過去ログ(管理人) さんのコメント
(2003/10/16 14:15:08)
※これは過去ログを整理したものです。(管理人)
No.767
投稿時間:03/06/25(Wed) 22:57
投稿者名:しゅんすけ
Eメール:
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タイトル:可能形について
はじめまして しゅんすけです。
今回は台湾人の友達に質問されて答えられなかったことが二つあります。 どうか力を貸していただけませんか? 宜しくお願いします
1、家族は切られない絆のようなもの
友達は切れるを受身形にして他人は切ることが出来ない絆ということを表していました。 文法的に合っていますか?
2.家族は自分にとっては誰にも代わられない格別な存在である。
これは僕は代えられない存在だと教えたんですけど、うまく説明が出来ませんでした。
お返事待っています
No.775
投稿時間:03/07/03(Thu) 03:25
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:しヨウと思ってもデキナイもの
こんにちは。管理人のOyanagiです。
「代わる」という動詞のことをいろいろ考えていてレスが遅くなりました。いろいろと考えると問題がどんどん広がってしまうので、とりあえず、可能形と受身形の使い方ということに焦点をあてて、レスを書きます。
(※その友人がこの二つの形を知っていて、それでも使い方を間違ってしまう場合にどうするかについて私の考えを書いておきます)
ええと、しゅんすけさんが、日本語教師かどうかわからないのですが、とりあえず日本語教師だと考えて書いておきます。分かりにくいところがあったら、またご質問ください。
■1番目の質問について
> 1、家族は切られない絆のようなもの
> 友達は切れるを受身形にして他人は切ることが出来ない絆ということを表していました。
>文法的に合っていますか?
文の意味を考えると、「文法的」にはあっていますが、「意味的」に不自然だと思います。
(※上の説明は「切れるを受身形にして」ではなくて「切るをを受身形にして」ということですよね)
この説明から判断すると、その友人は、「受身形」と「可能形」の違いは分かっているようですから、「切ることがデキナイ」という意味で使う場合は、「受身形」ではなく「可能形」を使うということで、理解してもらうのがいいでしょう。
★確かに「受身」の概念と「可能」の概念は共通したものがありますが、視点が異なります。以下の文でそれを考えてみましょう。
(注:共通したものが何かはここでは触れません)
(1)Aさんは、 そのロープを 切った。
(2)Aさん(に)は、そのロープが 切れた。 <可能形1>
(3)Aさん(に)は、そのロープが 切れなかった。 <可能形1 否定>
(4)そのロープは、 簡単に 切れる/切れた。 <可能形2>
(5)そのロープは、 全然 切れない/切れなかった。<可能形2 否定>
(6)だれかが、そのロープを 切った。
(7)そのロープは、(きのう)だれかに 切られた。 <受身形>
(8)そのロープは、(きのう) 切られなかった。 <受身形 否定>
(1)と(6)は元になる文です。不自然にならないように、多少単語を補ってあります。
<可能1>というのは、『その人が何かができる、できない』ということを言うものです。
<可能2>というのは、『(その人ができるかどうかではなく)その対象がどういう状態か』を述べるものです。
※<可能2>の「切れる」という形は、「切る」という他動詞に対する自動詞と考えられたり、「自発形」だと考えられたり、「中間構文」と呼ばれたりする場合がありますが、ここでは<可能>の一つと考えましょう。
ちょっと例を補足しておくと、次のような文のほうが違いがわかりやすいでしょう。
(ア)私はお酒は全然飲めない
(イ)このお酒は古くて飲めない。
(ア)は「私ができるかできないか」ということについて。
(イ)は人は登場せずに、「お酒が飲めるメ状態モなのかどうか」について、述べています。
おそらく、この例でも、その友人は、「飲めない」ではなく、「このお酒は古くて飲まれません」のように、「受身形」を使って文を作るのでしょうか。もしそうなら、上の(4)(5)のペアと(7)(8)のペアをよく比べて考えてみましょう。
★どちらも対象となる物について話していますが、
(4)(5)は「そのロープ」が『(切ろうと思えば)切れる』『(切ろうと思っても)切れない』状態であることを述べます。つまり『弱い』『強い』という状態を言うわけです。
★ところが、(7)(8)は「そのロープ」がどうなったか、について述べているだけです。つまり、『切られなかった』というのは、「切ることができなかったから」というより、「切る人がいなかったから」と考えたほうがいいでしょう。
ですから、問題となった文も「絆の強さ」というメ状態モを言いたいのですから、「切るひとがいない」のではなく「切ろうとしても切ることができない」という意味で、<可能形 否定>を使わなければいけません。
念のために<受身 否定>が正しく使われる例を挙げておきます。違いを理解してください。
(ウ)図書館の片隅にあって、だれにも読まれない本がたくさんある。
(エ)図書館には、先生以外、だれ(に)も読めない本がたくさんある。
(ウ)は「だれも読む人がいナイ」ということ
(エ)は「だれも読むことがデキナイ=難しい」ということを述べる文です。
■2番目の質問について
> 2.家族は自分にとっては誰にも代わられない格別な存在である。
> これは僕は代えられない存在だと教えたんですけど、うまく説明が出来ませんでした。
この「代わる」という動詞はなかなやっかいな動詞です。辞書には自動詞と書かれていますが、「友達が運転を代わってくれた」のような文もありますからね。他にも「〜に」の部分にどんなものが来るかとか、「〜に取って代わる」との違いなど、いろいろと頭が痛くなる動詞です。
で、あまり問題を複雑にせず、1番目の質問で書いたことを応用して、説明できないか考えてみます。
問題となった文は、「家族が格別な存在である」ということを言いたいのですから、1番で書いたことを共通した特徴を持っている文ですよね。
「切ろうと思っても、切れない」→「強い絆で結ばれている」
ですから、その格別な存在であることを示すには、次の二つの文型があると思います。
(1)『だれも 家族に代わって、その役割をすることができない』
→「だれかが代わろうと思っても、それができない格別な存在」
(2)『(私が)家族を 他のだれにも 代えることができない』
→「(私が)だれかに代えようと思ってもできない格別な存在」
そうすると、(1)から「代わる」の可能形を使った文(→3)ができて、(2)からは「代える」を使った文(→4)ができます。
(3)「家族は、自分にとっては 誰(に)も 代われない 格別な存在である」
(4)「家族は、自分にとっては 誰にも 代えられない 格別な存在である」
(4)の文は、しゅんすけさんが挙げた文ですね。文法としては(3)の文もあり得るかなと思いますが、“自分にとってどうなのか”ということを言いたいのであれば、(2)の文がベースになっている(4)のほうがいいと考えられます。つまり、「嫌なことがあって、ときどきは家族なんて要らないと思い、そんな家族を誰かに代えようと思うこともあるが、そう思ってもやっぱり他のだれかに代えることなどできません」という気持ちですね。
■結論
1番目の文にしても、2番目の文にしても、とにかくこの文では、「〜(よ)うと思っても、それができない」ということで格別な存在であることを伝えたい文なのだから、「可能形」を使うと説明してみてはどうでしょうか。
「可能」という概念は、「そうしたい/しようと思えば、それが実現すること、または実現しないこと」を表すと考えればいいわけです。「強く結びついているもの」について説明する場合は、やはり「切ろうと思ってもできない」「ほかのものに代えようと思ってもできない」と考えるのが自然だということでしょう。
No.779
投稿時間:03/07/06(Sun) 10:46
投稿者名:しゅんすけ
Eメール:
URL :
タイトル:Re: しヨウと思ってもデキナイもの
こんにちは Oyanagi さん
どうもありがとうございました。
とても感謝しております。
これかも宜しくお願いします
No.780
投稿時間:03/07/06(Sun) 10:53
投稿者名:しゅんすけ
Eメール:
URL :
タイトル:Re: しヨウと思ってもデキナイもの
先程、投稿しましたしゅんすけです。
質問があったのですが書くのを忘れてしまいました。
可能形に関連したことなんですが
1.「話せるようになりました」
2.「話すようになりました」
1.2の違いを説明するにはどのように説明すればよいのでしょうか?
僕としては意志が込められているかそうでないかが関係してくるのかなと考えているのですが。
何度も申し訳ありませんがどうぞ宜しくお願いします
No.783
投稿時間:03/07/10(Thu) 02:44
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:状況の説明が不可欠
> 1.「話せるようになりました」
> 2.「話すようになりました」
>
> 1.2の違いを説明するにはどのように説明すればよいのでしょうか?
使われる状況の違いを説明すればいいと思います。
(1)前はデキナカッタ → 今はデキル
(2)前はシナカッタ → 今はスル
(1)の場合が、「〜できるようになった」
(2)の場合が、「〜するようになった」
ですから、
・(前は上手に話せませんでしたが、)今は話せるようになりました
・(前は先生とあまり話しませんでしたが、)今はよく話すようになりました
という説明で、学習者は理解してくれると思います。
まあ、「意志」が入る、入らないという説明をしてもいいと思いますが、「〜できる」と「〜する」の違いはこれませの学習で理解しているとすれば、それを確認する程度でいいでしょう。
ちなみに、「お酒」の例文を作ると、そのへんを意識します。
「飲めるようになった」のか「飲むようになった」のか。
「飲めるのに、飲まなかった」だけなのかってことですね。
状況をしっかり設定して説明すれば、どの動詞でもうまくいくと思いますよ。