こんにちは。管理人のoyanagiです。
ご質問の、「〜ないべき」についてですが、日本語教育の現場ではこれは<間違い>だと考えます。教えるのは次のような対応です。
1 〜するほうがいい > 〜するべきだ
2 〜しないほうがいい > 〜するべきではない
別件の質問の回答記事で紹介した「少納言」で調べてみると、面白い結果が出てきます。
検索ワードに次のものを入れます。
ないべき
そうすると11件ヒットします。(ちなみに「ないべきだ」ではゼロ件です)そしてヒットしな書籍タイトルを見ると、9件はYahoo!知恵袋で1件はぴあという雑誌で、もう1件は翻訳です。つまり、話し言葉で砕けた場面では使う人がいるようですが、“現代語”の書き言葉としては<非規範的>な使い方だという認識が強いのではないでしょうか。
会話のような砕けた場面では使われているというのには、もちろん理由があります。日本語教育の現場でも上のように教えても、規則的に次のように対応させて間違えることがよくあります。
1 〜するほうがいい > 〜するべきだ
2 〜しないほうがいい > 〜しないべきだ(日本語教育では間違い)
むしろ形としてこちらのほうが<合理的>だとも言えます。
また、「〜はずだ」には次のように二つの形があることも<誤類推>を促す要因になっているのかもしれません。
「〜はずだ」は「〜べきだ」とは異なり、「〜しないはずだ」も普通に使えます。
1 〜するだろう > 〜するはずだ
2 〜しないだろう> 〜しないはずだ
> 〜するはずがない
一方、誤用ではなく、現れるべくして現れるという見方もあります。それはペアとして登場する場合です。
「〜するか、〜しないか」のように対句になる場合には、「する」対「しない」のような形の対応が優先されるというわけです。ですから、形を対応させるために「〜するべきか、〜しないべきか」となります。
類例としては、「知っている」の反対は、通常「知らない」ですが、ペアで使う場合には現れやすいです。
「知っているのか、知っていないのか(をはっきさせたい)」とか。
特に、ご指摘にように古語では「すべきか、せざるべきか」の対応があったわけですから、このような古語に引きずれらえて、現代語では「す(る)べきか、しないべきか」としてしまうのかもしれません。
ただ、上にも書いたように“現代語”としては「べきだ」の否定は「べきではない」のように慣習化されました。
そもそも「べきだ。」という終わり方も古語とは異なる用法へと変わってきた結果です。その過程で、「〜だ」の否定形として「〜ではない」のほうが優勢になり、今日の文法になっているのではないでしょうか。
参考までに、下の掲示板でも同じことが取り上げられています。
読売新聞 大手小町
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0121/568123.htm?o=0 |
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