MOMOIさん、こんにちは。当サイトの管理人のoyanagiです。このサイトもだいぶ暇になってしまいましたが、まだまだご訪問くださる人がいるとは嬉しい限りです。
さて、ご質問の件ですが、母語話者なら自然に使い分けしていることでも、あまりなじみのない言葉に出会うと、「さて、これはどうなのかな…」と首を傾げることがあります。自然に使い分けているということは、おそらく使分けに「傾向」みたいなものがあるのでしょうし、迷うということはおそらく「重なり」のようなものがあるからでしょう。
そこで、手始めに国語辞典(ここではネットで調べられる大辞林)の「不」と「無」をひくと、次のように書かれています。
===大辞林より抜粋===
「不」
[接頭]名詞または形容動詞の語幹に付いて、それを打ち消し、否定する意を表す。
1 …でない、…しない、などの意を添える。
「―必要」「―一致」「―確か」「―行き届き」
2 …がない、…がわるい、…がよくない、などの意を添える。
「―人情」「―景気」「―出来」「―手際」
「無」
[接頭]名詞に付いて、そのものが存在しないこと、その状態がないことの意を表す。
「―感覚」「―資格」「―届け」「―免許」
======抜粋終わり=====
この説明を見てわかることは、形容詞(形容動詞)や動詞の意味があるものを否定する場合は「不」が使われる傾向があって、「無」は現れにくいだろうと予測できます。そして、「重なり」を見ると、名詞と一緒に使う場合で、「〜がない」という意味になる場合だとわかります。
たしかに、いくつか用例を調べてみると、
「人情」がないのは、「不人情」で、「慈悲」がないのは、「無慈悲」のように、「〜がない」という意味ではどちらもありそうですが、手がかりとなるのは、「不」のほうは上の辞典の説明のように、「〜がない」ことが「〜がわるい」とか「〜がよくない」のような意味につながっている点です。です。
「無」のほうはそれが「存在しない=ゼロ」というような意味が強く出て、「不」のほうは「〜がない/足りなくてよくない」というような意味が強くでるのかもしれません。「人情」がゼロの人はいないけれど、それが足りないのが「不人情」で、まさに冷酷=慈悲ゼロと見られるのが無慈悲といったところでしょうか。まあ、あまり言いすぎるとこじつけになりますが、そのような「傾向」ということで。
次に「重なり」について考えると、同じ語に付いていても、上のような傾向によって意味が分かれていることが予測されます。少し例を見てみましょう。
1) 不法(法に適合しない)
無法(法がない)
2) 不能(可能ではない)
無能(能力がない)
上の二つでは、だいたい上の傾向に従っているのではないでしょうか。
つまり、「不」のほうは、動詞の意味が入ってきて「〜しない」とか「〜できない」のような意味で対立していることがわかります。ところが「無」のほうはそれがゼロということで存在しないことを表しています。
しかし、中には説明がつかないものもあります。こういうのはかなり慣習に縛られていて、慣用表現として母語話者に記憶されているのだろうと思います。
※慣用で決まっている:不要、不用、無用
(続く) |
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