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No.31-1 - 2009/05/25 (月) 10:28:06 - xiaosun2651
中国の北京で日本語を教えている者です、よろしくお願いします。下の文について質問させていただきます。
「このゴーカートは大人でも乗ることができますか。」
この文は「標準日本語初級」下の第35課に出ているものです。
この文の中に「このゴーカート(に)は大人でも乗ることができますか。」
の「に」が省略されていますが、こう理解してよろしいでしょうか。それから、どうして省略されているのでしょうか。教えていただければ幸いです。
 
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(無題) 削除/引用
No.31-4 - 2009/05/26 (火) 01:14:36 - xiaosun2651
親切に答えていただいて、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

可能文と形容詞文のつながり(まとめ) 削除/引用
No.31-3 - 2009/05/26 (火) 00:40:27 - oyanagi◆t0YRevJB
■まとめ
 「このゴーカートには大人でも乗ることができますか」は、(A)の視点で作られた「大人でもこのゴーカートに乗ることができますか」の「ゴーカートに」の部分を主題にした文です。「このゴーカートは大人でも乗ることができますか」は(B)の視点で作った文です。この視点の違いを強調すれば、つぎのようにまとめられると思います。

・「このゴーカートには・・・できますか」は、
  「ゴーカート【に】人が乗る」ことに焦点を絞った上で、
   具体的な内容として「このゴーカート【に】は、大人が乗ることできるのか」と尋ねる文。
・「このゴーカートは・・・できますか」は、
  「このゴーカートはどんな特徴をもった乗り物か」を尋ねる文で、
   具体的な内容として「このゴーカートは、大人が乗ることできるのか」と尋ねる文。

 このような視点の違いはありますが、実際のところ、結果的には同じ意味を伝えることができるでしょう。しかし、重要なことは(繰り返しになりますが)「〜は・・・できる」のほうは、形容詞文と非常に近く、その主題にたてたものが「どんなことができる物・道具・場所・時」なのかを述べるタイプの文なので、補足1)2)のような可能表現があること。「に」が残る「〜には」と「〜は」とは対象の捉え方、視点が異なること(:下の補足3)4)を参照)、さらには、文の構造を考えると、補足の5)6)のように「〜は・・・できる」にしないと、非文または不自然になることもあることは、初中級以上の学習者への指導の際には留意していいと思います。

■補足の例文
「可能文」の形式を使って、形容詞文のようにある対象についての属性を述べるようなタイプの文(B)を下に挙げておきますので、(A)と対比してみてください。
1)(A)わたしは 【この水】を 飲むことができる。
   ↓
  (B)【この水】は (きれいだから)飲むことができる。
      ※「この水はどんな水か」を述べる文
2)(A)わたしは 【このノコギリ】で 鉄板を切ることができる。
   ↓
  (B)【このノコギリ】は (性能がよく、よく切れるので) 鉄板を切ることができる。
      ※「このノコギリの性能」を述べる文
3)(A)市民は 【このグランド】で サッカーをすることができる。
   ↓
    【このグランド】では サッカーをすることができる。
     ※「このグランドではどんなことをするか/ができるか」を述べる文
   ↓
  (B)【このグランド】は (サッカー用の設備があるので)サッカーをすることができる。
      ※「このグランドはどんな場所か」を述べる文
4)(A)(人びとは)【この季節】に お花見をすることができる。
   ↓
    【この季節】には お花見をすることができる。
     ※「この季節にはどんなことをするか/ができるか」を述べる文
   ↓
  (B)【この季節】は お花見をすることができる。
      ※「この季節はどんな季節か」を述べる文

5)○ 【このゴーカート】は、だれでも乗ることができるところが評価されている。
  ? このゴーカートには、だれでも乗ることができるところが評価されている。
6)○ 【このゴーカート】は、最近導入されたもので、だれでも乗ることができる。
  × このゴーカートには、最近導入されたもので、だれでも乗ることができる。

■蛇足
最後に、可能文と形容詞文とのつながりの延長で、動詞の可能形(伝統文法では「可能動詞」)や可能形を含む句がまったく一つの話者の評価を表す形容詞のようになってしまった例について書いておきます。
・あいつはなかなか(頭が)切れるね。(←この包丁はよく切れる)
・この酒はなかなかいけるね。(=うまい)
・あいつはなかなか隅に置けないやつだ。
・彼はなかなか話せる人だ。
・あいつは煮ても焼いても食えないやつだ。
・このカメラはなかなか使えるね。(=便利だ)

可能文と形容詞文のつながり 削除/引用
No.31-2 - 2009/05/26 (火) 00:37:22 - oyanagi◆t0YRevJB
xiaosun2651さん、勉強部屋掲示板へようこそ。

「このゴーカートは大人でも乗ることができますか。」の「ゴーカートは」の部分について、「ゴーカートには」の「に」が省略されていると考えるのがいいのかということですが、元々どのような文が「下地」になっているかという点で言えば、そして、対象が初級学習者であるのなら、そのように考えて指導してもいいと思います。ただ、教師の側としては、ここでは「には」の「に」がなくなって「は」だけになったのはなぜか、ということを考えて、日本語の「〜は・・・・可能文」を理解しておくことも重要ではないかと思います。
 例えば、次の3つの文は、結果的にどれも同じ意味を伝えることできますが、伝え方は異なります。どの伝え方がもっともふさわしいかは、(微妙な違いではありますが)その人がどのようにそれを伝えたいかと関係しているでしょうし、全体の文脈のなかでどれがもっとも自然かが決まることもあるでしょう。

1)「だれでも  この店に 入ることができる」
2)「この店には だれでも 入ることができる」
3)「この店は  だれでも 入ることができる」

以下に、可能文の二つの視点という切り口で解説を書いてみましたので、どうぞ参考になさってください。

■可能文の視点(A):「ある人について、その人が何ができるか」を述べる
可能文の基本は、次のように「人は・・・できる」という形式で、「ある人について、その人が何ができるか」ということを述べることです。

  (1)わたし/彼は このゴーカートに(は)乗ることができます。
     【解釈1】★運転能力があるので、乗ることができる。(1=能力可能)
     【解釈2】★怖いとは思わないので、乗ることができる。(2=心情可能)
     【解釈3】★きょうは体調がいいので、乗ることができる。(3=一時的な内的条件による可能)
     【解釈4】年齢制限にひっかからないので、乗ることができる。(4=状況可能)
     【解釈4】このゴーカートは私/彼にとっては運転がやさしいので、乗ることができる。

  (2)大人でも このゴーカートに乗ることができます。
     【解釈4】☆このゴーカートは年齢制限がないので、乗ることができる。(4=状況可能)

     ※不特定の人である〈 〉は表現されないこともある。
  (3)〈来園者は〉このゴーカートには乗ることができます。
     【解釈4】ほかのは点検中だが、これには乗ることができる。
  (4)〈来園者は〉きょうはこのゴーカートに乗ることができます。
     【解釈4】きのうは点検中だったが、きょうは乗ることができる。


解釈1〜4は、可能になる条件によって分類して、その解釈例を示したものです。1〜3は動作する人の内的な条件で、4は外的な条件です。このような「だれかについて、その人が(しようと思えば/したいと思えば)何ができるか」ということに注目するのとは別に、次の(B)のように「主題の属性を述べる」という機能に注目することもできます。

■可能文の視点(B):「主題の属性」を述べる

上の(1)の【解釈1〜3】(★)で示した「その人の内的な条件によって可能になることを表す文」の解釈というのは、見方を変えれば「【その人】は・・・できる〈能力〉〈性向〉を持っている」とか「その人は・・・できる〈状態〉にある」など、その人の一時的または永続的な属性を述べていると言えます。

  (1)’【わたし/彼】は(この)ゴーカートに(は)乗ることができます。

この(B)の視点で重要なことは、「主題」には上のような「動作する人」だけでなく、「動作の対象」「道具」「場所」「時」などいろいろなものが来ることです。これによって可能表現の幅が広がります。

■可能文の視点(B)と「形容詞文」とのつながり

上の(2)の【解釈4】(☆)で示した「その人の外的な条件によって可能になることを表す文」の解釈というのは、「その対象がもっている特徴によって、その人が・・・できる〈状況〉にある」ということを述べていると言えます。そのため、可能にしている〈状況〉に焦点が当たれば、(1)’のように「動作をする人の属性」を述べるだけでなく、(2)’のように「動作の対象の属性」についても語ることができます。

  (1)’【わたし/彼】は (この)ゴーカートには乗ることができます。
  (2)’【このゴーカート】は 大人でも乗ることができます。(←大人でも【このゴーカート】に乗る)
       【解釈】このゴーカートがどんな乗り物かというと、だれでも乗れる(くらい簡単な)乗り物だ。

(1)’(2)’は「わたし/彼はすごい」とか、「このゴーカートはとてもいい」のような形容詞文と共通したものがありますから、可能文の形式を使って形容詞文のような文を作っていると考えればいいでしょう。

質問 削除/引用
No.31-1 - 2009/05/25 (月) 10:28:06 - xiaosun2651
中国の北京で日本語を教えている者です、よろしくお願いします。下の文について質問させていただきます。
「このゴーカートは大人でも乗ることができますか。」
この文は「標準日本語初級」下の第35課に出ているものです。
この文の中に「このゴーカート(に)は大人でも乗ることができますか。」
の「に」が省略されていますが、こう理解してよろしいでしょうか。それから、どうして省略されているのでしょうか。教えていただければ幸いです。
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