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受身の動作主を示す助詞 スレッド削除
No.30-1 - 2009/02/26 (木) 23:06:11 - amelie0122
初めまして、amelieと申します。
受身の文の動作主を表す助詞について質問がありまして、投稿いたします。

次回、間接受身と持ち主の受身を教える予定なのですが、

 私は 雨に 降られて、困りました。

この、二格(「私」が迷惑に思うことをするもの)は、常に二格と考えていいのでしょうか。カラ格になる場合はないのでしょうか。
…と思いまして、例文を作ってみたのですが…

(1)   あの医者が  私の息子に ヘンな薬を 渡した。

(2)私は あの医者から 息子に   ヘンな薬を 渡された。?
(3)私は あの医者に  息子に   ヘンな薬を 渡された。

私は、受身の動作主としてカラ格が使えるのは、
@動作の受け手としての二格と混同しない場合
A直接接触(例:殴る、たたく等)の意味ではない動詞の場合(この場合は二格でも可)
BAから派生して(?)、受身の動作主が機関・団体の場合

この医者の例文では二格が二つあり、混同しそうですが、
(2)のカラを使った文には被害の気持ちがあまり感じられないような気がします。

みなさま、コメントお待ちしております:)

amelie
 
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ありがとうございます!!! 削除/引用
No.30-5 - 2009/02/28 (土) 01:02:40 - amelie0122
oyanagiさん、詳しくお話くださいまして、本当に本当にありがとうございました!
oyanagiさんが書いてくださったことをよりよく理解するのには、私にはもう少し時間が必要だと思われます。。
今読んだ限りでは、質問がまとまっていません。。

でも、本当にありがとうございました^^

amelie

受身と動作主を示す助詞の相性(その3) 削除/引用
No.30-4 - 2009/02/27 (金) 22:45:34 - oyanagi◆t0YRevJB
(その2)からの続きです。

■持ち主の受身と「カラ格」(直接受身と間接受身との連続の視点から)
 最後に持ち主の受身について書いておきます。持ち主の受身は直接受身と間接受身の中間的な存在で、項が一つ増えるという構文の特徴からすれば間接受身ですが、相手の動作を直接受ける人が主語にたっている場合は意味的に直接受身と共通しています。そして主語にたつ人が事態の成立に直接かかわっていない場合は構文的にも意味的にも間接受身に近いと言えます。

※参考書によっては「持ち主の受身」を間接受身の一部とするだけで済ませているものもあるようですが、構文的な特徴と意味的な特徴を区別しておくのがいいと思います。

「二格」も「カラ格」も使える動詞について観察すると、意味的に直接受身になっている場合は、迷惑の意味になっていても(間接受身とは異なり)「カラ格」を使うことができますが、意味的に間接受身(つまり直接事態の成立に関与していない)に近い場合は、やはり「カラ格」よりは「二格」のほうが自然になるのではないかと思います。つまり、(5)〜(7)は「カラ格」でもかまいませんが、(8)の持ち主の受身は、間接受身の(9)がそうであるように「二格」のほうが自然だと思います。このような観察が正しければ、はやりここでも間接受身と「カラ格」のミスマッチが関与しているのだろうと思います。
また、これは個人の語感の域を出ませんが、どちらも使える(5)〜(7)にしても、「二格」を使ったほうが、その人の動作主性のようなものが強く出るように思います。

(5)あの先生が私を叱った。
   →【直接受身】
    :私はあの先生【に/から】叱られた。
(6)通行人が私に道を聞いた。
   →【直接受身】
    :私は通行人【に/から】道を聞かれた。
(7)会議の席で、太郎君がわたしの計画を批判した。
   →【持ち主の受身】※意味的に直接受身的
    :私は会議の席で太郎君【に/から】計画を批判された。
(8)先生が私の息子を叱った。
   →【持ち主の受身】※意味的に間接受身的
    :私は先生【に/?から】息子を叱られた。
(9)先生が(私の目の前で)他の子の作文をほめた。+私はむかっとした。
   →【間接受身】
    :私は(目の前で)先生【に/??から】他の子の作文をほめられて、むかっとした

■初級での指導にあたって
― 「カラ格」について ―
 初級の教科書である『みんなの日本語』では、たしか動作主を「から」で示す文型は導入・練習しないと思います。(※材料の「〜から作られる」はあります)amelieさんのところでは教える必要があるのでしょうか。実際に「から」がよく現れるのは上の(5)(6)のタイプの直接受身で、持ち主の受身の場合は、直接動作が及ぶ(打撃・接触)動詞の用例が多く、元々「から」が使えません。あまり初級のうちは深入りしないほうがいいと思います。

― 「ニヨッテ」について ―
 初級の場合、むしろ非情の受身で「〜によってVられる」が導入されることが多いと思います。その場合、間接受身は人が主語になったものですから区別は難しくないと思いますが、間接受身には原則的に「によって」は使われないことも指導が必要かもしれません。

以上、自分の勉強をかねていろいろと書いてみました。何か不明な点があったらご質問ください。

受身と動作主を示す助詞の相性(その2) 削除/引用
No.30-3 - 2009/02/27 (金) 22:44:16 - oyanagi◆t0YRevJB
(その1)からの続きです。

― 積極的な考え方(「に」を使う理由) ―
 迷惑受身の場合、重要なことは「Yがする動作」と「Xの受影」が話者の主観によって結び付けられる点です。つまり、単に「Y」を「何かの出所」と見るのではなく、「影響の与え手(仕手)」と見るということです。誤解を恐れずに言えば、迷惑の事態が成立するための「相手」と見なしているということです。このように「ある事態を迷惑受身の図式として捉えること」はイコール「迷惑の与え手を事態が成立するための相手として捉えること」だと言えます。

―「もらう」との比較で理解する ―
 この考え方は、「もらう」という動詞の場合と並行的に考えるとわかりやすいかもしれません。「もらう」は出所を示して「わたしは山田さん【から】お金をもらった」と言えます。この表現とくらべて「わたしは山田さん【に】お金をもらった」という言い方にはどのようなニュアンスが含まれているでしょうか。この「に」は着点の用法というよりは、むしろ「山田さんが、お金の授受という事態における与え手(仕手)」であることを強くアピールする働きがあると考えます。「もらう」という動詞はこのように「モノの出所」が「与え手としての動作主」としてイメージできるため「〜【から】もらう」を「〜【に】もらう」と言い換えることできますが、「奪う」とか「取る」は「与え手としての動作主」のイメージは喚起されず、もっぱら「モノの出所」としてイメージされないので、「〜【から】金を取る」と同じ意味で、「〜【に】金を取る」とは言えません。

― 積極的な考え方のまとめ ―
yを「迷惑の出所」としてではなく、「迷惑の与え手としての動作主」として示すために「カラ格」ではなく「ニ格」が使われると考えられます。

※以上の考え方は、最近読んだ次の論文を参考に、これまで読んだ参考書の内容をブレンド(?)して自分なりにアレンジしてまとめたものです。「二格」についてはいろいろな先行研究がありますが、わたしはいまのところこのような考え方が一番気に入っています。
 ・坪井栄治郎「受影性と受身」『認知言語学 I:事象構造』東京大学出版会 pp.63-86

■元々「カラ格」しか使えない受身構文の場合
 次にamelieさんが挙げている「薬を渡す」のような所有の移動概念を表す構文など、直接受身では「カラ格」しか使えない場合に間接受身(迷惑受身)をどう作るかについて考えてみます。
--------- amelieさんの投稿からの引用 --------
(1)   あの医者が  私の息子に ヘンな薬を 渡した。
(2)私は あの医者から 息子に   ヘンな薬を 渡された。
(3)私は あの医者に  息子に   ヘンな薬を 渡された。
----------------------------------------------------
所有の移動を表す3項述語の直接受身は(4)のように動作主を「から」で表示する必要があります。
(4)「あの医者【から】息子に【ヘンな薬が】渡された」

※次のように人が主語になる場合は、「二格」も可能
「【息子は】あの医者【から/に】ヘンな薬を渡された」

(4)のように、直接受身なら「から」を使っていてまったく問題ないのですが、上の(2)のように直接授受に関与しない「私」を主語にした間接受身の構文にすると、途端に「から」が不自然になります。これは上の迷惑受身構文における「ミスマッチ」の考え方が正しいとしたら、迷惑受身の場合は原則として動作主は二格で示されるというルールが働くからだと思います。
一方、(3)は直接受身では不自然になる「〜に〜に Vられる」(あの薬があの医者に息子に渡された)が、間接受身の構文になっていることで、不自然さが減少したと考えられます。ただ、(3)を実際に使うかどうか、まったく自然な文だと判断するかはゆれがあると思います。
ということで、「二格」を要請する方向と「カラ格」を要請する方向の二つの力がぶつかりあって、どちらにしても不安定な迷惑受身構文になっていると言えるのではないでしょうか。

(つづく)

受身と動作主を示す助詞の相性(その1) 削除/引用
No.30-2 - 2009/02/27 (金) 22:40:30 - oyanagi◆t0YRevJB
amelieさん、勉強部屋掲示板へようこそ。管理人のoyanagiです。

■結論から
― 間接受身の場合 ―
 結論から言うと、間接受身は原則として動作主は「ニ格」で示されると言っていいと思います。この場合の「間接受身」とは事態の成立に直接関係のない第三者を主語にして被害の意味を表す受身文のことです。

 自動詞文:社員が休む → 社長は社員に休まれて困った。
 他動詞文:となりの人がたばこを吸う → わたしはとなりの人にたばこを吸われて気分が悪くなった。

※『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック』(スリーエーネットワーク)のp.117には間接受身について、「動作主は必ずニ格で表されます。「によって」は使えません」と記述されています。しかし「から」は使えませんという記述はありませんでした。
※原則といったのは、「カラ」と「ニ」という対立ではなく、「デ」と「ニ」の対立を考えると、自然現象などが原因の場合に「(山田さんは)洪水で家を流された」のような「〜でVられる」という受身文が成立するからです。以下ではこのような例は除外して「カラ」と「ニ」に焦点を当てています。

― 持ち主の受身の場合 ―
 持ち主の受身は被害の意味になる場合もならない場合もありますが、被害の意味になる場合であっても、事態の把握の仕方として(意味的に)「直接受身」と共通したものを持っている場合は「カラ格」を使うこともできると思います。一方、意味的に「間接受身」と近い場合は「カラ格」は自然さが落ちると思います。持ち主の受身の場合は私自身もちゃんと調べたわけではないので、あくまでも個人的な考えです。人によって判断が違うかもしれません。以下に少し詳しく書いておきます。一つの考え方としてご参考になさってください。

■ちょっと注意
 ちょっと脇道にそれますが、amelieさんが例として挙げられている「雨に降られる」は間接受身(自動詞文から作る間接受身)としてよく取り上げられますが、「雨」は動作主ではなく自然現象です。(既にご存じかもしれませんが、)「雨が降る」が間接受身になることは、日本語の間接受身構文として特殊な事例で、通常は有情の動作主が来ます。このことを押さえておかないと、「*わたしは地震に起きられる」「*わたしは(家の前の)木に倒れられる」「*(わたしは)雷に落ちられる」(*は非文を意味します)などいった間違った間接受身文をどんどん生産してしまうので注意が必要かと思います。

■迷惑受身と「二格」の相性(「カラ格」とのミスマッチ)
― 概略 ―
 さて「カラ格」はamelieさんがご指摘しているようにある条件のもとで「二格」と交替できますし、また「二格」が使えない場合に「カラ格」が使われることもあります。「カラ格」は何か移動するものの<出所>を指定することが役目です。直接受身(中立の受身)の場合は、出所と認知できるものは「カラ格」も使えますが、間接構文の場合は、その構文的な特徴とマッチしないため「カラ格」は使えないと考えられます。なぜマッチしないのかについてはいろいろな考え方があると思いますが、次のように考えてみてはどうでしょうか。

― 消極的な考え方(「から」を使わない理由) ―
 そもそも受身で「yから」が使えるのは、yから抽象的であれ具体的であれ何かがxに移動するという概念がイメージできる場合です。直接受身の場合には、その名称のとおり、そのような移動のイメージが直接的に想定されますが、間接受身というのは、xの存在とは独立して成立する「yが〜するコト」によって、xが被害を受けると、話者が主観的に捉えることによって成立します。つまり、「yそのものからxに何かが移動する」という概念が直接的にイメージできないので、「から」は使えないと考えらることができます。

 <直接受身>
 ///////////////////
  Y            X  //
  ◎ から         ◎  //
  | →物 言葉、態度 → |  //
  |            |  //
 ///////////////////

 <間接受身>
 //////////
  Y      //    X
  ◎ →    //    ◎
  |      //    | 
  |      //    |
 ////////// 
    → → → → →→
   ◎ ※話者がYがXに迷惑を 
   |  与えていると判断する
   |

※ちょっと古いネタですが、踊る大捜査線ふうに言えば、事件は現場で起きているので、現場にいるものなら「〜から」で結びつけられるけれど、警察署の中に居て外から見ている人とは「〜から」で結べませんということになるでしょう。(笑)

 しかし上のように考えてみても、「迷惑」というものがyからxに向かって移動すると考えれば、「yから」と使えるのはないか、という素朴な疑問が出てきます。これについて答えるには積極的に「に」を使う理由を考えてみる必要があるでしょう。「から」が使えないんだから「に」なんだ! と簡単に済ませてもいいのですが、次のセクション(■)の内容につなげるために、ちょっと抽象的で長い説明ですが、書いておきます。
(つづく)

受身の動作主を示す助詞 削除/引用
No.30-1 - 2009/02/26 (木) 23:06:11 - amelie0122
初めまして、amelieと申します。
受身の文の動作主を表す助詞について質問がありまして、投稿いたします。

次回、間接受身と持ち主の受身を教える予定なのですが、

 私は 雨に 降られて、困りました。

この、二格(「私」が迷惑に思うことをするもの)は、常に二格と考えていいのでしょうか。カラ格になる場合はないのでしょうか。
…と思いまして、例文を作ってみたのですが…

(1)   あの医者が  私の息子に ヘンな薬を 渡した。

(2)私は あの医者から 息子に   ヘンな薬を 渡された。?
(3)私は あの医者に  息子に   ヘンな薬を 渡された。

私は、受身の動作主としてカラ格が使えるのは、
@動作の受け手としての二格と混同しない場合
A直接接触(例:殴る、たたく等)の意味ではない動詞の場合(この場合は二格でも可)
BAから派生して(?)、受身の動作主が機関・団体の場合

この医者の例文では二格が二つあり、混同しそうですが、
(2)のカラを使った文には被害の気持ちがあまり感じられないような気がします。

みなさま、コメントお待ちしております:)

amelie
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