ガラスで手を切った [コメントする]

ガラスで手を切った


イラヒ さんのコメント
 (2004/11/10 23:12:53 -
E-Mail)

oyanagiさん、こんにちは。おひさしぶりです。

 上のタイトルは、西和辞書で、見つけた文です。スペイン語を直訳すると、「ガラスが彼の手にけがをさせた」ということなんですが、その日本語訳が「彼はガラスで手を切った」なんです。
 自殺しようとする人は、ナイフやカミソリで手首を切ります。でも、この文の場合、「彼」は切りたくて切ったわけではありませんね。だから論理的には、「切った」じゃなくて、自発の「手が切れた」のほうが適切ではないでしょうか。でも、そういう表現はしませんね。検索したら、
「ガラスで手を切った」950件
「ガラスで手が切れた」0件
でした。
 「スキーで 足を折った」も、折りたくて折ったんじゃないですから、「スキーで足が折れた」となってよさそうなのに、そんな言い方はしないようです。
 こういう、「けがをした」という場合の「切った」「折った」というのは、他動詞が自動詞化した、と考えればいいのでしょうか。


二段構えの他動詞

Oyanagi さんのコメント
 (2004/11/18 01:43:51)

イラヒさん、こんにちは。

ご返事が遅れまして申し訳ありません。仕事から少し楽になったと思ったら、思わぬ怪我に見舞われまして・・・。今はもう大丈夫なのでご心配なく。

さて、疑問に思われた文は、私も数年前に気になって勉強したことがあったので、その時に入手した論文を探してみました。入手してすぐ一度読んだようですが、まとめるまでには至っていなかったので、ご質問をいただいたこの機会に、まとめてみようと思います。いただいたご質問を三つの部分にわけて、問題点1〜3という構成で書いてあります。問題点3については、イラヒさんいお伺いしたいことも書いてありますので、ご教示いただければと思います。

 
■問題点1 (他動詞の扱い)
 (イラヒさん)
 >自殺しようとする人は、ナイフやカミソリで手首を切ります。
 >でも、この文の場合、「彼」は切りたくて切ったわけではありませんね。
 >だから論理的には、「切った」じゃなくて、自発の「手が切れた」のほうが適切ではないでしょうか。
 >でも、そういう表現はしませんね。

まずこの「論理的には」を疑ってかかる必要があると思います。
★「切りたくて切ったわけではない」=「意図的ではない」=「他動詞は使わない」=「自動詞を使う」
という方程式のどこかにおかしいところがあるのではないでしょうか。

むしろ、
★意図性と他動詞はもう少し距離をとって考える
のがいいと思います。確かに、他動詞の一つの特徴として(主体の)意図性が挙げられるかもしれませんが、それは他動詞の最も基本的な要素ではありません。最も基本的なことは被動性ということです。

このようにいったん切り離してみれば、きっと気分は楽になります。(いや、なるはず・・・・)

「私はガラスで手を切った」のように、意図的であっても、非意図的であっても使える他動詞は、「切る」のように<変化動詞>の他動詞の場合が多いです。再帰性をもつものに限らず、このような特徴をもった他動詞では、「うっかり」とか「間違って」などの副詞をつけることによって、簡単に「非意図的」な他動詞文が生産できます。

例)「つぶす」は他動詞で、「つぶれる」は自動詞ですが、次のように使えば意図性はないと解釈されます。
  ・うっかり踏んでしまって、袋に中にあった卵をつぶしてしまった。
  もちろん、変化した卵のみに焦点を当てれば、自動詞を使って、次のように述べることもできます。
  ・うっかり踏んでしまって、袋の中にあった卵がつぶれてしまった。

  「落とす」「割る」
   ・花瓶をうっかり落として、割ってしまった。
  「殺す」
   ・山田を正当防衛で殺してしまった。(殺すつもりはなかった)

一方、<継続動詞>と呼ばれる動詞は、できないわけではありませんが、<変化動詞>と比べると、意図性のあるなしはちょっと微妙な印象を与えます。それでも、何か<結果>が残るような状況がイメージできるものであれば、<変化動詞>と同様に自然な文ができます。そうでない場合は、文ができますが、ちょっと全体の意味合いが異なるような気もします。

結果がイメージできる例)
  「叩く」
   ・釘を打つつもりが、うっかり指を叩いてしまった。(傷ができる)

結果がイメージできない例)
  「食べる」
   ・食べるつもりはなかったが、うっかり食べてしまった。


このように、いわゆる<変化動詞>と呼ばれる他動詞は、対象に働きかけるという点では、意図的な側面がありますが、働きかけた結果対象が変化するという側面を見れば、非意図的な側面も持つと言えます。つまり二つの側面をもつ動詞だということです。

(概略図)

 【上段】
   主体 → 対象     (働きかけ「殴る」)
        |
 【下段】   |
        対象 →対象 (変化・結果「死ぬ」)

・構文(ア):【上段】のみの構文:山田が花子を殴った。[いわゆる他動詞で継続動詞]
・構文(イ):【下段】のみの構文:花子が死んだ。[いわゆる自動詞で変化動詞]
・構文(ウ):【上段】と【下段】が連結した構文:山田が花子殴ってを殺した。[いわゆる他動詞で変化動詞]

ですから、一方に視点を当てれば、<その働きかけ>がクローズアップされ、意図的な意味が強く出るし、もう一方に視点があたれば、<その結果>に視点が移るわけです。
これを主語の意味役割と結びつけて考えれば次のとおりになります。
★意図的にそうしたという意味が優先される場合→「主語」=<動作主>=<その行為をする人>
★非意図的にそういう事態を招いたという意味が優先される場合→「主語」=<経験者>=<その結果を受けた人>

このように「ガラスで手を切る」というのは、
★「(私は)(非意図的ではあるが)<ガラスで手を切る>という経験をした」とか
★「(私は)(非意図的ではあるが)<ガラスで手を切る>という行為によってできた傷を受けた」
という意味で使っていると考えれば、そう不思議な文ではないと思いますが、いかがでしょうか。

では、なぜそのような<経験者>という意味で「私は〜+自動詞」で言わないのか、という問題があります。
ここには事態の認知の仕方が関わっていて、自動詞文では“言い表しきれない”ことを「他動詞文」に託していているとみるのが良いと思います。
詳しいことは、あとの考察に譲りますが、簡単に言えば、自動詞ではしょせん「ガラスで手が切れる」という対象の変化のみに焦点をあてて述べるだけで、そこに主題として「私は」をつけたところで、「私について言えば、ガラスで手が切れた(のです)」と言っているだけです。「うっかりガラスを触ってしまったために、手が切れた」ということを伝え切れないないからでしょう。そこまでの意味を伝えるのであれば、他動詞を使って<経験者>を据えるということをしなければならないのだろうと思います。

■問題点2 (自動詞の扱い)

 (イラヒさん)
 >検索したら、
 >「ガラスで手を切った」950件
 >「ガラスで手が切れた」0件
 > でした。
 >「スキーで 足を折った」も、折りたくて折ったんじゃないですから、
 >「スキーで足が折れた」となってよさそうなのに、そんな言い方はしないようです。

確かに、再帰性のある場合に、「ガラスで手が切れた」とか「スキーで骨が折れた」というのが不自然ですね。ですが、ほかの対象物であれば、「ロープが荷物の重みで切れた」とか、「強風で木が折れた」などと自然に言えます。これについては、自発の意味との関連が問題になります。私は次のように考えて自分を納得「させた」のですが、いかがでしょうか。

「切れる」や「折れる」のような自動詞は、他動詞との対応でグループ分けをすると、<他動詞から反使役化>によって作られた自動詞と考えられます。< >になにやら難しい言葉が入りましたが、ここではそれ自体は問題ではないので、さらっと流してください。ここでポイントとなるのは、このようなグループの自動詞は、対象物に<内在的コントロール>が認識されるグループだということです。それは、「ロープが勝手に切れた」とか「ロープがひとりでに切れた」のような言い方ができるということです。そうでないグループ(:専門用語では<脱使役化>と言いますが)の「かかる(掛かる)」などの他動詞は、「ぼうしが勝手にフックにかかった」とか「ぼうしがひとりでにフックにかかった」とは言えません。こちらのグループは必ず使役主の存在が想定されます。

ということで、「切る」や「折れる」などの自動詞を使って、「〜で+自動詞」という言い方が自然になるのは、
★「〜で」が動作主の動作をイメージするものではない場合
ということになります。

「スキーで」は、動作主が「スキーをすること」であって、「スキーしていて時の事故で」という意味に解釈されるので、不自然ですが、これを、「(100キロの人が上に乗って、)その体重で腰の骨が折れた」だったら自然になります。同様に、「ガラスで」は(私たちの生活経験から)「ガラスを不注意に触ってしまって」という動作主の行為をイメージするので不自然になりますが、もし次のような文にしたら、自然になるのではないでしょうか。「風圧で手が切れてしまった」
(余談:そういえば、小学生の時バス旅行で窓から顔を出していると「かまいたち」にやられるよ、と脅かされたことがあります。)

※<反使役化><脱使役化>については、『動詞意味論』影山太郎(くろしお出版)に詳しいです。
 私もこれでいろいろと勉強させてもらいました。

■問題点3 (スペイン語の場合)

 (イラヒさん)
  >スペイン語を直訳すると、「ガラスが彼の手にけがをさせた」ということなんですが、
  >その日本語訳が「彼はガラスで手を切った」なんです。

非意図的な場合に、どのような構文をとるかは言語によって一様ではなく、例えば英語では日本語と同様に
・I cut my finger with a knife.(ナイフで指を切ってしまった)(会話作文 英語表現事典朝日出版社の「切る」より)
となって、「動作主」でなく、「経験者」であっても、同じ他動詞で I cut......爐埜世┐襪茲Δ任后

スペイン語については、私は学習したことがないのでわかりませんが、手元の図書によれば、次のような内容の場合は、再帰文で表現することもできるし、「うっかり」という副詞をつければ日本語や英語と同様に他動詞構文で表現できるとしています。
(例文と約は『世界の言語と日本語』角田太作 くろしお出版 p85-86より)
・A  Carmen  se          le    rompieron  los    platos.
 に|カルメン |それら(皿)自身を|彼女に |こわした  |それらの|皿
 意味:カルメンは、うっかり皿を割った。
 直訳:カルメンに対して、それらの皿が自らをこわした。

・Carmen rompio los platos accidentalmente.
 ※rompioのoの上には、実際は ' がついています。
 意味:カルメンはうっかり皿を割った。

イラヒさんが紹介してくれた、「ガラスで手を切った」の場合は、自分自身の体に向けられる再帰文ですから、また違った見方が必要なのかもしれませんね。
スペイン語では、「彼はガラスでうっかり(自分の)手を切った」と、他動詞文では言えないのでしょうか。
「けがをさせた」と直訳されるということは、使役構文が使われているということですね。
「切る」という動詞が使われていたのでしょうか、それとも「けがをする」だったのでしょうか。
動詞の種類も構文にかかわることなので、それも気になりますね。
いずれにしろ、「非意図性」の文や「再帰性」のある場合に、どのような構文が使われるかは、言語によって異なると思います。

■まとめ

 (イラヒさん)
 >こういう、「けがをした」という場合の「切った」「折った」というのは、
 >他動詞が自動詞化した、と考えればいいのでしょうか。

私のこれまで書いたことをまとめると、
「ガラスで手を切る」や「スキーで骨を折る」の「切る」「折る」は「他動詞が自動詞化」としたというよりも、
★「他動詞(:変化動詞)」がもつ一側面(=対象の変化、結果という自動詞的な側面)に焦点をあてて、
★主語を<経験者>として、
★その<経験者>がどのような経験をしたか/どのような結果を受けたのかを述べる
構文になっていると考えるのがいいのではないかと思います。


■蛇足(真に不思議で面白い構文)

さて、私が今回の勉強で非常に興味をひかれたのは、同じ「切る」でも、「私はガラスで手を切った」という文よりも「私は、殴られて唇を切った」の「切る」のほうでした。つまり、前者では、“非意図的”であれ、行為を行ったのは「私」ですから「私は〜を切った」という他動詞構文でも納得できますが、後者は、行為を行ったのは第三者ですから「私は〜唇を切った」という他動詞構文ではおかしいのではないかということになります。

同じ「切る」という経験をした者として「経験者」であることには変わりませんが、実際にそれをしたのとそうでないのとが同じ他動詞構文で表されるところが、日本語の大きな特徴と言っていいのかもしれません。ただし、後者の構文が成立するのは限られた条件がそろった時のみで前者のそれと比べるとあまり生産性はありません。

同様のことは、後に紹介する佐藤琢三氏の「介在性」の文にも言えることで、自分がしたわけでなく、してもらったのに「私は予防注射をした」とか「私は田園調布に家を建てた」などと言えるのは、日本語だけでないはずですが、日本語の大きな特徴だと思います。

■参考文献の紹介

【1】『他動詞表現と介在性』佐藤琢三(「日本語教育84号」に収録)
    ※これは94年に発刊されたものですが、これを踏まえてやや加筆してあるのが次の論文です。
     『患者が注射をする』佐藤琢三(「月刊言語97年2月号の特集「例解日本語文法」に収録)
【2】『状態変化主体の他動詞文』天野みどり(「国語学151集」に収録)

【1】は、「患者が注射する」や「山田さんが家を建てた」のように、実際に主語にたつものが述語動詞の実際の主体ではない文がどうして成立するのかについて書かれていて、【2】は、「私たちは、空襲で家財道具を焼いた」のように、一方で自動詞文「私たちは、空襲で家財道具が焼けた」という形式がありながら、なぜ他動詞文が成立するのかについて書かれています。
そして、【1】の最後で佐藤氏が述べているように、【1】と【2】はある部分で共通した特徴を有する他動詞の意味特徴をもっているとしています。

もし入手可能であれば、この二つの論文をぜひお読みになってください。とても役に立つと思います。上のまとめは、この論文を読んで、自分なりにまとめたものです。

実は私もまだ消化不足で、よくわからないで書いている部分もあります。ただ、書くことで考えが整理されるので、とりあえず書いてみました。長くなりましたが、最後まで目をとおしていただいて、ありがとうございます。不明な点があれば、遠慮なく質問をお願いします。


日本語の奥深さを再認識

イラヒ さんのコメント
 (2004/11/18 12:25:54)

 oyanagiさん、丁寧な解説ありがとうございます。ご紹介くださった論文、どうにか入手して読んでみたいと思います。

 ところで、「問題点3」についてですが、元のスペイン語では、「けがをさせる」という他動詞が使われています。
 El cristal le hirio(oにアクセント) en la mano. 
これを「彼はガラスで手を切った」と訳すのはかなり意訳という感じがしますが、とにかく辞書にはこの訳が載っています。この辞書の訳を再度スペイン語に直したら、
 El se corto(oにアクセント) la mano con el cristal.
になります。   
 自分自身の体の一部を切ったので cortarase という再帰動詞を使うわけで、動詞の意味としては、他動詞のままです。これだけでは、わざと切ったのか、偶然けがをしてしまったのか分かりません。accidentalmente などの語を補えば、意図的に切ったのではないことが表現できます。ただ、他の辞書の例文なども併せて考えると、「ガラスやナイフで手を切る」というのは、通常、髪の毛や糸のようにばっさりと切り落とす(つまり、切断)わけではなく、「ちょっと切れ目が入った」という感じなので、「手を切った」=「手にけがをした」という訳になるようです。  
 
 もし辞書の日本語訳が「彼はガラスで手にけがをした」というものだったら、わたしは、自殺を図ったわけでもないのに「ガラスで手を切った」がどうして言えるのだろうという疑問は持たなかったでしょう。日本語訳を考えた人に感謝しなければいけませんね。
 
  


明鏡国語辞典

イラヒ さんのコメント
 (2004/11/18 20:04:11)

 以前oyanagiさんが他のページの掲示板で「明鏡国語辞典」がたいへんいいと推薦していらしたので、取り寄せました。
 最初に質問した時点では、まだ届いていなかったのですが、今「明鏡」で調べたら、「切る」の2番目の用法として、
「刃物などの力が加わって体の一部(に相当するモノ)を傷つける。特に、あやまって傷つける。」
と出ていました。ウーン、oyanagiさんが賞賛なさるだけあって、ひと味もふた味も違いますね。


基礎日本語辞典も・・・

Oyanagi さんのコメント
 (2004/11/18 20:43:09)

明鏡辞典をお取り寄せになったとのこと。
これからじっくり中身を吟味されることと思いますが、ほかの辞書とはひと味もふた味も違うところを、いろいろと発見されると思いますよ。

辞書の話題ということで、思い出したのですが、『基礎日本語辞典』角川書店も重版されましたね。
一時は絶版で入手不可だったのですが、これは日本語教師には朗報ですね。ただ、私が持っているのと比べたら値段が少し上がっていてびっくりしまた。
私は、まだ元をとるほど読み込んでいなので、もっともっと使わなければと思っている今日このごろです。つまり、最近勉強をさぼっています・・・(^^;


スペイン語

Oyanagi さんのコメント
 (2004/11/18 21:02:05)

イラヒさん、スペイン語の情報をありがとうございました。

やはり英語だけしか知らないようでは、だめですね。大学で第二外国語でフランス語をやったときに、「再帰構文」というのにとても興味を覚えました。でも、それっきりで・・・。スペイン語も含めてもっと再帰性の表現が豊富な言語の文法も勉強しないと、客観的な見方ができませんからね。う〜ん、がんばらねば。


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