「〜ば〜ほど」の用法と分類 [コメントする]

「〜ば〜ほど」の用法と分類


Oyanagi さんのコメント
 (2004/04/18 03:32:53)

※サーバーの不具合により2月以降の投稿ログが消失してしいました。投稿してくださった方には本当に申し訳なく思っております。
※親記事とレス記事は消失しましたが、Oyanagiの投稿はパソコン内にバックアップがありましたので、それだけをここに投稿します。
以下は「ふみさん」からの投稿に対するOyanagiのレス記事です。
(管理人より)
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www.moelc.moe.edu.sg/japanese/class/j4d/ba%20hodo.ppt


タイトル:構文の分類

ふみさん、こんにちは。なかなか面白い問題ですね。
これまで気にも留めなかったことですが、こうやって改めて考えると、「どうなっている?」という疑問がわきますね。

まず例文をいろいろ観察して分かったことは、日本語教育では「比例して変化する」という点が強調されすぎていて、それに合う例文を中心に教えているため、変化ではない述部の場合について、いったいどうなっているかはあまり考慮されていなかったのだろうと思います。

最初に、学習者への指導という視点から、観察しやすい違いについて書きます。ここでのポイントは、通常の文とそうではない文を区別することです。

次に、変化の述部とそうでない述部の両方がとれるものの違いについて考察します。これは、例によって認知の視点で文法を斬ったものです。この内容は、(いつもそうですが)こじつけかもしれないので、例文を作る際の参考程度にしてください。実際はどうなっているのかは、またじっくり考えてみる必要があると思います。授業が月曜日ということで、急いでまとめたものをアップしておきます。

■構文の分類
(ア)通常の構文

変化を表す述部がとれるかどうか、という視点でみると、次のような判定が有効かと思います。

★「Aば〜」という文において、
 そもそも「Aば<変化を表す述部>」と言うのが自然で、
 「Aば<変化を表さない述部>」と言うのが不自然なら
 「AばAほど、〜」という文においても、
 「AばAほど、<変化を表す述部>」という文型になる。
と考えてはどうでしょうか?

例えば、
 ×「テニスは、練習すれば、上手だ」
 ○「テニスは、練習すれば、上手になる」
 したがって、
 ×「テニスは、練習すればするほど、上手だ」
 ○「テニスは、練習すればするほど、上手になる」

 ×「パソコンで仕事をすれば、目が悪い」
 ○「パソコンで仕事をすれば、目が悪くなる」
 したがって、
 ×「パソコンで仕事をすればするほど、目が悪い」
 ○「パソコンで仕事をすればするほど、目が悪くなる」

一方
★「Aば〜」という文において、
 そもそも「Aば<変化を表さない述部>」というのが自然で、
 「Aば<変化を表す述部>」と言うのも自然なら
 「AばAほど、〜」という文においては、
 「AばAほど、<変化を表さない述部>」という文型も使えて
 「AばAほど、<変化を表す述部>」という文型も使える。
 ただし、(ここが今回の最大のポイントですが)
★「Aば<変化を表す述部>」というのが自然になるのは、
 “認知の働き”によるものです。(→詳細はあとで)

★従って、その認知の働き具合(=イメージのしやすさ)によって、
 述部に<変化を表す述部>と<変化を表さない述部>の
 どちらともとれる場合でも、その自然さにばらつきがあるようです。

例えば。
 ○「野菜は、新鮮なら、おいしい」
  (=「新鮮な野菜はおいしい」という意味)
 “認知の働き”で次の文も可能
 ○「野菜は、新鮮なら、おいしくなる」
 したがって、
 ○「野菜は、新鮮なら新鮮なほど、おいしい」
 ただし、認知の働きによって
 ○「野菜は、新鮮なら新鮮なほど、おいしくなる」
   も可能になる。

 ○「電子辞書は、小さければ、高い」
 ○「電子辞書はl、小さければ、高くなる」
 したがって、
 ○「電子辞書は、小さければ小さいほど、高い」
 ○「電子辞書は、小さければ小さいほど、高くなる」

(イ)特別な構文

(ア)は<変化を表さない述部>をとる場合にしても、やはり
「AばAほどB」という構文が、AとBの相関関係を示しています。
 つまり、Aが変化する度合いに応じて、Bも変化するということですね。

 ところが、同じ構文に見えても、そうでない場合があります。
 「見れば見るほど、美しい」
 ある絵画を見て、このようなことを言ったとしたら、
 対象である絵画が持つ美しさというのは“変化していない”のです。
 変化するのは、“観察者の感受度”です。
 ですから、この構文は言い換えれば、
 「見れば見るほど、(この絵画が)美しい(と分かってくる)」
 となるでしょう。

 これを次の文との対比で考えれば分かりやすいです。
 「デジタルカメラの写真は、画素が多ければ多いほど、美しくなる」
 この文では、実際に「写真(の仕上がり)」が「美しくなる」んですね。
 つまり、対象の程度が変化します。
 ところが、絵画は観察者の見る程度(何回も見る、よく見るという程度)
 に応じて、美しさが変化するのではなく、観察者の受け取りの度合いが
 変化するというわけです。

 このような構文を【当事者の内部変化】を表す構文と呼びましょう。

 この構文の特徴は、【現場性】が強いと思います。
 現場性が強いというのは、その場で観察することによって、その場で発せられることが多いということです。
 「〜ば〜ほど、○○が分かってくる」
 「     、○○に思えてくる」
 「     、○○く思えてくる」
 「     、○○に感じてくる」
 のように、観察者の心の変化について述べています。現場性+主観性の強さということで、述部の「分かっている」「思えてくる」「感じてくる」などの部分が省略されて、「美しい!」という述部だけで成立するものだと考えられます。

ほかの例文では、
 「いや、この卵焼き、見れば見るほど厚いね(よくこんな厚く焼いたね!)」
 「いや、彼の発音、聞けば聞くほど上手だね(よくこんなにうまく発音ができるね!)」
卵焼きの厚さ、彼の発音の上手さが変化するわけではありませんから、当然、「〜ば〜ほど<変化を表す述部>」という構文にはなりません。
※ある意味、対象のもつ程度の高さを強調するために、「〜ば〜ほど」構文が使われたとも言えます。
とても立派だと言うために、「いや、この壷ね、見れば見るほど立派だね!」という構文が使われるということです。

■これまでのまとめ

まず大きく「通常の構文」と「特別な構文」に分けて、「特別な構文」はもともと対象が変化するのではないので、「〜ば〜ほど<変化を表す述部>」という構文にはならない。
そして、「通常の構文」では、「〜ば、〜」という言い方を手がかりに、<変化を表す述部>しかとらないのか、どちらの構文も成立するのか判別できそうだということを指摘しました。
さらに、どちらの構文も成立するのは、“認知の働き”であるだろうことを指摘しました。

それでは、次に今回の最大のポイントである“認知の働き”が何かについて考察します。

タイトル:認知の働き

まず、先の説明で、通常の構文で「変化を表す述部」のみが来るとした場合について考えます。
この構文は、主に人の動作について述べる文で、その動作の程度/量に応じて、何かが変化するという構文になっています。
ポイントは、その「人」がその動作をする、その「人」がそのように変化する、というように、単一の主体について述べる構文になっているということです。

■単一の主体X(=人)について、
 Aの程度(=A1、A2・・・)に応じて
 Bも変化する(=B1、B2・・・)

 【Xが(Yを)Aする/Xが(Yが)Bになる】
  →(X:)YはAすればするほど、Bになる

       <Yは>
      ──────────
    |A1< A2< A3|→量・程度の変化 
(Xが)|_______________| 
    |B1< B2< B3|→変化
    |──────────|

この認知の働きのポイントは、上の四角で囲んだ部分と下の四角で囲んだ部分が相関関係になっていると見ることです。
先の説明で「テニスは練習すれば、上手だ」が不自然で、「テニスは練習すれば、上手になる」が自然になると書きましたが、そうなるのは、「〜ば〜」という文だけで、上のような認知がされているからだと考えられます。
そして、その対応関係に焦点をあてて述べたものが「〜ば〜ほど〜」という構文になります。
そのへんのことがよくわかるように、例文をあげると、下のようになります。

1【その人がテニスを練習する/その人がテニスが上手になる】
 (人は)テニスは、練習すればするほど上手になる。
2【その人が遊ぶ/その人の成績が悪くなる】
 (人は)遊べば遊ぶほど成績が悪くなる。
3【その人が甘いものを食べる/その人が太る】
 (人は)甘いものを食べれば食べるほど太る。
4【その人がパソコンの画面を見る/その人の目が疲れる(悪くなる)】
 (人は)パソコンの画面を見れば見るほど目が疲れる(悪くなる)。
5【その人が○○音楽を聞く/その人が○○音楽が好きになる】
 (人は)○○音楽は聞けば聞くほど好きになる。
6【その人がその問題を考える/その人が○○が分からなくなる】
 (人は)その問題は考えれば考えるほど分からなくなる。

次にどちらの述部もとれるものについて考察します。
上の場合が、単一の主体についてであったの対して、これは複数の主体になっている点が大きな違いです。

■同種の複数の主体(=物事:X1、X2・・・)について、
 Aの程度に応じた
 Bの状態を持つ

       <Xは>
 ──────────────────
| X1   X2   X3   X4|
| |    |    |    | |
| A1 < A2 < A3 < A4|→量・程度の変化 
| |    |    |    | |
| B1 < B2 < B3 < B4|→変化(2)
|──────────────────|
  |    |    |    |
 (1)  (1)  (1)  (1)

ここでの認知の働きをみると、先の二つの四角が並んでいるのとは異なる仕組みがあることがわかります。
つまり、個々の主体について、それぞれの判断(=1)があり、それをつなぎ合わせると、変化(=2)のようにみることもできるということです。

 【X1はA1で、B1である】
 【X2はA2で、B2である】
 【X3はA3で、B3である】

 【A1<A2<A3<A4である】
 【B1<B2<B3<B4である】

(1)の認知の仕方に焦点が当てられると、
  「〜ば<変化を表さない述部>」「〜ば〜ほど<変化を表さない述部>」という構文ができます。
(2)の認知の仕方に焦点が当てられると、
  「〜ば<変化を表す述部>」「〜ば〜ほど<変化を表す述部>」という構文ができます。

(1) →XはAばAほど(それに応じた)Bの状態を持つ
(2) →XはAばAほど(それに応じて)B(変化)

★(1)の解釈が優先されるが、イメージによって(2)の解釈も可能な場合
  =つまり、単一の主体そのものの変化とそれに応じた他方の変化、
   という認識がされにくく、通常は複数の主体について、
   それらを並べてみれば、そのような認識も可能になる場合

【くつ1はヒールの高さが1で、歩きにくさが1である】
【くつ2はヒールの高さが2で、歩きにくさが2である】
【くつ3はヒールの高さが3で、歩きにくさが3である】

【高さ1<高さ2<高さ3<高さ4である】
【歩きにくさ1<歩きにくさ2<歩きにくさ3<歩きにくさ4である】

(1)→くつは、ヒールが高ければ高いほど、歩きにくい。
     ※いろいろなくつをイメージして、それぞれのヒールの高さに
      応じた歩きにくさがあるという認識
(2)→くつは、ヒールが高ければ高いほど、歩きにくくなる。
     ※いろいろなくつをイメージしながら、同時にそれを
      つなげて、一方の程度に応じてもう一方が変化する
      という認識

 [その他の例]
(1)→家は、大きければ大きいほど、掃除が大変だ。
(2)→家は、大きければ大きいほど、掃除が大変になる。

(1)→骨董品は、古ければ古いほど、価値がある。
(2)→骨董品は、古ければ古いほど、価値が出(てく)る。

(1)→アパートは、駅に近ければ近いほど、家賃が高い。
(2)→アパートは、駅に近ければ近いほど、家賃が高くなる。

(1)→機械は、構造が簡単なら簡単なほど、壊れにくい。
(2)→機械は、構造が簡単なら簡単なほど、壊れにくくなる。

今回の考察でわかったのですが、これらの例は、意外と多いですね。
日本語教育の現場では、どちらかというと、変化を表す述語のほうで教えているのではないでしょうか。
でも、変化を表さない述部も自然で、よく使いますよね。

★(1)と(2)の解釈が同程度に可能な場合★
  =つまり、単一の主体そのものの変化とそれに応じた他方の
   変化、という認識も普通にできるし、イメージとして
   複数主体のつながりをイメージすることも可能になる場合

(1)→パーティーは、にぎやかならにぎやかなほど、楽しい。
     ※いろいろなパーティをイメージして、それぞれのにぎやかさに
      応じた楽しさがあるという認識
(2)→パーティーは、にぎやかならにぎやかなほど、楽しくなる。
     ※一つのパーティーが程度に応じて変化しているイメージ

 [その他の例]
(1)→納豆は、混ぜれば混ぜるほど、おいしい。
(2)→納豆は、混ぜれば混ぜるほど、おいしくなる。

(1)→部屋は、コーナーを上手に使えば使うほど、広く使える。
(2)→部屋は、コーナーを上手に使えば使うほど、広く使えるようになる。

(1)→野菜は、新鮮なら新鮮なほど、おいしい。
(2)→野菜は、新鮮なら新鮮なほど、おいしくなる。

■ご質問の例文について

以上のことから、ご質問の例文について考え見ると、次のように言えると思います。

「〜ば〜ほど、いい」という構文は、
元々「〜ば、いい」というのが自然で、「〜ば、良くなる」という言い方はないので、
「〜ば〜ほど、いい」という構文のみが成立します。

○「給料は、多ければ、いい」
×「給料は、多ければ、良くなる」(意味がない? 別な意味?)
従って、
○「給料は多ければ多いほど、いい」

※この「〜ば〜ほどいい」は、決まった言い方として教えるというのがいいのかもしれませんね。
というのは、見かけは次の形容詞の構文と同じですが、実は違う構文です。
「給料は、多ければ、いい」 →「給料はいい」では意味が成立しない
「野菜は、新鮮なら、おいしい」→「野菜はおいしい」でも意味が成立する

×「病気は、寝れば、いい」(意味がない?)
○「病気は、寝れば、良くなる」
従って、
○「病気は、寝れば寝るほど、良くなる」

「外国語は、勉強すればするほど、おもしろい/おもしろくなる」についてですが、
これまでの判定の仕方が正しいとすれば、「〜ば〜」の文でどちらも成立するということですね。

○「外国語は、勉強すれば、おもしろい」
  →○「外国語は、勉強すればするほど、おもしろい」
○「外国語は、勉強すれば、おもしろくなる」
  →○「外国語は、勉強すればするほど、おもしろくなる」

これはちょっとやっかいですね。
上の文の意味は、「外国語は、勉強すれば、その面白さがわかるけど、勉強しなければ、その面白さがわからない」という意味でしょうか。それなら、これまでの解説にあった、【当事者の内部変化】の構文と共通したものがあるようです。
つまり、「外国語は、勉強すればするほど、(それが)おもしろい(と分かってくる)」という解釈ですね。
下の文の意味は、通常の変化がともに起こるという解釈ですね。

その証拠として、上の文は、勉強している当事者が、(それを勉強している時などに)
「ああ、外国語って、勉強すればするほど、おもしろいね」と使うのが自然ではないかと思います。
それに対して、下の文は、客観的に、どういう関係にあるのか述べる形式のように思いますが、いかがでしょうか。

以上ですが、解決に役立ちそうですか?
実際のところは、どうなのかまだ自分の中でもはっきりしていません。とりあえず、例文を作る際に、上のようなことに注意すれば、一方しか使えない場合、両方使える場合がある程度整理できるのではないかと思います。


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