変化の表現とは(「心配になる」「緊張する」) [コメントする]

変化の表現とは(「心配になる」「緊張する」)


過去ログ(管理人) さんのコメント
 (2003/10/16 14:13:38)

※これは過去ログを整理したものです。(管理人)

No.738
投稿時間:03/06/06(Fri) 00:48
投稿者名:AM
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タイトル:「心配になる」と「緊張する」

「につれて」の例文で、学生が「留学試験が近づくにつれて心配している」とか「留学試験が近づくにつれて緊張になる」と間違った例文を作りました。前者は「心配になってきた」後者は「緊張してきた」となると思います。

自分なりに考えたのですが、「心配になる」は自動詞的(それ自身で一つの動詞?)で自分自身の心の中の不安を表していて(「〜を心配する」とは違い)、それに「過去からの変化」を表す「きた」をつけ、「緊張」は「緊張する」で主語の緊張した心理状態(これも自動詞?)を表しそれに「きた」をつけて変化を表すと考えました。学生は「緊張」を名詞として扱いそれに「になる」をつけて変化を表したと思うのですが、その言い方自体がないと思います。

そういう解釈でよろしいでしょうか?

また、「心配になる」でも変化の意味を表しているのでしょうか?であれば
、「留学試験が近づくにつれて心配になる」という例文でも正しくなると思いますが、意味は「心配になってきた」とどう違ってくるのでしょうか?自分自身のことではなく一般的にという解釈になるような気もしますが。

説明がうまくできているかわかりませんが、ご意見いただけますでしょうか?

No.757
投稿時間:03/06/21(Sat) 23:58
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:変化の表現について

AMさん、こんにちは。レスが大変遅くなりまして申し訳ございません。

> 「につれて」の例文で、学生が「留学試験が近づくにつれて心配している」とか「留学試験が近づくにつれて緊張になる」と間違った例文を作りました。前者は「心配になってきた」後者は「緊張してきた」となると思います。

そうですね。それでいいと思います。

> 自分なりに考えたのですが、「心配になる」は自動詞的(それ自身で一つの動詞?)で自分自身の心の中の不安を表していて(「〜を心配する」とは違い)、それに「過去からの変化」を表す「きた」をつけ、

これについては、あとでも触れますが、
(ア)〜になる、〜くなる
(イ)〜になってくる、〜くなってくる
この二つの違いということと関係してきますね。

>「緊張」は「緊張する」で主語の緊張した心理状態(これも自動詞?)を表しそれに「きた」をつけて変化を表すと考えました。学生は「緊張」を名詞として扱いそれに「になる」をつけて変化を表したと思うのですが、その言い方自体がないと思います。

そのような言い方はないということでいいでしょう。
心理・身体状態の変化については、「○○スル」というサ変動詞で使うものがあることを教えればいいでしょう。

■変化の表現について

> また、「心配になる」でも変化の意味を表しているのでしょうか?であれば
> 、「留学試験が近づくにつれて心配になる」という例文でも正しくなると思いますが、意味は「心配になってきた」とどう違ってくるのでしょうか?自分自身のことではなく一般的にという解釈になるような気もしますが。

まず、教科書、参考書に載っている例文を観察してみると、圧倒的に、「〜てきた」を使っています。ただ、それが全てでないことも事実です。例えば、『日本語表現文型I」では次のような例文が挙げられています。(p.111)
 (1)南へ行くにつれてだんだん暑くなる。
 (2)年月がたつにつれて、そのことは忘れてしまいました。

上の(1)の文もそうですが、「心配になる」も「〜につれて」と一緒に使って問題ないと思います。ただ、ニュアンスの違いはありますね。

★両者の違い★
上の(1)のように、「ル形」「〜に/くなる」と使うのは、一般的な現象や出来事を客観的に説明するような場合に多いのではないでしょうか。一方、個別の出来事については、「〜てきた」と「タ形」で使うことが多いのではないでしょうか。

「〜に/くなる」は【変化の表現】ですが、<変化の結果>である「〜」の部分に焦点を当てた表現です。一方、「〜てくる」は【変化の表現】ですが、<変化の開始>から<変化の進行(の過程)>に焦点を当てた表現です。そして、「〜てくる」は「〜ていく」と同様、話し手の「視点」(:自分のほうに向かってくるのか、離れて行くのか)が加わります。その分、話者の主観的な態度が入ると言えます。

このような、特徴を考慮すると、「〜につれて・・・」は「〜」と「・・・」が同時に<進行>するという意味を表しますから、<変化の結果>ではなく、<変化の開始><変化の進行(の過程)>を表す「〜てきる」のほうがふさわしいということになります。さらに、話者の主観的な態度が入るという点から、個別の出来事について説明する場合に、よく使われるということも説明できます。

しかし、それぞれの表現の守備範囲はある程度の広さがありますから、「〜につれて」も<変化の結果>を表す表現と使うことはできます。それが上の(1)(2)の例文ですね。(2)については、最後にふれますが、(1)の場合のように、<変化の結果>に焦点をあてた表現と一緒に使う場合には、たいてい「だんだん」のような<変化の過程>をイメージさせる副詞が用いられているようです。
※「〜てきた」は「だんだん」を使わなくても自然ですが、それは「〜てきた」にそもそもそのような意味が含まれているからでしょう。
そして、(1)の場合は、個別の出来事として、「〜につれて暑くなった」と言うこともできますね。その場合では、やはり「暑くなって来た」と比べて客観的で、現場の「変化の過程、様子」が伝わってこないという印象を受けるのではないでしょうか。

★問題の文の処理★
ということで、ご質問の「留学試験が〜」の文について考えてみると、
「(学生は)・・・つれて、心配になる」と、一般的に学生の心理について述べることができます。その場合には、<変化の過程>をイメージさせるように「だんだん」を入れたほうがいいでしょう。
→「(学生は)・・・につれて、だんだん心配になる(ものだ)」

そして、個別の出来事として、
「〜つれて、(だんだん)心配になった」と言うことができますが、「〜つれて、心配になってきた」と比べると、「〜」が原因でどういう結果になったのかという<変化の結果>に焦点があたっていて、現場の学生の心理の変化(=<そいういう気持ちを持ちはじめた>ことと<そいう気持ちが進行している>ことがうまく伝わってこないと思います。その意味では、多少不自然さを感じますが、間違いというほどではないと思います。
ただ、学習者に指導する際には「〜につれて」の構文の意味特徴とよくマッチする「〜てきた」を指導するのが良いでしょう。

★最後に
上の挙げた例文の(2)とそれに関連したことについて簡単に書いておきます。

(2)は「忘れてしまった」と、形式の上では、「変化の結果(の状態)」を述べていますが、「〜につれて」と一緒に用いることによって、“「忘れる」には程度があって、その内容を段階的に忘れて、最後には全部忘れた”という意味になっていると思われます。

動詞の意味そのものが【変化】を表す場合には、「〜につれて」と一緒に使うことが可能だと思います。
もちろん、<変化の開始><変化の進行(の過程)>を「〜てきた」で明示するのが一番いいのですが、動詞そのものに、変化の意味がある場合には、弱いながらも、そのような<開始><進行>をイメージできるので、一緒に使えるのではないかと思います。

・「病気が進行するにつれて、体重がだんだん増えた/減った」
・「円高が進むにつれて、○○の値段は上がる/下がる(と見られている)」
・「年をとるにつれて、体力がだんだん衰える」
など。

No.778
投稿時間:03/07/06(Sun) 02:56
投稿者名:AM
Eメール:
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タイトル:Re: 変化の表現について

ありがとうございます。大変参考になりました。
また、よろしくお願い致します。


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