#37「〜おき」の解釈にズレが生じる理由

問題点の整理
「〜おきに」という表現は「〜」に来る単語によって文意の解釈に違い、ズレが生じる。
解釈の違い、ズレとは『毎〜』『隔〜』の違いである。

(1)1時間おきに薬を飲む
(2)1日おきに薬を飲む
(3)1週間おきに薬を飲む
(4)1か月おきにAさんに会う
(5)1年おきにイベントが開催される

「1」がつく時間の単位で観察すると、
(1)の「時間」では『毎〜』の解釈となり、『隔〜』の解釈が生じることはまれである
(「まれ」というのは、『隔〜』の解釈を生じることもありうるということであるが、これについては後で触れる)
(2)以下、単位がより大きくなると『隔〜』の解釈が優勢になるが、解釈のズレも生じるようである。
ただ、その程度は一様ではなく(2)の「日」はほとんど『毎〜』の解釈は生じないのに対して、(3)〜(5)の「週間」「月」「年」はある程度生じるようである
例えば(3)の場合なら一つには「今週飲んだら、次は再来週飲む」という解釈で、もう一つは「毎週◯曜日に飲む」という解釈である。以下同様に(4)と(5)も解釈にズレが生じる。

そこで、まず基本的に『毎〜』『隔〜』の解釈の違い(1とそれ以下を区分しているもの)は何によるのかをはっきりさせる必要がある。それを踏まえて、なぜ(3)〜(5)で解釈のズレが生じるのかを考える。

また、数字が「1」ではなく「大きな数字」になったときにも解釈にズレが生じることは確認されている
(→参考文献2)

(2)1日おきに薬を飲む
(6)5日おきに薬を飲む

つまり、(2)は『一日ごとに』(=毎日)飲むという解釈はされないが、(6)になると、『5日という間隔を置いて6日目に』飲むという通常の解釈のほかに、『5日ごとに』(=5日目に)飲むという解釈がされうる。

さらに、「〜おきに」の「〜」の部分が同じでも後件の内容によって解釈がズレることがあることも指摘されている。(→参考文献1/例文と数値も同論文より)

(7)1週間おきにゴルフに行く
(8)1週間おきに包帯を取り替えに病院に行く

(7)は『隔〜』という解釈を受ける割合が高いのに比べて、(8)は『毎〜』という解釈を受ける割合が高いというアンケート結果が示されている。(7)と(8)で「毎週」という解釈をした割合は14%対60%。
同様に(9)の解釈も「隔年」ではなく「毎年」の解釈のほうが70%と多い。

(9)一年おきに時計の電池を換える

このように解釈のズレが生じる原因が何かを後に挙げた参考文献の内容を踏まえて私なりにまとめてみる。


考察

(記号について:◯は「スル」●は「シナイ」)

1「〜おき」の原則

「〜おき」という表現は『〜を間隔として置く』ということだから、「〜」の部分が<連続>してものとして切るこことができないのか、<非連続>として意識される(=ひとまとまりとして意識される)のか、によって解釈が異なる。典型的にはモノと距離の場合があるので、それを図式化してみる。

☆モノの場合

 ◯●◯●◯●◯・・・・
 ↑ ↑ ↑ ↑ 

モノは当然一つ一つに形があり、そのために独立したものとして意識される。
したがって、『ひとつおきに〜する』という時には、一つ(●)を間隔として置くということで、上の◯に対してすることを意味する。これが『隔〜』の解釈である。

☆距離の場合

 |−|−|−|・・・・
 a b c d (例えば「−」は1メートル)

長さはモノと違ってそれ自体は目に見えるものではない。計測されてはじめて認識できるものである。
つまり、もともとは<連続>しているものを計測という手段で区切って(=「|」)把握するものである。
したがって、『1メートルおきに〜する』という時には、「1メートルの間隔を置くと」いうことで、上のa〜dに対してすることを意味する。これが『毎〜』の解釈である。

このようにモノは<非連続>で一まとまりの<単位>としての意識、距離は<連続>したものを区切る意識が働くので、後者は「〜ごと」と同じ事態を意味することになるが、前者はそうならない。

以上が「〜おく」に『毎〜』『隔〜』の二つの解釈が生まれる原因である。
そこで、問題の時間であるが、日本語では<連続>したものと意識されるものと、<非連続>(のひとまとまりの単位)として意識されるものの2つに分かれるようである。
注:これはあくまでも”意識”の問題であり、例えば、1日が連続して1週間になり、それが連続して1か月、1年になるということを否定するものでない。

☆時間<連続>:秒、分、時間

  |−|−|−| (「−」は1秒、分、時間)
  a b c d

☆時間<非連続>:日、週間、月、年、世紀

  【 ◯ 】【 ● 】【 ◯ 】【 ● 】・・・
    ↑         ↑ 
 

以上、問題文のうち(1)の「時間」が『毎〜』の解釈を受け、(2)以下が『隔〜』の解釈を受けることは説明できたと思う。

2「〜おき」の原則が破られるとき(原因1)

以前からよく問題になる「オリンピックは・・・・行われる」という文で「〜おき」を使うとどうなるかということも、上の原則からすれば、3年という間隔を置くということで「3年おきに行われる」(注:つまり「4年ごとに行われる」)が正しいということになるのですが、実際には「4年おきに行われる」というような日本語も使われているようである。(「4年に一度行われる」と言えば誤解の心配はない)

このようなズレが生じのはどうやら<数の多さ>によるらしい。詳しくは下にあげたものを読んでいただきたいのだが、簡単に言うと数が多くなると、「〜」の間隔を置くという”心的作業”がうまく働かず、どうしても「〜目にそれをする/それがある」という意識が優先されるらしい。

「2」とか「3」くらいまではそうでもないが、それ以上になると、例えば「4つおきに〜する」という文の解釈は「◯●●●●◯●●●●◯・・・」のように原則通りになる場合もあれば、「◯●●●◯●●●◯・・・」のように「4つ目に〜する」という解釈もされやすくなるということである。

☆「〜おき」の原則が破られるとき(原因2)

次に数字が「1」の場合にも解釈にズレが生じるかどうかを考えてみる。
まず、「時間」については元々「〜ごと」と同じで<連続>の意識ですから、数字が何であれズレはない。
「日」はおそらく”ひとまとまり”として一番強く意識される基本単位ではないかと思われる。したがって、「1」(「2」「3」も含めて小数)では解釈のズレは生まれないのではないかと思う。
「1日おきに〜する」:「◯●◯●◯●・・・」
「2日おきに〜する」:「◯●●◯●●・・・」

ところが、「週間」は1つのまとまった単位であると同時に「日」が集まったものという意識もある
これによって原則通りの『隔〜』とは別に『毎〜』の解釈も生じうると考えられる。
つまり、「1週間おきに」は、一週間を一つのまとまった単位として、『その「週」を一つ置く』という意識がある一方で、「一週間=7日」ということで、『7日を置く』という意識のしかたもできるということである。

後者の場合の解釈には上で説明した<数の多さ>による意識の変化が生じるので、原則では「一週間=7日の間隔を置いて、8日目に〜する」となるはずだが、「1週間目=7日目に〜する」となると推測される。
このズレは前者では『隔〜』だから「今週のある曜日にしたら、次は再来週にする」ことになるが、後者では「今週のある曜日にしたら、次は来週にする」ことになり、つまり『毎〜』の解釈となるわけである。

このように先の原則に示した<非連続>の単語グループであっても二つの把握の仕方があることになる。
一つは原則通りに『隔〜』の解釈になる<まとまり把握>で、もう一つは『毎〜』の解釈になるものである。こちらは<まとまり把握>に対して<積み重ね把握>と呼ぶことにする。
(注:この用語はOyanagiの造語であるが、他に適当な名称があるかもしれない)

「一週間おきに〜する」のイメージ図

『隔〜』の解釈:原則通りの解釈

  【 ◯ 】【 ● 】【 ◯ 】【 ● 】・・・
   今週   来週   再来週

注)
ここでポイントとなるのは【 】は月曜〜日曜(:もちろん日曜〜土曜でもかまわない)という一週間の単位であるが、◯が実際にどの曜日にされるかは問題ではないということである。
それは、例えば、「この列車に1両おきにトイレがある」といったときに、実際にトイレがその車両のどこにあるかは問題ではないということと同じである。とにかく「〜」を一まとまりの単位として意識するということがポイントである。言い換えれば、「今週はスル週」「来週はシナイ週」というように「週」単位で出来事を把握する意識である。この点を指して<まとまり把握>と呼ぶ。

『毎〜』の解釈:「7日目に〜する」という解釈

   ◯●●●●●●◯・・・ 
   ↑火水木金土日↑
   月      月
   今週     来週

   (例えば、今週の月曜にしたら次は来週の月曜にするという解釈になる)

注)
同じ「1週間おきに」でもこちらは1週間の中味、つまり「月曜の次から1日、2日・・・1週間(=7日)置く」という意識である。この点を指して<積み重ね把握>と呼ぶ。

ところで、このように二つの把握の仕方があるということは、「一日=24時間」だから、「一日おきに〜する」の時にも同じズレが生じてもよさそうだが、そうはならないようである。
おそらく私たちの”日常生活の常識”から「ある時間に何かをして、その時間から1日置く」という意識が生まれにくいのだと思われる。(:「朝9時から一日」という表現が不自然であることと同じである)
(注:「24時間おきに」という表現はもちろん可能で、実際に原則通り『毎〜』の解釈で使われているだろう。しかし、「1日おきに」という表現でその意味を表すことは困難だと考える。これはやはり「日」の単位として強固なイメージがあるからだろう。)

一方、「週間」にみた解釈はズレはより大きい単位である「月」と「年」でも生じることが予想される。
「1か月=31日」「1年=365日」と考えるからである。

「1か月おきに〜する」

『隔〜』の解釈:原則通りの解釈

  【 ◯ 】【 ● 】【 ◯ 】【 ● 】・・・
   今月   来月   再来月

『毎〜』の解釈:「1か月(31日)目に〜する」という解釈

   ◯●●●●//●●●●●◯・・・
   ↑           ↑
  10日         10日
  今月          来月

   (例えば、今月の10日にしたら次は来月の10日にするという解釈になる)

「1年おきに〜する」

『隔」の解釈:原則通りの解釈

  【 ◯ 】【 ● 】【 ◯ 】【 ● 】・・・
   今年   来年   再来年

『毎〜』の解釈:「1年(365日)目に〜する」という解釈

   ◯●●●●●●●●●●●◯・・・ 
   ↑           ↑
   5月          5月
  今年          来年

  (例えば、今年の5月にしたら次は来年の15月にするという解釈になる)

注:厳密には「今年の5月◯日にして、次は来年の5月◯日」ということになるが、実際の使用の際にはそこまで厳密にしているとは思えない。もし使うことがあれば月単位で考えていることが多いのではないか。

☆「〜おき」の原則が破られるとき(原因3)

さて、このように問題点であげた(3)〜(5)の文は解釈のズレが生じる”可能性”があることがわかったが、それでは一体『毎〜』の解釈を実現させている要因は何だろうか?

それは一言で言えば<認知の仕方>の柔軟性であると考える。ある表現の使用ルールを破るということは話者の認知の働きであると考えられる。つまり、話者が「そのように観る」ということがどんな”文法”規則においても根本にあるというのが本考察の立場である。そもそも”文法”はそのような話者の認知によって生成された文を観察することによってまとめられたルールの体系である。その逆、つまりルールに私たちの文の生成が常に縛られているというわけではない。
(3)〜(5)の「週間」「月」「年」が『毎〜』の解釈を受けることがあるというのは、言い換えれば、私たちがある事態を表現する際に<まとまり把握>ではなく<積み重ね把握>をしているということである。

問題文(8)と(9)を考えてみる。
(8)は「けがをしている人の意識」の問題である。「包帯を取り替える」という行為を考えるときに、<まとまり把握>のように「今週は『取り替える』週」「来週は『取り替ない』週」という認知の仕方ではなく、<積み重ね把握>で「一日、二日・・・1週間たったら『取り替える』」という認知の仕方が優勢になるということではないだろうか。

注:参考文献1では『人間の世界知識』という用語で説明されているが、これは人間認知の仕方と言い換えることができると思う。私たちはさまざまな経験を通じて物事についてさまざまな言葉のネットワークからなる”イメージ”を作りあげている。それを『世界知識』と呼ぶのだろうし、認知言語学で言えば、『スキーマ』であろう。

(9)は「電池を交換する」という行為についてだが、(8)とまったく同じことが言える。「今年は電池を『換える』年で次はしない年」のような認知の仕方よりも、「1か月、2か月・・・1年たったら交換する」という認知の仕方が優先されるのだろう。

それでは(10)の文はどうであろうか。(注:参考文献1のアンケートから引用)

(10)あの学生は1週間おきに学校を休む

アンケートの結果は『隔〜』が優勢である。これはある学生の出欠を”観察する”ことによって「あの週は『休んだ』この週は『来た』」というふうに<まとまり把握>で認知している結果であろう。

次の(11)は私の作例であるが、解釈は『毎〜』『隔〜』のどちらが優勢だろうか。

(11)山田さんの奥さんは1週間おきに洗濯をする

私たちが頭の中にもつ「洗濯」という概念はその単語の辞書的な意味だけではなく、それがどのような事態なのかが言葉のネットワークとしてイメージができ上がっている。そのイメージにしたがって文が解釈されるのだろう。ある人は「洗濯はスル週とシナイ週がある」というイメージを強く持っていれば『隔〜』の解釈が優先される。また、ある人は「洗濯はたまったら(=1週間くらい)しなくてはならないもの」というイメージを強く持っていれば『毎〜』の解釈が優先されるはずである。さらに言えば、多くの人が共通するイメージとして「家族がある人が洗濯を1週間以上もしないではいられない」という認識があれば、そうするれば『毎〜』の解釈が優勢されるだろう。

最後に『文脈』の存在も考慮する必要がある。(11)を例にとれば、『認知の仕方』で解釈にズレが生じることがわかったが、最終的にはそれらは『文脈』の中で一つに決定されるることでコミュニケーションが成立している
だから、(11)も(12)や(13)のような文脈が与えられれば最終的に1つの解釈に定まるはずである。

(12)毎週するのは大変だから、洗濯は1週間おきにしている
(13)毎日は大変だけど、せめて1週間おきには洗濯するようにしている。


まとめ

以上をまとめると、まず「〜おき」の意味は、「〜」の単語が<連続>したものと意識されるか、<非連続>のものと意識されるかによって『毎〜』『隔〜』の解釈になるという原則を示した。
そして、「〜」の数の多さによって数え方に意識に変化が生じることを示した。
また、時間の単位では<一つの単位がより小さな単位の集合>であるという意識(=積み重ね把握)から解釈にズレが生じる可能性があることを示した。
最後にそのようなズレの可能性が具体化する要因は『認知の仕方』の違いによるものであることを示した。「週間」「月」「年」などは原則通りに<まとまり把握><非連続>で認知されるだけでなく、<積み重ね把握><非連続>としても認知されることによって『毎〜』の解釈を受けることを示した。


参考文献

1)岡本牧子(1997) 「『〜おきに…』の解釈と日本語教育での取り扱い方」
           『日本語教育』92号
2)定延利之(2000) 『認知言語論』大修館書店
注:同書はスキャニング仮説によるミスマッチという概念を使って言語を分析したものだが、その中の一節に『「おき」解釈に対する単位の影響』というのがある。p.66-70
注:同氏は『月刊 言語』(大修館書店)の1997年2月号にこの本の元となる小論「あの人は奥さんが3回変わりました」を寄せているが、あまりに紙幅の制約があってわかりにくい。

3)『基礎日本語辞典』(森田良行著 大修館書店)
注:同書の「ごと」の項目で「おきに」が対比されている。
4)福岡大学の柴田勝征先生のサイトにある『言問い亭』というコラムの
  バックナンバーNo.96とNo.109
 HP→<こちらから>



この考察を読まれた感想、ご意見をお待ちしています。


ch5のトップ
ホーム