありがとうございます。どうやら取っ掛かり程度にはなったようで良かったです。

さて、ちょっと異質の4)についてですが、だいぶ前に流行した若者言葉の「なんちゃって」を思い出しました。

今回話題になった「〜てね」以外にも、(たまたま今回「〜が」についてのご質問もありましたが)言いさしの形で終わる表現がけっこうありますね。「〜し(ね)」などもそうですね。

「なんてね」の「〜てね」は冗談やオーバーな表現、相手を困惑させるようなことを言ったときに使われるものだと思いますが、これも結局は、「なんてことを言ったけど、実はそんなことはないんですよ/ないですよね」ということでしょう。
イントネーションが↑になるのは、あとの省略されている部分を伝えたいという話者の気持ちの表れなのではないでしょうか・・・なんてね(^^;
と書いて終わったら、やっぱり無責任な書き方に見えますよね。


ベル さんのコメント
 (2005/11/13 13:54:31)

いえいえ、無責任なんてとんでもない。「なんてね」は異質だと思っていましたが、確かに後に「〜なんて言ったけど、そんなことないですよ」ということが省略されていると考えられますよね。
初めに「〜てね」の文を見たときは、どうやって説明しようと考え込んでしまいましたが、「〜けど」や「〜が」「〜し」と同じように文の途中で終わって、後の文を推測してもらう言い方だと考えれば、説明できそうな気がします。
改めて、日本語って最後まではっきり言わない表現が多いなと思いました。
何気なく使っている言葉を見直し、説明するのは難しいですね。でも、新しいことが見えてくるからおもしろいんですけど・・・


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