総記の「が」 [コメントする]

総記の「が」


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/13 23:03:36)

※これは過去ログを整理したものです(管理人)

[137] “総記” の意味 投稿者:たいしょうくん 投稿日:01/06/02(Sat) 22:33

はじめまして。養成講座受講中の「たいしょうくん」と申します。  いつもいろいろなところでOyanagiさんがお書きになったものを読んで勉強させていただいています。 初めてこちらにお邪魔させていただきました。 どうぞよろしくお願いします。
今日はは“総記のガ”の“総記”の意味について教えていただきたいのです。
先日の養成講座で、アルクの『日本語教科書の落とし穴』という本を使って勉強しました。
第9課のなかに、“総記のガ”について下のように説明があります。
 ・・・述部の記述に当てはまるものすべてを挙げるので「総記」とよばれる・・・
これを読んで、私は“総記”の意味を 次のように解釈しました。
   「総ての該当項目を ガ の前に記す」ことを要求するから、“総記”と呼ぶ。
例えば A(会社員)、B(会社員)、C(主婦)、D(学生)の4人についてなら、
「誰が学生ですか?」 → 「AさんとBさん ガ 学生です。」 というふうに、「学生です」に当てはまるすべての項目を ガ の前にならべあげなくてはいけない。
(知らなかったり忘れていた場合は別だが)「AとBが学生である」ことを知っているのに 「A ガ 学生です。」 「B ガ 学生です。」 と答えるのは“総記”に反するので不可である。
が、講師の先生は、「“総記”の意味は、述部に記してある内容を総て満たしている項目を ガ の前に挙げること」 と説明されました。 つまり、上の例では、AとBが‘述部に記してある内容を総て満たしている項目’であるから、 答としては 「AとB が 学生です。」 「A が 学生です。」 「B が 学生です。」のいずれも正しい と言われたのです。
???と思い、 「A が 学生です。」 「B が 学生です。」の二つは答として正しくないんじゃないか、と質問したのですが、 「述部に記してある内容を総て満たしているものを答にしているのだから、
正しい。全部の答を挙げることにそんなにこだわらなくてもいいです。」とのことでした。(「まぁ、普通は知っているもの全部をこたえますけどね、」とおっしゃいましたが。)
そう聞いても???だったのですが、「じゃあ、“昨日のゆうごはんに、何 ヲ 食べましたか?” という質問の答の“〜 ヲ 食べました”は総記のヲだけど、 食べた物を全部こたえないとマチガイですか?」 と質問されて、 ウツッ、と つまってしまいまいた。 確かに、「ごはんと肉と野菜と〜を食べました。」とは答えないで、「刺身を食べました。」 とか 「すき焼きを食べました。」とか 言うだけのような・・・
でも、 ソレッテ “総記”とは別の所に理由があるような気がするんだけど・・・ 例えば 質問している方も、答える方も、 夕食でおそらくはほとんどの人に共通しているであろう ごはん・みそ汁・野菜 といった部分については 答を必要としていない、とか・・(コレハ クチカラデマカセ デス。)
長くなってしまってごめんなさい。 いつも???ばかりです。まずは、私の“総記”の解釈が正しいのかどうか、教えていただけないでしょうか。 どうぞよろしくお願い致します。
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[138] Re: “総記” の意味 投稿者:Shuji 投稿日:01/06/04(Mon) 10:34 <URL>

たいしょうくんさん、こんにちは。
少し前、Oyanagiさんに情報を頂いて日本から入手した「総記のガ」についての論考を読んだばかりなので、一言触れてみます。
久野すすむ氏は「日本文法研究」(大修館書店1973年)の中で、「太郎ガ学生デス」の意味を「今話題になっている人物の中では太郎だけが学生です」の意味としています。(久野氏によると、「が」に中立叙述と総記の二用法があることを最初に明確に指摘したのは黒田成幸氏だそうです。)これから考えると、アルクの『日本語教科書の落とし穴』が言う<述部の記述に当てはまるものすべてを挙げるので「総記」とよばれる>や、その解釈として、たいしょうくんさんが示した<「総ての該当項目を ガ の前に記す」ことを要求するから、“総記”と呼ぶ。>は「総記のガ」を概ね正確に捉えていると言って良いのではないでしょうか。
もっとも私は「総記」を「ヲ」など「ガ」以外のものに当て嵌めて考えることには詳しくないので、印象的なことしか言えませんが、本来「ハ」のほうが座りの良い文に敢えて「ガ」を使用した場合(例:太郎「ハ→ガ」学生デス)に「総記のガ」と命名したことにはそれなりに理由があるものと思っています。「講師の先生」が挙げたという<昨日のゆうごはんに、何 ヲ 食べましたか?> の「ヲ」については、少なくとも久野すすむ氏が紹介した「総記のガ」の論理を当て嵌めることには無理があるように感じます。私は、たいしょうくんさんの解釈で良いのではないかと思っています。
Oyanagiさん初め、他の方の意見もお聞きしたいですね。
Shuji
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[139] (1)問題点の整理 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/06/05(Tue) 09:21 <URL>

たんしょうくん、ようこそ勉強部屋へ。\(^o^)/
(「くん」にさらに「さん」をつけるのも変なので、以下「たいしょうくん」とさせていただきます)
週末からばたばたと忙しくてレスが遅くなりました。申し訳ありません。
総記の「が」についての疑問ですね。養成講座の先生もたいしょうくんのように積極的な受講生に恵まれてさぞやり甲斐のあることでしょう。(^^)
<総記の「が」>(「を」もふくめて)についてはたいしょうくんの解釈で問題はないと思います。
そして、たいしょうくんが抱いた疑問もごもっともだと思います。実は私も同じ疑問を抱いたことがあります。
養成講座の先生の解答も間違いとは言えないと思いますが、説明が足りないのでは思いました。
「が」の問題はなかなか一筋縄ではいかないところがありますが、これまで私が勉強してきたことをまとめてみましたので、参考になさってください。かなり長くなるのでいくつかツリーに分けて書きます。
(こんなに長々と書けるのも個人の掲示板ならではです)
読まれてみて疑問に思ったこと、よく分からないところがあれば遠慮なく書き込んでください。
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たいしょうくんの提起された問題を次のように整理してみました。
「会社員である」という事態に当てはまる人がAとBの二人いる場合、
(注:元記事では「学生」となっていますが、これは「会社員」の間違いですよね)
「誰が会社員ですか」の答え方としては次の3つが考えられます。
(1)AとBが会社員です
(2)Aが  会社員です
(3)Bが  会社員です
このうち1)は<総記の「が」>の定義と合致するけれども、2)と3)は情報が不十分で、定義とは合致しないというのがたいしょうくんのご指摘ですね。それに対して先生は
>「述部に記してある内容を総て満たしているものを答にしているのだから、正しい。
> 全部の答を挙げることにそんなにこだわらなくてもいいです。」とのことでした。
>(「まぁ、普通は知っているもの全部をこたえますけどね、」とおっしゃいましたが。)
実はこの先生のコメントに「が」の問題が凝縮されていると思います。このコメントは間違ってはいないと思いますが、明らかに説明不足だと思います。
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[140] (2)問題解決へ向けて 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/06/05(Tue) 09:22 <URL>

「が」を考える時には2つのレベルをしっかり分けて考えたほうがいいと思います。
【1】文レベルの文法: 「が」は述語の<主格>を提示する
【2】談話レベルの文法:「が」は<中立叙述>の主格か<総記>の主格の解釈を受ける
談話レベルの文法という意味は、疑問詞疑問文では”未知”情報を問うのだから「が」が使われるとか、それに対する答えも「が」を使うということは一つの文だけで成立することではなくて、2者間のコミュニケーションで生じることだということです。そして、未知情報を求める/提供するときには『その問われている事態に当てはまる対象をそうでない対象と区別して(=排他的に)挙げる』ことになります。
元々、<総記の「が」>は<中立叙述の「が」>と対立する概念として提示されたものです。
例えば、「山田さんが来た」という文の「が」が何かと考えるときに、文レベルでは格関係を示しているだけで、それしか言えませんが、”談話レベル”で観れば、
【A】「あ、山田さんが来た!」
【B】「誰が来たの?」
   「山田さん(と佐藤さんと・・・)が来たよ」
の二つが考えられて、
【A】はある事態そのものをまるごと叙述する(相手に伝える)ときに出てくる<主格>の「が」で
<中立叙述の「が」>と呼ばれ、
談話の構造は文全体が<新情報>になっています。
【B】は問題となっている事態について、それを構成する<主格>成分を列挙するということで
<総記の「が」>と呼ばれ、
談話の構造は主格成分が<新情報>になっています。
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[141] (3)<総記の「が」>再考(上) 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/06/05(Tue) 09:23 <URL>

このように「が」を”文レベル”と”談話レベル”に分けて考えると、養成講座の先生のコメントは説明不足であるといえます。
まず、最初のコメントですが、
>「述部に記してある内容を総て満たしているものを答にしているのだから、正しい。
これは<総記の「が」>について『正しい』のではなくて、述語の<主格>であるということで『正しい』ということだと思います。つまり、『正しい』というのは”文レベル”の文法として正しいという意味なので、<総記の「が」>という視点からはズレています。
次に、2番目のコメントについてですが、
> 全部の答を挙げることにそんなにこだわらなくてもいいです。」とのことでした。
>(「まぁ、普通は知っているもの全部をこたえますけどね、」とおっしゃいましたが。)
これは”談話レベル”の文法のポイントをついたコメントだと思いますが、説明不足だと思います。
『<総記の「が」>は原則的に全てを列挙することなんだけれど、実際の会話では全部あげなくてもいい』という説明では<総記>という名称の意味がなくなってしまいます。
もし、<総記の「が」>という視点で説明するなら、
談話レベルでは会話には<焦点>になっている事態があることを指摘しなければならないでしょう。
つまり談話の流れから判断して<焦点>となっている<範囲>が会話をしている人の頭に浮かぶわけです。
その<範囲>において<総記=全てを列挙する>が成立していると考えれば矛盾はなくなります。談話の構造を無視して『客観的に述語が表す事態に合う対象を全て列挙する』と考えるから矛盾するのだと思います。
養成講座の先生は<総記の「を」>について次ような例を出して説明されています。
> 「じゃあ、“昨日のゆうごはんに、何 ヲ 食べましたか?” という質問の答の
> “〜 ヲ 食べました”は総記のヲだけど、 食べた物を全部こたえないとマチガイですか?」 
> と質問されて、 ウツッ、と つまってしまいまいた。
これも談話の流れから<焦点>になっているのが「主菜」であるという理解があるからこそ、「魚を食べました」とか「肉を食べました」という答えで十分なのだと考えられます。この<焦点>による<範囲>が変われば当然<総記=全てを列挙>の内容も変わります。
例えば、病院での会話を考えれば、医者に「それじゃ今朝何を食べたか教えてください」と聞かれたら「肉を食べました」とだけ言って医者が満足するはずはありません。
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[142] (4)<総記の「が」>再考(下) 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/06/05(Tue) 09:25 <URL>

ですから、養成講座の先生は最初の会社員の問題と一般的な食事の問題を同一視しているところが良くないと思います。会社員の例では3〜5人のグループについて聞かれているのであれば、<総記>の解釈は文字通り全て列挙するのが自然な流れだと思います。3〜5人の人の中で、答える側がA、Bともに会社員であることを知っている場合に「誰が会社員ですか」に対して(2)や(3)のように答えてそれで終わることは実際の会話では不自然だと思います。私の考えでは(2)(3)で答えたら、その後に「それからAも/Bも会社員です」という文が続くと思います。
(注:もちろんAかBのどちらかがもう会社員であることが了解済みであるという背景があれば、「A/Bが会社員です」という答えは問題ないと言えます)
つまり、養成講座の先生は一般的な食事の場面を例にとって、「だから全部挙げることにこだわらなくてもいい」とされましたが、これは一種の”詭弁”であり、実際は”談話レベル”の文法によって<全て>の<範囲>が変わることを指摘するべきだったと思います。
以上まとめると、<総記の「が」>は”談話レベル”の文法であり、「が」によって提示された項目が<総記=全てを列挙>であるというのは、『客観的に事実』に基づくものではなく、談話のルールによって設定された<範囲>(=焦点が当てられている部分)において成立していると考えるべきである。
くどいようですが、談話によって<範囲>が変わるということをもう少し例を出して説明しておきます。
談話のルールには<コミュニケーションの経済原則>のようなものがあります。
つまり、無駄なやりとりはしないということです。自者と他者の間で共有された知識や世間一般的な常識に照らし合わせて、さらには会話の焦点になっているものがあれば、それに合わせて必要な情報のみをやりとりするという原則です。
例えば、100人以上が集まったパーティについて、「きのうのパーティに誰が来ましたか」と聞かれて、その参加者を文字通り全て列挙することは普通ないでしょう。この問いかけが生まれるにはそれなりに背景があるはずです。「AとBが来ました」とだけ答えると、<総記の「が」>と矛盾するではないかということになります。しかし、談話のルールに従えば矛盾することはありません。
この二人の間で問題となっている人たち(A、B、C)がいて、その出席について情報を得ようとしているのであれば「AとBが来ました。(Cは来ませんでした)」と言っても『会話の焦点になっている範囲』において<総記の「が」>が成立しているということで、矛盾はなくなると思います。
ということで、<総記の「が」>が意味する<全てを列挙する>ということが、実は談話レベルで考えれば、設定された<範囲>では成立していると考えられるということです。
> でも、 ソレッテ “総記”とは別の所に理由があるような気がするんだけど・・・ 例えば 質問している方も、答える方も、 夕食でおそらくはほとんどの人に共通しているであろう ごはん・みそ汁・野菜 といった部分については 答を必要としていない、とか・・
このたいしょうくんの『別の所に理由がある』というのは、以上のように”談話レベル”の文法ということで解決できるのではないかと思います。
以上のことは、<総記の「が」>という概念をたてることから出発していますが、たいしょうくんが疑問に思われたように、<総記>という名称は誤解を与えやすいです。養成講座の先生にしてみたら、私が示したように談話の流れで設定された<範囲>で総記が成立しているという説明のほうが”詭弁”であると一喝されかもしれません。(^^;
私は個人的には<総記の「が」>をたてることに反対ではないのですが、「が」のより基本的な働きを考えて、そこから出発したほうが統一的な説明ができるのではないかと思っています。
(5)でそれについて書きますが、あくまで参考としてお読みください。
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[143] (5)「が」の基本的な働きを考える 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/06/05(Tue) 09:26 <URL>

<総記の「が」>とう名称は誤解を与えやすいと言えます。どうしてもこの名称にこだわるなら、談話レベルにおていは”焦点”となっている部分に関して<総記=全てを列挙>が成立すると考えることもできます。これは言い換えれば、『話者がその事態を叙述するにあたって(客観的に全てであるかどうかではなく)それが相手に伝えるべき情報として全てであると判断した』という意味で<総記>なのだと思います。
ちなみに述語が形容詞になるとさらに主観的な要素が入り、<総記の「が」>を『客観的に全てを列挙』というふうに考えると、変なことになります。
「あの店では何がおいしいの?」
「スパゲティがおいしいよ」
この文の「が」は<総記の「が」>と考えられますが、それではスパゲティ以外はおいしくないのかというというとそうでもないような気がします。この会話の意図するところは『あなたが「おいしい」と思うものを全て列挙せよ』というような論理的な数学のような問いかけではなく、『おすすめのものは何?』という意図だと考えられます。だから、答える人は『「おいしい」ものを全て列挙する』必要はないと判断するはずです。
私は個人的にはこのような誤解を与えやすい<総記>という名称を与えるよりも、
★「が」は『事態を構成する主格要素として<焦点>を当てる働きがある』
としたほうが統一がとれていいのではないかと思っています。
つまり、談話の(A)では、「が」によって<焦点>が当てられることで、その事態のみをまるごと叙述することになり、談話の(B)では、「が」によって<焦点>が当てられることで、それ以外のものが排除され、『それに合うものが全て列挙される』ということです。
<焦点>ということで捉えると、<総記=全てを列挙>の”範囲”が場面や文脈によって変化するということがよりはっきり捉えられていいのではないかと思うのです。
<総記の「が」>は結果の一面をとらえたもので、「が」の基本には<焦点>を当てる働きがあって、それが談話の性質によって、<中立叙述の「が」>の解釈を受けたり、<総記の「が」>の解釈を受けるとしたほうがいいと思うのです。
まとめると、
★「が」の<焦点を当てる>という基本的な働きによって2つの用法が生まれる
 1)文がまるごと新情報の場合→<中立叙述の「が」>の解釈を受ける
 2)主格成分が新情報の場合 →<排他>の意味が生じて、<総記の「が」>の解釈を受ける
   ※ただし、文字通り『全てを列挙する』かどうかは会話の”焦点”による
と、ここまで書いてみて「何を言っているんだ?!」と思われたかもしれません。実は自分の頭の中でもまだうまく整理されていないので、とても他の人に説明できるような段階ではありません。(^^;
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以上、<焦点>をキーワードに考えをまとめてみましたが、この談話文法というはどうしても「は」とのつながりを無視しては論じることができません。まだまだ勉強不足ですが、日本人の事態の捉え方が言語形式に反映しているとみています。最後にそのへんのことを蛇足ながら書き添えておきます。
事態そのものを構成する要素として<焦点>を当てるものが「が」で、それとは切り離されて、より広く『話題』として<焦点>をあてるものが「は」と考えます。より広いものから入り、徐々に<焦点>を絞っていく”求心的”な日本人の発想が、「は」「が」となって言語形式に現れているのではないかと思います。
(この考え方は私の独自の考えではなく、いろいろな参考書を読んで思ったことですが、特に『コトバの<意味づけ論>』『<意味づけ論>の展開』(田中茂範・深谷昌弘 紀伊国屋書店)の影響を受けています)
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[144] Re^2: “総記” の意味 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/06/05(Tue) 09:29 <URL>

shujiさん、書き込みありがとうございます。
「が」については、私はあれから進展はないのですが、たいしょうくんから投稿があったのでこれまで考えてきたことをまとめてみました。よかったらご覧ください。
shujiさんの掲示板での考察の展開も楽しみにしております。
p.s.久野氏の名前は「すすむ」だったんですね。失礼しました。私はてっきり「あきら」だと勘違いしていました。
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[146] Re^2: “総記” の意味 投稿者:たいしょうくん 投稿日:01/06/05(Tue) 23:39

Shujiさん、こんばんは。はじめまして。 コメント、ありがとうございます。
>私は、たいしょうくんさんの解釈で良いのではないかと思っています。
ありがとうございます。小さな(?)自信がわいてきました。
総記の「ヲ」というのは、私も初めてだったのですが、『日本語教科書の落とし穴』第9課にさらっとでてきていました。「総記」の意味が 私の捉え方で概ねOKならば、「ガ」以外にも、「ヲ」や「ニ」などにも「総記の〜」があるんだろうなあ、と思っています。 ただ、肝心の
「総記」をはっきりさせないとなぁ・・
「日本文法研究」、読んでみます。教えてくださって有難うございました。 
ShujiさんとOyanagiさんの間で 「ガ」を話題にされていたとのこと、 うわさ(?)にはきいていたけど「ハ」と「ガ」って 本当に奥が深いんですね。 
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[147] Re: “総記” の意味 投稿者:きんちょ 投稿日:01/06/06(Wed) 00:13 <URL>

 こんにちは。
 理論的なことはOyanagiさんが こたえていますが、ここでの やりとりが おもしろかったので、ちょっと よこから失礼します。
 A(会社員)、B(会社員)、C(主婦)、D(学生)の4人について、
| 「誰が学生ですか?」 → 「AさんとBさん ガ 学生です。」
|  というふうに、「学生です」に当てはまるすべての項目を ガ 
| の前にならべあげなくてはいけない。
というのは、この ばあい、もっともすぎるくらい もっともですね。
 でも、たいしょうくん さんが いっているのは、『この前提で総記のガをつかった応答をつくりなさい』という問題に対する こたえなんだと おもうんです。ここでいう『この前提』つまり、
  A(会社員)、B(会社員)、C(主婦)、D(学生)
の4人について はなしているというのだという 了解のもとでは、この応答しか つくりようが ありませんよね。
 しかし、たいしょうくん さんの養成講座で問題になったのは、この『前提』が会話の はなして/ききて の前提なんじゃなくて、この「総記のガ」に関する問題をとくひとたちに あたえられた『前提』にしか すぎなかったんじゃないかと おもうんです。そうでなければ、
  「A が 学生です。」 / 「B が 学生です。」
は、会話の なかでの応答としては「まちがった こたえ」に なってしまいます。<総記>で あるかどうか以前の問題として、そんな応答そのものが「ありえない」のだとすれば、問題そのものが成立しなくなってしまいそうです。
 しかし、かりに これが「まちがった応答」であるとしても、わたしは問題そのものが成立しないとは おもいません。その ばあいでも、「だれが学生ですか?」−「Aが学生です」という会話が あったのだということを<規定の事実>であると うけとめるところから出発して、ここでいう「Aが学生です」と 発話者が いうときの「ガ」は、<総記>の つもりだったのか、<中立叙述>の つもりだったのかと いうふうに 問題をとらえなおして かんがえたほうが いいと おもいます。
 つまり、それが会話のなかでの質問に対する応答として適切でなかったとしても、「Aが学生です」の「ガ」が<総記>ではなかったために不適切なんじゃ ないんですね。<総記>の つもりで いったことには かわりないけれども、事実としては ちがっていたと いうことでしょう。あるいは、単に「Bは眼中になかった」と いうことかもしれません。
 わたしたちが分析する文は、おもに「ただしい文」で あるべきでしょうが、それは内容が事実と一致しているという意味で 「ただしい」のではなくて、たとえウソであっても、表現意図と表現形式が きまりに したがった対応をしているという意味で「ただしい」ものであれば いいと おもいます。その意味で、「Aが学生です」という文が「ただしい」かぎりは、それは<総記のガ>の文として ただしいのでしょう。なぜなら、「だれが学生ですか」という質問に対する応答の文なのですから。
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[148] Oyanagiさんへ:今から読みます 投稿者:たいしょうくん 投稿日:01/06/06(Wed) 00:17

Oyanagiさん、こんばんは。たくさんのコメント、ありがとうございます。 今からプリントアウトして読ませていただきます。
「総記」は前から いろんな文法の本(といっても、入門の本ばかりですが)を見ても どうもはっきりわかりませんでした。(中立叙述にいたっては もっとあいまいにしかわかりません)
やっとワカレソウナ(←・・・文法がまちがっているっていわれても ホントこんな気持ち)気がして、ワクワクしています。たのしみたのしみ。
ちゃんと読んでからまた来ますが、取り急ぎお礼まで。
ありがとうございました。
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[149] 余談ですが 投稿者:きんちょ 投稿日:01/06/06(Wed) 00:32 <URL>

> そう聞いても???だったのですが、「じゃあ、
> “昨日のゆうごはんに、何 ヲ 食べましたか?” 
> という質問の答の“〜 ヲ 食べました”は総記の
> ヲだけど、 食べた物を全部こたえないとマチガイ
> ですか?」 と質問されて、 ウツッ、と つまっ
> てしまいまいた。 確かに、「ごはんと肉と野菜と
> 〜を食べました。」とは答えないで、「刺身を食べ
> ました。」 とか 「すき焼きを食べました。」と
> か 言うだけのような・・・
わたしは韓国で おしえているんですが、初級で
 「きのう なにをたべましたか」
と質問すると、ほとんどの ばあい、
 「ごはんをたべました」
という こたえが かえってきます。ガクゼンとして、「そうじゃなくて〜」というと、今度は、
 「キムチをたべました」
です。ときには、ほんとうに ごはんとキムチだけのことも あるみたいですが。それに、最初のこたえも、「パンじゃなくて ごはん」という意味かも しれないんですけどね。で、それでも わたしが不満そうにしていると、やっと、
 「みそしるをたべました」
などと いう ひとが あらわれてきます。まあ、「テンジャンチゲ」というのは、こちらでは たしかに 食堂のメニューに かかれる料理の なまえでは あります。
 たいしょうくん さんの養成講座の先生だったら、こういうときに、どう対処するのでしょうね。
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[153] <総記の「が」>の”意識” 投稿者:Oyanagi 投稿日:01/06/06(Wed) 01:07 <URL>

きんちょさんのコメントを読んで、次の部分が気になってので投稿します。
実は先の考察をしているときに最終的にアップしなかった内容のことが書かれていたのでハッとしました。

> つまり、それが会話のなかでの質問に対する応答として適切でなかったとしても、「Aが学生です」の「ガ」が<総記>ではなかったために不適切なんじゃ ないんですね。<総記>の つもりで いったことには かわりないけれども、事実としては ちがっていたと いうことでしょう。あるいは、単に「Bは眼中になかった」と いうことかもしれません。
---------
このことは考察しているときに考えたことなんですが、(投稿でもちょっとだけ触れましたが、)初めから「AとBと・・・が〜」のように全てを列挙する場合もありますが、そうじゃない場合もあるはずですよね。
「え〜と、まずAが〜ですね」「それからBも〜ですね」という具合に。そすると、最初の文の「Aが」の「が」は何なんだということになります。それから、「誰が〜ですか」に対して「AやBが〜です」という文で答えることも可能です。でも、「AやB〜」では明らかに全てを列挙していることにはなりません。じゃあ、この「が」は何かということになります。
それで<総記の「が」>=全てを列挙する、という単純な図式では解決できないことがわかりました。
それで、談話という視点から<全て>とみる<範囲>という概念を導入して解決してみたのですが、例によってこじつけっぽい印象は否めません。
きんちょさんの投稿を読んで、思ったことはこの<範囲>という概念も<総記の「が」の”意識”>ということで括ることが可能かなということです。
初めに全部上げるために「〜と〜と〜と」のように繋げなくても、「まず最初に”意識した”範囲として「Aが〜です」という文が生まれるのだと考えることができますよね。それからその範囲が広っがって「Bも〜です」と累加することになるというわけです。
私のこじつけ理論もそこそこ通用するのかなとちょっと思うようになりました。
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