過去ログ(管理人) さんのコメント
(2003/10/16 14:29:48)
※これは過去ログを整理したものです。(管理人)
No.830
投稿時間:03/08/17(Sun) 14:33
投稿者名:AM
Eメール:
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タイトル:対象を表す「ニ」(形容詞)
『セルフマスターシリーズ』や『日本語ハンドブック』にもありますが、適・不適を表す「ふさわしい・適切な」、必要性や有効性を表す「必要だ・いりようだ」などについてですが、「〜が〜に〜」となるため、「ニ格」をとるという解説があります。例えば、「辞書は(が)勉強に必要だ」など。しかし、このときの「辞書」は対象として受け取れないでしょうか?「勉強」はその目的を表すと思いますが。『日本語ハンドブック』によると形容詞は基本的に「は」をとり、「は」は主題であり、その主題の範囲(対象)を限定するとあります。うまく説明ができないのですが、形容詞は主語をもたないということになるのでしょうか?
No.834
投稿時間:03/08/25(Mon) 23:58
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:情報をお願いします
AMさん、こんにちは。レスが遅くなりましたが、勘違いをして的外れなレスをつけてもしょうがないので、次の書籍からの引用の箇所ですが、該当箇所のページを教えてもらえますか。
投稿を読んで、なんとなく疑問に思われている点は推測できるのですが、どこに焦点を当てて考えればいいのかちょっと決めかねているもので。
> 『セルフマスターシリーズ』や『日本語ハンドブック』にもありますが、適・不適を表す「ふさわしい・適切な」、必要性や有効性を表す「必要だ・いりようだ」などについてですが、「〜が〜に〜」となるため、「ニ格」をとるという解説があります。例えば、「辞書は(が)勉強に必要だ」など。
幸い2冊とも手元にあるので、その箇所がわかったらもう一度考えてみます。
それではよろしくお願いします。
No.835
投稿時間:03/08/27(Wed) 02:33
投稿者名:AM
Eメール:
URL :
タイトル:Re: 情報をお願いします
> AMさん、こんにちは。レスが遅くなりましたが、勘違いをして的外れなレスをつけてもしょうがないので、次の書籍からの引用の箇所ですが、該当箇所のページを教えてもらえますか。
> 投稿を読んで、なんとなく疑問に思われている点は推測できるのですが、どこに焦点を当てて考えればいいのかちょっと決めかねているもので。
はい、下記にページ数を入れます。
> > 『セルフマスターシリーズ』や『日本語ハンドブック』にもありますが、適・不適を表す「ふさわしい・適切な」、必要性や有効性を表す「必要だ・いりようだ」などについてですが、「〜が〜に〜」となるため、「ニ格」をとるという解説があります。例えば、「辞書は(が)勉強に必要だ」など。
『セルフマスターシリーズ』のほうは、P24です。ここの「6)必要性や有効性を表すもの」は「ニ」は対象をとるというのは少し違うように思います。「〜のために」という意味になると思いますし、P12の2−3には「必要だ」は「ガ」を対象としてとるともありますから。
「7)適・不適の意味を表すもの」の「ニ」は「に対して」の意味だと思いますから対象だと思います。『日本語ハンドブック(初級)』のP376にも「ニ格」をとる形容詞として「適・不適」は上げられていますからこれに問題はないと思います。
そして「は」と「が」の問題が『日本語ハンドブック』のP254にありますが、そこで「は」は主題を表し、主題はその文で述べたいことの範囲(対象」を限定したものとあります。また、P255には形容詞や名詞文では通常「は」が使われ、「が」を使う場合は「総記」の意味になると書かれてあります。
形容詞文の「は」または「が」で表す部分が対象を表すのであれば、その後に「ニ格」や「ト格」を対象としてとる形容詞は対象が二つあるということで、主語に当たる部分がないということになるのでしょうか?
自分でもよくわからないので、上記の説明で質問の意味が理解できるかどうか不安ですが、回答頂ければと思います。宜しくお願い致します。
> 幸い2冊とも手元にあるので、その箇所がわかったらもう一度考えてみます。
> それではよろしくお願いします。
No.836
投稿時間:03/08/28(Thu) 02:13
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
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タイトル:二つの「対象」について
AMさん、さっそくレスをありがとうございます。
教えていただいた箇所を読んで思い出したんですが、昨年の12月に一度この掲示板で「〜に強い」「〜に弱い」についてのご質問を投稿されていますね。それと今回のことはちょっと関連がありそうですね。まだ「現在のログ」に残っていると思います。最後のページです。
> 『セルフマスターシリーズ』のほうは、P24です。ここの「6)必要性や有効性を表すもの」は「ニ」は対象をとるというのは少し違うように思います。「〜のために」という意味になると思いますし、P12の2−3には「必要だ」は「ガ」を対象としてとるともありますから。
このP24は資料のページですね。これが何の資料かというと、P16 の4ー2ですね。
この4ー2は、対象に「ニ」を取る形容詞についてです。ここで挙げられている8つの分類をさらに補充するためにこの24頁の資料があるわけです。そういう視点でみると、1〜8まで、全て、何に対してそうなのか、その「対象」が「ニ」で示されているという点で共通しています。
ただ、AMさんが不思議に思ったように、6)の分類にある形容詞はちょっと注意が必要です。
これをどのように考えるかは、冒頭に書いた「〜に強い」「〜に弱い」の過去ログが関係してきます。
あの時問題になったのは「弱い」は「〜は〜が弱い」という言い方と「〜は〜に弱い」という言い方の二つがあるということでした。
「必要だ」は、同じ単語を使って「〜は〜が必要だ」と「〜は〜に必要だ」とは言えません。ですから、対象と言ってもそれは別のものを指すと考えたほうがいいでしょう。
例)○「私はお金が必要だ」
×「私はお金に必要だ」
○「お金は事業に必要だ」
そのような考え方に従って、次のようにまとめておきます。
★「必要だ」は“第一に”、「何ガ」の部分がないと文が成立しません。
→これを<対象1>としましょう
※「必要だ」は「強い」と違って、この<必須の対象>として「ニ」を取りません。
★「必要だ」は“第二に”、「何に対して」の部分を補うことができます。
→これを<対象2>としましょう
★「必要だ」は(1)のように、人を主体にしてその人について述べる文と
(2)のように人が表に出て来ないで対象だけの文とがあります。
【主体】 【対象1】 【対象2】
↓ ↓ ↓
(1) 人ガ Xガ 必要デアル(コト) <必須の対象>だけの文
(1)’人ガ Xガ Yニ 必要デアル(コト) <必須の対象>+<補助の対象>だけの文
【対象1】 【対象2】
(2) Xガ 必要デアル(コト)
(2)’ Xガ Yニ 必要デアル(コト)
例文
(1) 私ガ お金ガ 必要デアル(コト)
→私は お金が 必要だ(自然な文)
(1)’私ガ お金ガ 日本語の学習に 必要デアル(コト)
→私は 日本語の学習に お金が 必要だ(自然な文)
(2) お金ガ 必要デアル(コト)
(2)’お金ガ 日本語の学習に 必要デアル(コト)
→日本語の学習には お金が 必要だ(自然な文)
※(1)の文は、その人において〜が必要だということですが、(2)の文ではそのような人が存在しません。英語などでは一般人称としてyou needなどの文で言うのかもしれませんが、日本語ではそのような主体を立てる必要はありません。
ということで、P24の問題(分類の6がここに入っているのは変ではないかという問題)は、これはこれで正しく、ただ、この分類の形容詞は、対象を二つとることができるので、その時には「ガ」も「ニ」も対象をとると考えればいいのではないでしょうか。
> 「7)適・不適の意味を表すもの」の「ニ」は「に対して」の意味だと思いますから対象だと思います。『日本語ハンドブック(初級)』のP376にも「ニ格」をとる形容詞として「適・不適」は上げられていますからこれに問題はないと思います。
これは問題ないということなので、これでいいですね。
> そして「は」と「が」の問題が『日本語ハンドブック』のP254にありますが、そこで「は」は主題を表し、主題はその文で述べたいことの範囲(対象」を限定したものとあります。また、P255には形容詞や名詞文では通常「は」が使われ、「が」を使う場合は「総記」の意味になると書かれてあります。
これはそのとおりでしょう。
> 形容詞文の「は」または「が」で表す部分が対象を表すのであれば、その後に「ニ格」や「ト格」を対象としてとる形容詞は対象が二つあるということで、主語に当たる部分がないということになるのでしょうか?
お気付きのことと思いますが、上のまとめでは「主語」という用語は使わずに「主体」という用語を使いました。
まず“「主語」に当たる部分がない”と考えるのであれば、”何を主語と考えるのか”をはっきりさせなければいけません。
それなしには、先に進みません。
例えば、上のまとめの(2)のような文について、対象の「ガ」と「ニ」だけで、主語はないと考えることもできるのかもしれません。その辺を突き詰めて行けば、日本語に「主語」はない、という考え方とも関係してくるでしょう。
ただ、注意しなければならないのは、厳密には「主語」「主体」「主格」はそれぞれ同列には扱えない別のレベルのものであるということです。「対象」という用語は、<意味役割>という視点で見たときの用語で、「主体」と同列のものです。ですから、「対象」しかないから、「主体」はない、という言い方はいいのですが、「対象」しかないから、「主語」がない、という言い方が適切なのかどうか、という問題があります。
例えば、(2)は「対象」を表す要素だけの文だけれども、「主格(=ガ格)」が使われている「対象」のほうは、文法の機能としては「主語」になっていると考えることもできるわけです。
そのへんを自分の中で整理して、それから疑問点をまた投稿してみてください。
ちなみに、「ガ」についての考察はshujiさんのホームページ(→http://principle.jp/bbs1/cbbs.cgi?id=brn)でもかなりの考察がアップされていますし、最近出た本では『日本語に主語はいらない』金谷武洋(講談社選書メチエ)、という本もあります。もちろんよく知られている本では、三上章の『象は鼻が長い』(くろしお出版)もあります。
No.838
投稿時間:03/08/30(Sat) 13:50
投稿者名:saburoo
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タイトル:Re: 二つの「対象」について
こんにちは。
「主題」「主語」に関する部分について思ったことを述べます。
> > そして「は」と「が」の問題が『日本語ハンドブック』のP254にありますが、そこで「は」は主題を表し、主題はその文で述べたいことの範囲(対象)を限定したものとあります。また、P255には形容詞や名詞文では通常「は」が使われ、「が」を使う場合は「総記」の意味になると書かれてあります。
『日本語文法ハンドブック(初級)』p.254の
主題というのはその文で述べたいことの範囲(対象)を限定したもの
です。
という書き方に問題があると思います。この「(対象)」は、「動詞の
対象」という時の、(意味的)格関係を表す「対象」とは別物です。
文法用語としてではなく、一般的な意味で使われています。
例えば、
「は」は、ある対象を取りあげて、それを主題とした文を作る。
例えば、「太郎」を(対象として)主題にし、
太郎は学校へ行く
という主題文を作る。
のような中での「対象」です。(このような言い方は、文法書を読み慣れた人間には、かえって紛らわしいものです。)
文法の中で「対象」を主題にする、と言うと、
弟がお菓子を食べた。(「お菓子」はヲ格・対象)
お菓子は弟が食べた。(「お菓子」は対象が主題化された)
のような場合を言うでしょう。
『日本語文法ハンドブック(初級)』の索引を見ると「対象」という用語があちこちに使われていますが、このp.254は出ていません。文法用語ではないからでしょう。見落としということもあるかもしれませんが。
> > 形容詞文の「は」または「が」で表す部分が対象を表すのであれば、その後に「ニ格」や「ト格」を対象としてとる形容詞は対象が二つあるということで、主語に当たる部分がないということになるのでしょうか?
したがって、ここの「対象を表すのであれば」は、上の「ハンドブック」の不用意な書き方をそのまま受け取ってしまった誤解です。
次のところは、「主語」に関する議論の整理がよくないように思います。
> お気付きのことと思いますが、上のまとめでは「主語」という用語は使わずに「主体」という用語を使いました。
> まず“「主語」に当たる部分がない”と考えるのであれば、”何を主語と考えるのか”をはっきりさせなければいけません。
> それなしには、先に進みません。
> 例えば、上のまとめの(2)のような文について、対象の「ガ」と「ニ」だけで、主語はないと考えることもできるのかもしれません。その辺を突き詰めて行けば、日本語に「主語」はない、という考え方とも関係してくるでしょう。
「日本語に『主語』はない」という議論(三上、金谷、その他)と、
日本語の学習にはお金が必要だ
という文には「対象の「ガ」と「ニ」だけ」しかなく、「主語」がない、と考えるのとは、話がずいぶん違います。
> ただ、注意しなければならないのは、厳密には「主語」「主体」「主格」はそれぞれ同列には扱えない別のレベルのものであるということです。「対象」という用語は、<意味役割>という視点で見たときの用語で、「主体」と同列のものです。ですから、「対象」しかないから、「主体」はない、という言い方はいいのですが、「対象」しかないから、「主語」がない、という言い方が適切なのかどうか、という問題があります。
> 例えば、(2)は「対象」を表す要素だけの文だけれども、「主格(=ガ格)」が使われている「対象」のほうは、文法の機能としては「主語」になっていると考えることもできるわけです。
「対象」を<意味役割>とすると、それに対するのは「主体」よりも、「動作主」とか「経験者」などという用語でしょう。「主体」は広すぎます。
(ただし、私もこの辺のことは不勉強なので、間違っているかもしれません。)
格文法だと、「対象」の使い方がずいぶん違い、
葉が落ちた。
の「葉」も「対象」として扱われるはずです。ここまで考えに入れると、何がなんだかわからなくなってきますが。
あと、日本語文法での「対象」という用語には、時枝の「対象語」の影響がある場合も多いと思います。
お金が必要だ
の「が」が「対象」を表す、などという時には特にそうでしょう。もちろん、「対象語」は、「主語」「目的語」と同列の概念です。
ですから、「日本語の学習に(必要だ)」が「対象」である、というのとは
微妙に位置づけが違うように感じます。
どうもうまく整理できませんが、「主語」の問題はともかくとして、問題のおおもとは、「主題の範囲(対象)」という不適切な表現にあったのだと思います。
saburoo
No.839
投稿時間:03/09/01(Mon) 00:17
投稿者名:Oyanagi
Eメール:oyanagi@tky2.3web.ne.jp
URL :
タイトル:「対象」は考えてみるべき対象ですね
saburooさん、勉強部屋へようこそ。
日本語オンラインの掲示板では(もっぱらROMばかりですが)saburooさんの投稿を読んで勉強させてもらってます。
「対象」についての考え方は、ちょっとやっかいです。
やっかいというのは、使う人が一体どのような意味で「対象」と使っているのかを読み手が判断しないと、その「対象」について議論が進まないということです。saburooさんが『日本語ハンドブック』について指摘してくれたこともそうですが、日本人にとって、「対象」という言葉は広くとれば「言語化する対象」という意味で使うこともできるわけで、そうなると「主語」だろうが「主題」だろうが、「目的語」だろうご何だって対象となってしまいます。もちろん、教師向け参考書では、その目的を考慮して、用語の意味を暗黙のうちに使い分けているのでしょうが、一歩踏み込んで考えてみようとしたときに、用語の解釈でつまづくことは多いと思います。
AMさんとのやりとりでは、まだそのへんがつかみきれなかったので、かなりお茶を濁したレスとなってしまいました。(反省)
> 「日本語に『主語』はない」という議論(三上、金谷、その他)と、
> 日本語の学習にはお金が必要だ
> という文には「対象の「ガ」と「ニ」だけ」しかなく、「主語」がない、と考えるのとは、話がずいぶん違います。
ずいぶん話しが違うのかもしれませんが、『主語』がないということを考えることは、何を「対象」と考えて文を見たらいいのかという、見方を自分で考えることにはいいと思います。(まあ、これも言いわけではありますが)そういう話しの流れの中で紹介したものですので、そのへんのところをご理解ください。決してそこに答えが載っているというのではありません。
> 「対象」を<意味役割>とすると、それに対するのは「主体」よりも、「動作主」とか「経験者」などという用語でしょう。「主体」は広すぎます。
> (ただし、私もこの辺のことは不勉強なので、間違っているかもしれません。)
私が、「主語」と「主題」と「主格」を分けて考えなければと痛感したのは『世界の言語と日本語』角田太作(くろしお出版)を読んでからです。それまで、日本語教師をしている間は、いわゆる「日本語教師文法(=日本語教師向けに書かれた参考書)」に漬かりすぎていたところがあり、その反省から買って読んだ本の一つです。
私のレスで使った「主体」というのも、実はお茶を濁したところがありまして、ご指摘のとおり「動作主」とか「経験者」などという用語をたてるべきです。ただ、「必要だ」という述語に対して、「人」に続く「ガ格」をどう呼べばいいのか適当な名称がなかったのであえて「主体」としておいた次第です。ですから、またまたいいわけになりますが、「動作主体」「経験する主体」のような感じて、「○○主体」というようなものをイメージしていたわけです。
> 格文法だと、「対象」の使い方がずいぶん違い、
> 葉が落ちた。
> の「葉」も「対象」として扱われるはずです。ここまで考えに入れると、何がなんだかわからなくなってきますが。
確かにご指摘のとおりです。日本語教師の現場では(おそらく)非対格動詞とか非能格動詞などといった動詞の名称が登場することはないと思います。たとえあったとしても、それは自動詞、他動詞と同程度ではないはずです。しかし、「葉が落ちた」の「葉」を対象と考えるとどんなことがわかるのか、そういうことは現場の日本語教師も知っていて損はないと思います。たしかに混乱する原因ともありますが、だからこそ、どういう意味で「対象」という言葉を使っているのかを読み手、考える人が注意しなければならないのだと思います。
> あと、日本語文法での「対象」という用語には、時枝の「対象語」の影響がある場合も多いと思います。
> お金が必要だ
> の「が」が「対象」を表す、などという時には特にそうでしょう。もちろん、「対象語」は、「主語」「目的語」と同列の概念です。
> ですから、「日本語の学習に(必要だ)」が「対象」である、というのとは
> 微妙に位置づけが違うように感じます。
私としては、その微妙に違う位置付けをとりあえず、対象1、対象2としてみたのですが、あれも便宜的にそうしてみただけで、「〜に」の部分が果たしてどうなのかという問題は私の中には依然としてあります。
とりあえず、AMさんのレスを待って、「主語がない文」という言い方が妥当なのかどうか、saburooさんのコメントを参考にまた考えてみたいと思います。
これからも、この「勉強部屋」のほうもときどき寄ってください。それでは。
No.840
投稿時間:03/09/03(Wed) 23:31
投稿者名:saburoo
Eメール:
URL :
タイトル:おくればせのごあいさつ
こんにちは。
> saburooさん、勉強部屋へようこそ。
いやあ、どうも失礼しました。私がここに書き込むのは初めてだったんですね。
この掲示板は、「日本語オンライン」「日本語を考える会」と共によくのぞいていますし、「文法考察ファイル」やこの掲示板の記事をいくつかコピーし、印刷して読んでいますので、もうすっかりなじんでしまっていて、まだ書き込んだことがないことを忘れていました。
> 日本語オンラインの掲示板では(もっぱらROMばかりですが)saburooさんの投稿を読んで勉強させてもらってます。
こちらこそ。「落ち着いた雰囲気」やその他の記事をいつも参考にさせていただいて(この表現はあまり好きではないのですが、ここではぴったりですね。)います。
> これからも、この「勉強部屋」のほうもときどき寄ってください。
はい、そうさせていただきます。
本題の「対象」の件ですが、もうちょっと勉強して、また何か考えたら、ここに書いてみたいと思います。
なお、益岡・田窪の補語の分類は、「セルフマスター 格助詞」と、「基礎日本語文法」では微妙なずれがあります。それを比べてみるのも面白いと思います。(そう言いながら自分ではきちんと考えてはいませんが。)
ではまた。
saburoo
No.841
投稿時間:03/09/04(Thu) 02:16
投稿者名:AM
Eメール:
URL :
タイトル:Re: 二つの「対象」について
レスありがとうございます。
> 教えていただいた箇所を読んで思い出したんですが、昨年の12月に一度この掲示板で「〜に強い」「〜に弱い」についてのご質問を投稿されていますね。それと今回のことはちょっと関連がありそうですね。まだ「現在のログ」に残っていると思います。最後のページです。
そうです。その関係で調べているうちに「対象」ってなに?という疑問が湧いてきたので再びお尋ねしたわけです。
『セルフマスター』のP24・25の形容詞と動詞で「ニ」で対象を取るものを見ていて、わからなくなってしまいました。
他の形容詞・動詞に関しては、「〜に対して」といったように「方向性」を表す「ニ」だと思います。
ただ、形容詞の6)7)8)に関して「〜が〜に形容詞」(この「ニ」も「方向性」を表すと思うのですが)となる「ガ」の前に来る主語(主体?)が人ではなく物(事)が来ることもあると思って、「対象」となるような気がしてしまったのです。
> 【主体】 【対象1】 【対象2】
> ↓ ↓ ↓
> (1) 人ガ Xガ 必要デアル(コト) <必須の対象>だけの文
> (1)’人ガ Xガ Yニ 必要デアル(コト) <必須の対象>+<補助の対象>だけの文
>
> 【対象1】 【対象2】
> (2) Xガ 必要デアル(コト)
> (2)’ Xガ Yニ 必要デアル(コト)
>
> 例文
> (1) 私ガ お金ガ 必要デアル(コト)
> →私は お金が 必要だ(自然な文)
>
> (1)’私ガ お金ガ 日本語の学習に 必要デアル(コト)
> →私は 日本語の学習に お金が 必要だ(自然な文)
>
> (2) お金ガ 必要デアル(コト)
> (2)’お金ガ 日本語の学習に 必要デアル(コト)
> →日本語の学習には お金が 必要だ(自然な文)
> お気付きのことと思いますが、上のまとめでは「主語」という用語は使わずに「主体」という用語を使いました。
> まず“「主語」に当たる部分がない”と考えるのであれば、”何を主語と考えるのか”をはっきりさせなければいけません。
> それなしには、先に進みません。
> 例えば、上のまとめの(2)のような文について、対象の「ガ」と「ニ」だけで、主語はないと考えることもできるのかもしれません。その辺を突き詰めて行けば、日本語に「主語」はない、という考え方とも関係してくるでしょう。
上記の説明でよくわかりました。「主体」がないという解釈。
> ただ、注意しなければならないのは、厳密には「主語」「主体」「主格」はそれぞれ同列には扱えない別のレベルのものであるということです。「対象」という用語は、<意味役割>という視点で見たときの用語で、「主体」と同列のものです。ですから、「対象」しかないから、「主体」はない、という言い方はいいのですが、「対象」しかないから、「主語」がない、という言い方が適切なのかどうか、という問題があります。
> 例えば、(2)は「対象」を表す要素だけの文だけれども、「主格(=ガ格)」が使われている「対象」のほうは、文法の機能としては「主語」になっていると考えることもできるわけです。
saburooさんのレスに「対象語」は「主語」と「目的語」と同列の概念というのがありましたが、「対象語」と「目的語」は違うものなのでしょうか?
「主語」はその文のなかで「主要となる言葉」ということで「対象」にもなり得る言葉で、「主体」とは「動作主」のこと、「主格」(格)とはその文の中での「関係」を表す・・・と、考えられると思いますが、ちょっと勉強不足でどんどんわからなくなってきてしまいました。すみません・・・。
> ちなみに、「ガ」についての考察はshujiさんのホームページ(→http://principle.jp/bbs1/cbbs.cgi?id=brn)でもかなりの考察がアップされていますし、
shujiさんのは「拡大文法情報リンク集」でちょっと調べました。私もスペイン語を勉強していて少しわかるので、とても勉強になりました。
> 最近出た本では『日本語に主語はいらない』金谷武洋(講談社選書メチエ)、という本もあります。
上記の本は近くの図書館にあるようなので、ちょっと読んでみようと思っています。
> もちろんよく知られている本では、三上章の『象は鼻が長い』(くろしお出版)もあります。
少し読んだことがありますが、難しいですね・・・。
「主語」「主題」「主格」の概念の違いを少しご説明いただければうれしいのですが・・・。『世界の言語と日本語』という本も読んでみたいと思います。
よろしくお願いします。
No.842
投稿時間:03/09/04(Thu) 02:37
投稿者名:AM
Eメール:
URL :
タイトル:Re^2: 二つの「対象」について
レスありがとうございます。
> 『日本語文法ハンドブック(初級)』p.254の
> 主題というのはその文で述べたいことの範囲(対象)を限定したもの
> です。
> という書き方に問題があると思います。この「(対象)」は、「動詞の
> 対象」という時の、(意味的)格関係を表す「対象」とは別物です。
> 文法用語としてではなく、一般的な意味で使われています。
ありがとうございます。わかりました。
形容詞文や名詞文で「は」が使われるのはどうしてでしょうか?ここで質問するのも少しおかしいかもしれませんが、疑問に思えてきました・・・。
> 格文法だと、「対象」の使い方がずいぶん違い、
> 葉が落ちた。
> の「葉」も「対象」として扱われるはずです。ここまで考えに入れると、何がなんだかわからなくなってきますが。
「格文法」だとというのは、不勉強でよくわからないのですが、「対象」となるというのは、私もそう思います。
> あと、日本語文法での「対象」という用語には、時枝の「対象語」の影響がある場合も多いと思います。
> お金が必要だ
> の「が」が「対象」を表す、などという時には特にそうでしょう。もちろん、「対象語」は、「主語」「目的語」と同列の概念です。
> ですから、「日本語の学習に(必要だ)」が「対象」である、というのとは
> 微妙に位置づけが違うように感じます。
「対象」としての位置づけは違うように思います。「ガ」を対象だとしてもその「対象」が「それに対して」といった意味で「ニ」を使っていれば、「セルフマスター」にある他の形容詞や動詞と同じように「方向性」を表すのもとして「対象」になりえるように思うのですが・・・。よくわかりません・・・。
本当に難しくて、最初に何を調べたかったかわからなくなってしまいました・・・。
No.843
投稿時間:03/09/04(Thu) 02:40
投稿者名:AM
Eメール:
URL :
タイトル:Re: おくればせのごあいさつ
> こちらこそ。「落ち着いた雰囲気」やその他の記事をいつも参考にさせていただいて(この表現はあまり好きではないのですが、ここではぴったりですね。)います。
私もいつも詳しくご説明いただいて本当に感謝しています。
> なお、益岡・田窪の補語の分類は、「セルフマスター 格助詞」と、「基礎日本語文法」では微妙なずれがあります。それを比べてみるのも面白いと思います。(そう言いながら自分ではきちんと考えてはいませんが。)
『基礎日本語文法』も同じ先生の書かれたものですか?調べて読んで見たいと思います。ありがとうございました。
No.844
投稿時間:03/09/05(Fri) 12:53
投稿者名:Oyanagi
Eメール:
URL :
タイトル:Re: おくればせのごあいさつ
Oyanagiです。
ご丁寧にありがとうございます。
> この掲示板は、「日本語オンライン」「日本語を考える会」と共によくのぞいていますし、「文法考察ファイル」やこの掲示板の記事をいくつかコピーし、印刷して読んでいますので、もうすっかりなじんでしまっていて、まだ書き込んだことがないことを忘れていました。
数年前の「勢い」は今はありませんが、まあ、マイペースでやっております。いつかまた「勢い」を取り戻したいと思いますが、いつになるやら・・・・(笑)。
> > 日本語オンラインの掲示板では(もっぱらROMばかりですが)saburooさんの投稿を読んで勉強させてもらってます。
> こちらこそ。「落ち着いた雰囲気」やその他の記事をいつも参考にさせていただいて(この表現はあまり好きではないのですが、ここではぴったりですね。)います。
「落ち着いた〜」と来たので、あれちょっと前の質問の投稿のことかなと思ってしまいました。(笑) そいう雰囲気があるんですかね。まあ「勉強部屋」なので、あまりやかましのはよくないですけどね。
> なお、益岡・田窪の補語の分類は、「セルフマスター 格助詞」と、「基礎日本語文法」では微妙なずれがあります。それを比べてみるのも面白いと思います。(そう言いながら自分ではきちんと考えてはいませんが。)
そうなんですか。そういう読み比べはしたことがないんですが、そういう「ずれ」みたいなものって、けっこう「考察」する上ではポイントになることかもしれませんね。
私も「ツン読」だけじゃなくて、ちゃんと読んでみようと思います。
それでは、これからもよろしくお願いします。