「ほぼ」と「ほとんど」の使い分けでなやんでいます。
「ほぼ」や「ほとんど」はどちらもある状態や基準に近いさまをあらわす副詞だとおもいます。
「現代副詞用法辞典」や「基礎日本語辞典」「類義語の使い分け辞典」などをのぞくと、そのちがいには、たとえば「ほぼ」には名詞用法がないとか、「ほとんど」は直接数量詞につかないとか、「ほぼ」はある状態や基準にとても近いという意味をあらわすから、基準値よりも高い場合でも使うことができるということとか、色々描いてあったのですが、
わたしの疑問に思う部分は書いておらず、また自分の語感にも不安を感じるので質問させていただきました。
それは、「ほぼ」が使える範囲のことです。「日本語教育辞典」(名前違うかもしれませんが。古いほうです)では、佐治先生がp436で「ほぼ」は確率が高いという意味ではつかえないとして、以下のような例を挙げています。
*彼は来るときはほぼ弁当をもってくる
そして、否定表現では「ほぼ」が使えるとしています。
そこには人がほぼ行かない
ほぼ見込みが無い。
ですが、私は、否定表現がともなう場合は「ほぼ」は使いにくいのでは・・・と思っています。以下の文では、「ほぼ」は使いにくいまたは使えないのではと考えているのですがいかがでしょうか。googleで検索しても、以下のもので「ほぼ」を使う例は少ないように思います。
私は家では{ほとんど / ?ほぼ}お酒をのみません。
この町には{ほとんど / ?ほぼ}公園が無い。
時間が無くて買い物が{ほとんど / ほぼ}出来なかった。
観光客が{ほとんど / ?ほぼ}いなかった。
かといって、「ほぼ」が使えない、とも言いにくい・・・(googleをみると、例えば「ほぼ行かない」のようなものはかなりヒットします。)
私が以上の文を変だと思うのは、
@文体的な差のため使えない
A確立に関係するものであるから使えない
B「ほぼ」のほうが、基準に非常に近いことをあらわし、否定形をともなうと、ゼロに近い意味をあらわしてしまうため、使うことが少ない。
(よって「大部分」をあらわす「ほとんど」のほうが使いやすい。)
Cわたしの語感がへん
の、どの理由か、またはそれ以外の理由かがよくわかりません。
よろしければご意見をお聞かせ願えないでしょうか。 |
|