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ほぼ と ほとんど スレッド削除
No.25-1 - 2007/09/09 (日) 12:55:56 - fu
「ほぼ」と「ほとんど」の使い分けでなやんでいます。

「ほぼ」や「ほとんど」はどちらもある状態や基準に近いさまをあらわす副詞だとおもいます。
「現代副詞用法辞典」や「基礎日本語辞典」「類義語の使い分け辞典」などをのぞくと、そのちがいには、たとえば「ほぼ」には名詞用法がないとか、「ほとんど」は直接数量詞につかないとか、「ほぼ」はある状態や基準にとても近いという意味をあらわすから、基準値よりも高い場合でも使うことができるということとか、色々描いてあったのですが、
わたしの疑問に思う部分は書いておらず、また自分の語感にも不安を感じるので質問させていただきました。

それは、「ほぼ」が使える範囲のことです。「日本語教育辞典」(名前違うかもしれませんが。古いほうです)では、佐治先生がp436で「ほぼ」は確率が高いという意味ではつかえないとして、以下のような例を挙げています。
*彼は来るときはほぼ弁当をもってくる
そして、否定表現では「ほぼ」が使えるとしています。
そこには人がほぼ行かない
ほぼ見込みが無い。

ですが、私は、否定表現がともなう場合は「ほぼ」は使いにくいのでは・・・と思っています。以下の文では、「ほぼ」は使いにくいまたは使えないのではと考えているのですがいかがでしょうか。googleで検索しても、以下のもので「ほぼ」を使う例は少ないように思います。

私は家では{ほとんど / ?ほぼ}お酒をのみません。
この町には{ほとんど / ?ほぼ}公園が無い。
時間が無くて買い物が{ほとんど / ほぼ}出来なかった。
観光客が{ほとんど / ?ほぼ}いなかった。

かといって、「ほぼ」が使えない、とも言いにくい・・・(googleをみると、例えば「ほぼ行かない」のようなものはかなりヒットします。)
私が以上の文を変だと思うのは、
@文体的な差のため使えない
A確立に関係するものであるから使えない
B「ほぼ」のほうが、基準に非常に近いことをあらわし、否定形をともなうと、ゼロに近い意味をあらわしてしまうため、使うことが少ない。
(よって「大部分」をあらわす「ほとんど」のほうが使いやすい。)
Cわたしの語感がへん

の、どの理由か、またはそれ以外の理由かがよくわかりません。
よろしければご意見をお聞かせ願えないでしょうか。
 
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ほぼ と ほとんど 削除/引用
No.25-1 - 2007/09/09 (日) 12:55:56 - fu
「ほぼ」と「ほとんど」の使い分けでなやんでいます。

「ほぼ」や「ほとんど」はどちらもある状態や基準に近いさまをあらわす副詞だとおもいます。
「現代副詞用法辞典」や「基礎日本語辞典」「類義語の使い分け辞典」などをのぞくと、そのちがいには、たとえば「ほぼ」には名詞用法がないとか、「ほとんど」は直接数量詞につかないとか、「ほぼ」はある状態や基準にとても近いという意味をあらわすから、基準値よりも高い場合でも使うことができるということとか、色々描いてあったのですが、
わたしの疑問に思う部分は書いておらず、また自分の語感にも不安を感じるので質問させていただきました。

それは、「ほぼ」が使える範囲のことです。「日本語教育辞典」(名前違うかもしれませんが。古いほうです)では、佐治先生がp436で「ほぼ」は確率が高いという意味ではつかえないとして、以下のような例を挙げています。
*彼は来るときはほぼ弁当をもってくる
そして、否定表現では「ほぼ」が使えるとしています。
そこには人がほぼ行かない
ほぼ見込みが無い。

ですが、私は、否定表現がともなう場合は「ほぼ」は使いにくいのでは・・・と思っています。以下の文では、「ほぼ」は使いにくいまたは使えないのではと考えているのですがいかがでしょうか。googleで検索しても、以下のもので「ほぼ」を使う例は少ないように思います。

私は家では{ほとんど / ?ほぼ}お酒をのみません。
この町には{ほとんど / ?ほぼ}公園が無い。
時間が無くて買い物が{ほとんど / ほぼ}出来なかった。
観光客が{ほとんど / ?ほぼ}いなかった。

かといって、「ほぼ」が使えない、とも言いにくい・・・(googleをみると、例えば「ほぼ行かない」のようなものはかなりヒットします。)
私が以上の文を変だと思うのは、
@文体的な差のため使えない
A確立に関係するものであるから使えない
B「ほぼ」のほうが、基準に非常に近いことをあらわし、否定形をともなうと、ゼロに近い意味をあらわしてしまうため、使うことが少ない。
(よって「大部分」をあらわす「ほとんど」のほうが使いやすい。)
Cわたしの語感がへん

の、どの理由か、またはそれ以外の理由かがよくわかりません。
よろしければご意見をお聞かせ願えないでしょうか。

「ほぼ」の用法(概略) 削除/引用
No.25-2 - 2007/09/13 (木) 15:11:03 - oyanagi◆t0YRevJB
 fuさん、こんにちは。oyanagiです。なかなか興味深いご指摘、ありがとうございます。これを機にいろいろ勉強させていただきました。
 ご質問の「ほぼ」の使い方についてですが、『日本語教育事典』の内容を確認しました。佐治先生が1ページを使ってど〜んと「概略表現」の使い分けの表を載せていたとは知りませんでした。○△×で使えるかどうか示しているのは親切で役に立ちそうなのですが、「否定」については、ウーンと考えてしまいます。これは「否定文なら<ほぼ>が使える」と解釈していけないと思います。(下の注もご参照ください)
 ついでに言えば、この一覧表では、「形容(動)詞」の項目もあって、<ほぼ>は「○」がついていますが、その語例には、「〜安全だ」「〜正しい」「〜正確な答え」とあります。しかし、「この部屋はほぼきれだ」とか「きのうはほぼひまだった」とかは不自然だと思います。「形容(動)詞なら<ほぼ>が使える」と短絡的に解釈してはいけないでしょう。こうゆう誤解を与えるようなまとめかたは良くないと思います。

 さて、私も「ほぼ」を否定表現と一緒に使う場合には、"一部の用例"を除いて不自然に感じます。一部の用例というのは、たとえば、「そこまで症状が悪化したら、ほぼ助からない」や、fuさんが引用された「ほぼ見込みがない」などです。今回考察にあたって、ネット上の用例を収集しましたが、否定表現といっても十把一からげにはできないようです。

 小学館の日本語大辞典を含め、ざっと主要な辞書の「ほぼ」の用例をみてみましたが、「ほぼ〜ない」という例はありませんでした。明鏡国語辞典には「漢文訓読」から来ているとありますから、漢文訓読の資料には「ほぼ〜ない」という用例があるのかもしれませんが、そちらの資料は調べていません。もしかしたら、古文では「ほぼ〜ない」と否定文と一緒に使う用法があったのかもしれませんが、現代語の規範意識としては、「私の家族はほぼお酒を飲まない」はやや不自然な表現だと認識されると思います。しかし、ネット検索からも見て取れるように、実際には「ほぼ〜ない」という否定表現と一緒に使う例は無視できないほど使われています。

 そこで次のような仮説をたてて考えてみました。詳しい解説はあとに書きますが、要点を書くと次のようになります。この考察のポイントは、(1)の部分です。既存の参考書の「ほぼ」の分類にはない視点だと思います。なお、考察の最後にgoogleの検索の裏技を載せておきましたので、用例収集の際に参考になさってください。

(1)「ほぼ」の用法には大きく2つある。一つは、比較対象となる客観的な「基準」が存在する場合で、もう一つは、そこから拡張した、主観的な「基準」による判断文となる用法である。
(2)前者の用法は、そもそも否定文が現れることはなく、後者の用法は、判断文の命題の"外側"に蓋然性の程度を表す表現と呼応する構文になるのが本来の形だと考える。
   ・「<命題>は、ほぼ確実だ」
   ・「<命題>は、ほぼ不可能だ」など
(3)したがって、「私の家族はほぼお酒を飲まない」のように命題の"内側”に「ほぼ」が入るのは本来の構文ではなく、口語で端折って言う表現のような印象を与える。
(4)しかし、このような主観的な「基準」をとる判断文において、命題内に「ほぼ〜ない」と言う使い方が広がっている。
   これは、「まったく〜ない」とのつながりを意識することで、「ほぼまったく〜ない」という表現が生まれ、「まったく」が省略され「ほぼ〜ない」というコンパクトな言い方になったと推察される。
(5)このようなコンパクトになった表現の中には、文脈によって不自然さが軽減される場合や、表現として慣習化され自然になったものがある。
(6)したがって、日本語教育においては、(1)(2)を中心に学習し、必要に応じて(5)の表現を紹介するのがよい。
(7)ただし、(1)(2)の用法において、単に表現のバリエーションとして"否定形"が現れるのは、本来の用法なので間違えないようにする。
   ・「〜とほぼ同じだ」=「〜とほぼ変わらない」など
   ・「〜であることはほぼ確実だ」=「〜であることはほぼ間違いない」など

※注
『日本語教育事典』の解説の最後に書かれている佐治先生の論文(『誤用例の検討ーその一例ー』「日本語教育34号」pp.21-34)にもあたってみましたが、この論文にある一覧表(p.27)では、「〜そこへ行く人はない」の項目で、「ほぼ」には「×」がついています。たぶん、論文の内容からしてこちらのほうがミスプリだと思われますが、ちょっと気になりました。まさか日本語教育事典のほうがミスプリだったなんてことはないですよね・・・。

なぜ「ほぼ」は否定表現と相性が悪いか(パート1) 削除/引用
No.25-3 - 2007/09/13 (木) 15:14:09 - oyanagi◆t0YRevJB
(1)なぜ「ほぼ」は否定表現と相性が悪いのか

■「ほぼ」の基本用法1

★対象Yが、基準となる数値、数量Xと完全に一致はしないが、
 それに非常に近く、Xと同じだとみなしてもいい、
 という意味で概略的に述べる用法

Xにくる言葉によって、次の3つに分類できます。

(ア)Xが数量の場合

イメージとしては、縦軸に目盛りをつけたもので、Xというレベルに非常に近くて「YはXだ」と言っても良い場合。
 例)ほぼ1メートルだ。ほぼ1時間かかった。ほぼ三倍だった。

(イ)Xが形状、位置の場合

イメージとしては、XをYの二つの円を位置を少しだけずらして書いたもので、完全に一致していないけれど、「YはXだ」と言っても良いという場合。
 例)ほぼ完全な円の形をしている。ほぼ町の中央に位置している。Yという英語は日本語ではほぼXに相当する。

(ウ)Xが到達点、完了点の場合

イメージは(ア)の拡張で、今度は動作、出来事の到達点、完了点が目盛りの一番上に来ます。
 例)作業はほぼ終わった。作品はほぼ完成した。プログラムはほぼ決まった。
   彼の話はほぼ理解できた(わかった)。

<ここでのポイント>

 縦軸の目盛りのイメージにしろ、重なる円のイメージにしろ、この基本用法のポイントは、基準となるXが想定できるということです。『日本語教育事典』の一覧表の分類で、「特定の状態」として出ている「政局は〜安定している」や、形容詞、形容動詞の例として出ている「〜安全だ」「〜正しい」「〜正確な答え」など、共通しているのは、そのような状態がイメージとして想定できて、基準になり得るからです。だから「ほぼ」が使えるのであって、決して特定の品詞や特定の状態であることが、即「ほぼ」に結びつくわけではありません。
※「安定している」=「変わらない」=「同じだ」という見方が成立するから、「Yはほぼ(以前のXとかわらず)安定している」と言えます。

■基本用法1と否定文の相性

この用法では、基準に対する一致度を見ているわけですから、否定文との相性うんぬんではなく、そもそも否定文が入り込む余地がありません。

■「ほとんど」の用法

ちなみに、「ほとんど」は<全体を容器に見立てて、対象Xがどの程度入っているか>をみるのが基本ですから、「わかる」部分が多ければ「ほとんどわかった」と言えるし、「わからない」部分がおおければ「ほとんどわからなかった」と言えます。肯定、否定にかかわらず使える副詞です。

なぜ「ほぼ」は否定表現と相性が悪いか(パート2) 削除/引用
No.25-4 - 2007/09/13 (木) 15:15:08 - oyanagi◆t0YRevJB
(パート1の続きです)
■「ほぼ」の基本用法2(基本用法1からの二つの拡張AとB)

基本用法の(イ)は具体的な形状をもつものの<一致>の具合を見ますが、これが<具体的な形>から<抽象的な判断内容>に拡張します。

拡張A:肯定的な判断の場合

二つの円XとYがややずれながら重なっている図をもう一度イメージしてください。
たとえば「oyanagiは変な先生だ」と判断する場合を考えてみます。話者が思い描く「oyanagi」のイメージ(Y)と、「変な先生だ」と断定できる人のイメージ(X)は、完全に一致はしていないが、それに非常に近く、「YはXだ」と言っても良いという場合です。
言い換えれば、これは蓋然性の程度が非常に高いことを述べる用法です。この場合は次のような構文になります。

 ・oyanagiは変な先生だと<ほぼ断定できる>。
           であることは<ほぼ確実だ>。
           であることは<ほぼ間違いない>。
           であることは<ほぼ疑いのない>事実だ。

拡張B:否定的な判断の場合

今度は、二つの円がかすかに重なっている図をイメージします。
たとえば「oyanagiはまじめな先生ではない」と判断する場合を考えてみます。話者が思い描く「oyanagi」のイメージ(Y)と、「まじめな先生」と断定できるイメージ(X)は、完全に別々ではないが、それに非常に近く、「YはXではない」と言っても良いという場合です。この場合は次のような構文になります。

 ・oyanagiがまじめな先生である<可能性はほぼない>。

また、将来ある事態がおこる蓋然性について述べる場合には、次のような構文になります。

 ・oyanagiが有名になる<見込みはほぼない>(可能性はほぼない)
 ・oyanagiが有名になる<ことはほぼない>(可能性はほぼない)

<ここでのポイント>
ここですぐに予想される反論は、なぜ普通の陳述の副詞のように命題内に「ほぼ」が入って「oyanagiはほぼ変な先生だ」とか「oyanagiはほぼまじめな先生ではない」と言う言い方をしないのか、ということです。これに対しては、次のことが関係していることが考えられます。

★ある対象を基準に判断するという点では上の基本用法も同じだが、この拡張用法の場合、(X)は主観的な判断基準で、基本用法にみられるような客観的な<基準値>や<到達点・完了点>ではない。
★この拡張用法は、基本用法の(イ)の拡張だと考えられるので、命題(全体)のXとYの一致度(ほぼ完全に一致/ほぼ完全に不一致)をみるようになっている。
★漢文訓読から来ているという歴史から、このような固い形式の文体に好んで用いられるようになった。

以上のことから、「ほぼ」は命題の述部にかかるのではなく、「断定できる」「確実だ」「間違いない」/「不可能だ」「可能ではない」にかかるのが本来の構文だと考えられ、命題内に「ほぼ」を入れた場合には、口語で端折ったような印象を与えると考えられます。

■拡張A、Bと否定文の相性

このようにある命題の成立の蓋然性を述べる文においては、その判断内容が肯定か否定かにかかわらず、直接的に「YはほぼXだ/ではない」という文型は不自然になります。たとえば、「彼は犯人だ」という判断について、「彼はほぼ犯人だ」というのは、口語で端折って話す場合にはありそうですが、やや不自然です。正しくは、「彼が犯人であることはほぼ間違いない」だと思います。同様に、判断文の内容を否定文にして「彼は犯人ではない」とした場合の「彼はほぼ犯人ではない」も完全な文でない印象を与えます。「彼が犯人ではないことはほぼ確実だ」と言うのが正しい言いかただろうと思います。

ただし、上の例文で紹介したように、蓋然性を述べる表現自体が否定形になることはあります。
 例)「oyanagiが変な先生であることはほぼ間違いない」
   「oyanagiがまじめな先生である可能性はない」

なぜ「ほぼ〜ない」が使われるようになったのか 削除/引用
No.25-5 - 2007/09/13 (木) 15:16:20 - oyanagi◆t0YRevJB
(2)なぜ「ほぼ」の用法が否定表現と一緒に使うような用法に拡張したのか

■拡張C(拡張Bからの拡張)

たとえば、fuさんが挙げた不自然な文「私の家族はお酒をほぼ飲まない」もこの上のような考え方からすると、次のように言えば、自然になりますが、かなり仰々しいですよね。(笑い)自分の家族についてこのように述べるのもなんか不自然です。

??「私の家族はお酒をほぼ飲まない」
 ○「私の家族がお酒を飲まないことはほぼ間違いない」
 ○「私の家族はお酒を飲まないとほぼ断言できる」

おそらく本当に言いたいことは、「全然飲まない」わけではないが、それに限りなく近くて「全然飲まない」のと<ほぼ同じ>と言いたいのではないでしょうか。このような場合は、本来「ほとんど飲まない」という言い方がその役目を担っていたと考えられますが、最近は、次のような序列のイメージができ上がっていて、「ほぼ」を使うことが増えているようです。このような用法を拡張Cと呼びましょう。

「全く飲まない」>「ほぼ飲まない」>「あまり飲まない」

<ここでのポイント>

★「全く飲まない」を基点にするような文脈のもとでは、「ほぼ飲まない」が「<ほぼ全く>飲まない」のような意味で"解釈されやすい"ため、命題内に「ない」が現われて「ほぼ〜ない」と使うようになった。

★さらに、否定の場合、「ゼロ」という基点が設定されることで、基本用法にあったような客観的な「基準」が働くという意識があり、命題内に「ほぼ〜ない」と、「ない」を入れることにあまり抵抗を感じなくなったとも考えられる。

■拡張Cのバリエーション

「蓋然性ゼロ」を基点として判断する文では、「ほぼ〜ない」という言いかたをすることが増えてきたと書きましたが、基本的にそのような解釈をうながす文脈が必要です。それがなくて単独で「ほぼ〜ない」が使われるとやはり落ち着かない文になります。

(1)不自然さが低減する要因1

しかし、表現によっては、すでに私たちの日常経験からそのような"解釈が織り込み済み"で慣習化されたものがあると考えられます。
そのような表現は、命題内に「ない」が使われてもさほど不自然には感じないと思います。

例)そこまで病状が悪化したら<ほぼ助かる見込みはない>。
  ↓
  そこまで病状が悪化したら、<ほぼ助からない>。(=ほぼ確実に死に至る)

例)そんな場所で紛失したら、<ほぼ出てくる可能性はない>。
  ↓
  そんな場所で紛失したら、<ほぼ出てこない>。

このような表現がどの程度存在するのか調べていませんが、ネット上に多くみつから命題内に「ほぼ」が入る「ほぼ〜ない」の自然さを検討すると、ある程度見えてくるのかもしれません。今後の課題です。

(2)不自然さが低減する要因2

また、本来硬い言い回しだったものをコンパクトにまとめるということは、言い切りの場合ではなく、あとに文が続くときに便利な言いかたになりますから、そのような場合に比較的よく現われると言えるかもしれません。これも今後の課題です。

例)「(私は)普段はほぼお酒を飲まないんですが・・・」
  「この制度は現在、ほぼ機能しておらず、・・・・」」

「ほぼ〜ない」の用法と用例のまとめ 削除/引用
No.25-6 - 2007/09/13 (木) 15:17:22 - oyanagi◆t0YRevJB
(3)「ほぼ〜ない」の用法と用例のまとめ

 (1)(2)の考察を踏まえて判断すると、私の語感では以下の1)〜3)が許容範囲だと思います。
 ただし、3)については、個別に判断しなければならず、人によってその判断にゆれがあると思います。

1)基本用法の構文に適合していて、単に述部が否定形になっている場合

  a. YはほぼXと<同じだ>
        ↓
    YはほぼXと<変わらない>

  b. YはほぼXと<同じだ> 
    前提:Xは<完全体>である。Yは<完全体>に近い
        ↓
    Yはほぼ<問題ない>
        <申し分ない>
    その他)「ほぼミスのない演技」「ほぼ文句のない仕上がり」なども同類

2)拡張A、Bの構文に適合していて、単に述部が否定形になっている場合

  A:YがXであることは<確かだ>
        ↓
    YがXであることは<間違いない>
             <疑いのない(事実だ)>

  B:YがXすると考えるのは<ほぼ不可能だ>
        ↓
    YがXする<可能性はない>
    YがXする<見込みはない>
    YがXである<ことはない>

3)拡張Bによって、述部が<蓋然性ゼロ>に近い事態を表わすことが日常の経験から容易に喚起される事態の場合
  ※上の3)のような言いかたをする必要がないもの

  ・〜場合/たら/ても、ほぼ<助からない> (生存)
  ・〜場合/たら/ても、ほぼ<見つからない>(遺失物)
  ・〜場合/たら/ても、ほぼ<出てこない> (遺失物)

   すぐに思いつくのはこの三つですが、ほかにもあると思います。

現場での指導とgoogleの検索法 削除/引用
No.25-7 - 2007/09/13 (木) 15:19:18 - oyanagi◆t0YRevJB
(4)現場での指導方法について

 学習者が、拡張用法A、Bの用法で、単に「ほぼ〜ない」と書いたら、第一には正しい構文の言いかたを教えるのがいいと思いますが、場合によっては、「ほぼまったく〜ない」や「ほぼ確実に〜だ」「ほぼ全部の〜が〜だ」「ほぼ毎日〜」のように、基準がわかるような言葉を挿入するという言いかたに直してもいいと思います。
 そして、「ほぼ〜ない」がすべていけないのではなく、正しい構文において、表現のバリエーションとして否定形が現われることに注意して指導することが必要だと思います。

(5)ネット上の例文収集

 今回ネット上の例文収集には次のような方法を用いました。もうご存知かもしれませんが、まだでしたらぜひお試しください。
googleでは、特定の文字列をフレーズ検索するのが基本ですが、たとえば今回の事例では「ほぼ」と「ない」の組み合わせの用例を調べたいわけですから、次のような構文を使うことが可能です。("と * は半角です。*の前後のスペースも半角です。)

"ほぼ * ない"

このワイルドカード * を入れることで、「ほぼ食べない」などの用例にある程度絞って検索することができます。そして、この構文を拙ホームページ(nihon5ch)のch1にある「日本語教師のためのgoogle検索窓」に入れて、新聞社などをターゲットに検索すればより信頼できる用例が集められます。なお、この検索窓にネット上の百科事典である「Wkipedia日本語版」も組み入れましたので合わせてご利用ください。

なお、上記の構文だけだと、「ほぼ間違いない・間違いがない」のようによく使われる用例も多くヒットするので、これを除いて検索する場合には次の構文をペースしてください。(二つ目のフレーズの前に半角のマイナス「-」をつけます

"ほぼ * ない" -"ほぼ間違い"

それから、これも比較的最近始まったサービスですが、「googleブック検索」というのがあります。登録された書籍のうち、一部内容の閲覧ができるものに対して全文検索が行えますから、新聞以上に信頼できる「実例」が収集できます。これもgoogleですから、上の構文をそっくりペーストしてクリックすれば「ほぼ〜ない」の実例が収集できます。

http://books.google.co.jp/

注)デフォルトでは、「部分レビューの書籍を検索」になっていると思いますが、そうなっていなければこれに設定するといいです。
------
以上ですが、何か不明な点がありましたら、遠慮なくご質問ください。
なお、投稿数が多いので、投稿順に閲覧する場合は、掲示板の▼降順▲昇順を使えば入れ替えることができます。

ありがとうございました。 削除/引用
No.25-8 - 2007/09/13 (木) 23:36:16 - fu
詳しい解説、ありがとうございました。
私は「うーんどうしてかな」までは思うものの、そこから解決への糸口をなかなかつかむことが出来ないと言うか、理論的に話をすすめることができないので、困ってしまいます。
自分でこのように緻密な分析ができるといいのですけれど。
修行が足りないのでしょう。

oyanagi先生の解説もなかなか難しく、私には全部理解できたかどうか…
そこで、先生の解説を自分なりにかみくだいて。留学生にわかるくらいの用語でかいてみたのですが、(日本語教師のわりに日本語力が無くて申し訳ないですがー)
いかがでしょうか。
先生のご意見と違うところがあると思いますが、その点はまたご指摘いただければと思います。

ほぼ
ある数量、形状、動作の完了、判断などを基準として、あるもの、ことがらがその基準に非常に近い、一致しそうであることをあらわす。

クラスのほぼ半数の人が休んだ 
この円とその円の大きさはほぼ等しい 
買い物はほぼ終わった
fuが25までにお嫁にいけないのはほぼ間違いない。

注意:
@基準に近いということを述べる表現であるため、その基準の中に「ほぼ」を使うことが出来ない。
うちの家族はほぼお酒を飲まない。
うちの家族がお酒を飲まないことはほぼ間違いない。

A以下のような表現はしばしば見られるが、省略された形であり、すべてが許容されるわけではない。
あの森でまよったら、ほぼ助からないよ
 あの森でまよったら助からないというのはほぼ確実だ(間違いない)

ほとんど
「ほぼ」と同じくある状態・基準に近いことを表す表現であるが、「ほとんど」は、ある状態の大部分を占めるという部分に重点が置かれる。
うちの家族はほとんどお酒をのまない。
ほとんどわかりました。
ほとんどわかりません。

また、数量詞に直接つくことができない。



さいごに、googleや検索の仕方など、ありがとうございました。
あのようなものは、正規表現というのでしょうか。
私どうも苦手で・・・
さっそく検索してみました。ありがとうございました。

"ほぼ"そんなところですが 削除/引用
No.25-9 - 2007/09/14 (金) 00:56:55 - oyanagi◆t0YRevJB
fuさん、さっそくのコメントありがとうございます。

私も分かりやすくかこうと、かなり書き直したりするのですが、まだまだ修業が足りません。(反省)
さて、fuさん自身が教えるにあたってまとめた内容ですが、ほぼそれでいいと思います。
(※こういう<ほぼ一致>というイメージがやっぱり「ほぼ」の使い型の典型ですね)
ただ、一点気になるのは、次の部分です。

>>8 fuさんは書きました :
> 注意:
> @基準に近いということを述べる表現であるため、その基準の中に「ほぼ」を使うことが出来ない。
> うちの家族はほぼお酒を飲まない。
> うちの家族がお酒を飲まないことはほぼ間違いない。
---
これについては、私の投稿でも触れましたが、少し補足して整理しておきます。

◆基本用法(イ)からの拡張について

基本用法の(イ)で実際に客観的な基準と言えるのは数が限られています。(先の投稿ではこのへんを少しごまかして書きました。)一つは位置(ほぼ真ん中)で、一つは形状(ほぼ円の形をしている)などです。つまり、形容詞を使った「ほぼ形容詞です」という文型ならば、理屈からして、「属性形容詞」は「ほぼ〜」がマッチしやすくて、「感情形容詞」になると、基準となるものが客観的とは言えませんから、「ほぼ〜」が使いにくくなるはずです。ここまでが補足です。

で、これを踏まえて先に投稿しものを整理すると、形容詞や動詞の状態表現(〜ている、など)のうち「ほぼ〜」が使えるのは、厳密に客観的な基準でなくても、イメージとしてある程度はっきり捉えられるものだと言えます。(ほぼ安全だ、ほぼ正確だ、など)。

この流れの最後に位置するのが、「事態の蓋然性の判断文」というわけです。だって、「その人がおもしろい」かどうかの判断に「物差し」があるわけではありませんからね。私たちの頭の中では、きっと二つのイメージがどの程度重なるかという意識が働いているはずです。ですから、「ほぼ一致している」場合に「〜は、ほぼ確かだ」といい、「ほぼ不一致の場合は」「〜(と考えるの)はほぼ不可能だ」という判断を下すんだと思います。
で、ここは私の考察の一番苦しいところですが、ほかの陳述の副詞と違って、「ほぼ」はその基本用法と派生からして、「<たぶん〜ない>だろう」のような言いかたができずに、「<〜は><ほぼ・・だ>」式の言いかたになるというのがポイントです。で、ほかの陳述の副詞と違うからかそ、同じようにコンパクトに表現しようという意識が働いてネット検索に現われるような「ほぼ〜ない」式の言いかたが広まりつつあるというのが私の考えです。

で、肝心の指導の仕方ですが、私が先の投稿で述べたかったことは、
★学習者が単に可能性の程度、または頻度の低いことだけに注目して、「全然〜ない」または「まったく〜ない」というわけではないけど、それに近い、という意味で「ほぼ〜ない」を使ったとしたら、それは本来の「ほぼ」の使い方ではないので、適切に直してあげなければならないということです。

「私の家族はほぼお酒を飲まない」は、おそらくそういう意味で使いたくて生まれた誤用だと思われますから、第一に、「ほぼ」の正しい使い方として「〜ことは、ほぼない」という文型を教えてあげて、その上で、「ほぼまったく〜ない」という表現なら、「完全にゼロという状態に近い」という意味で解釈できるので、許容されるという指導でもいいのではないかと思う、と先の投稿では書きました。

ちなみに、「ほぼ〜ない」と「〜ことはほぼない」は単に「こと」が入るかどうかの違いですが、構文としては大きな違いがあり、「こと」を入れることで、「〜する」ことにたいする蓋然性を表わす表現になっていると解釈されます。それで、「ほぼ」とマッチする文末表現になると思います。

◆補足(文体について)
先の投稿には書きませんでしたが、文体との関連も課題の一つです。
fuさんのあげた「この町には公園はほぼない」は確かに不自然です。今回の考察にそって考えれば、公園の有無を推測する場面において、「この町に公園がないことはほぼ確かだ」という文が成立しますが、そのような意味ではなく、「全然ない」のではなく「ほとんどない」という意味で使いたい場合は、どんな公園が修飾語をつけて「まったく」を挿入すれば少し許容度があがりますが、まだ不自然です。
⇒「この町には、子供が安全に遊べる公園はほぼまったくない」
それで、述部を「皆無」という硬い表現に変えてみると、許容範囲にまでアップするのではないでしょうか。
⇒「この町には、子供が安全に遊べる公園はほぼ皆無だ」
このように考えると、文体というのもあなどれない要因だと言えます。まだまだ課題は多いですね。

ありがとうございました。 削除/引用
No.25-10 - 2007/09/16 (日) 13:46:05 - fu
今は、教師のほうが忙しくてなかなか研究まで手がだせませんが、
仕事のほうが慣れてきたら、またgrepでどこかのコーパスをつかって「ほぼ」について真面目に調べてみたいなと思いました。
とても勉強になりました。
ありがとうございました。
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