「〜とともに」と「〜といっしょに」 [コメントする]

「〜とともに」と「〜といっしょに」


熟年ボランティア さんのコメント
 (2005/02/16 18:07:21)

管理人さん、お久しぶりです。今日は、ご意見を伺いたく出てまいりました。
『トピックによる日本語総合演習ー中級前期』の5課:マスメディアに出てくる表現についてです。
<本文>
1行目:わたしたちは、生まれた時からずっとテレビとともに生活している。
20行目:これからの時代、メディアといっしょに生活していくためには、情報をいろいろな面から理解する力が必要だ。


<表現ー1>「〜とともに」
1)久しぶりに国に帰り、家族とともに楽しい夏休みを過ごした。
2)サラリーマンをやめ、妻とともに小さい店を始めた。
3)楽しそうに笑う声とともに、学生たちが帰ってきた。

<解説>
[N]とともに⇒ together with [N]

(あと、中国語訳と韓国語訳あり)


以上のように、記載されています。
本文の1行目の使い方(「わたしたち」と「テレビ」がともに生活している)と表現のところの3つの例文は、違和感がないのですが、本文20行目の使い方(「わたしたち」と「メディア」が「いっしょに」に生活していく・・・)は、少しぎこちない感じがします。
[N1]とともに[N2]が〜する:[N1]と[N2]は同種でも異種でも構わない。
[N1]といっしょに[N2]が〜する:[N1]と[N2]は同種
大雑把に言うと、このような気がするのです。本文の20行目の場合、「わたしたち」(人間)と「メディア」は異種だから、なんだか落ち着かないように思います。違和感があるのは私だけでしょうか。『基礎日本語辞典』で探したのですが、内容が難しすぎて理解できませんでした。
管理人さんは、どうお感じになりますか。


「同じとみる」という考え方

Oyanagi さんのコメント
 (2005/02/18 22:34:52)

熟年ボランティアさん、こんにちは。管理にのoyanagiです。

引用された教科書を実際に見てからとおもい、ご返事が遅くなりました。
最初に私の考えを簡単に紹介して、その次に熟年ボランティアさんもご覧になった『基礎日本語辞典』を少し引用しながら基本的な意味を反省してみて、次に、(ぜひお読みいただきたい)『類義語使い分け辞典』(研究社)を少し引用しながら、基本的な意味を際立たせてみました。

■私の考え(簡単に)

さて、引用された教科書の本文ですが、「メディア」が私たちの日常生活の中に深くかかわってきて、好き嫌いにかかわらず「付き合って行かなければならない相手」であるという内容です。

それを確認して思ったことは、ここでつぎの二つのどちらが自然かというと、
(1)メディアとともに生活していく
(2)メディアといっしょに生活していく
この一文だけであれば、(1)だと思いますが、上述のような筆者の意図があれば、(2)も不自然ではなく、むしろそのほうが筆者の意図をより強く表すことができるのではないかと思います。

■基礎日本語辞典の内容

熟年ボランティアさんが、感じ取られたように、本来「いっしょに」という言葉を「異種」のもに使うと不自然な印象を与えます。「いっしょに〜する」が典型的には
1)人は人(または動物)といっしょに〜する
2)(人は)物1を物2といっしょに〜する
です。ここで一番のポイントは、「いっしょに〜する」というのは、『基礎日本語辞典』の言葉を借りれば、

★AとBをまぜ会わせて一つの全体を形成する(p818 合冊版より)

ということです。日常生活にいてこのような形成が自然に感じるのは1)2)の組み合わせなので、そうでない組み合わせは、奇異な印象を与えます。(そのような効果を狙うなら使うことも可能)また、擬人化のような効果を期待することも可能です。(以下例1〜4はoyanagiの作例)

例1「妻は目覚まし時計と一緒に寝る」
例2「妻は熊のぬいぐるみと一緒に寝る」

例1は、人と物ですが、目覚めが悪く、目覚まし時計を抱いて寝ないとだめな人の場合に使えそうです。
    または、愛しい時計ちゃんを抱いて寝ないと寝られない人。
例2は、人と物ですが、ぬいぐるみは人の扱いを受けています。

それに対して、「ともに」は、『基礎日本語辞典』の言葉を借りれば、

★AをBと同一視する。AもBも同じと考える(p818 合冊版より)

ということです。これは、話し手が同じだと「みる」ということです。
この違いは、次のような文を比較すると明らかになります。

例3「妻と私は いっしょに 1週間に2回お風呂に入る」
   ※より自然な文は「妻と私は1週間に2回いっしょにお風呂に入る」
例4「妻と私は ともに   1週間に2回お風呂に入る」

■類義語使い分け辞典の内容

『基礎日本語辞典』の解説はポイントはしっかり押さえてあると思いますが、確かにが分かりにくいかもしれません。それよりも『類義語使い分け辞典』(研究社)がすっきりして分かりやすいです。

****引用開始(p.91)****

「一緒に」は必ず、同じ時間と空間を共有していの行為・行動の場合にしか使うことはできないが、、「共に」はその制限がなく、「それぞれ別便に致しましたが、本と書類は共に送らせていただきました・姉も妹も共に美しい」など、異なった時間・空間・状態を表す場合でも使うことができる。

****引用終了********

つまり、(これは『基礎日本語辞典』にも書かれていますが)

★「いっしょに」は<動的な事態>しか表現できず、かつ<同じ時間と空間>での行動動作しか表現できない

ということです。繰り返しになりますが、このような基本的な意味特徴が、いっしょに行動動作すべき組み合わせの自然さと不自然を左右することになります。

さて上の例3と4の違いを上の解説にそって考えると、3では、“実際に”二人は一緒に二回お風呂に入るのですが、4はそのような意味になる場合もありますが、第一義的には、
「妻も1週間に2回お風呂に入る。私も1週間に2回お風呂に入る」このような共通でもって「妻と私は同じだと“みる”ことができる」ということです。そのような話者の“みかた”があってはじめて4の文が生まれます。
つまり、同じ日に入るのでなくても、「1週間に2回」という点で「同じだとみる」わけですね。

■結論

さて、ここが今回の一番のポイントですが、このような「ともに」の基本的な意味は、ちょうど「いっしょに」と反対に、

★全く異なる種類のものどうしであっても、話者がなんらかの共通点を見いだせば「〜ともに」と言える

ということです。ですから、熟年ボランティアさんが、感じれた違和感のご指摘とその理由は的を射たものだと思います。ただ、それが基本的に固定されているのではなく、上述のような基本的な意味特徴からうまれることです。

(1)メディアとともに生活していく
(2)メディアといっしょに生活していく

文脈なしでは、(1)が自然ですが、もし話者が次のような意図をもって書くとしたら(2)のほうが適切だ(少なくとも不自然ではない)と言えるのではないでしょうか。

<意図>
「メディア」は現代の生活の中でなくてはならない存在となり、私たちはそれとうまく「付き合って」行かなければいけない。つまり私たちのパートナーとして「いっしょに生活していく」ことが必要だ。
それは、例えば、両親とうまくやっていくこと、兄弟とうまくやっていくこと、などの延長に、「メディア」というものの存在を考えているのだろうと思います。

このように、結局は「メディア」の存在を、話者(筆者)がどう“みる”かによって適切な言葉が選択されるのだろうと思います。文章全体の内容を読むと、私は上のような意図があると思ったので、(2)の表現も悪くないと思ったしだいです。

--------
以上です。長くなりましたが、何か不明な点、疑問点があればご遠慮なくご質問ください。
『基礎日本語辞典』よりは、分かりやすくなっていればいいのですが・・・。


お手数をおかけしました。

熟年ボランティア さんのコメント
 (2005/02/19 12:19:40)

管理人さん、実物のテキストや類語辞典など、いろいろと手がかりを探してくださって、ありがとうございました。
言葉には、元来の基本的な意味・使い方のほかに、使い手の思い入れや場面などによって、様々な使い方があるのですね。年をとると、頭がだんだん固くなって来ます。日本語支援のボランティア活動のお陰で、管理人さんを初め、お若い方々のお話やご意見を伺い、脳みその老化を少しでも先送りにしたいと思います。
『基礎日本語辞典』を頑張って読んでみましょう。
分かりやすい解説をありがとうごうざいました。


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